第二章4話 『おやすみ』
時刻午後六時。陽が沈みかかろうとしている最中二人は神田明神、神社へ足を運ばせていた。
カガミはすでに長い階段の先に辿り着き今日一日での体力を果てさせたツルギは息を軽く切らせながら手すりに体重をかけて助けてもらいながらカガミの待つ地を目指す。
「どんだけ体力あんだよ、がぁ」
「早く来ないと陽、沈み切っちゃうよー」
「わあってるけど……こんな身体重かったか?」
またしても前振りのない唐突な違和感。数日前、つい最近の自身や周囲の違和感。周囲は一昨日から山籠もりをしていたし昨日と今日に限れば不登校児が登校後日クラスメイトとサバイバルゲームに勤しむといった非日常的条件があるが、身に起こる違和感だけは自身でしか気付かずそして疑問に成り果てる。
平和な世界が懐かしい。と思う疑問へ、
「……やっぱ学校行ったりで疲れてんのかなぁー。休息しまくって怠けたか」
怠けることはない。それはツルギ自身もカガミも分かり得る。ツルギは毎日の鍛練を欠かさずに、ましてや山籠もりをするほどの警備員としての重労働っぷり。怠けるはずはない。ないのだが、
「なんでこんなに身体重いんだよ……こんなにって言う程でもねぇけど」
最近よりも前、現在足に掛かる体重の重みは大して変化がない。だが一昨日の山籠もりをしたらしい日付では身軽で体力も切れることが少なく感じた。拭い切れない違和感、体重や脳裏に浮かぶ平和と言う言葉。それらを強引の押し殺すように踏み殺すように一歩を大きく踏み段を上がっていく。
階段に映りツルギと同調する影、それ以外は茜色の世界。最後の一段を飛ばして跳ね上がる。汗が何滴か茜色に飛散して地面に跡を残す。
背で受ける夕陽の暖かさを感じる。都内にも関わらず空気が澄んでいてうまいと感じ、一つ空気を肺一杯に吸い込み吐き出し。
「お疲れ様ぁ。ほらほらー、見て。きれい」
ゆっくりと先刻上がって来たその先の風景に目を送る。
黄金色と言える半球を中心に茜色がこちらに向かってくる。茜色といっても一色ではない複雑な色は幻想的ながら、ツルギは思う。今の俺の心を映したようだ。と。
「……カガミ、今日は、ありがとな」
「こちらこそ、今日は、ありがとー」
ゆっくりゆっくりと沈む太陽を眺め続ける。カガミは安らぎを覚え、ツルギは鼓動の高鳴りを感じ、
「あ、そうだ」
カガミが不意に思い出しては、本堂へ駆け出す。踵を返して掌を振り、
「さーん、ぱーいー。沈む前に参拝参拝」
「お、参拝か。悪くないかな」
カガミが手を合わせようとした時、ツルギが傍らに追い着く。
「あれ? ツルギが神様に願い事って」
「ああ。自分のことは自分でなんとかって思ってる派。けっきょくカガミに助けてもらうこと多いけど……いつもありがとうございます」
「いえいえ、自分のしたいことをしてるだけですから」
仰々しい二人は顔を深く下げ合い、上げるとそのタイミングは同時で目と目を合わせてはにかんで、
「じゃ、参拝すっか」
「うん」
そう頷くと砂埃は巻き上げることのない風が豪風がどこからか吹き、
「……絶対叶えてもらうんだからね、神様」
「え? えなんだって?」
「ううん。なんでもない。ほらほらー。するよ」
二人は静かに手を合わせ双眸を瞼の裏に隠す。空気も風も空気を読んだのか静まりこの世界に二人だけとも錯覚してしまう程に静まる。
そして二人はそれぞれ祈る、願う、祈願する。
『――ツルギが、どこに行っても元気で楽しく暮らして、好きな人なんか作っちゃって、それでいて』
『――カガミが、俺がいなくなっても元気で楽しく笑顔であり続けて、本気で好きな人出来たらいいな、そんでもって』
――――幸せに生きてて下さい。
二人は同時に想い想われ想い合う。互いに相手の健康を祈り、新たな恋を願い、生を祈願し合う。その祈願は互いに届くことはなく、祈りも、願いも、祈願も、神には届かない。
『自分らじゃどうにもならない、出来ないからといって都合良く祈願しても聞く耳はないよ。少なくともこの世界の神じゃあね――』
† † † † † † † † † † † †
陽は沈み切り、夜の帳が顔を出した。人気のない路地を歩く二人の影。空に漂う球体が黄金色を放ち見上げることをしなくても夜空に瞬く星々がひたすら輝く。
他愛ない会話をしながらの帰路の最中カガミが顎に指を立てて月明かりの光源を視界に入れつつ「そういえば」と前置きをしてから続けた。
「今まではさ、ホームルームで日柳はまた休みか、これで何日連続になるんだ。って先生言ってたんだけどツルギが急に山に修行行った日、月曜日はこれといって話題に出なかったなぁって」
