理由

 この街では、桜の開花はまだまだ先のことだった。なので彼女と相談した結果、桜が開花するまでの約二か月間、この街にマンスリーマンションを借りてとどまることにした。その間、二人は旅することを一端中止し、万が一のための資金集めをすることにした。彼女は、もう働くこと自体が面倒臭い、と自分の前でずっと愚痴を言っていたが、結局なんだかんだで自分で探してきて、近くのコンビニエンスストアで二か月だけという短期雇用で働くことになった。店長にかなり無理を言って雇用してもらったらしかった。自分はというと、派遣のバイトで働くことにした。働きたくない彼女とは真逆で、自分は無性に働きたかったし、何より彼女の負担を減らしたかったので毎日のように仕事をいれることにした。そうして、短い期間だが初の同棲生活が始まった。

 朝は自分よりずっと早く起きた彼女が毎日朝食を作ってくれていて、仕事がある日は必ず昼のお弁当も持たせてくれた。さすが料理が趣味というだけあって、お弁当の豪勢さは派遣仲間にも驚かれるほどだった。仕事がない日は彼女と二人で近くの公園を散歩したり、ときにはランニングしたりした。その公園は自然も豊かで池もあり彼女が絵を描くのにちょうどいい場所で、暇を見つけたら必ずといっていいほどその公園にでかけ絵を描いていた。同棲を始めたら意見が合わなくなったり、お互いの嫌な部分を見てしまったりして結局別れてしまうということが多々ある。と、結婚した友達などから聞いてはいたが、自分たちにはまったくそのような心配はなかった。たしかにちょっと嫌だなぁ、と感じることも少しはあったし、それを彼女に指摘して喧嘩になったりもしたが、翌日には何もなかったようにごくごく普通の生活に戻った。

 もちろん隼人さんのお店にもちょくちょく顔を出した。相変わらず営業しているかどうかもわからなかったし、ドアも壊れたままだったし、客もまったく入っていないみたいだった。それでも隼人さんはいつも元気そうだったし、はじめて彼女を連れて行ったときはそれはもう自分のことのように喜んでくれて、再会できたお祝いだと言って、ただでさえ経営が厳しいはずなのにラーメン二人分をネギ大盛りのチャーシュー二枚増量で無料タダにしてくれた。ある日、彼女と些細な喧嘩をしてあまりにも一緒の部屋に居ずらい雰囲気になったので、隼人さんのラーメン屋に逃げてきたことがあった。その日はこの地方には珍しく猛吹雪の夜で、外を歩いていても視界が悪いしどこが道路かもわからないしまだこの土地に慣れていないしで、いつもは歩いて十五分ぐらいで到着する距離を約一時間かけて歩いた。凍える寒さの中、なんとか到着したときにはもうすでに店は閉まっていたが、偶然にも隼人さんが翌日の準備をしている最中で、快く暖かい店の中に入れてくれた。もう今からラーメンは作れないけどこれなら、と大盛りの特製チャーハンを作ってくれて、せっかく彼女が準備していてくれていた晩御飯を食べずに出てきたのと猛吹雪の中歩いてきたのとでものすごくお腹が減っていたので、がっつくように食べた。そのあと隼人さんと焼酎を飲みながら喧嘩の経緯を大まかに説明して、相談にまでのってもらった。隼人さんは、「それは彼女が悪い」と言ってくれた数分後には意見が変わって結局は、「お前が悪い、彼女に謝っとけ」という結論になった。あまり納得はできなかったが、隼人さんと馬鹿みたいな話もできたし美味しい焼酎も飲めたしで気分もかなり楽になって、吹雪の止んだ夜中にほろ酔いで部屋に帰った。翌朝、隼人さんに言われたとおり彼女に謝って仲直りした。


 徐々に気温も上がってきて厚手のコートも必要なくなってきた頃、この街でようやく待ちに待った桜が開花した。毎日のように通った公園は花見見物の人だかりでいつも以上に賑わっていて、歩くのもやっとだった。

