第7話「オラトリオナンバー00004」
光の尾を引き、
あっという間にラルス・メルブラッドの視界に小さな光学ウィンドウが開いた。
周囲の星々は光の線となって背後へと飛び去る。
『マスター、目標発見! あれが恐らく、ギャランド・イステリア大将の乗る駆逐艦【ナリルツァーク】です。それと、異なる熱源、一つ! この反応は……エインヘリアルです!』
相棒のヴィリアがすぐに、ラルスの見詰める光学ウィンドウを拡大してくれた。まだまだ距離はあるが、あと数分で接触できる距離に
それを見て、内心ラルスは胸を撫で下ろした。
まだ【ナリルツァーク】は攻撃を受けてはいない。
乗っているギャランド大将も無事の
「まだ健在だな? ふむ、間に合ったようだぞ運転手。ヴィリア、あと何秒で辿り着けそうか?」
『240秒後に合流できます。……! こ、これは……このメロディは!』
その時、【カーテンライザー】のコクピットに音楽が鳴り響いた。そしてそれは、向かう先から響き渡ってくる。真空の宇宙を介して、空間を隔てて存在する空気が震えた。
それは、電子の妖精が奏でる死の旋律だ。
ラルスのヘルメットのすぐ横に顔を並べる依歌が、
「ライブラリナンバー29981、"
「わかっています! ヴィリア、最大加速! ブーストッ!」
ヴィリアが出力補正を行い、相転移エンジンが限界を超えて
だが、背後の依歌は平気なようだった。
「急げ、運転手! この歌は
「あ、あのっ! 依歌中佐、その、手が……胸が」
「帰りのことは考えんでいい、【クレインダッツ】が迎えに来る。空になったプロペラントをパージ、相転移エンジンも
「ちょ、ちょっと、勝手にパネルを!」
一度引っ込んだかと思った依歌は、遠慮なくラルスの頭にふくよか過ぎる胸を載せてきた。そうして片手でラルスの被るヘルメットを抱き締めつつ、しなやかな腕を伸ばして操縦席のパネルをタッチする。
白く細い指が踊って、少し軽くなった【カーテンライザー】がさらに増速した。
そして、あっという間に白い点が見えたかと思うと、巨大な艦体が壁のようにそそり立つ。800mの巨大な駆逐艦も、追い越すのは一瞬だ。そして減速と同時に、ラルスの操縦で【カーテンライザー】が
確認するまでもなく、たゆたうメロディはそこから溢れ出ていた。
「【ドラクル】だ……あれが犯人」
「ヴィリア、奴との回線を開け。同時に戦闘準備、奴から
『は、はい……とりあえず、現在あらゆる回線を通じて呼びかけ中です』
相変わらず依歌は、操縦席の背後で一段高い場所から身を乗り出している。そして、ラルスのヘルメットに覆い被さるようにして鼻で笑っていた。
そう、笑っていた……この危機に際して、彼女は冴え冴えと冷たい笑みを浮かべていた。
「エインヘリアル同士の戦闘で勝つ手段は、二つしかない。その一つが、主旋律の奪い合いだ。同じ歌を敵より強い
『……他に手はなさそう、ですよね。マスター、20秒ください! 【ドラクル】のシンガーダインに
遥か昔に
その中に今、ヴィリアは割って入って声を重ねようとしている。
同時に、回線が繋がったことを別の光学ウィンドウが表示した。
依歌はラルスの頭の上に
「こちらは
緊張感に満ちた張りのある声は、
その声音を頭の上に感じながら、ラルスは戦闘へ向けて各部のチェックを急ぐ。同時に、ヴィリアの声が前奏に重なり、敵と味方とで紡ぐ"深海のMEMORIA"が音域の豊かさを増した。
ヴィリアは歴戦の
だが、相手がそれ以上の経験値を持つシンガーダインと組んでいた場合、ヴィリアが主旋律を取って歌うのは難しいだろう。なにより、同じ歌の中で同時にディーヴァを発動させた場合どうなるのか……今までエインヘリアル同士での実戦を経験したことがないので、ラルスには未知の戦闘となる。
そんな中でも、長い長い前奏のさなかに依歌の言葉が
「貴様の
敵からの言葉はない。沈黙の中で音楽だけが流れてゆく。
双方向の通信が繋がる向こうと
「これ以上、私に
そうだ、ラルスも調査の中ではっきりとそれをわかった。犯行の手口は全て、虹輝分遣隊の7人の
事件の詳細を記録したデータは、閲覧不能になっている。
軍の発表した7人の戦死は嘘なのか?
