3
家に帰ってきて、自分の部屋に入っても、日紅(ひべに)は大木に面する窓を開けなかった。
制服を脱ごうともしないまま、ベットの上に転がる。
模様のない無機質なクリーム色の天井。日が陰ってきて薄暗くなっている日紅の部屋。黄色のカーテンから斜陽が射す。
日紅の口から無意識に軽い溜息が漏れる。
おかしい、犀(せい)。
あたしが、わかってない、って、どういうこと?
日紅はごろんと寝返りをうった。
「日紅」
「!」
いきなり目の前に『彼』の顔が現れて、日紅の悲鳴は喉に張り付く。
「どうしたんだよ、今日は。具合でも悪ぃのか?」
どうして窓を開けなかったのだと、『彼』はそう言う。
「…ねぇ、巫哉(みこや)」
日紅は『彼』の頭に手を伸ばしながら言った。
「…何だ」
日紅に頭を撫でられて、不機嫌そうにしながらも『彼』は大人しく返事をする。
「背、ちっちゃいね」
ビシッ。
瞬時に『彼』の額に青筋が走る。当然ながら日紅の手はいささか乱暴に振り払われた。
『彼』の外見は出合ったその時から、13、4の少年の姿だ。それは今までも、そしてこれからも決して変わることはないだろう。日紅が老いて死ぬその瞬間も、きっと『彼』は実年齢に比例することない幼い外見のままなのだ。
『彼』は時間に囚われない不死の身だ。『彼』の時間は未来に向かって進むこともないし、過去に戻ることもない。ヒトとは似て非なるもの。
でもこうしてヒトである日紅の傍(そば)にいてくれる、それが日紅は嬉しい。
どうして一緒にいるかとか、難しいことはどうでもいいのだ。
いつまでも変わらないものを見ていると、ヒトは不意にそれに疑問を抱くことがある。常に移ろう時の流れに添(そ)わないものなどないのだと。なのにどうしてその身は老いぬのか。なぜ朽ちないのか。
それはきっと逆も然(しか)りだろう。時を刻まない『彼』は、まわりのすべてのものが移ろい行くことに疑問を抱いた筈だ。それはもしかしたら、疑問ではなく存在意義を押し潰す程の恐怖だったかもしれない。唯一無二の存在。この広い世界中、溢れるほどある命の中で、たったひとつだけ終わらない命。その孤独は如何(いか)ばかりか。しかしそれを圧(お)してでも『彼』は日紅とともにいてくれる。それが、日紅にはとてもとても嬉しいのだ。
「ずっと、変わらないね巫哉は」
「悪(わり)ぃか」
「全然。でも、ねぇ、巫哉。あたしもういくつになったんだっけ?」
「17だろ」
こともなげに『彼』は言う。
「じゅう…なな…17かぁ…」
月日は無慈悲だ。一瞬の合間に過ぎていく。その一瞬で日紅や、犀や、ヒトが感じたものなど一瞥(いちべつ)もしない。ただ流れてゆく。
「嫌だなぁ…」
日紅はクッションに顔をうずめた。
変わってゆくのは、怖い。
「ずっと、ずっと、今のままがいいのに。もしかしたら、明日、あたしが事故で死ぬかもしれない。犀が、何かの事件に巻き込まれて殺されちゃうかもしれない。そうしたらもう、変わってしまうでしょ?あたしを取り巻く何もかもが。大人になんかなりたくない。ずっとこのままで、いたい…」
犀も変わる。背が、伸びた。200とまでは行かないけれど、183もある。人当たりもよく、仲のいい友達もたくさんいる。日紅のことなんか、今日明日に忘れてしまっても不思議はない。
実際に、明日犀が日紅を忘れるなんてないことは日紅にもわかっている。でも、「絶対」なんて誰が言い切れるというのだろう。明日の保証を誰がしてくれるというのか。未来を知る術はないというのに。
怖い。
『彼』は、戸惑ったように日紅を見ていたが、躊躇(ためら)いがちに手を伸ばすと、震える日紅のその肩にそっと手を置いた。
ゆっくり、不器用な手つきで日紅の頭を撫でもしてくれる。
「もう、寝ろ」
まだ闇も浅く、寝るには少し早い時間だったが、日紅はその声につられたように、じきに寝息を立て始めた。
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