夢追人

 昨夜飲んだ酒のおかげで、飛行機の中で危うく吐きそうになるのを我慢してなんとか次の目的地に辿り着いた。しかしあることに気付いた。昨日まで滞在した場所とは気温差が違いすぎた。むしろ自分の住んでいた街と同じぐらいだった。海から北風が容赦なく吹き込み、歩く人達を見ても、当たり前だが薄いウインドブレーカー一枚だけ羽織っている人なんて見当たりもしなかった。このまま風邪をひいてしまっては意味がないので、まずは凍える身体を暖める厚手のコートを買いに街の中心部まで行くことにした。

 発達した交通網、ビルだらけの街中、歩く人の多さ。どれをとっても自分の住んでいた場所とは規模が違った。生まれてはじめて地下鉄に乗って、少し歩いて道に迷って、なんとか服屋に辿り着いてお手ごろな値段のコートを手に入れることができた。それでも冷えきった身体はまだ震えが止まらなく、ちょうどお昼時ということもあり、この地の名物のラーメンを食べることにした。

 しかし、不思議だったのはなぜ彼女がこの街を次の目的地にしたかということだ。まだ冬だし、寒すぎるし、桜なんてまだ蕾も膨らんできてないだろうに。いろいろ考えながら道を歩いていると、ちょうど脇道を入ったところに小さなラーメン店をみつけた。まぁさすが名物ということもあって、どこを歩いてもラーメン店はあったのだが、どの店も客がいっぱいで空いている店をみつけることができていなかった。しかし、この店はなぜか空いていた。というより、営業しているかどうかが微妙なほど外見はボロボロだった。赤い暖簾をくぐり、ドアを少しだけ開けて中を見てみると、灯りがついていなくて、店主の姿も見当たらなかった。これは営業してないな、と思い諦めて次の店を探そうと振り返ろうとしたときだった。自分のすぐ背後から低い男の声が聞こえてきた。

 「さーせん、今開けますわ。」

急に声がしたのでびっくりして振り返ると、そこに立っていたのは自分より二歳ぐらい年上に見えるお兄さんだった。出前帰りだろうか、ラーメンの椀が二、三個入りそうな古びた木製の岡持を持っていた。

 「…あ、はい。ていうか、鍵開いてますけど…。」

お兄さんは下を向いて深い溜息をついた。

 「…マジか。まーたかよ。もう何回目だよ、このドア。マジで最近鍵かからんのよなぁ。まぁろくに確かめずに急いで飛び出した俺も悪いんやけども。」

 「あの…今来たばっかなんですけど、ラーメンすぐできますか?」

お兄さんは笑顔になって親指を立てて言った。

 「楽勝よ、楽勝!速攻で作ってやるから、中で座って待っとってや。」

明るくて気さくな人だというのはわかるが、客に対する言葉遣いはそれで正しいのかどうかは、微妙な感じがした。果たしてこのお兄さんにラーメンを作ってもらって大丈夫なのかも不安になった。

 店の中は電気をつけても薄暗く、いかにも不衛生な気がした。もう断って店を出ようかと思ったぐらいだった。お兄さんはすぐに準備にとりかかった。しかしこのお兄さんをパッと見た感じ、正直、ラーメン店の店主というよりただのヤンキーのようにしか見えなかった。なんせ見事に金色に染まった長髪でヘアバンドをしていて立派な顎鬚をはやし、それに身体もガッチリしていた。

 「お客さん、どっから来たん?」

お兄さんは自分のほうに背中を向けて話しかけてきた。

 「遠くのほうです。」

 「遠くのほうじゃわからん。まぁいいわ。何しにここへ?やっぱ観光か?」

 「いや、なんていうか…人探しです。」

 「人探し?また変わった理由やな。」

そう言うと、お兄さんは出来立てのラーメンを自分の前に置いてくれた。

 「いただきます。」

豚骨ベースの濃厚な味は格別で、何より自分の身体を十分に暖めてくれた。

 「…美味しい。」

正直なところ、味音痴なもんだから腹が減っているときは何を食べても美味しく感じてしまうのだが、お兄さんが自分に味の感想を言ってほしそうにずっとこっちを見ていてあまりにも食べづらかったので、そう言ったまでだった。

 「やっぱな!やっぱ美味いやろ?みんなそう言ってくれるんよな。味は自信があるんよ!」

それはお兄さんがずっとお客さんを見つめているからだ、とは言いたかったが、お兄さんの嬉しそうな顔を見るとなんとも言えなくなった。

 「一見さんにこんなこと聞くのもあれやけどな、何が問題やと思う?」

お兄さんはカウンターから今にも身を乗り出しそうになるぐらい前のめりになって聞いてきた。

 「何って…何がですか?」

 「客がまったく来ない原因。」

 「…そうですね。ちょっと言いにくいんですけど、店の外装も中も綺麗にしたほうがよいかと…。」

 「そうやよな、やっぱそこやよな。ボロすぎるんよ、この店。鍵もまともにかからんし。けどその資金がないんよなぁ…。」

お兄さんがあまりにも落胆していたので、励ますつもりで言った。

 「けど味は本当に美味しいと思います。そんなにお客さん入らないんですか?」

お兄さんは急に笑顔になって自分に握手を求めてきた。

 「…兄ちゃん、ほんといい奴やな。そんなに褒めてくれる人もなかなかおらんわ。もうまったく入ってこん。だから赤字どころじゃないよ。借金だらけっすわ!」

お兄さんは自分の食べ終わったお椀を洗いながら、話続けた。

 「こんな儲からん仕事もなかなかねーよ。まぁここらでも客入っとる店はいっぱいあるけどな。もうほんと生活もギリギリよ、ギリギリ。自分でもよく頑張って暮らしとると思うわ。けどな…。」