だとしたら、あの完全に破壊されてしまった【ドラクル】の7騎の残骸は……?
依歌はようやくラルスの頭から
「やれやれ……最後まで言わせるつもりか。いいだろう……貴様はとある陰謀で死亡した7人の星騎士の亡霊となって、陰謀の首謀者たちに制裁を開始した。私が独自の権限で閲覧した、貴様の封じたデータに虹輝分遣隊全員の死亡と……そのことが記録されていた。だから、私はギャランドをけしかけたのだ。お前がギャランドだけは許そうとしている
どうにも話が見えない。
しかし、ラルスは確信した。
依歌は犯人を知っている、わかっている……推理し終えている。
そしてそれは、意外な人物の名前となってコクピットに静かに響いた。
「茶番は終わりだ……ウォーケン・ダンデス中将」
それは、
一瞬、回線の向こうに息を呑む気配が感じられた。
そして、ラルスも思わず「えっ!?」と依歌を振り返る。
依歌は半裸のまま、立って前だけを真っ直ぐ見詰めていた。
長い沈黙の間を音楽だけが進み、そして疲れた男の声を連れてくる。
『刑部依歌中佐、だったな。何故……どうして私のことがわかった?』
「簡単なことだ。運転手から聞いたのだ……エインヘリアルのパイロットが、7人も揃って全員ディーヴァを破壊されるなど、ありえない。パイロットは皆、エインヘリアルを宇宙最強たらしめるディーヴァを大切にする。時には命をも犠牲にして守るものだ。だが、貴様は全員が星騎士である虹輝分遣隊のディーヴァを全て破壊した。……そうせねばトリックが破綻するからだ」
『……そうだ、そしてさらに』
「その先も言ってやろう。貴様の目的がそもそも、ディーヴァの破壊だった。7人の参謀の中で貴様だけがこう思った。敵に渡すくらいなら、破壊してしまおうと」
ラルスにはまだ、話が読めない。
だが、前奏が最高潮に高まったところで、ヴィリアの歌声が歌詞を拾って甲高く響いた。そして、その何倍もの声量が向こうの【ドラクル】から圧してくる。
まるで歌声の洪水のように、ヴィリアの声を押し潰してくる。
同時に、背に光輪を広げて翼のように
同時にラルスも、ディーヴァの力を解放してスロットルを叩き込む。
太古の
めしいた瞳であなたを見詰めて
あなたを求めて
誰も耐えれぬ水圧の中で 惨めに醜いわたしは祈る
「そうか……! ディーヴァを残せば、エインヘリアルの数がわかる。7騎の残骸に6個のディーヴァじゃ、計算が合わなくなる!」
「ああ、だから奴は8騎目の【ドラクル】に載せるディーヴァ以外を破壊する必要があった。7騎の残骸に、失われたディーヴァが7個でなければいけなかった」
「そうまでして、何故……! くっ、速い!」
高速で【ドラクル】が視界から消える。同時に衝撃を受けて、【カーテンライザー】が大きく揺れた。すぐさまダメージをチェックすると同時に、浮かぶ光学ウィンドウの数々を視線でキャンセルするラルス。こちらもディーヴァの力を発揮しているが、同じ歌の中でヴィリアの声が今は遠い。
どうやら向こうの【ドラクル】の方が、シンガーダインの質が高いようだ。
それとも量かと思った、その思考をヴィリアが肯定してくる。
『マスター! あちらは7人のシンガーダインの
「フルチャージ! 照準ッ! ヤツの方が速い、けど、向かってくるのなら!」
ラルスは改めて【カーテンライザー】の鈍くて重いディーヴァのレスポンスを呪った。同じ歌で歌い負けている上に、【カーテンライザー】はディーヴァの力を活かす手段が少ない。さらに出力も安定しないときている。
