第二章5話 『夢幻泡影』

 時刻四時三十分。窓から差し込める月光と見続けてくる小さな月。暗がりから照らされる少年はベッドの上で小さな月を眺めてから瞳を閉じ思い考え続けていた。


 ――どこから来たんだ。


 その問いの答えはない。来たわけではなく元々少年は地球の日本に産まれ住み、実家から家を変えた経歴もない。つまり問い自体が成立しない。


 ――どこに行っていたんだ。


 その問いの答えは出ている。父親、幼馴染の少女がそれを導いている。少年の記憶にすら深緑に溢れる森が脳裏を覆う。その中で日本語の石版、石碑とも呼ぶべきか。森の中にそれはあった。間違いなく日本であり父、幼馴染の少女の言う山に修行へ行っていたのだろう。


 ――なら、一昨日の火曜日だ。不思議な感覚が確実にあった。カガミに触れた時、症状が出た。


 何も不思議がることはない。少年は産まれ持った特異体質である、女性に触れることで出るアレルギー反応は未だ不治。病名不明のその病は治った兆しはこの世界にはない。故に何一つとして不思議ではない。


 ――些細なことか分からねぇ。けど爺ちゃんの刀は……。


 少年にも父にも知り得ないことは誰にも知り得ないだろう。


 ――カガミが言っていた。クラスメイトに担任教師が俺を忘れたみたいだったと。


 それには納得のいっているはずだ。答える余地もない。


 ――サバゲーでのレーザーポイント。あの時に不意に脳に流れた光景。あの地獄絵図は。


 それこそ君の妄想、幻影、迷妄、幻覚、幻だよ。君自身の幻想を疑問にしたらそれこそ世界の法則が乱れる。おとぎ話だっけか。架空の物語は信憑性がないと思うよ。


 ――おとぎ話……ヘンゼルとグレーテル。彼らは今。


 ……。


 ――アリス、あの子の年は?


 ……女の子の年を他人に聞こうなんて恥を知れってボクは思うよ。


「――月がちいせぇ」


 ボクの知る月とこの世界の月の見た目の一致には驚いた。けどサイズが、と言うよりもこの世界の月は遠く離れている。ただそれだけさ。


「――なんで、俺はここに戻ってきてる」


 それは君が望み。その望みを、祈願を、彼女が叶えた。それ故に君は送喚された。


「なんで忘れてたんだろうな、あの時間は忘れたくても忘れられねぇ。今でもあの時間が現実だったなんて思えねぇ」


 冷静に沈着に少年は月光から跳び起き下半身を月光に、上半身を暗がりから、月が覗く窓を睨みながら、


「ちょっくら話がある。フンシー今どこにいる」


 窓の先、月の遥か手前。テレビの砂嵐のようなノイズが空間を歪めて白と黒と灰と翠の色が混合しながら交差しながら徐々に本来の形の球体を見せようとした。が、それは途中で中断し砂嵐状態のフンシーが顕現される。


「ボクとしたことがこうも易々と君の話術に騙されるとはね。はぁ、これじゃボクがこっそりしていた意味も何もないじゃないか。と言いたいが、ツルギ、君がボクに気付かなかったとしてもボクは姿をいずれ、遠からず姿を君の前に現したさ。まぁ今回それが早いか遅いかの差でしかないからね。ところでボクはどこへ行けばいいのかな?」


