最終章 ゴールめざして突っ走れ!!

第32話 鳥かごのすぐ傍に

 市内中心部と藤華高校の中間に位置にする小洒落たカフェ。

 茉希たちクラスの女子数人と前に一度お茶に来たことがある。

 その時の記憶で、このカフェのL字形になった客席の間取りが今回の計画に都合がいいと思った。

 ここなら私たちの計画をうまく進められるはず。

 部活帰りの夕方で、カフェはティータイムからバータイムに変わる狭間の時間。

 お客さんの姿はほとんどない。


「すみません。咲綾さあや先輩にまで協力していただいて」

 入口すぐの客席スペースからは死角となる狭いL字のスペースに陣取った私は、隣に座る咲綾先輩にぺこりと頭を下げた。


「いいのよ。他でもないタカと知華ちゃんの頼みですもの。

 それに私も以前から気になっていたことだし、喜んで協力するわ」

 今日も咲綾先輩は美しさ全開で優雅に微笑む。


 しばらくすると、コツコツとローファーの靴音がこちらへ近づいてくるのがわかった。

 靴音の主はL字を曲がったところに座っている私を見て「あっ!」と小さく声をあげた。


咲綾さあちゃん。

 それに知華さん…。なぜここに?」


 あからさまに戸惑う志桜里さんに、咲綾先輩が微笑んだ。

「実はね、今日志桜里しいちゃんに話があるのは知華ちゃんなの。

 私は知華ちゃんに頼まれて呼び出しただけ。

 あ、もちろん、お茶はご一緒させてね?」

 咲綾先輩がそう言うと、志桜里さんはおずおずと向かいの席に座った。


「あの…。鷹能さんからもお話は聞きましたし、私はもう身を引きますから…」

 志桜里さんはすでに目に涙がたまっている。

「あっ!別に取って食おうってわけじゃないんで!」

 私は慌てるあまりに変な弁解をしてしまった。


「今日は、ここからこっそり聞いてもらいたいお話があるんです」

 私が声をひそめて言うと、志桜里さんは可愛らしく小首をかしげた。

「こっそり、聞く…?」

「まあまあ。まずはお茶でも飲んで待ってましょ?」

 咲綾先輩が注文のために店員さんを呼んだ。

 志桜里さんは当然のことながら状況がよく飲み込めていないようだった。


 カフェラテ、カプチーノ、ロイヤルミルクティーが運ばれてくる。

 剛の美である咲綾先輩と柔の美である志桜里さんが対面していると圧巻だ。

 そこだけ照明が3割増しに輝いてる感じ。

 なんだか自分がとても場違いだし、同じ女子高生だとは思えなくなってくる。

 こんな美女達に囲まれていながら鷹能先輩はよく私を選んだなーと、他人事のように感心してしまう。


 ほとんど会話もないままお茶を飲んでいると、お客さんが店に入ってきた気配がした。

 今度はL字を曲がる手前で椅子を動かして座る音がする。


「珍しいね。タカちゃんがこんな店に俺を呼び出すの」

「ああ、ここなら落ち着いて話ができると思ってな」


「えっ…!?

 タカちゃんとカイちゃん…!?」

 驚いて声をあげる志桜里さんに、私と咲綾先輩が「しっ!」と人差し指を口にあてる。

 私たちと対面している志桜里さんからは、間仕切り壁の横に置かれた観葉植物の葉の隙間から鷹能先輩と海斗の席が見えているはずだ。


 鷹能先輩たちはダージリンティーを2つ頼んだ後、会話を始めた。


「で、何?話って」

「俺はあとひと月で十八になって成人の儀を迎える。

 そうなると海斗との関係もまた少し変わっていくだろう」

「そうだね。それはちょっと寂しいけどさ。

 ま、仕方ないよね。武本家は代々家老、紫藤家に仕える身分だしね」

「俺としては身分など関係なく、今後も海斗とは友人であり続けたいと思っている。父と武本がそうであるように。

 それで今日は、友人である海斗に頼みがあって呼び出したのだ」


 先輩がいよいよ本題に入る。

 聞いている私がドキドキする…!


「志桜里のことだ」

 先輩が出した自分の名前に、聞き耳を立てていた志桜里さんが驚いて顔を上げる。


「しいちゃんのこと?

 今さら何だよ?」

 海斗の口調がきつくなる。志桜里さんを手放した先輩を責めるような言い方だ。


「単刀直入に言う。

 これからは海斗が志桜里を支えてやってくれないか」


「なっ…!?」

 動揺する海斗の声。目の前の志桜里さんも目を丸くして驚きを隠せない様子だ。


「なんだよ、それ!?

