第二章6話 『死に場所の選択の話』
彼は待っていた。あの世界で会った性別不明の謎の球体を。翠色の球体の宙に重力を無視して浮かぶ姿を待っていた。だが彼の目の前に現れたのは違った。少女はいつもの天真爛漫な笑顔の一欠けらも見せることなく現れた。月光が少女の横顔を射すがその瞳に輝きは一灯もない。時期は夏に近付いているのにも関わらず未だ夜の冷気を拭わせない。
「――なんで、カガミ、お前が、ここに……」
少女の薄い唇は微動だにせず少年の声が少女に届いていない。だが、目の前に現れたモノの耳には届いている。唖然としている少年はいつ少女の唇が開いたのか分からないほどに動揺していた。
「……クサナギ・ツルギ」
少女の言葉は少女の口から、少女の声で少年に届く。故に理解し難い。目の前に居る少女は矢田野鏡なのか。
渇き切った喉は声も出ず冷えた空気を通すことさえ拒絶しようと呼吸が不規則になりかける。
「甘すぎる異邦人、クサナギ・ツルギ」
少女の声で言葉で口から少年に伝わる恐怖。少年は知っているその台詞を脳裏に焼き付いた戦慄と無意識に重ね合わせる。
奴は言った。
『――ヘンゼル。クサナギ・ツルギ。お前らの未来は決まった。――死んでもらう』
龍の殻、幻殻龍を操っていた奴は言った。
『――それでもなお、我を通す、か。甘い。甘すぎるな異邦人』
狂気を降り撒く漆黒の翼を生やした奴に言った。
『――ばけもの――』
記憶にないはずの記憶が脳裏を過ぎ去り続け、眼前の少女の言葉がかさなる。
どうして少女の口から少女の声でその言葉が発せられるのか、知りたくない現実は目前にあるのか。少女の体、少女の足がゆったりと動き、一歩、一歩、また一歩。少年に近寄る。
「なんでお前がここにいる……モモタ!」
少女の体は足を止め薄い唇が開かれる。
「モモタ・ロウ・ウラシマ」
五歩ほどの間を保ったまま少女は佇むまま、その名を口にした。
それを目の当たりにした少年は緊迫しているはずの空気に威圧されたのか、頭を掻きむしりながら、
「なんなんだよ、モモタじゃねぇのかそうなのかどっちだよ! 第一、カガミに何してんだ誰かしらねぇがただじゃおかねぇぞ!」
鋭く指を少女の双眸の間に向けて指し、少女を操っていると思われる奴を睨み付ける。
少女は息を堪えるように手で口元を隠すが、微かに息がそこから失笑として漏れる。
「な、ななな、なに笑ってんじゃ!」
焦燥感が抑えられなく寸前のツルギを余所に失笑が爆笑に変わり、可愛らしい声で笑声を届けて、息を一度深く吸うと、
「ふぅー。ごめんよ。悪気があったわけではないんだ。でも、君は落ち所のない阿呆だし自業自得と言うやつじゃないかい?」
知っている口調。自身に否があったとしても相手がツルギなら今回同様に阿呆と謝罪をしたことをひっくり返す悪癖。自身の悪いところを認めかけて相手に擦り付けるのはやはりいい気がするものではない。だがツルギ自身、このやり取りは実際否定的に嫌悪感があるように振る舞ってしまうが内心では心の許せる友人レベルで肯定している。それ故に、
「毎度毎度人を阿呆だ阿呆だ言ってくれちゃって。それはいいとして、説明。してくれよなフンシー」
世界を超えて再会を果たしたツルギとフンシー。
溜め息混じりに要求をすれば精霊のはずの少女の口から少女の声で返される。
「答えに辿り着くのが遅すぎると思うけど。まあ、ボクの演技が完璧だったという訳だからね。悪い気はそこまでしないよ。それでも君とさっき話したばかりで、君の前に現れるのがボクなのは当然の結果だろうに」
「あいつの仇の演技すんじゃねぇよ。それに演技うんぬんの前にその外見じゃ分かるわけねぇだろ」
「おっと、それを言われれば言い返す言葉もないよ。とりあえずはこの見た目の話から入るとしよう」
外観カガミの中身が精霊フンシーはわざとらしく咳払いを一度前置きとして続ける。