「来てくれるのか、それなら浮いてこの部屋にでも……」


「いや、それは残念ながら出来ないね。今もこうして不細工に顕現するのが精一杯」


「不細工なのはいいけど、それってどういう」


「うわあっと、そろそろ時間が迫ってる。とりあえず、君に一つ伝えておきたい」


「んあ? なんだ、改まって」


 先刻よりも砂嵐が雑になり、姿はほぼ元のモノを想像出来ないほど霞む。


「……それは、夢幻泡影。こちらのせか、には。いいこと、ざがあ、ね」


「むげんほうよう……ってか大丈夫か?」


「うぅ……もう、む……」


 砂嵐であった精霊は完全に姿を空気に溶かして消えてしまう。その栄誉っぷりにツルギは両手を合わせてそこにいた精霊に向けて頭を下げて、


「……お前のことは忘れねぇ。じゃあな。あとな、ことわざじゃなくて四文字熟語な」


 異世界からの異邦霊に対し訂正するがその言葉は届かない。またの機会があった時に教えるとして、


「それにしてもなんのために来たんだよ、わけわかんねぇ。寝るかー、つっても」


 頭を適当に掻きながら自身の睡魔と相談をする。精霊のおかげ、ツルギ自身の違和感への解決。突き刺さったままの一つの疑問の棘が抜けない。睡魔は随分仕事放棄をしたようで眠いという感情も本能もない。


「はぁ、散歩がてら夜の街をぶらつくとするか。……なんかかっこよくね?」


 そんな独り言を繰り返した。窓から見える月は不気味に笑っている気がするが、それはあちらの月だけで勘弁だ。

 それは、戻りたい願望があちらの月との面影を重ねてそうツルギが勝手に見ているだけなのかもしれない。



 † † † † † † † † † † † †



 玄関の戸に手が触れた時。背後からの声に身を硬直させる。


「剣、どこに行くんだ?」


「ん、散歩」


「そうか」


 事実だ。だが、ツルギは察している。異世界の記憶が甦った今自分のすべき事柄。自分のいるべき場所。自分が目指す場所。自分が叶えさせたい目的。それらを思い出した今、精霊フンシーがツルギの前に朧だが現したこと。それらが繋げるのは、


「ああ、そうだ」


 散歩と言う長い長い、戻ることがあるか分からない散歩。


「どこに散歩に行くんだ?」


「んー、その辺。山とかまで行くかもな」


 異世界だぜ。なんて答えられるわけもない。父がこの時間に起床しているのも不思議ではある。起床時間にはまだ少しばかり早い。そして、不器用な足止め、問い質し。


「ああ、そうだ」


 それに対しての返答はない。ツルギは振り返ることはせず、正直に言えない息子は罪悪感を抱きながら戸をスライドして、


「剣」


「要件はいっぺんにして――」


 ツルギは踵を返して父の顔を見た。目を合わせた。その時に罪悪感は極限までに達した。それ以上言葉を詰めることも出来ず、生唾さえ飲めず、息が気管の途中で止まってしまった。

 父の、穏やか過ぎる表情を目の当たりにして。


「剣、俺はお前を見くびってたかもしれんな。弱いとかひ弱とかか弱いとかじゃなくてな」


 詰まった息を吐かせる究極の笑わせ文句。それにツルギは入れかかっていた空気を怒声にして吐き出した。


「父さんの息子弱すぎじゃねっ!」


「まあな」


「自信満々に胸を張らねぇでくれ。自覚あっけど結構辛いぜ」


「ふっ。なんて冗談は置いとけ」


「冗談かよ、置いとくのかよ、冗談でも事実突きつけられる俺の身にもなってくれ!」


「まあそんな些細なことお前の実家に置いていけ」


「んで、父さんが俺をみくびってたってなんなんだよ」


 ツルギが父と会話になれば本題が逸れに逸れるのは必然。その本題への修正もしないことは多いが今回の件は格が違う、タイミングも違う。ツルギは思うのだ。これがきっと最後の会話になる。と。


「あー、そう。それだ。お前の今の面、つーか。一昨日、学校に登校した日からだな。お前の面は男になった」


「……今まで女みてぇな――」


「別に茶化してるわけじゃないぞ。山から修行を終えたお前の面、今でも覚えてる爺ちゃんの恋してる時の面と似てる」


「すげぇー複雑」


 ここで明らかになる日柳家の新事実。ツルギの祖父、名前は父すら覚えていないが、父はかつて祖父の話を聞いていた。祖父の妻、つまりツルギの祖母は父が幼き頃に他界していて、父子家庭であったらしい。恋というのもその寂しさ故、若い女子を見つめていた。ただそれだけ。