似ていないであろう担任教師のモノマネをジェスチャー込みでしたカガミに「でも」と割り込もうとするがそれと同時に、
「それにだよ。いつも、えっとぉ、そのね。なんて言うかぁ……」
煮えきらない態度の彼女は暗い夜の光が薄い中でも分かる程に頬を紅潮させてもじもじとツルギの横顔をチラチラと何度も見る。きっと素直な彼女が戸惑うのは、
「……いつもはね、みんな、今日こそダンナサンをぉ学校に……」
「なるほどもういい。こっちまでこっぱずかしい」
カガミは何日かに一度、ツルギを学校へ登校させようと説得を試みてはいた。ツルギにその気はなく空振りに終わっていたが、きっと学校でツルギの居場所を設けておくためにも日々、いつ来るか分からない彼の話を、どういう人柄や登校した時には挨拶くらいはしてあげて。などをクラスメイトに話していたであろうというのは不登校からの初登校での一幕で明らかになっている。彼がクラスメイトから受ける「誰だ、こいつ」と言った発言行動思考を未然に防ごうとしていたのだろう。
これまでも見捨てることなく急かすことなくけれど着実に彼女の目指した青春に近付かせていた。登校すればいいわけではない。彼女はツルギと高校生という青春の数年、数か月、数日を味わいたかったのだ。ツルギにも味わってほしかったのだ。学校の楽しさ、青春に心躍らせてほしかったのだ。故に彼女の自己欲であろうが強要であろうがツルギは一つ告げる。
「カガミ、本当にごめん。学校も今日も佐藤たちの件も。いつもいつもごめんな」
俯く頭、街灯が後頭部を照らし地面を見やる少年に少女は「なんのこと?」と首を一度傾けて、
「何も何もなぁーんのことか分からないよー。でもツルギに言って欲しい言葉はごめんとかじゃなくて……」
「……そうだな、ありがとなカガミ――」
そこで息が詰まる。喉に引っ掛かり空白が生まれる。彼女を悲しませるわけにも、後悔させてるわけにいかない。だから詰まった息を再び取り込んだ空気と一緒に無理矢理に肺に押し込んで、
「――これからも、よろしくな」
「はい。よろしくお願いされました」
――そうじゃない。ごめんなカガミ、本当にごめん。
ツルギは心の内でそう二度謝罪をし直した。
天真爛漫な彼女の笑みはこの世界で唯一といっていいほどに失いたくない、手放したくない笑顔であった。故に元々の会話へ巻き戻させる。
「そいや、学校でみんなに何言われたんだ?」
「あ、そうそうそうなのぉ。みんな月曜日は一言もそのことに触れないーって言うわけでもなくて、触れられないーでもなくて、なんてゆうのかなぁ……」
空を見上げては腕組みをして瞳を閉じて迷走して出た答えは、
「――忘れた。みたいだった」
「それって。……だった?」
「なんかみんな変だったのー。いつもは茶化してくるのに、先生まで欠席取らないで。他にも、ツルギ今日も連れてこれなかったぁーって自分から言ってみたの。でもみんな何秒か考えてから、あーほんとだね。それでさぁ。て直ぐに別の話題に変えたりして、みんなツルギのことどうでもいいって思ったのかと思ったけど、昨日はみんな作戦通りにしてくれてよかったぁー。あ」
自身の自作作戦を仕掛けた相手に盛大に大胆に至って普通にばらしたカガミはそのことに気が付き頭を抱えて悶々と歩みを帰路に着かせる。ツルギは至って気付いていた策略は聞き流し頭を抱える彼女の傍らで歩みを進ませながら考える。
一昨日の出来事。他人から聞けば不登校児がいつ来るか分からない。そんな不確定なものを何日も飽きずに話題に出来るかと言えば答えは決まっている、ノーだ。クラスメイトはそれで話が片付くだろう。だが担任教師が今まで日々していた欠席確認を怠るのは、担任教師も人間だ。忘れることもあるだろう。だがそのタイミングがクラスメイトと同時と言うのは不可思議じゃないか。とカガミは考えたのだろう。不可思議だろうと奇奇怪怪だろうと不可解だろうと訳が分からないよ。と問われてもミステリアス特番を組まれたとしても、ツルギはこう言うしかない。
「……みんな飽きてた頃合いで担任がうっかり欠席確認忘れたもんだから、この機に乗じて。って感じじゃねぇの。考えすぎると禿げるぞ」
「禿げるのぉ!?」
「ああ。だから難しいこと考えねぇで。そいやさ、創立記念日っていつまで、来週?」
「んなわけあるかぁー!」
「冗談冗談、ツルギ流ジョークだって、いだっ!」
踵を大きく振り上げ勢いを殺さずにツルギの足を抹殺しようと目論むが、軽い彼女の軽い攻撃は言う程叫ぶ程の痛みは生じない。ぷんぷんと誰が見ても憤怒した彼女が地団太を踏みしめながら暗がりの夜道を先陣していく。
