第14話 シャルル・ド・ゴール 残像

翌日、私たちはTGVに乗って旅に出た。切符売り場のお姉さんと歌うような調子で話す駿。どこへ行くのか知らないが、ちょっとわくわくする。駿はまず、向かう地方だけを決めた。後は車窓からみて気に入ったところに泊まるという。私は大賛成した。


長い列車の旅は楽しかった。鉄橋や時計台のある不思議な街に惹かれて列車を降り、雰囲気のある古いホテルを探す。駿は映画に出てきそうなフロントのおじいさんと長々と話し、

「ここに泊まろう」

と言った。荷物を置いて、階段がたくさんある街の中を散歩する。もちろんカメラも一緒に。フランスパンを1本丸ごと抱えた男性が通るのを見た。家の窓に明かりが灯って、夕食のいい匂いが流れてくるのをかいだ。彼は階段の下の街頭にカメラを向け、納得がいくまで撮り続けた。


その次の日は海の街へ。二人で海を見たのは初めてだった。堤防に座って何時間も過ごした。


最後の日に入ったバーでは、なぜか私を気に入ったマスターが私をカウンターに招き入れ、生ビールを注がせてくれた。ほかの客たちが

「君たち結婚してるのかい?」

と尋ねる。彼がフランス語で何か説明をしていた。この時、駿が「ビズ」という挨拶を教えてくれた。お互いに頬を合わせ軽くハグするような挨拶。親愛の情を示すもので、恋人ではない男女の間でもするのだとか。私は帰り際に早速バーのマスターにビズをしてお礼を言った。


そんな旅を終えて、私たちはパリへ戻った。明日は日本へ帰らなければならない。

私たちは近所の公園の芝生で、カポエイラをしたり逆立ちをしたりして遊んだ。仲良く寝転んで昼寝をする。私は眠れないので寝たふりだけして目を閉じていた。スッと静かに駿が立ち上がる気配がした。薄目を開けてみると、芝生を速足で突っ切っていく。少し離れたところにある水道でばしゃばしゃと顔を洗っているのが見えた。私はまた眼を閉じた。戻ってくる彼に気づかれないように・・・。


その日の夜、ホテルの近所に韓国料理屋があるのを駿が発見した。二人で恐る恐るドアを開ける。幸いにも払えないほど高級な店ではないようで、このあたりに住んでいる韓国人らしき眼鏡の男性が店主を相手に酒を飲んでいた。

こういうところで会話するくらいの韓国語には困らない。

「おじさん、マッコリある?」

と尋ねた。ない、と答える店主のそばから飲んでいた眼鏡の男性が

「フランスではなかなかマッコリは飲めないよ。」

と口をはさんだ。ニコニコしていて優しそうな人だ。知性的な感じもする。しばらく話をするうちに打ち解けてきたので、一緒に飲もうと誘った。私たちのテーブルにやって来た眼鏡の男性は、近くで見ると私よりも少し年上に見えた。


焼酎が回り、調子が出てきた私は、駿が韓国語を知らないのをいいことに

眼鏡のお兄さん相手に愚痴をこぼした。

「オッパ(お兄さん)、私はこの人と結婚したいのにこの人は私と結婚したくないの。どう思う?」

私の話を聞いて眼鏡のお兄さんは頭を抱えて苦笑した。フランス語で駿に伝えようとするので

「ダメダメ、しゃべっちゃダメ」

と止める。私は韓国語と日本語、お兄さんは韓国語とフランス語、駿はフランス語と日本語を使って3人の奇妙な会話が始まった。楽しくて楽しくてつい飲みすぎてしまった。最後には店のおばさんたちまで巻き込んで大騒ぎになった。


帰り道ふらふらしたまま駿と肩を組み合って道を歩いた。駿も相当酔っているらしかった。ホテルの前まで来た時、私は急に激しく泣き出した。なぜ私たちの前にはいつもいつも別れがぶら下がっているのだろう?どんなに楽しい時も心の中が痛くてしょうがない。お互いこんなに想い合っているのに、どうしても一緒にいることができない。

駿はだまって私を抱きしめ、何も言わなかった。私をやさしくホテルの部屋まで送り届けると、そっと帰っていった。私はベッドの上に倒れ込み、そのまま眠りについた。何も考えず深い深い眠りに墜ちていった。


翌朝起きてみると二日酔いで頭がガンガンした。これからフライトなのに・・・。

駿が迎えに来て一緒に空港へ向かう道中、私は頭が痛すぎてほとんど話すことができなかった。駿も今日は口数が少ない。


チケットカウンターで手続きを終え、いよいよ出発ゲートをくぐることになった。

私は彼に「ビズ」で別れの挨拶をした。駿はただ黙っていた。かすかな笑顔だけを浮かべていた。

私は最後の一言を待っていた。これからの2人の行く末を確かなものにするような言葉を。


でも、彼はとうとう一言もしゃべらなかった。

「じゃあ行くね。またね!」

と私は言った。彼は頷き、そしてやはり何も言葉を発せず私を見ていた。


私は意を決してゲートに向かった。ゲートをくぐり、最後に一度だけ振り返った。彼はただ立ってこちらを見ていた。さびしさと決意が入り混じったようなまなざしだった。


その瞬間、私は感じた。


彼の顔を見るのはこれが最後かもしれないと。

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