第35話 なんか、違う。

 鷹能先輩との合宿生活はあまりに順調だ。


 部活終了後にスーパーに買い物に行き(文化祭が近いので部活中に買い物に行くのは控えてる。先輩としてはタイムセールに間に合わないのが不本意らしいけど)、鷹能先輩が作ってくれる夕食を食べ、二人で後片付けしたらお風呂。

 相変わらずお風呂は落ち着かないし、先輩が髪を乾かしてくれるのもドキドキするけれど、その後はいつも先輩に教わりながら勉強して、別々の部屋で就寝。

 朝は剣道の稽古の後に私の作った味噌汁とおにぎりを食べてから校舎へ向かう。

 そんな日々の繰り返し。


 合宿生活は楽しいし順調だ。

 至って順調だよ?

 でも、なんだか…なぁ。


 なんか、思ってたのと、違う。


 何が違う…?


 ──────


 合宿6日目の夜だった。

 びゅうーという強風の音と、その風が揺らす木々のざわざわという音で私は目を覚ました。


 ずいぶん風が強いんだな。

 目が覚めたし、ついでにトイレに行っとこうっと。


 サックス部屋を出て、すぐ脇にある廊下のスイッチをつけると、クラ部屋の前の垂れ下がった裸電球がぽうっと弱々しい光を放ち始めた。


 キシキシと音を立てる廊下を歩き、奥のトイレに入る。

 手を洗って出ようとした瞬間、突然視界が真っ暗な闇に閉ざされた!


「ひゃあっ!?」


 何も見えない。

 停電!?


 びゅうーっ、ざわざわ。

 外の音がいっそう大きく聞こえる。


 電気が点いていても不気味な夜の青雲寮うんりょーなのに、いきなり停電なんてもはやホラーだ。

 2階で寝ている鷹能先輩はきっと気づいていないに違いない。

 とりあえずサックス部屋まで戻らなくっちゃ。


 私は手探りでトイレのドアノブを探し、ギイっと開けて廊下に出た。

 廊下も真っ暗だ。

 ぺたぺたと手で壁を伝いながらそっと歩き出す。


 懐中電灯もないし、一人だし、こないだの肝だめしより怖いよぉ…。


 固くてひんやりした壁の感覚だけがまっすぐに歩く頼りだ。

 たまに柱かドアか、ざらざらした木の感触に切り替わる。


 恐る恐る次の手をのばしたその時。


「うあっ!?」


 なんか今指先に触れたっ!!


 手を引っ込めてうずくまった私の頭の上から低い声が降ってきた。

「知華?大丈夫か?」


「先輩でしたかぁ…。

 あーびっくりしたぁ…」

 解かれた恐怖と緊張の代わりに一気に安堵が広がる。

 鷹能先輩の声がずいぶん懐かしく感じた。


「知華の声で目が覚めた。

 強風で停電になったのだろうな」

 先輩の姿は全く見えなくて、寝起きのために少しかすれた声がする。

 トイレで発した私の小さな叫び声で目を覚ましてくれた先輩の野生動物のような鋭さが今日はありがたい。


「サックス部屋まで戻ろう」

 先輩は私の手を取ると、ゆっくりと廊下を歩き出した。

 サックス部屋の襖を開ける。

 豆球の仄かな明かりまでもなくなって、布団の場所すらわからない。


「怖いなぁ…」

 思わずそんな言葉を漏らしてしまった。


「一人で寝るのが怖いか?」

 先輩の質問に、私の顔が急激に熱くなる。


「ち、違いますっ!

 そういう意味で言ったんじゃなくって!

 怖いけど、寝ちゃえば暗いのなんてわからないし、平気ですっ」


「…本当に大丈夫か?」

「大丈夫…です」


 …あれ?


「そのうち電気も点くだろう。

 知華が平気なら、俺は二階に戻る」


 …もっと、ぐいぐい来ると思ったのに。


「眠れないようならまた声をかけてくれ。

 おやすみ」

 いつものようにおでこに軽くキスをして、その場を離れようとする先輩。


 なんか、違う。

 何が違う?


「…知華?」


 気づいたら、私は先輩のTシャツの裾をつかんで引き止めていた。


「やっぱり…怖い、です。

 眠れそうにない…」


 自分から先輩を引き止めたことに驚く。

 心臓がバクバクと爆発寸前の音を立てている。

 私、どうしちゃったんだろう?


「…わかった。

 ならば知華が寝入るまでそばにいよう」


 先輩の大きな手がぽんぽんと頭にのる。

 自分の言動に戸惑うしドキドキするけれど、引き止めた私を先輩が受け入れてくれたことに安心する。


 手探りで布団に潜り込むと、布団の横に肘をついて横になる先輩のシルエットがぼんやりと見えた。


 びゅうーっ、ざわざわ。

 相変わらず嵐のように激しい音が聞こえてくる。


「先輩…。

 畳の上で痛くないですか?

 体、冷えません?」

「平気だ。

 何せホームレスも経験済みだからな。

 こういうのには慣れている」


 先輩は肘をついた姿勢で私の方を向いて、空いた方の手で私の手を握ってくれている。

 いつもの恋人つなぎから伝わる先輩の温もりが体じゅうにじんわり広がっていく。

 視界は真っ暗だけど、豆球が照らすセピア色の景色より、先輩の体温の方がずっとずっと安心する。


 …あ。

 今気づいた。

 私が何か違うって思ってたこと。

 先輩と一つ屋根の下で暮らしているのに、なんだかずっと先輩が遠かったんだ。


「先輩…」

「うん?」

「この合宿中、なんだか先輩が遠かった気がするんです」

「…そうか?

 買い物だって、夕食だって一緒だし、勉強も教えている。朝も一緒だ。

 それなのに、俺が遠いのか?」

「うん。…なんか、うまく言えないけど」


 うまく言えない。

 けど、先輩にもっと甘えたい。

 先輩ともっと近づきたい。


「大丈夫だ。俺はいつでも知華の傍にいる。

 安心して眠ればいい」


 寝つけない子どもをあやすような言い方をして、先輩は私の手をきゅっと握る。


 あれ?

 でもまだなんか違う気がする。


 違う気がするのに、先輩が傍にいる安心感からか、だんだん意識が遠のいていく。

 まぶたが重くなって、目を閉じる。


「近づきすぎたら…」


 先輩がぽつりとつぶやいた言葉は意識とともに暗闇に沈み、私の記憶には残らなかった。


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