 「…そういえば、二人でお花見したの初めてだね。」

立ち止まって桜の写真を撮る人達をよけながら、彼女はそう呟いた。

 「そうだね。去年はたしか二人とも熱出して寝込んでたんだっけ。」

 「そうだよ、私の風邪が太一にまでうつって大変だったね。やっと、一緒に歩けた。」

そう言う彼女はとても嬉しそうで、彼女らしくもなく繋いだ手をブンブン縦に振りながら歩いた。散歩の途中、ちょうど桜並木がよく見渡せるお気に入りの階段に座り込んで、彼女は絵を描きはじめた。桜が咲きはじめてからは狂ったように桜の絵ばかり描いていたので、他の色に比べピンク色の色鉛筆だけが非常に短くなってしまっていた。

 「そういえばさ、前にも聞いたかもしれないけど、咲空愛はなんでそんなに桜が好きなの?名前が一緒だから?」

彼女は手を一端止めて、前を見たまま静かに話し始めた。

 「…なんでかなぁ。なんでだろ?たしかに名前が一緒だし親近感があるっていうのもあるけど…んー、上手く説明できないかも。」

 「何それ?自分でもよくわからないってこと?」

 「わからないっていうか…あー、なんて言えばいいんだろうね。桜ってさ、みんな好きだよね。私は桜の花が嫌いって人を見たことがない。ほら、だから桜を見るためにこんなに人が集まってくるんでしょ?これってさ、すごいことじゃない?小さい子供からお年寄りまで、年齢も性別も関係なく愛される可憐な花。私もそんな人間になりたいかなぁ。まぁ二十代中盤にして見事に友達ほとんどいないけどね。」

遠くをみつめてそう言った彼女はどことなく寂しそうだった。

 「…いやまぁたしかに友達少ないかもしれないけど。ほら、あっち帰ったら咲菜さんもいるじゃん。咲空愛の帰りをずっと待っててくれてると思うよ。」

 「そうだね、咲菜さんには本当にいろんなこと教えてもらったし、唯一の親友だし、目標の人。久々に会いたい。けど、旅続けなきゃ。今じゃないとできないからね。」

 「咲菜さんが目標なんだ?」

 「そうだよ。あの人こそ、まさに桜の花みたいな人。誰からも愛される人だよ。」

 「そうなんだ。てか旅は別に今じゃなくてもできるんじゃ…。」

そう言った自分に呆れたのか、深い溜息をついて彼女は言った。

 「太一はほんと…まぁいいけど。私たち、今二十六歳だよね?将来のこと考えてる?結婚して子供ができたりしたら、桜を求めて旅したりとか、そんな呑気なことしてられる?お金もある程度貯まって、体力もある程度あるし、自分の好きなように動けるのは、私に関しては今だよ。夢を実現できるのは今しかなかった。それに、なんか普通に働いて生きてくことに嫌気がしてたからね。一回気持ちをリセットするにはちょうどよかったのかも。そういえば、太一の夢とかあるの?」

 「…ない。」

ないこともなかったが、そのときはまだ彼女に言えなかった。

 「夢ないとつまらなくない?私はまだ夢あるけど、今は言えないかな。人生一回きりだよ?今からでもいいから、小さくてもいいから、夢、持とうよ。そして全力で追っかけてみようよ。失敗してもいいからさ。そのときは悔しくて泣きたくなるかもしれないけど、時がたてばそれも笑い話になるよ、きっと。」

隼人さんと言っていることが一緒だった。二人とも明確な夢を持って行動に移せていることが何より素晴らしいと思った。隼人さんはともかく、出会った頃に比べて彼女は目に見えて成長していたし、立派な美しい女性になった。それに比べて自分はまったく成長していない気がして、悔しい気持ちにしかならなかった。彼女は再びスケッチブックに桜の絵を描きはじめた。

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