第二章【再会】

第二章1話 『かけっこ』

 本日晴天平日火曜日。時刻八時頃。

 ブレザー制服の少年は不慣れながらその正装を纏って、久々のワイシャツが首元を束縛して窮屈に感じる。


 季節は春先。桜の花びらが宙を踊り舞う涼しい季節。

 着慣れない正装の所為なのか涼しいはずの気温は少年にとって優しい陽射しは少し強くシャツが肌に張り付くようなべたつきを不快と不思議に感じる。


「少し暑いなぁ……」


「そうかなぁ? ちょうどいい気温で過ごしやすいと思うけど」


 顔色一つ変えない彼女が不思議そうに片手で直射日光を避け太陽を軽く視界に入れる。


「これは風邪でも引いたかな。よし今日は休んだ方がいいな。帰ろう」


「はいはい分かった分かった。保健室で見てもらおうねー」


 踵を返して経路から帰路へ方向転換。したところで即座に彼女が少年の襟首を鷲掴みにして強制連行させる。弱い女の子らしい力で引かれ、軽く抵抗すればその拘束は解ける。だが少年は無抵抗なまま抗い彼女に従う。


「ごほごほっ。うぅ、吐き気と同時に意識も朦朧と、これは風邪の初期段階の症状に非常に似ています。これはやっぱり休んだ方が」


「いつもの、やつでしょ。全く、サボろうってもそうはいかさせないもんね。多少我慢して下さぁーい」


 少年の眼球は赤く滲み染まり鼻先に蕁麻疹が少し浮かび上がる。


「あれ、本当に反応出てら。昨日だかは出なかったようなそうでもないような……」


「なぁに、誤魔化そうってもそうはいかないもんね」


「誤魔化そうなんて思ってねぇけど、昨日出なかったよな?」


「変なことばっか言って、ツルギ昨日修行だったんでしょ?」


 腕組みをして暫し思考を巡らせ昨日の記憶を呼び出す。

 記憶、その中では確かに修行に行っていたような気がする。毎朝登校前にカガミは日柳家を訪れていた。現実から逃げたいって思った俺は間違いなく早朝に裏山に修行に出向き、修行と言う名の非日常を味わい日常に戻りたいと願った。その結果帰宅して道場で朝まで寝ていた。この事実は例え神であっても覆らない。

 ツルギはそう独り思い考え、不意に浮かぶ修行で味わった何か分からない太陽の様な温かさが走馬灯のように全身を巡る。


 そうこうしている内に周囲には同じ制服の同じ学校の生徒がちらほら見えるようになる。彼らの視線が痛いほどに少年を射す。

 それもそのはず。傍から見れば尻に敷かれる男と尻に敷く女の構図。少女は強引に少年を引いて、少年は無理矢理連行されている。体感している少年にとっては、か弱い力で実に女の子らしく思える一面なのだが、どうしても第三者からでは例えそうだとしても意外な腕力の少女に成り果てる。

 少年は一度踏み留まり少女の引く手を振り解きブレザーを脱ぎ腕を捲り上げて、


「……それはそうと、ガキじゃねぇんだ。一人で歩けるって」


 少年は頬を少し紅潮させて、腕捲りを終えて口を尖らせながら学校への経路を進む。

 生まれ持った体質、女性に触れる。または、接近することで発症するアレルギー反応で起きた紅潮なのか、少年にすら分からない。

 少女は一人で歩み始めた少年の大き目の華奢な背を一度双眸に焼き付けてから、駆け抜きざまに学生鞄で攻撃を仕掛け、


「大人ならあれこれ言い訳しませーん」


「いだっ! よくもやってくれたな、待ちやがれ」


 数メートル先の少女に向かって虚飾の憤怒を露わにして駆け出すと、少女は両足を揃えながら前屈みで跳ねて、


「かけっこ? かけっこする? よーい」


 伸ばす。手を伸ばす。駆け出し手を伸ばし必死に掴もうとする少年、日柳(クサナギ)剣(ツルギ)。紙一重で後ろに跳ねてそのまま踵を返す少女、矢田野(ヤタノ)鏡(カガミ)。


