未経験者

 あの日から何日経っても、彼女はなかなか自分に会おうとはしなかった。電話で少し会話して、今日こそいけると思ってデートに誘っても、用事だ、仕事だ、となにかと理由をつけて断られた。もしかして嫌われたのかもしれない、けど本当に嫌なら電話なんか出ないだろうし。どうしようもないので「少しだけ待ってみたら?」という彼女の言葉を信じて、複雑な気持ちのまま待つことにした。


 久々に会った雄大はこの前より少し肥えていた。その太々しい図体に武士語で喋るもんだから、鎧兜をつけようもんなら本当に教科書に載っているような戦国武将そっくりだった。こいつを飲みに誘ったのはもちろん恋についての相談をするためだった。

 「で、最近まったく会ってくれないんだよ。お前はどう思う?てか、どうすればいい?」

 「それはなんだろうな、その咲空愛とやら、お主に隠し事をしているのではなかろうか?」

 「隠し事!?他に男がいるとか?まじか!」

憂さ晴らしに相当な量の酒を短時間で飲んだおかげでハイテンションになって、つい部屋の机を思い切り叩いてしまった。

 「落ち着け。そういう意味ではござらん。つまりだ、お主に隠れて綺麗になろうとしておるのじゃ。以前会ったときよりも綺麗になった自分を見てもらいたいのじゃ。」

 「それならいいけど…あーけどさっさと告白しちゃって、付き合っちゃって、やることやちゃって、みたいな感じにはならないんだよなぁ…きっと。他の女性ならまだしも、あの人の場合そんな予感が一切しない。」

雄大は珍しく酔っておらず、冷静に呆れながら言った。

 「お主は甘いのぉ…考えが甘い。誰かと恋するというものはそんなに簡単なものではない。何回か会って、お互いの良い点、ダメな点を見つけて、それでも惹かれ合うなら付き合ってみようかってなるのじゃ。まだ一回しかデートしてないのに、やらしいことをすでに妄想していては、この先思いやられる。」

 「別にいいだろ、男なんだから。好きになった人とイチャイチャしたいぐらい誰でも願うことだろ。そういうお前は今現在は彼女とかいるのかよ?」

雄大は、よくぞ聞いてくれたとばかりに自慢げに話し始めた。

 「おる。お主となかなか会えなかったのもそのせいでな。我の彼女は本当に良い女子おなごじゃ。来年あたりには輿入れするつもりじゃ。そのぐらい真剣な恋をしておる。」

思わずコップに注いでいた酒をこぼすところだった。唯一の親友にこんな表現は悪いが、まさかこんな妙な言葉を喋る腹の出た太った男に彼女がいるなんて。さらに来年結婚するなんて。あまりにも信じたくない話だった。

 「ま、マジで言ってんの?なんで?来年結婚?真面目に?」

 「こんな話にほらをついてどうする。黙っておったのは謝る。まぁお主の言い分はわかる。なんでお前なんかに、だろう?だからお主はダメなのじゃ。たしかに我はこんな図体でまして男前とは程遠い。それに加えて給料のよい会社で働いておるわけでもない。けど彼女はこんな我にずっとついていくと申してくれておる。相性じゃ。要は二人でいて、二人とも気が楽かどうかが一番重要なのではないかと思っておる。もちろん身体の相性も。覚えておくとよい。」

そう熱弁する雄大を見ていると、自分と同じ歳とは思えなくなった。自分よりずっと大人で、自分よりずっと男だ。自分が街コンに行って女性に相手にもされない間に、雄大は立派な男になっていた。雄大だけではない。他の同級生もだ。今年に入ってから、同棲やら結婚やら妊娠やら、そんな話を何回耳にしたことか。それに比べて自分は…。

 「…そっか。とうとうお前まで結婚か。置いてかれる一方だな、ほんと。ここだけの話、ほんとにお前にしか言えないけどな、俺なんてあれだぜ。いまだに…。」

 「もしや…まさかお主、あれか?ヤッたことがないと?」

そのまさかだ。そうだ、何を隠そう齢二十五にしてだった。キスだって、最後にしたのはいつだったかも忘れた。

 雄大はさすがに驚きを隠せなかったようだった。

 「ま、まぁ…今の世、そんなに珍しいことでもなかろう。純粋を貫く、それはそれでいいではないか。」

励まされているのか馬鹿にされているのかよくわからなかったが、たしかに現代では珍しいことではないのかもしれなかった。しかし、男として恥ずかしいことには間違いない。ちなみに、仮の卒業もしていなかった。風俗にはまったく興味がないし、そこに大金を使うぐらいなら生活費に充てたいぐらいだった。正真正銘の童貞男だった。

 雄大が帰ったあと、いろいろなことが頭の中を巡った。

 周りが人生を謳歌していく中、自分はただボーっとしている。取り残されている。ただ時間だけが過ぎていく。焦りがないと言ったら嘘になる。もし、万が一彼女に他に意中の男がいたとしたら。自分なんかに勝ち目はあるのだろうか。こんな今の自分に。この出会いは運命だとかなんだかんだ言って、自分は努力を怠っているのではないか。そうだ、自分は変わろうとしていない。彼女は綺麗になろうと、変わろうと必死なのに。変わらなくては。少しでも格好よく、少しでも男らしくならなくては。彼女のために。

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