「周囲の人間からボクと言う存在と認識させないため、ボクはこの子、ヤタノ・カガミの体に憑依している。そうでもしないとこちらの言語や習慣が微塵も理解出来ないからね。憑依対象の知恵を拝借することが出来ると言えば早いかな」
「まあ、精霊がこっちで見つかりゃただ事じゃねぇしな。それはいいけど、なんでよりにもよってカガミに憑依してんだ。カガミにもしものことがあったらただじゃおかねぇぞ」
「君の心配するところのもしもと言うのは人命に関することなのかな? それならばこの子には無害とだけ言っておこうか。あと今のこの子は睡眠中と言える状態だね」
「なんか釈然としねぇな。害はないけど影響性があるみたいな」
「害はない。いずれ時が過ぎれば消え去る。だが現行としては間違いないね」
「それは……?」
「ボクの精霊としての力を有してしまう」
「大いにまずいだろ!」
想像もしたくない。彼女が精霊みたく口から大量の水を吹き出したり、風を操るなど、他にも華奢なその体を膨張させることが起こり得てしまうということだ。異世界での出来事ならば寧ろ、乾荒原の大地を潤すことも容易に出来、いいこと尽くめだろう。だがここは日本、地球だ。口から大量の水を洪水の如く吐き出したら事件で済めばまだいい。研究機関に知られれば――。
「そんなこと起きたらおちおち異世界にもいけねぇ」
「んー、ちょっと苦悩しているところ悪いけど、君の考えていることは滅多な限り起こらないよ。先にも言ったけど時が過ぎれば消え去るんだ。それに精霊の力を使おうとしても普通の人間、この場合の普通はあちら側、君からした異世界の人間も含める。普通の人間はおろか一端の魔道師でも不可能だろうね」
彼女の声で彼女の口から吐かれる弁舌に顎を少し引いて彼女の内側の精霊を投影して見やる。
「本当だろうな。俺があっちに行けば状況の把握が出来ない。だからどんなはったりでもそれが事実だということは証明出来ない。違うか」
「んー、信じられないと言うなら仕方ないね。説明したことはボクの経験であって取扱説明書がある訳でもないからね。信じる信じない、どちらにしろボクには嘘をつく利点がないし君の結論がどうだろうとボクは君に道を示す。その道も進むか進まないかは君次第。まぁ、その結論終着点決断の分岐は先に提示しておこうか」
精霊は少女の喉を鳴らして一度双眸を瞼に隠して、その美貌の横顔を少年に見せると片目だけ開けて光の糸の原点を見て少年を見つめて続けた。
「あちらの世界、君は異世界と呼んでいる世界は、『陰日向の地』と呼ばれ。こちらの世界、ボクらは『日向の地』と呼んでいるこの世界。ボクはあの光源が全てを晒した時、陰日向の地への扉を開く。それまでに決めておくれ。ボクと『陰日向の地』へ行くか、君はこの『日向の地』に残りこの子とともに人生を歩むか」
選択肢の容易差と分岐先の重大さで喉が詰まり声が留まってしまう。知らぬ単語に思考は追い付くことはない。その彼に対して少女の体を使って精霊は少しの唸りと一つの頷きで続ける。
「混乱は隠せないね、さすがに。ともあれ前提としてボクからの事実として、この子の身の安全は確約しておくよ。証明も出来ずこの子の今後の様子も見せることも出来ない。だがボクは確約するよ」
輝きが未だにない瞳が震えることもなく一心にツルギに語りかける。精霊はツルギと九死を死線をともにした戦友と言ってもいい。その精霊がここまで芯を狂わさず語るなら。とツルギは証明もこの先の未来も結果も見れない前提を一つの点頭で認める。
「今後のことに関しちゃ心配ではあるがいいだろう。でもなんでカガミなんだ。それの説明、いいか?」
「まず一に、君との接触が遥かに多いのはこの子であること。二に、純粋である女性であること。三に、ボクが憑依するに当たってこの子、ヤタノ・カガミが承認した。だからだよ」
ツルギの一日の対人接触の割合を大雑把に表せば、父二割、カガミ八割。
