家に帰ってきて、自分の部屋に入っても、日紅(ひべに)は大木に面する窓を開けなかった。




 制服を脱ごうともしないまま、ベットの上に転がる。




 模様のない無機質なクリーム色の天井。日が陰ってきて薄暗くなっている日紅の部屋。黄色のカーテンから斜陽が射す。




 日紅の口から無意識に軽い溜息が漏れる。




 おかしい、犀(せい)。




 あたしが、わかってない、って、どういうこと?




 日紅はごろんと寝返りをうった。




「日紅」




「!」




 いきなり目の前に『彼』の顔が現れて、日紅の悲鳴は喉に張り付く。




「どうしたんだよ、今日は。具合でも悪ぃのか?」




 どうして窓を開けなかったのだと、『彼』はそう言う。




「…ねぇ、巫哉(みこや)」




 日紅は『彼』の頭に手を伸ばしながら言った。




「…何だ」




 日紅に頭を撫でられて、不機嫌そうにしながらも『彼』は大人しく返事をする。




「背、ちっちゃいね」




ビシッ。




 瞬時に『彼』の額に青筋が走る。当然ながら日紅の手はいささか乱暴に振り払われた。




 『彼』の外見は出合ったその時から、13、4の少年の姿だ。それは今までも、そしてこれからも決して変わることはないだろう。日紅が老いて死ぬその瞬間も、きっと『彼』は実年齢に比例することない幼い外見のままなのだ。




 『彼』は時間に囚われない不死の身だ。『彼』の時間は未来に向かって進むこともないし、過去に戻ることもない。ヒトとは似て非なるもの。




 でもこうしてヒトである日紅の傍(そば)にいてくれる、それが日紅は嬉しい。




 どうして一緒にいるかとか、難しいことはどうでもいいのだ。




 いつまでも変わらないものを見ていると、ヒトは不意にそれに疑問を抱くことがある。常に移ろう時の流れに添(そ)わないものなどないのだと。なのにどうしてその身は老いぬのか。なぜ朽ちないのか。




 それはきっと逆も然(しか)りだろう。時を刻まない『彼』は、まわりのすべてのものが移ろい行くことに疑問を抱いた筈だ。それはもしかしたら、疑問ではなく存在意義を押し潰す程の恐怖だったかもしれない。唯一無二の存在。この広い世界中、溢れるほどある命の中で、たったひとつだけ終わらない命。その孤独は如何(いか)ばかりか。しかしそれを圧(お)してでも『彼』は日紅とともにいてくれる。それが、日紅にはとてもとても嬉しいのだ。




「ずっと、変わらないね巫哉は」




「悪(わり)ぃか」




「全然。でも、ねぇ、巫哉。あたしもういくつになったんだっけ?」




「17だろ」




 こともなげに『彼』は言う。




「じゅう…なな…17かぁ…」




 月日は無慈悲だ。一瞬の合間に過ぎていく。その一瞬で日紅や、犀や、ヒトが感じたものなど一瞥(いちべつ)もしない。ただ流れてゆく。




「嫌だなぁ…」




 日紅はクッションに顔をうずめた。




 変わってゆくのは、怖い。




「ずっと、ずっと、今のままがいいのに。もしかしたら、明日、あたしが事故で死ぬかもしれない。犀が、何かの事件に巻き込まれて殺されちゃうかもしれない。そうしたらもう、変わってしまうでしょ?あたしを取り巻く何もかもが。大人になんかなりたくない。ずっとこのままで、いたい…」




 犀も変わる。背が、伸びた。200とまでは行かないけれど、183もある。人当たりもよく、仲のいい友達もたくさんいる。日紅のことなんか、今日明日に忘れてしまっても不思議はない。




 実際に、明日犀が日紅を忘れるなんてないことは日紅にもわかっている。でも、「絶対」なんて誰が言い切れるというのだろう。明日の保証を誰がしてくれるというのか。未来を知る術はないというのに。




 怖い。




 『彼』は、戸惑ったように日紅を見ていたが、躊躇(ためら)いがちに手を伸ばすと、震える日紅のその肩にそっと手を置いた。




 ゆっくり、不器用な手つきで日紅の頭を撫でもしてくれる。




「もう、寝ろ」




 まだ闇も浅く、寝るには少し早い時間だったが、日紅はその声につられたように、じきに寝息を立て始めた。

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