第5話 揺らぎと輝き

 頭にタオルを巻いたまま、ユンと並んで床に寝転がる。サウナは暑すぎることもなく、快適だ。疲れがふわりと体から抜けていくような気さえする。3日目の研修が終わり、ユンと食事をした後、モギョクタンへやってきた。モギョクタンとは、韓国の銭湯で、日本で言うなら「スーパー銭湯」という感じである。地下にマッサージ室、2階が大浴場、3階がサウナで、サウナに行くときにはレンタルウエアを羽織る。サウナスペースでは男女混合。カップルで来ても十分楽しめる。売店では簡単な食事やお菓子、飲み物が買えるし、ここで朝まで過ごす人も多い。


 「ねぇ、ユンってさ、なんでユンて呼ばれてるの?」

私は以前から疑問に思っていたことを聞いてみた。ユンの名前は、チェ・シニョンという。どこにもユンなどという文字は入っていない。ユンは

「あぁ、それね。外国人の友達が多いじゃない?シニョンってみんな覚えてくれないのよ。特にアジア系の人にとっては覚えにくいみたい。だから適当に言いやすそうなニックネームをつけたの。」

と笑った。なんだそうか。私の名前、「楓」も外国人にとって覚えやすいかと言われればそうでもない。


 「楓はなんで精神科の看護師になったの?」

今更ながらの質問だが、そういえばそういうことを詳しく話したことはなかった。


「初めは精神科なんて全く興味なくてさ、循環器科科に勤めて張り切ってたんだけど、先輩方が怖くて3か月で辞めちゃったのよ。情けないでしょ?それであわてて次の仕事探してたら、たまたま精神科で募集があったから、働けるならもうなんでもいいやと。」

私は正直に自分の黒歴史を話した。あの頃の挫折感はハンパなく、今でもあの頃の夢を見てうなされることがあるくらいだ。


ユンは声を出して少し笑うと、視線を天井に向けたままつぶやくように言った。

「私さ、働いてるうちになんと自分がうつになっちゃったんだ。カウンセラーなのに笑えるでしょ?」

「え?」

驚いて彼女を見る。

「最近はまぁマシだけど、相変わらず薬は飲みながら仕事してるけどね。」

そういうと身体を半分だけ起こし、ドリンクを手に取った。


 実は私も、メンタルには不調を抱えている。小学生の頃から、理由なく学校にいけない日があった。中学に入ってからは何となく落ち着いてうまくやっていたのだが、高校に入ってからいよいよ情緒が不安定になっていった。人の目が怖い。人と関わるのがつらい。仲間の中に包まれているという安心感がない。少しずつ学校での口数が減り、学校へ行くのがいつも苦痛だった。

 

 幼いころから、自分が本当にやりたいことよりも周囲に受け入れられることをしようとする子どもだった。そんな生き方を続けるうちに私は自分の輪郭を見失っていったようだ。恋愛をするような年齢になると、相手の男性には極端に心を開き、それ以外の人に対しては極端に閉じるようになった。

 しかし世の中とはうまくできたもので、そういう女性を好む男性がいるのである。私は自分の「影」を愛してくれる人を常にそばに置いた。何かの拍子に男性が離れると途端にバランスを崩した。結果、恋愛の数は多いがその分受けた傷も大きく、ますます自分の輪郭がぼやけていった。


 グラグラする自分を立ち直らせたのは、「仕事」だった。看護師になるために専門学校へ入り、厳しい実習を潜り抜け、免許を取る。キャリアを積んで仕事が面白くなり、自信がついてくる。そんな風にして少しずつ自分の輪郭が出来上がってきたのだった。それでも、時々昔の不安定病が顔を出すことがある。なかなか自分を乗りこなせず苦戦することも多い。


 あの頃の駿はいわゆる「依存」できる相手ではなかった。もたれかかれば逃げて行くような気がした。私は嗅覚でそれを察知していた。私は自立した女性を演じることで彼の心を掴んだ。


 駿は自由で無邪気な冒険者だった。自分は船で旅に出て新しい空気を満喫し、満足したら戻ってくる。私はそんな時に安心して戻ってこれる港のようなものらしかった。私も港でありたかった。何年もの間彼の前では港を演じてきた。でも最後まで港のふりをすることはできなかった、私はふらふらと波間に揺れる浮き桟橋でしかなかったのだから。


 ユンにこのあたりの話をするべきかどうか逡巡したが、この夜は結局話さないまま時を過ごした。





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