第一章11話『集会の幕引き』
過去の事実、かつての旧アガレス王国、旧国王アガレスは語った。
愛し合った兄妹が森のどこかに位置する隠れ家と言われるところに身を潜め静かに暮らしていると。
その兄妹は人肉を喰らった。それは禁忌の行いであり、血を肉を欲する二人が静かに穏やかに暮らすための場所を、欲望が洩れないように隠れ潜んだ。国王と約束を契って。
欲望のために国の罪囚を食材として兄妹のところへ届けられる。それが残酷であれ異邦人のツルギにとって日本人とのやり方と違うところがあるのは理解出来た。罪を犯した者が死刑という形で咎めることがあちらでもあるのだから。
そして届けられる方法として国の君主という役職の人がかつて旧王国の頃は直接届けたという。軽い罪囚よりも死刑囚という肩書の付いた者が隠れ家に放たれ逃げ出した場合の危険性を考慮すれば当たり前の方法だろう。
かつて国の罪囚、王国の服役囚。その服装は微罪であれ重罪であれ一つに統一されていた。現王国の服役囚の服装が変更された。となればこの仮定は塵同然になるのだが、むしろこの仮定が推論が、事実でないことを願いたい。
この過去の事実が現在の事実に至って変更がなかった場合。
導かれた答え。それは、
――罪囚問わず、兄妹の食材になっている。
この最悪な事実があるならば、現実とするなら異世界からこの世界へ来たツルギにとっても抑えられない情が生まれる。たとえこの仮定が事実だとしたらそれを覆すために、そのためにツルギは想う。
異世界に召喚されたのだと。
† † † † † † † † † † † †
アガ爺はツルギへ指差しをして続けて言う。
「お主の異質な恰好とも全くことなるのぉ」
「ま、まあこれもこれであっちでもあまり着ない服だからな」
「そうなの? てっきりツルギのいた世界ではその服装が主流だと思ってたわ」
赤毛を静かに揺らし可愛らしい小顔を傾けてツルギに真紅の双眸が向けられる。
「まあな。こっちの服もあっち側とはまた違ってるけど。んでアガ爺、服役囚はどんな格好なんだ?」
「うむ。今も継続されておるかは定かではないが、白地に赤色のラインの縞じゃのぉ」
その柄はツルギのいた世界でもよく話を聞いたり作られた物語でも頻繁になっているメジャーな服装だ。
先刻の話、過去の旧アガレス王国だった頃の兄妹への条件と兄妹からの条件。それを踏まえて、
「故に、推定強いる答えは罪囚でない者が王国から運ばれ放たれ、兄妹の食材になっておる。となるかのぉ」
推論仮定の結論は出た。隠れ家に今も住む兄妹への危険性が皆無になるわけではないが、王国からの食料でないとなれば無暗に襲う、喰らうことはない。
「じゃから王国へ向かう最中に遇おうことになろうとも害はないかのぉ」
害はない。確かにその通りだろう。だが一度襲われた事実があるツルギにとっては安易に受け入れることが出来ないのも事実無根の恐怖だ。
ツルギの不安が表情に現れていたのだろう。強張った口元と固く作られた握り拳の上にそっと優しく細く小さめの掌が添えられた人肌が震えそうになった拳を止めてくれた。
「大丈夫。私がいるから」
ツルギはその白い手の甲の根元の彼女に視線を送れば、自信天満の笑みがそこにある。
男として情けないと思う中、彼女の笑みには信憑出来る優しさと偽りのない光がある。
「あと、王国に向けて行動を一緒にする人もいるの。そこのアリスもその一人」
「……そうなんだ」
「…………」
「なにか言ったらどうなんだよ! なんか悲しいじゃねぇか!」
「……わたし、なにもしないから……」
未だに退屈そうに硝子から零れるゆったりと方向性を変える光に空のように青い瞳を向けるアリス。彼女もまた、ツルギのいた世界の物語のアリスなのかと思う。と思えば一つ思い出されることがあった。
ツルギは口で塞き止めることもせずにふと思い出した事、小さくそれを溢した。
「そいや今朝、小屋の吹き抜けにあった仕切りの紙、アリス。お前の仕業だったりしてな」