「――どん!」


 カガミが先に駆け出し、その後ろを距離を離さないように追うツルギ。

 駆ける少女のセミロングの髪は静かながら豪快に空気と暴れ、ふわりと浮くスカートは青春の儚い一ページ。純白の一ページ。その時にふとツルギは思う。


『――平和っていいな』


 その感情と同時にやって来た。否、すでに居座っている感情に少年はこの時、まだ気付かない。



 † † † † † † † † † † † †



 教室の扉を威勢よく音を立てて開ける。


 すると広がる懐かしの風景。窓から見える木々の葉の緑。淡く薄い青い空。それらの手前、同級生が一斉に教室への訪問者へと視線が向けられる。

 注目を浴びることには慣れている。前々から不登校がふらりときまぐれに登校すれば見知らぬ生徒が我が物顔で空白だった席に座り始める。それは元からその空間で過ごしていた者達からすれば慣れない状況であるのは必至。

 始業式でさえ欠席し今年度初の登校を果たした生徒へ向けられる疑心は、「誰だこいつ」ただそれだけなのだ。故にそれぞれの瞳に対して抱く少年の感情は不安、恐怖、怯え。それはそれぞれの瞳の生徒たちも抱く感情。


 威勢よく開けときながらツルギは教室への一歩が踏み出せない。震える瞳が追っていた少女、カガミに無意識に向かえば返される返答はなくただ輝き瞬く双眸を見つめ返す。それだけだ。

 そして少女を捉えた視線は周囲の生徒を捉え、教室中の生徒を捉え、少年は一歩足を下げてしまう。

 今すぐ踵を返したい。今すぐここから逃げたい。今すぐ帰りたい。今すぐこの世界からいなくなりたい。そんな思いが少年の足を帰路へ向かわせようと扉に手を掛ける。


 ――カガミ、やっぱり無理だ。本当にごめ――


 そう心中で思い彼女への謝罪をしようとすると教室の中の少年少女らから言葉が投げかけられる。


「「おはよう、日柳」」

「「おはよう、日柳君」」


 帰路への足が踏み留まり思考が停止して意識と思考とは別に首が双眸が瞳が教室へ再び向かうと、同級生、クラスメイトたちの表情は微笑みや笑みに満ちていた。またしても温かい歓迎を受ける少年。今までなら挨拶もされず名前も覚えられず、不意にきまぐれか話し掛けたやつがクラスメイトをまとめて温かい雰囲気を作っていた。結局数日後に再び登校すればまたゼロから始まり自己紹介からしていた。どうせ覚えられない、そこにいたはずでもいなかったことになっていた。それなら初めからゼロのまま不登校のままでいようとそう思っていた。

 だが今回は違う。不安がることなくクラスメイトは挨拶をし、名前すら知っている。この状況から始まる生活を知らないツルギは思う。


 ――このクラスで始め直そう。俺の青春を……。


 そう思った少年はこの状況が自然に出来たものだとは思わないし、微塵でも思いかけた自身が醜いさえ思う。だから少年は、


 ――ありがとう。


 そう、心中で思うだけにして彼女を見つめてすぐに教室を見渡して一歩を踏み出し踏み入れる。冷えたいたわけではない廊下、だが骨も心臓も冷えさせた廊下。そこから暖房の入っているはずのない教室、廊下と大して温度の変わらない教室は冷えた心臓を温め始める。溶ける程にクラスメイトの笑顔が温かい。


「おは――」

 キーンコーンカーンコーン。


 大きなチャイム音が少年の言葉を掻き消してクラスメイトたちには届かなかった。だが少年が言い終わると鳴り続けるチャイムを無視してクラスメイトたちはそれぞれ拳を出したり手を振ったり奇怪なポーズを取ったり、言葉の掻き消されることを知ってかそれぞれが少年の挨拶に返答を返したのだ。クラスメイトを見渡して最後に一人の少女に視線を落ち着かせると少女は頬の前にブイサインを広げて可愛らしく満面の笑みを作っていた。


 チャイム音が静まる頃にはクラスメイトたちは散り散りになっていた教室が一つの空席を除いて満員になる。そこが日柳剣の特等席なのは言わずしても分かる。その席に腰を落ち着かせる。すると担任教師と思われる男性が前の扉から教室へ入りホームルームを始めていく。