そう言いかけてちょうど店の電話が鳴った。

 「まーたかよ。ほんとしつこい奴らやわ。」

そう呟いて厨房の奥の部屋の入り口にある電話に手を伸ばして受話器を取った。が、少し持ち上げただけですぐに受話器を元に戻して電話を切ってしまった。

 「あー悪い悪い。しつこい奴らにはあーしとけばいいんよ。」

お兄さんは笑顔でそう言った。

 「…しつこい奴らって?」

 「あれよ、借金取り。毎日毎日かけてくるんよな。しつこすぎるわマジで。まぁ借りた金返せてないこっちも十分悪いんやけど。」

 「あの…そこまでしてラーメン店やる理由って…。」

お兄さんは少し考えてから、真剣な顔で聞いてきた。

 「兄ちゃん、夢はあるか?」

 「夢?いや、とくに…。」

 「そうか。夢ねぇか。あのな、初対面でこんなこと言うの失礼やけどな、そんな人生楽しいか?まぁ俺も二年前まではそうやって生きてきた。普通の大学出て普通の会社員やって普通に暮らしてた。けど二十五歳になっていろいろ嫌になってきたんや。平日は朝から晩まで仕事して、土日は休み。特にやりたくもねぇ仕事に追われ、取引先には馬鹿みたいにペコペコ頭下げて、先輩には命令されて、後輩には命令して。別にそんなに辛いわけでもなかったけどな。安定した給料も貰えたし。けど、俺はそんな生き方に疑問を感じた。このままジジイになるまでずっとこんなことやってんのか、って。人生、たった百年だぜ?今の自分なんて一度きりなんだぜ?それなら死ぬまで夢追っかけてさ、自分の生きたいように自由に生きたくねぇか?」

何も答えられずいると、お兄さんは続けて話始めた。

 「まぁ人の生き方をどうこう言える立場でもねぇけどな、俺は。たしかに今は金もなくて辛い。けどな、そのうちな、この街一番のラーメン屋にのし上がってやるんよ。それが俺の夢。親にもダチにも馬鹿じゃねぇか、って言われてるけどな。馬鹿でいいじゃねぇか。平凡な人生よりは俺はマシだと思ってるよ。」

二十五歳。いろいろ考えてしまう歳なのだろうか。そういえば彼女の手紙にも同じようなことが書いてあったのを思い出した。“自由になりたい”って。

 「夢じゃないんですけど、目標はあります。人探しっていうのは実は彼女を探してまして…。」

お兄さんにこれまでの経緯をすべて話した。お兄さんは特に笑いもせず真剣に聞いてくれた。

 「…そうか、急に旅にねぇ。にしても兄ちゃん、やるじゃねぇか。その彼女のために仕事辞めてすべて捨てて根拠もあてもないのに自分の感だけを信じて探しにくるなんて。すげぇわ。身体はひょろそうだけど、中身は男だな。」

 「たしかにこの街にいるはずなんですけどね…なにぶん人が多くて、すぐに見つからないとは思ってますけど。」

そう言うと、お兄さんはなにかをメモ用紙に書いて、自分に渡してくれた。

 「協力してやるわ。これ、俺の電話番号。なんか困ったことあったらかけてこい。金はどうにもできんが、他のことは助けてやれる。なんならこの街には俺のダチなんてそこらじゅうにいるから、探すの手伝ってやってもいいぞ。そこらへん散歩してる腰の曲がったこの街のことなら何でも知ってるちょっと頑固な爺さんも、ビルの地下で毎晩酒飲んで女ナンパしてギター掻き鳴らして遊びまくってる奴も、みんな俺のダチやから。」

 「いや…そこまではさすがに…。けど、ありがとうございます。なにかあったら電話させてもらいます。あの、お兄さんのお名前は…。」

 「俺か?俺は、隼人はやと。兄ちゃんは?」

 「自分は太一っていいます。」

隼人さんは店の前まで見送ってくれた。

 「太一、絶対彼女見つけるまで諦めんなよ。彼女はお前のこと待っとるはずや。諦めたら終わりやからな。」

 「はい、諦めません。隼人さんも夢諦めないでくださいね。」

隼人さんは笑って答えた。

 「あたりめーだろーが。またラーメン食べに来いよ。彼女も連れて。」

 「約束します。本当に、ありがとうございました。」

そう言って店を後にした。

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