濡れネズミだったツルギが確かに見た長方形の手のひらサイズの紙。名前。容姿。それら踏まえ、ヘンゼルとグレーテルの一件と兄妹の過去と似る知る物語。絡めれば少女が今朝の仕切りを仕組んだとしても話が通る。
ツルギが顎に震えの止まりきった拳を添えて明後日の方向に視線を向けていれば、アリスは俯き輝く金色の髪で顔を隠してしまう。
「そんなことがあったんだ。優しいね、アリス」
微笑みを浮かべて何やら楽しげなアテラ。その返答はなく否定もせずにただ俯き視線を自身の膝へさらに落とす。
そんな対応のアリスに対して選んでしまったツルギの建前と言う問いへの否定。
「んなわけねぇか。アテラが出てきた時にはなかった気するし、気のせいか」
その建前に一人笑い飛ばすツルギに苦笑で対応に困惑を浮かべるアテラ。
その中少女は小さくツルギに微かに届くほどの声を出す。
「――バカね……」
そう呟いた少女はすっと膝裏で椅子を押し返し小さな動作で立ち上がり、苦笑を止め困惑の表情のみ残したアテラの横を過ぎ金色の作り物のような髪を靡かせて出入り口へ向かって行く。
金色の煌く髪で表情一つ見ることが出来なかったが、きっとその向こうは無表情が存在するのだろう。何も思わず、何も感じず、退屈そうな先刻までと同様の表情が。
扉の取っ手に小さな小さな華奢な少女の手が触れ少女はまた呟く。それは逆側に居るツルギたちの耳に届くことはなくただ一人、自身へ呟く。現実を知らしめるように哀しげに呟く。
「――わたしは、何もしない。しても、いみないから……」
その背中が語るのは言葉にし難い感情。それは決して安堵や爽快などでなく、晴れることはない危惧から来る不安だ。少女が何を思うか、ツルギの否定で何を感じたのか、今のツルギには分かり得ない答え。
その不安感が漂うお世辞にも良い空気とは言えない状況で口を割ったのはアガ爺。年の功というものか、気を遣ってくれたその厚意に感謝を抱く。
「……まあそうゆうことでの、兄妹らの危険性はないであろうし、明日からアテラ含めアリスのこともよろしく願いたいのぉ」
ツルギの任務、すべきことは一つだ。現エドアルト王国へ向かうアテラたちに同行する。その先の事はアテラや王国に潜伏している同胞に任せる、内部事情や昨日異世界召喚をされたツルギにとってもそこまで順応出来るかと言えば不可能に近いだろう。この世界の知識もなければこれからの策略さえ分からないのだから。元を遡れば言語もアテラから授かったにすぎない。
そう、ただそれだけのお話。それ以上も以下もないそれだけの物語。
そうであって欲しいし、そうでなければ困る。アリスのことは、元の世界にうまい言葉がある。時間が解決してくれる。その言葉でどれだけ足を踏み外し、どれだけ周囲に不快感を与え、どれだけ、あの子を傷付けたのだろう。今回もまた同じように傷付けてしまうかもしれない。でも、だけど、それ以上の得策を一七年生きた人生で身に知識に付けることをしなかった。こうしてまた逃げ出そうとしていることに少年は気付かずにこれからのことに身を引き締める。
「おっけいアガ爺。なんとか任せられた。アテラ、フンシー、よろしくどうぞ」
「ええ、よろしくね。ツルギ」
「よろしくされてあげよう」
改めての挨拶に畏まるアテラに反して球体を膨らませ何かに誇らしげな精霊フンシー。
何はともあれこれから先のことに関してもこの世界、ヘンゼルとグレーテル含め、アリス然り、元の世界の御伽話に関係があることも察しがついた。
話しを終えた一同は解散することに、こうして異世界二日目の朝、集会の幕引きをした。
だがやはり一つ不安を抱く。
「……危ないことないといいけど」
† † † † † † † † † † † †
――前言撤回を強く要求したい。
両手両足を伸ばし周囲の岩壁に押し出す。目先は暗闇。底から吹き上げる風が前髪と袴をゆらりと揺らす。袖口、裾から侵入する冷えた空気が押し返す力を鈍くさせるが力を抜けばその身は暗闇の底へ落ちるのは必至。
背に当たる外の暖かみのある温度が恋しく、それを思えば上空、地面の方から可愛らしいツルギの身を危惧する声が優しく届く。
「――ツールーギー、だいじょーぶ?」
「だっ、だだだだいじょぶ!」
