「考えすぎじゃない?」




 日紅(ひべに)は呆れて言ったが、犀(せい)は渋い顔だ。




「いや、間違いない。日紅、おまえは青山に狙われた。あのリプト○のレモンティーがその証拠だ」




 学校の帰り道。結局、日紅は犀と二人で帰っている。




 犀の家は反対方向なのだからと日紅が渋ったが、いつになくハイテンションの犀に押し切られる形になってしまった。




 暗い道を、ふたり、てくてくと歩きながら帰る。




「リプトンのレモンティーが何だって?」




「青山は狙うと決めた女には必ずリプトンのレモンティーを渡す。それが宣戦布告。本人にも、周りにもな」




 ま、確かに、わかりやすくはある、わ、よね…。




 あの爽やかな人がやるだけで何事も好意的にとらえてしまうのが悲しいかな、凡庸(ぼんよう)な一女子の運命(さだめ)なんです。日紅は心の中で誰かに弁解した。




「でもなんであたし!?偶然じゃないの?まともに考えて、ありえないというかなんと言うか…」




「青山だって人間だ。たまには毛色の変わったのもいいかと思うときもあるだろうよ」




「…」




「あ、嘘です。ゴメンナサイ。口が滑りまし、だっ…!?」




 どすんと日紅の拳が犀の鳩尾(みぞおち)にめりこむ。




「お、おまッ…モロにぃっ!」




「おほほほほほほほごめんなさいねぇ?毛色が変わってて」




 日紅はしゃがみこんで身悶えする犀に見向きもせずにざかざかと先へ進んだ。曲がり角を曲がったところで、犀の焦った声だけが日紅の背中に追いつく。




「おい!日紅!」




 日紅は完全無視をして進む。




「青山が出たらどうするんだ!」




「出るかボケ!」




 思わず怒鳴り返して振り返れば犀がいた。




 足の速いやつめ…日紅はちっと舌打ちをする。




「先に行くなっての」




「青山くんは出ないわよ。あんたじゃないんだから」




「いや、出るかもしれない。どうやってやるのかは知らないが、あいつは狙った女は必ず落とす。伝説を作るぞ、日紅。青山に落ちなかった唯一の女、山下日紅として」




「…」




 大袈裟な、と日紅は思ったが、溜息をつくだけにとどめた。




「それとも、まさかもう手遅れか?青山にホの字か?」




「好きな人なんていないって言ったでしょ。ま、青山くんなら考えないでもないけど」




 何しろ学校中のプリンスだ。




「…ふぅん」




 隣で犀が鼻で唸った。




 空気が変わった気がして、日紅はどきりとする。




「…」




 なぜか、日紅は汗がじわりと滲むのを感じた。




 犀が次に何を言うのか、そのくちびるの動きを、必要以上に意識する。




「月夜(つくよ)…」




「ぇ…?」




 蚊の鳴くような声が日紅の薄く開いた口から漏れる。




 犀はそれを一瞥(いちべつ)すると、視線を前に戻して、言った。




「月夜のこと、どう思う」




「どう、って」




 日紅はもごもごと口ごもった。答えが出てこないのではない。日紅は何かに圧されている。それに追われて、声が日紅の奥のほうへ逃げ込む。隠れてしまう。だから、声が出ない。それは所謂プレッシャーというものかもしれない。




 それを与えているのは、間違いなく犀。




「す、好きよ」




「ふぅん」




 犀がまた唸るように答える。




 日紅は困惑していた。犀が、変。何かおかしい。ここにいる犀は、日紅の知っている犀ではないような気がする。




「犀…?」




 犀を見上げても、犀と目線が交わらない。犀は前だけ見て、歩いてる。




 なにを見てるの?犀…。




 日紅は悲しい。犀と見ているものが変わってしまった。考えていることが変わってしまった。昔とは違う。一緒に笑い合っていたころはこんな遠いものを見てはいなかった。




 いつから距離が開いてしまったんだろう。肩が触れ合うほど隣にいるのに、犀がこんなにも遠い。




「おまえ、何も気づいてないの?」




「ぇ…」




「日紅」




 犀は日紅の名を呼んで、それからゆっくりと日紅を見た。犀の目が夜闇と共に日紅を映した。




 犀は瞳に黒い光を湛えて言った。




「わかってないよな、おまえ。なんにも」

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