第13話 セーヌ川の遊覧船

 看護学校を卒業してすぐに向かったフランス。


 パリの空港に降り立ったのは午後3時を回っていた。入国審査の係員の前に立つ。大柄なおじさんだ。何を聞かれるのかと身構えていると突然大きな声で

「こんにちは!」

と挨拶されて仰天した。

結局何も聞かれることなく、私は無事フランスに入国した。


 ゲートをくぐってあたりを見回すと、洗練された身なりの背の高い青年が私を出迎えていた。最後に見た時はまだ少年のようだった駿は、すっかり大人の男性に変貌を遂げていた。

「久しぶり。約束通りずいぶんかっこよくなったね。」

「楓も綺麗になったな。」

こんなあいさつから再会の旅は始まった。


 私たちは相も変わらず自転車でパリの街を走り回った。ルーブル美術館に二人乗りの自転車で乗り込んだ日本人は私たちくらいじゃないだろうか?しかもお金がないからと美術館の中には入らないのだから。街角のカフェや花屋、パン屋、デリを自転車で回る。


 セーヌ川では遊覧船に乗った。船の帆先で手すりに背中からもたれて後ろに反り返り、さかさまにパリの街を眺めてみた。まるでイナバウアーをしているような私を見て、2階の甲板にいたフランス人の一団からヒューっと歓声が上がる。

 その時、漢江の遊覧船を思い出した。駿と一緒に乗りたいと思っていたあの船を。漢江で再会することを夢描いてたけれど、ここはセーヌ川だ。どっちが良かったのかはわからない。



 あらゆる場所で駿は私の写真を撮り、一冊の写真集が出来上がった。旅そのものが一冊のアルバムのようだった。

 ある夜、バーの2階席で仲良く並んでホットワインを飲んでいた。店の雰囲気を十分味わった後、意を決して私は駿に問いかけた。

「私たちさ、何とかして一緒にいられる方法はないかな?」

駿はグラスを見つめたまま言った。

「この国で?」

「この国でもどこでも。一緒にいられるどこかで。」


 彼はしばらく黙っていた。何かを考えている風だった。

「この国で一緒にいるのは難しいと思う。俺にも余裕がないし。楓のことを好きなのは本当で、それはどうしようもない。でも俺は今はここを離れられない。」

それは当然の答えだったと思う。先に彼を突き放したのは私自身だ。すべては自分の弱さが招いたことだった。

「そうだね。」

私はゆっくりとホットワインを口に運んだ。話はそれきり終わった。


その後私たちは何ごともなかったかのように楽しくお酒を飲み、バーを出た。帰り道、自転車の後ろで揺られながらたわいもない話をした。

ホテルの前で、駿は

「明日は旅に出よう。」

と言った。朝迎えに来ると約束してドアを開け、私をロビーに入れると笑顔を残して帰っていった。


 自分の部屋までの階段を上る。もう真夜中だ。ほかの客はみんな寝ている様子でホテルの中はしんとしていた。ふいに涙がこぼれ落ちた。階段に座り込み、膝を抱えた。大切に大切にしてきたものを、私は自分の手で壊してしまったのだ。どんなに悔やんでも取り返しはつかない。彼が一人で生きるための道を選択したのは当たり前のことだ。激しい後悔で、後から後から流れてくる涙をぬぐうこともせず、私は階段にうずくまっていた。

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