「もうもう、知らないっ! バーカ、バーカ」
「馬鹿つったほうがバカなんだぞ!」
「んじゃアホ」
「アホつった方が……待ちやがれ!」
「逃げたもん勝ちだもーん」
走り去っていく鈴の音。彼女が彼女から去るならば、置き去りにするわけではない。悔いもないだろう。だが、とツルギは考えを中断させる。頭を左右に振り空想の幻想の妄想を断ち切って眼前に小さくなろうとする現実を追う。懸命に、この現実を噛み締める。
† † † † † † † † † † † †
日柳家の隣家、矢田野家に到着。息を切らしたツルギを出迎えたのは玄関から零れる光から顔を半分覗かせる少女、カガミ。その表情は逆光から窺えないが声音が笑顔だと伝える。
「今日は、本当にお疲れ様、あと、ありがとね本当に」
「こちらこそだ。本当にありがとな」
そうそれだけ交し合って、残ったのは無言の見つめ合い。カガミからのツルギは零れる光で顔半分、半身がはっきりと見える。心の底からの感謝をしている一心に見つめる双眸と少しの笑顔。ツルギから見えるのは半分の輪郭のみ、表情は見えない。だが分かる優しく微笑みを浮かべていると。
「……じゃあ、おやすみなさい」
「……おう、おやすみ」
そう言ってはほんの数秒、名残惜しさを噛み砕くように彼女は無意識に両手に力が入りながらゆっくり自身の手でゆっくり扉を閉めていく。目と目が合っている。瞳と瞳が交差する。なのにツルギには分からない彼女の表情が、笑顔なのか、悲壮なのか、無表情かもしれない。
しかし、ほんの一筋の光が零れるその間、彼には見えてしまった。彼女の悲しげな悲痛を思わせる表情と、瞳に溜め込む清い雫に。
故にツルギは顔を向けずに下げて、自身の顔を見せないように手を勢いよく上げてもう一度別れの言葉を放った。
「――またな」
ツルギは彼女を見ていない。声も小さく届いていたかも分からない。これでいい。それだけがツルギの胸に渦を巻いた。夜という暗闇に飲まれそうになりながら、頭上で月光を垂れ流しにする光源を見つめる。あの日の様に小さな月が狂って笑った気がした。
† † † † † † † † † † † †
強引に振り切らせた、閉めさせた。気持ちが嫌だと言い続け、理性がそれを殺した。本心が泣いて泣いて涙を零して、自然と外側の身体からも涙が零れ、全体重を閉まりきった扉に預けてその場で膝が折れ尻餅をついた。
帰宅した少女に掛けられる声。いつも通り、少女が帰れば優しく声が聞こえる。
「おかえりなさい、鏡。かがみ?」
泣き崩れている少女に驚愕の表情を隠せずに短い距離を走り駆け寄る少女の母。「どうかしたの?」と何度も何度も囁かれる。息が詰まり、唾液が口内に広がり、それらを飲もうとして再び息が詰まり、溢れ出続ける涙は本当に少女自身の体から出ているのか疑問さえ抱くほどに流れる。止まらない。
誰にも消せないこの気持ち。消えることはない気持ち。だけど願いたい、この気持ちを消して笑顔で送り出したい。だけど願えない。夜に紛れて消せたらどれ程楽になるのだろうか。
「づ、……ッ。ヅル、ギぃー、……ツ、ルギ、ツルギがぁぁあ」
「よしよし。剣君ね」
それからの少女はただひたすら、想い人と涙を流した。
数分で少女は落ち着きを取り戻した。それも母である彼女が頭を優しく優しく撫で続けあやし続けたから。
「よしよし剣君剣君。鏡の好きな剣君」
「……ぐすっ。……? す、すすす好きじゃじゃあぁないしぃーっ!」
皮肉にもこのあやし方で落ち着きを取り戻したカガミ。不意を突いてやろうと母は追撃を一撃。
「んじゃー、大好きなのかなー?」
「……ぅ。べべべ、別にそんなたいそうな感情はないっていうかちょっと他の人よりランキングが上でそれでそれだけだから別に」
「はいはい分かった分かった」
そうやって娘をいじめる双眸は、カガミがツルギをいじめる双眸に等しく似ている。
「それで?」
母のその疑問形が理解できず少女がさらに疑問な表情で見返す。
「だから、鏡はどうしたいの? 好きでも大好きでもない、他の人よりパパとママより順位が上の剣君に何かあったんでしょ?」
ずばりその通りである。普段の別れと今回の別れは確実に違っている。
故に少女は涙を溢れ出させ、
故に少女は願いたい、
故に少女は少年に最後返せなかった、
『――またね』
それだけが――――――――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます