『彼』とあたしとあなたと
1
日紅(ひべに)は、『彼』を好きで犀(せい)も好きだった。
『彼』は、日紅のことは嫌いじゃなく犀のことは嫌いだった。
犀は、日紅のことは好きで、『彼』のことは嫌っていた。
日紅は、わかっていなかった。
『彼』も、わかっていなかった。
犀。彼が一人だけ、全てを理解していた。
中学2年のときから、さらに2年。
ぬるま湯のような緩慢な時を経て、最初に変わったのは、日紅。
「ねぇねぇ日紅ちゃん」
うとうとしかけたところに声をかけられて、日紅はゆっくりと顔を上げる。日紅の中学校時代肩までしかなかった髪は、今やふわふわと弧を描いて背の半ばまでを覆っている。
目の前には、女の子。首をかしげて、日紅を覗き込んでいる。
ええと・・・と、日紅は眠りかけの頭を起こす。
「隣のクラスの桜ちゃん?」
「うん、そう」
桜は嬉しそうに笑った。かわいいな、と日紅は思った。
「で、ね、日紅ちゃん」
さらさらなセミロングの髪を揺らして、桜は心なしか、日紅に顔を寄せた。
何か秘密のハナシなのかな、と日紅は思った。でもなんであたし?確か日紅は桜と交流はあまりなかった筈だ。
「日紅ちゃんって、木下(きのした)くんと付き合ってるの?」
木下?って、誰。日紅は一瞬考え込んだが、ああ、と間の抜けた声を出す。
「犀?」
「そう。木下犀くん。ね、付き合ってるの?」
桜は笑顔を顔に貼り付けたまま、真剣に聞いてくる。
日紅は思わず笑いそうになった。つきあってる?あたしと犀が?まさか。
変な誤解をされないためにも、ここではっきりと言うべきだ。
「違うよ。あたしと犀は気の合うってだけの、友達。別に付き合ってなんかいないよ?」
そう言うと、桜はとても嬉しそうに笑うのだ。
「よかった!」
あぁ、これはもうーーーー…。日紅は思った。まったく、いいわね色男は。
「じゃぁ、じゃあ日紅ちゃん。あのね、犀くんのー…」
「俺が何?」
桜と日紅は同時に目を見張った。一瞬の間のあと、桜の顔がぼっと赤くなる。
日紅は桜の後ろに、うんざりするほど見慣れた顔を見つけた。
「犀」
「今、俺の話してた?」
あっこらそこはわかってても黙ってなさいよ!日紅は思った。
「あ、ぁああぁの、日紅ちゃんっ、もう戻るねっ!またねっ」
そう叫んで、桜はばたばたと日紅のクラスを出て行った。
「…すっかりプレイボーイね、犀。お姉ちゃん悲しいわ」
「誰がお姉ちゃんだ、誰が」
「モテモテで羨ましい限りで」
「あの子になんて聞かれた?」
「あたしは遍(あまね)く女の子のミ・カ・タ。そうぺらぺらと喋らないデース」
「ふぅん…」
まあ、大体察しはつくけど、と犀は呟いた。
「ねえ犀、あんた付き合ってるコ、いるの?」
一応桜ちゃんのためにリサーチしといてあげよう、と日紅は犀を見上げた。
「いると思うか?」
「全然」
「……。じゃあ俺も聞くけれど、おまえ好きな男いるの?」
「?付き合ってる男、じゃなくて?」
「おまえと誰かが付き合ってたら流石にわかるさ。おまえが俺に隠し事できる気しないし。で、いるの?」
「…いると思う?」
「全く」
「………」
仕返しかこれは。
「あ、日紅、もうひとつ聞いていいか?」
「嫌」
「さっきさ」
「ムシかい」
「さっき、おまえ青山と何話してた?」
「はい?」
日紅はぽかんと口を開けた。
「青山、ってあの青山くんかしら。うちの級長の」
「そう、その‘顔がよくて背が高くて頭もよくておまけにスポーツ万能だなんてキャーーッなんてステキなのv’って女子が騒いでた青山くん」
「あぁ、あの‘顔がよくて背が高くて頭もよくておまけにスポーツ万能だなんてクソーーッ一つも欠点がないぜ’って男子が騒いでた青山くん」
「……男子の内情に詳しくないか?」
「そっちこそ、女子に内通しているようで」
「で、その青山になんていわれた?」
「別に、何も。あ、でもリプト○のレモンティーくれたわ」
「リ、リプト○のレモンティ~!?」
「は?な、何をそんなに慌ててんの?リプト○のレモンティーってそんなに希少価値のあるものだっけ?」
犀は例の缶が日紅の手のひらに収まっているのを見て取ると、いきなりそれをむんずと掴んで、一気に飲み干してしまった。
「あーーーーーーーっ!なんてことをおおおおおお!バカ犀!ばか!あんた本当は青山くんの人気知らないんでしょ!?これだって欲しがる女の子いっぱいいるんだからね!」
日紅が憤慨して犀をどつくが、犀は真剣な顔で言った。
「日紅。今日から一緒に帰ろう。朝も迎えに行く。いいか、青山は、あいつは顔だけの男だ。他はいいところなんてひとッつもない」
「はぁ?」
「伝説を作れ、日紅」
「な、一体何のことなのよおおおおーーーーーッ!」
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