『彼』とあたしとあなたと

 日紅(ひべに)は、『彼』を好きで犀(せい)も好きだった。




 『彼』は、日紅のことは嫌いじゃなく犀のことは嫌いだった。




 犀は、日紅のことは好きで、『彼』のことは嫌っていた。












 日紅は、わかっていなかった。




 『彼』も、わかっていなかった。




 犀。彼が一人だけ、全てを理解していた。











 中学2年のときから、さらに2年。


 ぬるま湯のような緩慢な時を経て、最初に変わったのは、日紅。




















「ねぇねぇ日紅ちゃん」




 うとうとしかけたところに声をかけられて、日紅はゆっくりと顔を上げる。日紅の中学校時代肩までしかなかった髪は、今やふわふわと弧を描いて背の半ばまでを覆っている。




 目の前には、女の子。首をかしげて、日紅を覗き込んでいる。




 ええと・・・と、日紅は眠りかけの頭を起こす。




「隣のクラスの桜ちゃん?」




「うん、そう」




 桜は嬉しそうに笑った。かわいいな、と日紅は思った。




「で、ね、日紅ちゃん」




 さらさらなセミロングの髪を揺らして、桜は心なしか、日紅に顔を寄せた。




 何か秘密のハナシなのかな、と日紅は思った。でもなんであたし?確か日紅は桜と交流はあまりなかった筈だ。




「日紅ちゃんって、木下(きのした)くんと付き合ってるの?」




 木下?って、誰。日紅は一瞬考え込んだが、ああ、と間の抜けた声を出す。




「犀?」




「そう。木下犀くん。ね、付き合ってるの?」




 桜は笑顔を顔に貼り付けたまま、真剣に聞いてくる。




 日紅は思わず笑いそうになった。つきあってる?あたしと犀が?まさか。




 変な誤解をされないためにも、ここではっきりと言うべきだ。




「違うよ。あたしと犀は気の合うってだけの、友達。別に付き合ってなんかいないよ?」




 そう言うと、桜はとても嬉しそうに笑うのだ。




「よかった!」




 あぁ、これはもうーーーー…。日紅は思った。まったく、いいわね色男は。




「じゃぁ、じゃあ日紅ちゃん。あのね、犀くんのー…」




「俺が何?」




 桜と日紅は同時に目を見張った。一瞬の間のあと、桜の顔がぼっと赤くなる。




 日紅は桜の後ろに、うんざりするほど見慣れた顔を見つけた。




「犀」




「今、俺の話してた?」




 あっこらそこはわかってても黙ってなさいよ!日紅は思った。




「あ、ぁああぁの、日紅ちゃんっ、もう戻るねっ!またねっ」




 そう叫んで、桜はばたばたと日紅のクラスを出て行った。




「…すっかりプレイボーイね、犀。お姉ちゃん悲しいわ」




「誰がお姉ちゃんだ、誰が」




「モテモテで羨ましい限りで」




「あの子になんて聞かれた?」




「あたしは遍(あまね)く女の子のミ・カ・タ。そうぺらぺらと喋らないデース」




「ふぅん…」




 まあ、大体察しはつくけど、と犀は呟いた。




「ねえ犀、あんた付き合ってるコ、いるの?」




 一応桜ちゃんのためにリサーチしといてあげよう、と日紅は犀を見上げた。




「いると思うか?」




「全然」




「……。じゃあ俺も聞くけれど、おまえ好きな男いるの?」




「?付き合ってる男、じゃなくて?」




「おまえと誰かが付き合ってたら流石にわかるさ。おまえが俺に隠し事できる気しないし。で、いるの?」




「…いると思う?」




「全く」




「………」




 仕返しかこれは。




「あ、日紅、もうひとつ聞いていいか?」




「嫌」




「さっきさ」




「ムシかい」




「さっき、おまえ青山と何話してた?」




「はい?」




 日紅はぽかんと口を開けた。




「青山、ってあの青山くんかしら。うちの級長の」




「そう、その‘顔がよくて背が高くて頭もよくておまけにスポーツ万能だなんてキャーーッなんてステキなのv’って女子が騒いでた青山くん」




「あぁ、あの‘顔がよくて背が高くて頭もよくておまけにスポーツ万能だなんてクソーーッ一つも欠点がないぜ’って男子が騒いでた青山くん」




「……男子の内情に詳しくないか?」




「そっちこそ、女子に内通しているようで」




「で、その青山になんていわれた?」




「別に、何も。あ、でもリプト○のレモンティーくれたわ」




「リ、リプト○のレモンティ~!?」




「は?な、何をそんなに慌ててんの?リプト○のレモンティーってそんなに希少価値のあるものだっけ?」




 犀は例の缶が日紅の手のひらに収まっているのを見て取ると、いきなりそれをむんずと掴んで、一気に飲み干してしまった。




「あーーーーーーーっ!なんてことをおおおおおお!バカ犀!ばか!あんた本当は青山くんの人気知らないんでしょ!?これだって欲しがる女の子いっぱいいるんだからね!」




 日紅が憤慨して犀をどつくが、犀は真剣な顔で言った。




「日紅。今日から一緒に帰ろう。朝も迎えに行く。いいか、青山は、あいつは顔だけの男だ。他はいいところなんてひとッつもない」




「はぁ?」




「伝説を作れ、日紅」




「な、一体何のことなのよおおおおーーーーーッ!」

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