 そして、ツルギの父の名は、日柳(クサナギ)海彦(ウミヒコ)である。


「それに、今の面。爺ちゃんが戦争に行く時の面と同じだ」


「すげぇー物騒」


「と、まぁ俺からの散歩気を付けてなって言う遠回しの気遣いだったりする」


「……遠回り過ぎて果てしねぇよ。まあ、さんきゅ。気ぃ付ける」


「死ぬなよ」


「散歩つってるだろ。一々物騒なんだよ、ったく」


「これでも親だ。心配なんだ。と言うわけでついて行こう」


「まじで?」


「ふっ。そんな邪見にすんな。冗談だ。第一、この時間でこそこそ家出とか」


 間違いなく冗談ではなく止められる。覚悟を決めて逃げ出すことを決意しようと外へ振り返った。刹那。


「夜這いってやぁ~つぅ~? 我ながら息子がスケベに育っちまったもんだ」


「はぁ。突っ込むのもめんどくせぇ。とりあえずいってくら」


「はいよ。いってらっしゃい。……あ、言い忘れてた」


 戸にかけた手が止まる。父に背を向けたまま、


「なんだよ、今日は言いたいこと多いな。認知症とか勘弁な」


「――――久々に本気で戦ってこい」


 その声援かは分からない言葉に対する返事はない。一言先刻の言葉を吐く。


「……いってくら」


「おう」


 それだけの言葉を交わし合い、ツルギは後悔に苛まれると分かっていても戸を閉めた。


 もう会えないであろう父さん。もう話せないであろう父さん。いつも通りのボケにツッコミに最終最後は面倒と諦め、ちゃんとした別れを告げなかった。今ならまだ言える。だが言わない。父さんが教えてくれたそれが――



 いつだか忘れた遥か過去の話。ツルギの祖父が家を出る時、あの時もこんなくだらねぇ会話したな。あれから何年経ったんだろうか、親父。あんたの孫はあんたに似て最高の面してっぜ。そういえば、あの日も別れの言葉交わしてねぇ。親父、そうだよな。最高の面になった俺の息子よ、そいつが――



 ――男って、やつだ。



 † † † † † † † † † † † †



「そろそろ夜が明ける、か」


 青く沈んだ色をしている夜空の遥か果てから光の糸を無数に天に広がろうとしている。朝の糸がツルギに届くこともない。背後に忍び寄った足音で待ち人ここに来たれり。

 場所は日柳家道場の縁側からの庭園。そこに少年はいる。ジャージ着でズボンに手を突っ込みどこか極めているようにも見える。

 実際、父との離別をした後に未だ庭で立ち尽くすという、見られたらこの上ない状況なわけで、訪問者があの球体でない状況は非常に手汗が止まらない状況である。


「ようやく来たか。時は満ちた、機は熟した。さあ、行こ――ッ!」


 くるりとなめらかな回転をしたツルギの眼前にいるのは、


「なんで、なんでお前がいるんだ……」


 ここにいてはならない。むしろ父、海彦である方が余程いい。だが、違う。

 眼前の人物はなぜここに来たのか。なぜ無表情でツルギを見つめるのか。なぜ、なぜなぜなぜ。


「――――」


 返事もなければ表情も無のまま。歩み寄ることもせずに突然に唐突にそこへ現れた。

 汗が額から頬へ顎に伝い表面から落ちていくのが分かる。ポケットにしまった手をゆっくり抜いてその掌を顔面に近付けて、震えながら、声も震わせながら、


「なんでお前が」


 渇いた喉が眼前の現実を否定したいように息すら掠れさせる。だがその痛感を堪え声を絞り出す。それと同時に朝を告げる糸がツルギと彼女に差し掛かる。


「――なんで、カガミが、ここに……」


「――――」


 彼女からの返答は未だなく、虚ろな輝きのない瞳が力なくただ開いて正面の少年を眼球に映している。それだけの行為をしている。


 冷えた月は頭上で少年と少女を見つめる。



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