「そっか、なら後でね。私のお世話になってる家に来てね」
「はいよ。遅くなると思うから先にご飯食べてていいぜ」
「はーい」
その場から足が砂を多少擦って遠ざかっていくのを耳にしていずれ消えた足音に向かってツルギは叫ぶ。
「――マジで行くのっ!?」
返答は暗闇の底から聞こえる自身の反響。何度も何度も繰り返し放たれる悲壮に増々ツルギは悲壮する。さてさて、これからどうしたものか。と、悠長に思考錯誤している暇はなく底から来る冷たい風に力が吹き抜けて逝きそうなる。
この状況になってしまった経緯を刹那に思い返す。
――集会後、連絡塔を後にしたツルギは先導してアリスメル村の更地部に歩み出した。
連絡塔の正面にぽつんと一つの井戸があったことに連絡塔から出て初めて気付いたのだ。
少年の心を忘れないツルギは無邪気に井戸に身を乗り出し底が見えない井戸の奥の暗闇を空虚に眺め下部から来るひんやりとした空気に前髪が揺れる。
「ツルギ、危ないから。あと朝食まだでしょ。作るから早く行きましょ?」
「んー、ん?」
底の下部から風の吹く音か。ツルギの耳に届く音。滴のポタリポタリと滴下する音が小さく小さく聞こえた気がした。それと同時に先刻のアテラの声に対して対応をしなかったツルギは罪悪感なのか、建前と言う名の虚飾することを思い出す。
「お、朝食? アテラが作ってくれる?」
「えぇ、そうよ。だから早く行きましょ」
「お、そうだな」
乗り出した身を地上に戻し井戸に背を向けてアテラに進路を向ける。
そしてその時、ツルギは再び幻聴を背で受け耳にする。可愛らしいような儚いような小鳥の囀りのように小さく甘美な声、だと感じた。
『――また、いっちゃうの……?』
愛したい、愛されたい、慈しみたい、愛でたい。その声は儚く今にも消えそうに愛おしく恋い慕う寵愛の愛慕。他に何も考えられず考えたくなく、声を感じたい。雑音を失くしてその声だけを聴いていたい。
傾慕に愛慕に恋慕に寵愛に恋着し愛し愛され慈しみ恵愛は仁愛に情愛と慈愛が愛着し愛おしい。この愛念はふと沸き上がり、ふと消え去る。
遠くへ逃げてしまうように、遠方の彼方からの声だったのかと錯覚するほどに遠く遠く。
消え往く愛を、欲するように、未練があるように、執心の気持ちが愛執を生み執着してしまう。
再び井戸へ踵を返し精一杯必死に腕を伸ばし手を広げ何もないそこを掴もうとする。
――行かないでくれ。逃げないでくれ。待ってくれ。
その声は届かない。そこには誰もいない。あるのは井戸だけ、底が目視出来ないほどに深く暗闇があるだけの井戸。
何も見えない。愛を追うツルギの瞳には現世は映らない。故に、手にする。
ツルギは確かな暖かみのある柔らかな感触を掌で感じては優しく握り、彼女の怒声で現世に意識を全て覚醒させ幻聴の世界から戻る。
「――ツルギ! あぶなっ――」
現世に戻った双眸に映るは、井戸から見える村の風景。無意識に左手で落ちる最悪の状況を回避していた。安堵に空気を肺に吸い込むと、右手に握られた白い縄が視界に入る。
くるりと半回転しアテラへ向かって拳を作り親指を立てる。
赤毛がゆったり風に揺らされ彼女は手を胸元に置いてホッと安堵のご様子。だが一言。
「でもそれ……」
逆手で遠慮がちにツルギの持つ握った縄に指を向けている。それはもちろん白い縄で何も変哲のない……。
否、白い縄だと思っていたそれは、白い蛇であり、それは文字通りの白い蛇で、皮は白いのはもちろんのこと、その小さな丸い瞳すら白色の蛇。
その小さな双眸にツルギを映して活力なく生気もなく舌を素早くツルギへ向かわせた。
その不意打ちに豆鉄砲を食らったような声と瞳をしてオーバーリアクションと言われればそうだが両腕を高く上げて手を広げ背筋を返り反り吸い寄せられるように井戸口に身体が侵入していった――。
と、いう前置きがあったわけだ。その一連の不運を振り返っていき力が入らなくなるのを実感した。
ツルギはそして、重力と体感する。
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