それでもラルスの操縦で、姿勢を制御した【カーテンライザー】が狙いを定めた。
両肩に伸びる巨大なビームキャノンが、星をも砕く光の
『当たらんよ! そのような旧式ではな……沈め、憲兵艦隊の犬が! 真の敵もわからぬ愚か者が!』
「グッ、直撃をもらった! こっちは……外したか。ヴィリア! 間奏に入ると同時に一時後退する」
【ドラクル】は腰のソケットに有線ケーブルのプラグを刺し、手にした長大なライフルからの射撃を続けている。星さえ
ありったけのミサイルとグレネードで弾幕を張りつつ、ラルスは歌のテンポに身を委ねた。まだヴィリアは歌っている、その声を拾うように騎体を操り致命打を避ける。そして"深海のMEMORIA"が一番と二番を繋ぐ間奏に入った。
満身創痍の【カーテンライザー】を立て直そうとするラルスを、
『この通信はお前も聞いているな……ギャランド。
「各部チェック、損傷甚大……ディーヴァの反応微弱。ヴィリア、ごめんよ。もう少しだけ頑張ってくれ。もう一度ビームキャノンを使う」
『偉大な7人の星騎士を
「モードセッティング、リコール……よし、まだ動くぞ。ん? 奴ら、とは?」
その時だった。ウォーケンの駆る【ドラクル】がソケットへの有線接続を6個に増やした。【ドラクル】の最大ソケット数を利用して、フルパワーをライフルから撃ち出す気だ。ディーヴァのパワーを注がれた銃身が、惑星破壊用の一撃を放つべく震える。長く伸びたバレルの先が展開して、【カーテンライザー】へと向けられた。
しかし、背後でクククと
「そうか……やはりか。読み通りだな。貴様も奴らの存在に気付いていたか。だが、続きはギャランドからたっぷり聞かせてもらう。そして」
不意に、はらりとなにかがラルスの視界を遮った。
こちらへとライフルを向ける【ドラクル】との間に、薄布がたゆたう。それは、依歌が身につけていたブラジャーだ。そして、次いでショーツが無重力の中へと放たれる。
背後で全裸になった依歌を振り返る余裕も、今のラルスにはない。
そして、死をもたらす歌声が二番の歌詞を歌い始めた、その時だった。
「対エインヘリアルはディーヴァのぶつけ合い、したがって勝利する方法は二つ。相手の主旋律を乗っ取るか……それとも、潰すかだ。では、教育してやろう……本当のディーヴァ、真の
背後のサークルから光が舞い上がり、依歌の体を包んでゆく。流石に後を見上げたラルスは、この危機的な状況で信じられない光景に目を見開く。
裸の依歌を包む光が、立体映像で着衣を
服と言うには
白い肌とのコントラストが眩しい、蒼い薄布で局部だけを隠した依歌が手を伸べる。
「ヴィリア、私がリードボーカルだ。コーラスを頼むぞ? 同調しろ、シンクロナイズド……セッションレイド、スタンバイ」
『えっ!? あ、あれ? このパスコードは……こんな、でも。と、とにかく、コーラスパートの権限委譲を確認、同調します!』
それは、【ドラクル】の砲口から苛烈な光が迸るのと同時だった。
視界が真っ白に塗り潰される中で、ラルスは声を聴く。
その声は歌となって、あっという間に【カーテンライザー】の全身に亀裂を走らせた。否、元から分割された装甲が着せられていたのだ。そして今、極端な重装甲の奥から……全てを脱ぎ捨てた純白のエインヘリアルが浮かび上がる。
騎士然としたスリムな曲線美は、それを閉じ込めていた縛鎖を振りほどいた。偽装用の装甲を脱ぎ捨て、静かに白き騎神が瞳に光を灯した。