彼女は純粋無垢の言葉がよく似合うとツルギ自身思っている。彼女はツルギに好意を抱き、その他には微塵も抱かず、それ故に男性との接触も限りなく血縁関係を除けばツルギが当てはまる。当てはめられたツルギとカガミの間には不埒はおろか身体、手と手の接触すら数える程度もない。女性であることの条件は抜きにしても、純粋さを競わせれば高校二年で彼女に勝てる人は少なくともツルギの周辺にはいない。
だが、
「カガミが承認したって……」
「そのままだよ。ボクも君の周りで何かあやまちを犯し、気を損ねられてあちらに行ってもらえないのは不都合だらけだし、ボクは強制的に憑依するのは望まないからね」
少女が成長途中であるであろう胸を張って自身満々に誇らしげに自惚れている。少女の中の精霊の自慢げな表情、いわゆるドヤ顔が見事に投影出来るのが、散らかった記憶が正しいと思わせられる。
「はぁ、おっけいおっけい。この穴だらけの記憶もなんだかんだ合ってるってことか」
「ん? 今の会話の中に何か思う節があったのかな?」
「んいや。お前のそのドヤ顔があの球体でのドヤ顔が想像つくって話」
「へぇ~。ボクのドヤ顔が想像出来るのか。そうかそうか」
完全満面笑みを浮かばせる少女、否、精霊は不敵な笑みのまま、
その言葉もツルギには想像出来る。知っている会話の一つ。つい笑顔が零れてしまう会話の一つ。
「それでどの何でのドヤ顔が想像つくって言ったかな?」
「まあ、やっぱりそう来ると思ったぜ。それにしてもカガミが承認したってのは……」
「そのままだよ。ボクが霊体でこの子の前に姿を現し交渉した。数日でいいからクサナギ・ツルギの様子を観測するために君に憑依させてってお願いしたんだ。二つ返事とまではやはりいかないものだけど、この子も君の様子が少し気掛かりだったようだったからね」
「……きがかり、おかしかったか?」
「この子の感情を代弁するのは気が引けるから口を噤んどくけど、ボクからしたら全くおもしろ……おかしかったよ」
「今おもしろかったって言いかけたよな!」
「まぁそんなことよりも、君は心の底から楽しんでいない様にボクからは見えたよ。どこか一歩二歩三歩と引いている感じに見えたね」
「一歩ならず三歩、かぁ……」
思い返せば異世界からこちらに戻った日から無意識に他人の視線を気にすることが増していた。元々少年期の頃の出来事から周囲の評価などは気にしていた。だが不登校児になり半引きこもり状態になってからは無暗に出かけることもそこまでなかった。その不登校児が急に外の世界に出たんだ。反動から起きたのだとツルギは思った。
だが、
「どうして感情のままに言葉を出さないんだい? どうして一度深く思考して行動するんだい? どうして自身の心を偽るんだい? どうしてこの子の視線を気にするんだい?」
それを、事実を言葉にされてようやく気が付くことができた。感情を一度砕いて呑み込んで汲み取って思考して自分のしたいようにしなかった。そして、全てを包み隠さずに接するカガミにすら、本当の一人の友達の視線にすら、
「……怯えていた……のか」
「まぁそこまで畏まることもないよ。君の性質上仕方のないことだろうし、ほら君の体質のこともあるんだ。気負うことこそこの子の気持ちへの冒涜にすらなる」
一度感情を砕き呑み込み思考した上で言葉を吐き出した。その結果、彼女の感情、想いへの冒涜の発言になってしまった。だが睡眠状態である彼女の元へ届かなかったことが唯一の救いと言える。
「君が自身を周囲を偽り騙したとしても幸福を得ているのならボクは陰日向の地への同行は望みもしなかったし声すらかけずにボクだけで日向の地を離れていただろうね」
「そりゃまたなんで」
「それは当たり前だよ。君が日向の地へ送喚されたのは君の幸福のためであり、君が日向の地で幸福を感じていないようなら連れて陰日向の地へ帰るのは当たり前だよ。君はあちらで、一日程しか滞在はしていない。けどその瞳と心はキラキラと光っていたとボクは思うからね」
「お前は俺の幸せのためにこうして連れ戻しに来てくれたのか。それにしてもなんであれほどの体験を忘れて……」
