第一章16話『誓いの言葉』

――暗い暗い部屋を照らすのは窓から入り込む月光。月光がその空間を案内する。柔らかなベットの上、二人は正座をして向かい合っている。

月光が彼女の横顔を白く薄らと照らして頬はやや紅潮している気がする。赤毛は純白の月光が加わり神秘さを増幅させていた。

口元を震わせながら彼女は全身を少し弾ませ前髪が真紅の双眸を隠しては覗かせる。


「よろよろよろしくお願いしますす」


これから行われる行為。全貌は聞かされぬまま誘導されるまま暗がりのアテラの部屋へ通されたツルギ。正面で紅潮する頬が赤毛よりも赤く染まり、潤った真紅の瞳が煌きながらツルギに向けられる。


「な、なにをするか分からないけど。こちらこそよろしくお願いします」


「なにゃって、ごにょごにょ……」


普段どこか威勢を張る彼女の照れて噛んでいる初々しいその姿は新鮮で、


「新鮮って昨日の今日だから何もかも新鮮なんだけどな」


ぽつりと独り言を溢すと彼女は顔を少し傾けて疑問符を浮かべている。


「いんや、なんでもない。それよか使い魔契約ってここまで改まってするものなのな」


「う、うん。でもみんなしてることだし、べべべ別にそんなこともないからあれなんだけどでもやっぱ……ぅー」


こんな姿を目の当たりにすれば普段の彼女が虚勢なのかとも思える。どちらが本当かも、最早どうでもいいと思う。


「じゃ、じゃじゃあ。始めます……」


胸元に手を置いて深呼吸をして輝く双眸が再びツルギを射抜く。

彼女は両手を軽く開き手首あたりでクロスさせて、


「ツルギ、掌出してこうして?」


「こ、これでいいか?」


一つ頷いた彼女がツルギの掌をそっと両側から包むように握る。

アテラの温かな体温を掌で感じて、アテラの鼓動を掌から通じてツルギの心拍と同調していく。

指一本一本交互に彼女の指とツルギの指が絡まる。その形はまるで、


「なんか祈ってるみたいだな」


「そ、そそそうね」


彼女の掌がツルギの掌に絡まってそれぞれの握られた形は祈りを捧げているように見える。

アテラの鼓動は少し早めで、アテラは息を深く吸って吐いてを三度繰り返していく。少しずつ鼓動は治まりつつあるが、今度はツルギの鼓動が速まっていく。


「ツルギも深呼吸。私に合わせて。はい」


すー。はー。二人の呼吸はタイミングが重なりそれに合わせて鼓動も落ち着いていきやがて、アテラとツルギの鼓動は重なり二人の鼓動は一人の鼓動とも勘違いしてしまう程に同調した。


温かな体温が内から広がり、アテラの掌からアテラの温まる温度が同温に伝わる。


「改めて始めます。汝、クサナギ・ツルギへ問う」


その問いと同時に月光に負けじと周囲が優しい赤色や白色の光が漂い始める。


「汝、健やかなる時も、病める時も、喜び悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、私を敬い、私を慰め、助け、契約ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」


