第36話 鷹能先輩のくせにっ!!

「知華。何か合宿の中で不満でもあるのか?」

「え。別に、何もないですよ?」

「ではなぜそんなに不機嫌なのだ」

「え。不機嫌なんてことないですよ?」

「……」


 鷹能先輩は私をそれ以上追及する代わりに、深いため息を一つついた。


 朝のボーン部屋。

 いつものように穏やかな朝の光がすりガラス越しに注いでくる。

 先輩と過ごす、いつもの穏やかな朝ごはん。


 …のはずなんだけど。


 私はたしかに穏やかな気分じゃない。


 一昨日、停電のあった夜。

 いつのまにか電気は復旧していて、私が目を開けると蛍光灯の豆球がサックス部屋の天井をセピア色の光で照らしていた。

 ふと横を見ると、先輩の姿はもうそこにない。


 私が寝入ったことを確認して、二階に戻っちゃったんだ。


 なんだかすごく悲しくなった。


 昨晩も、いつものように「おやすみ」っておでこにキスをした後、先輩は二階に上がっていった。


 合宿開始から一週間が経ってようやくわかった、自分の違和感の原因。


 先輩が、アモーレじゃないことだっ!!


 合宿初日こそ、私の髪に触れながら”誘惑と闘う”みたいなドッキリ発言をした先輩だけど、その後はキスすらしてこない。

 買い物のときの恋人つなぎと、ドライヤーで髪を乾かすときに私の髪に触れること。

 それと「おやすみ」のおでこにキス。

 鷹能先輩のくせに、一つ屋根の下で暮らしてるくせに、スキンシップがこれだけなんてっ!!


 …別に私だって、キスから先を要求してるわけじゃない。

 ただ、先輩は今までのアモーレっぷりからは明らかに一歩引いた感じで私から遠ざかっている。


 鷹能先輩のくせにっ!!


 でも、そんなことを言って先輩をなじるのなんて恥ずかしすぎてできるわけがない。


 もっと抱きしめて、キスをして…

 なんて、言えない。


 いつもは勘が鋭くて、私の考えてることはお見通しって感じのくせに。


 鷹能先輩のくせに、気づいてよ…。


 ――――――


「そんで昨日も何もなかったんだぁ」

「うん…」


 いつものように昼休みの教室。

 一週間毎日同じ報告を私から受ける茉希も、もはや期待度ゼロって表情をあからさまに出している。

 それなら毎日同じこと聞かなきゃいいのに。


「もしかしてさ、知華、構えすぎてない?」

「へっ?」

「おやすみって挨拶するときにさ、もしかして何かされるんじゃ…って、身構えてたりしない?」

「そ、んなことは…ないと、思う、けど」

「剣道やってたせいなのか、知華って隙がないように見えるんだよねー。

 それで先輩も手が出しにくいとか」

「そんなところに剣道の影響って出るかなぁ?」

「とにかくさ、もうちょっと色気出して、”センパイ♡わたしいつでもオッケーです♡”ってオーラを出してみなよ?」

「ちょっ!何それっ!?全然オッケーじゃないしっ!」


 イケイケの茉希のアドバイスは全然参考にならない。

 オッケー♡って言いたいわけじゃないもん。

 先輩にいつもどおりに、ぎゅうって、チュッて、してほしいだけだもん。


 そんなことを考えて悶々としながらクリームパンにかじりついたとき。


「あ、うっちー!ちょい質問!」

 学食から教室に戻ってきたうっちーに茉希が声をかけた。

「なに?」

 さわやかスマイルで近づいてくるうっちー。

「男から見てさ、知華ってやっぱ隙がない感じ?」


 ちょっ!茉希!!

 よりによって、なんでうっちーにそんなこと聞くの~~~!?


 うっちーは爽やかスマイルの中に困惑の色を見せる。

 私もめっちゃ気まずいよ…。


「うーん。どうだろ?

 隙がないっていうか…。

 頑張り屋さんすぎて、手を貸してあげても払いのけられる感じ?」

「は?私がいつうっちーの手を払いのけました!?」

「あ、ほら。そうやって向かってくるところが強い感じするよね」


 またしてもぐうの音も出ないことをうっちーに言い返される私。

 でも、先輩はそんな勝気なところが好きだって言ってくれてるもん…。


「そこが知華ちゃんのいいところでもあるんだけどさ。

 たまにはしおらしいところを見せると紫藤先輩もぐっとくるかもよ?

 ギャップ萌え、ってやつ?」


「ま、紫藤先輩なんかにそんなとこ見せなくていいとは思うけどねっ」

 うっちーは爽やかキャラの彼にしか許されないようなウインクを見せると、男子の輪に混じっていった。


 ギャップ萌え、かあ。


 私に足りないのはそこなんだろうか。

 可愛げがないから、先輩もアモーレの血が騒がないのかな。


 よし、決めた!!


 明日は土曜日。来週の土曜日はいよいよ文化祭当日であり、先輩との合宿最終日だ。

 合宿はあと一週間。

 今日から私のスローガンは”ギャップ萌え”でいこう!!


 ――――――


 しかし、ギャップ萌えってどんなときに見せればいいんだろうか?

 この青雲寮うんりょーでの二人の生活で、ギャップ萌えが見せられるとこってどこだ…?

 そもそも先輩は私のどんなところにギャップ萌えをするだろうか?