元を辿ればそこに辿り着くのだ。精霊は言った。
『ボクは姿をいずれ、遠からず姿を君の前に現したさ』
日々の一つ一つがきっかけで開かれた忘れていた異世界の記憶。忘れていなければフンシーもきっと姿を現したのが早かったはずだ。なのに遠回りをしてしまったのは、
太陽の糸は解れることなく絡むこともなく少年と少女の横顔に光を差し込み涼風が優しく肌を掠める。
憤怒していた少女の表情は無に戻り、薄い唇が開かれる。
「ツルギ、君の記憶は、――暴食の追憶――によって『陰日向の地』あちらの世界の記憶は忘却された。――はずだった」
「はずだったってのは――?」
「大罪の行使の一つを普通の人間に対して使用したんだ。それが未遂に、または無効したのか、復元したのかは何一つとして分からないままだよ。けど確実に言えることはその行使は表面上は成功していた。君が自力で思い出すことが出来たけど忘却していたことで成功していたことは確かだろうね。けど内面的、記憶の中枢に残された断片の欠片がツルギ、君の曖昧だった記憶の欠片たちに繋がる」
暴食の追憶。異世界最後の瞬間に聞かされた単語。そのことも忘れ精霊から聞かされたことで確かになった記憶。そうして忘却していた記憶が一つ一つのピースがはまっていく。
「生を受けたモノは、人も動物も植物も、それら全て生を受けたモノは何かの宿命が義務付けられている。君にとって大罪の行使を打破したことはその宿命となんらかの因果があるとボクは推測するよ。故に君は断片ながら思い出さされ思い出し、こうしてボクと会話すらしている。おかしく思わないかい? 忘れた矢先に訪れた出来事の数々。ボクは定められたこれらと君は因果関係にあると思うよ」
「因果関係。それは俺がこっちに戻されても異世界に行くべき運命ってことなのか」
「そこまで君の想いを捻じ伏せて行かなければいけないわけではないよ。最後は君が決める事柄だからね。『日向の地』で最期を迎えるか、『陰日向の地』で最期を迎えるか。たったそれだけの話さ。死に場所の選択の話なだけさ」
「やけに物騒な話になってたな!」
その反応に無表情だったカガミの頬が緩み満足気な笑みを溢した。
「ボクはそういう偽らない君が好きだよ」
「お前の今の状態で言われると緑色の精霊って分かっててもなんか恥ずかしくなるから止めてくれる!?」
「あははは。そう、それだよ。虚飾は君には似合わない。君は思ったことを口にする癖を付けたほうが、君も幸せボクも幸せ周りも幸せ、彼女、も幸せだからね」
「正直に生きろってか」
「そういうことだね。ともあれ――」
笑い終え双眸を瞼で隠して少しの時間を置いた。一瞬なのか数秒なのか数分なのか分からない程に精霊の今の器の彼女が眩しく見惚れてしまい、脳裏に焼き付けたくなる。ツルギの選択の一つで彼女との再会は永遠に訪れることがなくなってしまうから、眼球の裏に焼き付ける。
朝陽がいつの間にか双方の顔どころか全身に巡り、道場を隠す障子の白色は反射か素材か、黄金に所々煌き、その対称側の隣家の間には先刻まで顔を出していなかった、
「――――時間の様だね」
丸い太陽が姿を現していた。
「選択の時間だ。さぁツルギ、君が選ぶ死に場所は、『日向の地』かい? それとも『陰日向の地』かい?」
そう言って無表情の少女の体を操る精霊は少女の腕を上げさせ太陽を指差す。空間が歪み音が歪み光が歪み、教室の扉サイズの長方形が出来上がり、その先は暗闇しか見えない。
選択。
『日向の地』で目の前の少女、矢田野鏡と青春し、この世界で生を終えるか。
『陰日向の地』で翠色の精霊の言う因果の運命の果て、異世界で生を終えるか。
「もちろん決まってら」
考えず、思考せず、この世界の未来を見据えず、異世界の不安を見据えず、少年はすっと答えを提示する。
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