それは、まるで元の世界の≪誓いの言葉≫に似ていた。だがそれに重さは感じない。もちろん答えは決まっている。

ツルギは潤う真紅の双眸を黒目の双眸で見つめ返して一つ返す。


「誓います」


その決まりきった答えを確かに言葉にして、その決まりきった答えをはっきりと聞いてアテラは続ける。


「私も汝が健やかな時も、病める時も、喜び悲しみの時も、富める時も、貧しき時も、汝を敬い、汝を慰め、助け、契約ある限り、真心を尽くすことを誓います――」


アテラがそう言い切ると周囲に漂った光は二人の祈られた手へ集い熱く熱く温かい温度を感じさせる。

アテラの鼓動が速まるのをツルギは感じて、ツルギの鼓動が速まるのをアテラが感じる。

その速さは同じ心拍で二つが一つに感じられる。心地よい感覚が掌を通して全身、骨の髄まで侵食する。


「――汝、クサナギ・ツルギを使い魔として、ここに祈り誓い慈しみます。私、あま――」


言いかけたその時だった。外からの悲鳴に言葉を切らす。

切らせば手に集まった光は飛散して空気へ溶けるように消えていく。鼓動は最早互いに別々の速度に変わり体温もまた相手の体温が分かる程に違っていく。


「誰か!」


「この声は、シンシア!」「この声シンシアさん!?」


使い魔の契約の中断よりも先手を打って発言されるのは先刻会話とした女性の声に似ている。そう思ったのはツルギだけでない正面で鎮座を解こうと跳ねたアテラも同じだ。

そして離れ合うことによって空いた掌に空気が覆い被り双方の温度を忘れさせる。

互いにそれを惜しみながら愛しみ置き去りにして立ち上がれば再び叫び声が侵入する。


「魔獣よ!」


それはあってはならないことなはずだと瞬時に理解した。先刻とも言える程に鮮明に覚えている。なぜならアテラは言った。帰路の最中のことだ。


『んー、なら気のせいかな。アガ爺の張った結界で魔獣は近付けないし、それに結界内への侵入者はすぐにばれちゃうようになってるから』


見間違ったと思ったのはシンシアの可能性が浮上して気にもならなくなっていた。

アガ爺の結界の信憑性の高さはアテラの発言と態度で保障も出来たと思っていた。

だが、全てひっくるめられるのは結界内への侵入者が害のない場合。つまりツルギと眠りについたアテラ、精霊フンシーが昨晩アリスメル村へ帰ったとき、ツルギの侵入で騒ぎにならなかった。その件と結界の効果を合致させれば回避出来たはずと、ツルギは後悔し始める。


先に動きを見せたのはアテラだ。恩人であるシンシア、居候であるアテラ。それに二人のやり取りを一度見ただけで分かる。二人の仲の良さ。

彼女は駆け出し出て行った。



 † † † † † † † † † † † †


外へ駆け出ると先刻の穏やかな表情が血相を変えて月光にその姿を出し震える腕が指先が暗闇の森へ向けられていた。

アテラはシンシアの背中を擦りながら動揺を隠せずにいる。


「シンシア、落ち着いて。吸ってー」


そう宥めると肺深くまで空気を吸い込み、「吐いてー」の掛け声と共に吸い込んだ空気を吐き出す。


「落ち着いた?」


「え、ええ。だいじょうぶ」


「魔獣は?」


「今はもういませんよ。でも、赤く光る眼が……。なんで村の近くに……」


「見間違いじゃないのね。ツルギ、シンシアをお願い。あとアガ爺に報告しておいて」


その言葉を置き去りにして森へ一目散に駆け出し暗闇へ姿を眩ました。


「――ちょ! あーばかやろう。どうしろってんだよ」


「……彼女なら大丈夫ですよ」


「なんでそう言い切れるんだ」


落ち着きを取り戻したシンシアは立ち上がりツルギと同じ目線になる。


「彼女の魔力は途轍もないの、だがらたとえ相手が魔獣でも後れを取りませんよ」


――何かが引っ掛かる。魔力があればこの世界、異世界ではそれは単純な力に違いない。


それはツルギの暮らしていた世界のファンタジー物語でも同じだ。だが気に掛かることがある。


「浮かない顔をしていますね」


「確かにその魔力、力があれば一人でも容易いだろうけど……。魔獣ってどんなやつだった、二頭いたか?」


「一頭です。でも暗くてよく見えませんでしたね」


「一頭か。なら、大丈夫か……」


「そう。あなたの気持ちがなんとなく分かりました」


そう言い放つとツルギの背後へ回り込み優しく軽く背中を押され抵抗出来ずに一歩足が踏み出る。


「もう十分落ち着きました。魔獣が現れたのはきっと結界が働かなくなっているから。アガ爺さんへの報告も結界の方も私に任せてあなたはあなたのしたいように進みなさい」


声が微かに震えていたのが分かる。虚勢を張っているのが分かる。怖かったのだろう。化け物のような魔獣、あの犬が。

自身も怖がり震え立ち去って朝になるのを待っていたい。そんな感情がこみ上げる。ここに来る前まではきっと逃げ出し、状況が良くなるまで潜んでいたことだろう。だが、その癖や感情を振り切らせるどうしようもない気持ち。