「知華。やはり何か気になっていることがあるのではないか?」


 夜のボーン部屋。

 夕食のおかずである筍の土佐煮を口に入れながらギャップ萌えについて考察していた私を鷹能先輩が覗き込む。


「あ、いえ別に…」

 と言いかけてふと考える。

 そっか、ギャップ萌えって、こういうときに素直で可愛いところを見せることかも?


「気になってること…あります」

「なんだ?」


 ……。

 答えを全く考えてなかった。

 鷹能先輩が全然アモーレじゃない、なんて正直に言えないよね。


「えっと…。

 …あっ、そうそう!

 私、鷹能先輩とほとんど青雲寮でしか過ごしてないですよね?

 たまにはどこかお出かけしたいなーって」


 ナイスフォロー!私!

 こないだふと考えていたことを思い出した。

 鷹能先輩とデートらしいこと、まだしたことないなぁって。


 見切り発車の苦し紛れに出た言葉だったけど、それは予想以上に鷹能先輩の顔を輝かせた。


「言われてみればそうだな。

 試練のことや先の予定に気を取られて、俺としたことが思い至らなかった。

 明日は土曜で15時には部活が終わるし、その後どこか出かけようか」


 先輩は無邪気な顔でそう微笑んだ後に、ほっとしたように言った。

「最近知華の機嫌が悪かったのは、それが原因だったのか」


 いや、違うけど。

 ほんとはデートよりも、ぎゅうっやチュッの方が優先度高いんだけど。


 でも、先輩との初デート、考えただけでウキウキしてくるのは確かだ。

 シチュエーションが変われば鷹能先輩のアモーレの血が騒ぐかもしれないし、まいっか。


 ──────


 翌日。部活が終わり、皆が青雲寮を出た後。

「知華。どこに行きたいか決まったのか?」

 白いシャツに濃いキャメルのチノパン、リネンのカーディガンを羽織った爽やかな出で立ちの先輩が尋ねてきた。


 お母様の血なのか、服のセンスもいいんだよね、先輩。

 もっとも、何でも着こなせるルックスとは言え、アメカジみたいなのは似合わないと思うけど。


「ボウリング行きませんか?」

 昨晩布団の中で練りにねったギャップ萌え計画その1。

 ボウリングで重いボールを持てないとこを見せて、か弱さをアピール。

 先輩にギャップ萌えさせる!


 ──────


「くっ!またターキーかぁっ!!」


 先輩の辞書には不得意という三文字はないんだろうか。


「また知華と差がついたな」

 レーンから戻りながら不敵な笑みを浮かべる先輩。


「コースはいいのに、なんで私スペアばっかりなのかなぁ」

「やはりボールが軽いからではないか?

 もう少し重いボールを使った方がスピードもパワーも増すと思うぞ?」

「じゃ、そうしてみます!」


 カコーーーン!!


「やったぁ!二連続ストライク!!」

「やはり重いボールに変えたのがよかったな」


 先輩とハイタッチをした後で首をひねる私。


 あれ?

 なんか計画からずれてない?

 勝負に熱くなって、ギャップ萌えのこと忘れてた…!!


 ─────


「次はプラネタリウム行きましょうっ!」

「承知した」


 ギャップ萌え計画その2。

 プラネタリウムのロマンチックな雰囲気の中で、私が先輩の肩にもたれかかる。

 普段の私は先輩に押されてばっかりだから、私から甘えるのは新鮮に違いないはず!


 …のはずが。


 私としたことが迂闊だった。


 デートで行ったプラネタリウムで男子が寝てしまうのはもはや鉄板芸だった。


 緊張で高鳴る胸を手でおさえつつ、そっと私が先輩の肩に頭を預けたとき、耳元に聞こえてきたのは先輩の寝息だった。


 本日のギャップ萌え計画、あえなく失敗(ちーん)。


 ─────


 プラネタリウムからほど近い、メインストリートから一本裏通りに入った隠れ家的なイタリアンで夕食をすませ、先輩と私は青雲寮うんりょーに戻ってきた。


「今日のように外で二人で過ごすのも新鮮で楽しいな」

 お風呂上り、いつものように私の髪を乾かしながら、鏡越しの先輩が微笑んでいる。

「今度は先輩の行きたいところに連れて行ってくださいね?」

「俺の行きたいところか…。差し当たっては居合抜きの道場か…」

「そこは先輩一人で行ってくださいっ」


 何気ない会話の中でも、先輩が上機嫌なのが伝わってくる。

 ギャップ萌え計画は失敗に終わったけど、この様子なら先輩のアモーレの血が騒ぎ出してくれるかも。


 キ…キス以上も求められたら…どうしよう…!!


「顔が赤いぞ?ドライヤーが熱すぎたか?」

 突然顔を赤らめた私を先輩が訝し気に見つめた。


 ─────


 勉強の時間も終わり、いつものように歯磨きをして寝る支度をすませる。


 緊張…。


 今日こそは、先輩、ぎゅうって、チュッて、してくれるよね…?


「じゃあ、先輩。おやすみなさい」

「おやすみ」


 先輩の顔が近づく。

 いつものように大きな右手で私の前髪をかき上げる。

 おでこに軽くキス。


 その先は――――?



 閉じていた目をうっすら開けると、いつものように私に背中を向けた先輩の後ろ姿が見えた。






「先輩のばかぁっ!!」


 思わず叫んでサックス部屋に駆け込むと、入口の襖をピシャーン!と閉めた。

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