「こ、これは……ディーヴァの反応値、増大。馬鹿な、じゃあ今……【ドラクル】の攻撃は、今」
「ふん、効かぬよ。運転手、しっかり乗りこなせよ? さあ、私のシラベを聴かせてやろう……舞い踊れ! 【オペラルド】ッ! オープン・ギグ!」
『楽曲選択、ライブラリナンバー00004……こ、これは!? 征暦元年作詞作曲……"
――【オペラルド】。
歌い出した依歌が呼んだその名が、恐らくこのエインヘリアルの本当の名前だ。そして、操縦するラルスも信じられないことに、全身から光を発して光そのものとなった【オペラルド】は……七人のシンガーダインが束ねたディーヴァの力を、真正面から弾き返していた。
【ドラクル】からのビームが輝きの壁に阻まれ、無数に枝分かれして宇宙の闇に消える。
そして、依歌の歌が響く。
全ての音を飲み込んで、真空の宇宙さえも震わせるように響き渡る。
あの空の彼方へと
振り向けばほら 地球の光は遠い過去
光となった騎士たちの
振るう剣に輝く残像
地球が忘れて消え入る時代へ 神ならぬ人の力よ 征け
ラルスが操る【オペラルド】は、
ウォーケンの悲鳴が絶叫へと変わる。
『ばっ、馬鹿な! こ、これは……まさか、
爆発の全てが【オペラルド】を包む光の外側で爆ぜて花開く。
その時にはもう、ラルスの操縦で白い腕が【ドラクル】の握る銃身を
既にもう、虹輝分遣隊が残した7人のシンガーダインは歌ってはいない。
歌っていたかもしれないが、ラルスには聴こえていなかった。
『マスター、敵が逃げます! 依歌中佐の歌が終わるまで、あと48秒! ……なんて唱圧、星々の
「狙撃する、全エネルギーを集束、チャージしてくれっ!」
不意に、【オペラルド】のしなやかな両腕が天へと振り上げられる。両の手が指を開いた、その間に次元転移の光が
その武器は、次元転移でどこからともなく現れた。
そして、ラルスの操縦で【オペラルド】は
「有線接続は……し、しなくていいのか? これは……」
『マスター、この【オペラルド】自体がディーヴァの力の……依歌中佐の歌の塊です。周囲を取り巻く
「周囲の光が……砲に吸収されてゆく? これならっ!」
『チャンバー内、圧力上昇!
依歌の声が切なげに、
そして、ラルスはトリガーを
依歌の歌うディーヴァの力を吸い込み、禁忌中の禁忌とされた千年前の砲が火を吹く。
この日、また多くの星々が死すら知らずに消え去った。ゾディアック・サーティンが一角、キャンサー艦隊が次に攻略予定だった星系は、その周囲の宇宙空間ごと消滅した。あとにはただ、
こうして黄道艦隊連続殺人事件は幕を閉じたのだった。
「……っはー、なんて力だ。これが……本当のディーヴァの、力? あの、依歌中佐!」
ヘルメットを脱いで開放感に深呼吸しながら、ラルスは振り返る。
すると、裸足がむんずと顔面を踏みつけてきた。
そこには、元の全裸に戻った依歌が仁王立ちしていた。
「振り向くなと言っている。……どうだ、運転手。【オペラルド】の力は、私の力は。びっくりしただろう? ん? はは、ほれほれ、どうなのだ?」
「ちょ、ちょっと、踏み
とりあえずラルスは、依歌にグリグリと顔やら頭やらを踏まれて蹴られつつ、コクピット内を漂う彼女の下着へと手を伸ばすのだった。
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