その感情がツルギの固く作られた握り拳の震えを殺してくれる。


「シンシアさん、ごめん」


「お気になさらなくていいですよ」


「あとは任せた――!」


その言葉を託してツルギは暗黒の森、月光が葉の隙間から微かに零れる森林へ駆け出していく。



 † † † † † † † † † † † †


その健気に一途に向かう少年のまだ未成熟ながら暗き森を背景に存在を目立たせる姿にどこか満足気に震えていた唇を綺麗な曲線に変えて、手ぶらになった両手をそっと一つに束ねてシンシアは一人呟く。


「――隣にいたいのなら素直に言えばいいですのに。……とは、言いましたけど。アガ爺さんへの報告よりも私が結界の方を修復した方がよろしいですね」


腰を横へ折り左手に見える誰もいない小屋へ問いを付け足す。


「と言うことで、アガ爺さんへの報告を任せますよ。居ますのでしょう、アリスさん?」


誰もいるはずのなかった月光の差し込める暗闇の影から姿をその月光の下へ晒すのは、水色のエプロンドレスの幼い少女。青い双眸を半眼まで開けて何か納得のいかない表情を浮かべる。


「……いつから……?」


「気付いていたのかってことですよね。んー、正直に話せばアテラちゃんとツルギくんが帰った時には気付いていましたよ」


その返答に対して一つとして反応は起こしはしない。シンシアは折った腰をピンと真っ直ぐに伸ばして問いへの正しい回答がないまま次の問いかけをする。


「その様子からしましてもお二人の助力はしませんですよね?」


アリスは半眼から見える空色の瞳を少し横へずらしてもなお口からの回答は出さなかった。


「ですから、アリスさんはアガ爺さんへ。恐らくこの場所の結界だけ無効化されていますから早めにアガ爺さんを――」


そこで言葉を妨害したのが誰でもないアリス。無口な小さな口が小さく開いて盛大に言葉を切った。


「――あなたなら魔獣なんて……」


そこで少女の言葉も切れて開いたままになった小さな口をゆっくり閉じて、月光に晒された金色の糸たちを軽く波立たせて連絡塔に向けて踵を返し、言葉を続けた。


「……なんでもないわ……」


どこからか一枚の長方形のカードを取り出して月光から潜む影に向けて投げる。


「……チェシャネコ……」


その冷たい呼びかけにカードは暗闇の中で燃えるように消えてその場に目と口の様な目の錯覚とも思える物体が出現する。

その目と口は三日月の様に見事な曲線でにやにやと笑みを浮かべている。

視感で見える気がする物体にアリスが歩み寄り中に座り込む。すれば目と口は月光の下に移動していき、連絡塔目掛けて進行していった。

アリスはその目と口の少し後ろで宙に座りながら身体をゆったり上下に動かされながらその目と口と同じ速度で進行していった。


その異様な光景に気を掛けることなくシンシアは森の手前へ歩みを寄せて双眸を閉じて両手を森の正面へ伸ばして抱き寄せるように構える。


「ではでは、始めますか」


暗黒の暗闇が支配する森林の手前、黄金の純白な月光の下、灰色がかったやや薄いこげ茶色の髪が頬に掛かる。

長い睫を上げてその明るい茶色の双眸が暗闇を睨むように見つめて、


「アリスさんももう少し素直にすればいいですのに」


願望か希望か、吐き出せばそれと同時に頬に掛かった茶色の髪がふっと風に乱暴に静かに浮かされる。


「さあ、どうなることやら」



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