 男性はツルギを無視することなく、あたかもそこに元々から居たように接していたような気がした。



 † † † † † † † † † † † †



 一時限目の最中。ツルギは一つの疑問を一人呟く。


「なんで一番前なんだよ」


 その空席だった席は教卓正面。一つ後ろの少年が悪戯に笑みを作って、


「当たり前だろ。うちは進学校でもねぇし勉強が大好きな奴なんて滅多にいねぇーよ」


「だからって……。不登校のやつって一番後ろって相場が決まってるだろ」


「どこの相場か知らんが不登校で初登校早々おれの授業で私語とはいい度胸だ。廊下に立ってろアホ」


 教師がため息混じりにそう言うと後ろの席の少年が悪戯な笑みを崩壊させ、口を大きく開けて教室に下品な笑い声が響く。


「アホの剣君、一時限目から廊下で授業だ。ガッハッハ、特別待遇は格差社会を常々思わせるよ。羨ましい限りだな。いってっらしゃーい」


 下品な笑い声を背で受け、腕で机を押し返し重た気に腰を椅子から浮かせると教師から一つ付け足される。


「特別待遇も格差も羨ましくもあろうとなかろうと、お前も廊下に出てろ佐藤」


 背後で「なんてことだ!」と嘆きを上げる少年を気に掛けずに一目散に廊下へ撤退する。と他の生徒らが彼の嘆きに哄笑する。それは馬鹿にしている笑い方でありながらその馬鹿加減を受け入れ認め寧ろ讃えているようにも思える哄笑。


「いやー、廊下から黒板見ると斜めになってノートまで斜めるから極力特別授業は勘弁してもらいたいんだけど」


「日柳を見習ってさっさと特別教室に行くんだ、ノートは授業が終わったら須藤、見せてあげろ」


「戯けのアホのためにもいいでしょう」


「なんか納得いかねぇーな!」


 そう言い捨てるとツルギを除く教室内が哄笑が木霊する。一人、背で受けるツルギは唾液や息が喉に詰まるような感覚を覚えていた。


 彼が教室から出ると静まり返り授業が再開される。ツルギの横であからさまに肩を落とし溜息を溢した。


「……なんか悪かったな」


「ん? あー、気にすんなって。ほぼほぼいつものことっちゃいつものことだし」


 いつものこととは、ツルギの知らぬ間に学校と言うのは従来の形に戻りつつあり、その形とはフィクション。漫画やアニメの中で起こりうる現代の教育方針とはまた違う生徒に反省を促すやり方。否、今回現代現実的に授業中に廊下に立つと言う行為は現代では主流化しているわけで、


「何難しい顔してんだ? まあ、いいや。お前って明日暇?」


「夜の話か? 暇っちゃ暇だろうけど」


「ちげぇーよ。昼間だ昼間」


「暇ってか、学生にとっちゃ本来暇も何も学校に来るのが――」


「ちげぇーよ、明日は創立記念日。休みなんだよ」


「創立記念日……」


「てっきり知ってて一日とりあえず登校しとくか的な軽い感覚で今日来たもんだと思ってたわ」


「不登校のやつにかける言葉とは思えねぇ」


「でも知らなかったんだろ? んなら明日からもこれから先、一応学校に来ようとは思ってたんじゃねぇーの?」


「別に今日はカガミが半ば強制的に強引に無理矢理だったから」


 廊下の窓から見える街の風景と青い空。彼は疑問符を浮かばせてツルギの内側を見る。


「矢田野はお前より早く登校してたろ。無理矢理とかならそりゃおかしいもんだろ」


 彼の言い分は正しい。カガミは先に駆け出してすぐに姿を眩ました。その時に登校しない、帰宅する選択は出来た。なのに登校した。ならカガミに責任を押し付けるのはまた違うだろう。

 それらは建前にするには醜いが本心にツルギは気付いている。今日この日からやり直そうと決めたから、


「そんなことより明日は暇か?」


 彼は難しい顔をするツルギの思考をもぎ取る。始め直そうと決意した翌日から創立記念日で休みとはこの世界はツルギに休息を与え続けたいのか、そのまま昨日と同じ日々に戻ってしまおうかと思い耽るながら返事を返す。


「まぁこれと言ってすることはねぇけど……」


「んなら裏山に九時頃に集合な。動きやすい恰好でよろしく」


「裏山って随分物騒な――」


 裏山や体育館の裏は青春の一ページによくある男同士の拳の交わりの場と物語は決まっていたりする。今まで不登校のツルギに対して彼が邪険に扱ったりはしていないが、それは彼とツルギがかかわった時間が薄いから、人前からの建前があったからだ。誰しも自身のテリトリーに新米者が現れればその者がどういった者が判断するためにも起こり得る事態なのだ。

 裏山と言う単語を耳にしてツルギはそう考えた時、背の向けた教室から教師が顔を出して怒声を浴びさせる。


「――廊下に立たされている理由を考えろ」


 その一声で彼らは一時限目の終了の鐘の音を静かに待った。

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