 タカちゃんのそんな言葉を聞いたら、しいちゃんがどう思うかわかってんのっ!?」

 頭に血がのぼったのか、カフェの中なのにかなり大きな声で海斗が詰問する。


「それだ、海斗。

 お前のその志桜里への想いがあれば、志桜里はきっと羽ばたける」

 志桜里さんが大きな目をますます大きく見開いた。


「どっ、どういう意味だよ!タカちゃん何言ってんの!?」

 海斗天敵の狼狽ぶりに私は思わず口元がゆるむ。


「俺は正式に志桜里を解放したのだ。今さらしらばっくれなくていい。

 お前はずっと志桜里の幸せを願って彼女を支えてきた。

 その想いをもう抑える必要はなくなったのだぞ?」


 先輩たちのテーブルに紅茶が運ばれ、会話は一度途切れた。

 志桜里さんはうつむいた。

 動揺しているのか、瞳が潤んで長い睫毛が細かく震えている。


「海斗の気持ちに気づいてやるのが遅すぎた。すまない。

 知華が現れたことで、ようやくお前の志桜里に対する気持ちに気づくことができた」


 そう。

 私は何度か海斗と会う中で、彼の志桜里さんへの想いに気づいた。

 合宿での肝だめしの後、先輩と仲直りした時にそれを先輩に伝えると、先輩もなんとなくは察していたようだった。

 それで、志桜里さんのためにも海斗のためにも、まずは海斗の心を解放しようという話をした。


 籠の中でしか生きてこなかった鳥でも、いつでも戻ってこられる場所があれば外に羽ばたいていけるんじゃないかって――


 しばらくの沈黙の後、海斗が口を開いた。

「今さら俺がそんなこと…。

 しいちゃんはずっとタカちゃんの許嫁いいなずけだったんだ。

 しいちゃんはタカちゃんの嫁になることを夢見てた。

 俺はしいちゃんが望んでるように協力してやりたかった。

 …俺は、二人の結婚を止める立場なんかじゃなかったから」

 最後の方は消え入るような声で、海斗らしからぬ弱々しさだった。


「それは俺と志桜里が許嫁という関係にあったからだろう?

 …まあ、俺の方はそんな関係はとっくの昔に放棄していたはずなのだが。

 今となっては何の障害もない。

 お前は自分の気持ちを志桜里に伝えるべきだ。

 志桜里を外の世界に連れ出せるのはお前しかいないのだ」


「そんなこと言ったって…。

 しいちゃんは旧華族の家柄だよ?

 俺とは不釣り合…」

「お前だって家老という格式高い家柄ではないか。

 第一、今の時代に家柄など気にする方がナンセンスだろう」


 ナンセンスな習わしを色々遺している紫藤家の嫡男が言っちゃうんだ、それ。


 つい心の中で先輩にツッコんでぷふっと吹きだしてしまった。

 笑い声が漏れて、慌てた咲綾先輩が「知華ちゃんっ!」とたしなめた。

 そのやりとりに海斗が気づいた。


「……。そこに誰かいんの?」

 椅子から立って近づいてくる音。

 私と咲綾先輩はしまった、と肩をすくめて身構える。

 うつむいた志桜里さんは顔を真っ赤にして目に涙をためている。


「あ…」

 L字を曲がった海斗が、私たちを見て立ちすくんだ。


「なにこれ…。最初から仕組んでたの?」

 海斗の鋭い視線が私に向けられた。

「アンタ、しいちゃんからタカちゃんを奪うためにこんな卑怯なやり方すんのかよっ」

 志桜里さんに話を聞かれたことの焦りを怒りに変換しているようだった。


「卑怯ってなんですか? 

 私なりに志桜里さんの幸せを考えて、何かできないかって思っただけです!」

「人の話を盗み聞きして、それをしいちゃんに聞かせるのがなんで彼女の幸せになるんだよ!?」

「志桜里さんのこと、こんなに想ってる人がいるって、志桜里さんには羽ばたいても戻ってこれる場所があるって、そう伝えたかったんですっ」


「カイト、もういいでしょう?」

 もはや恒例とも言える海斗とのバトルを遮ったのは咲綾先輩だった。

「さあちゃんまでコイツの味方すんのかよっ」

 海斗が食ってかかっても、咲綾先輩は笑顔でさらりとかわす。

「あら。私はむしろカイトの味方よ?

 私はずっと以前からカイトの気持ちに気づいていたわ。

 でも、タカとしいちゃんの関係を見守ることしかできないカイトに同情していたの。

 今回知華ちゃんのおかげで貴方も想いを解放できたんですもの。

 そんな風に彼女を責め立てるのはおかしいわ」


「だって――

 俺の、こんな想いを聞いたって…。

 しいちゃんが困るだけじゃないか…っ」


 声を絞り出してうつむく海斗の後ろにいつの間にか立っていた鷹能先輩が、海斗の肩に優しく手を置いた。

「海斗ほど志桜里の幸せを願い、志桜里のことを大切に想う男は後にも先にも現れないだろう。

 こうでもしない限り、お前は一生自分の気持ちを志桜里の前で出すことはないと思ったのだ。許せ」


「困ったりなんか…しません」


 こぼれそうな涙を大きな瞳にめいっぱいためながら、志桜里さんが微笑んだ。


「私、カイちゃんがそんな風に思っていてくれていたなんて知らなくて…。

 今はどうしたらいいのかわからないけれど…。

 でも…。

 ありがとう」


 その言葉を聞いて、シルバーピアスが連なる海斗の耳が真っ赤になった。


「俺は…っ!

 しいちゃんが幸せになってくれれば、本当にそれでいいんだ…」


「私、今すごく幸せよ?」

 とうとう志桜里さんの瞳から涙がこぼれた。

「だって、カイちゃんにさあちゃん、タカちゃんっていう素敵な幼馴染みがこうして私のこと大切にしてくれるんですもの」


 穏やかな4人の顔から、幼い頃の面影が見てとれた気がした。

 きっといつも4人で仲良く遊んでいたんだろうな。

 幼馴染みの絆がちょっぴりうらやましい。


「知華さんも。ありがとうございました」

 志桜里さんの潤んだ瞳が私に向けられる。

「タカちゃんの選んだひとが貴女でよかった…」


 私までちょっとうるうるっときそうになったとき。


「あーあ。コイツとも一生の付き合いになるのかぁ」

 と、半目&横目で私をじろりと見ながら海斗がつぶやいた。


「お付き合いいただかなくて結構ですけどっ!?」

 私が口をとがらせてツンと横を向くと、

「俺は武本の人間だから、アンタとも付き合わなくちゃしょーがないだろっ!?」

 と海斗も口をとがらせてツンとした。


 他の3人がくすっと笑う。

 ツンとしながらも、海斗が私を鷹能先輩の婚約者として認めてくれたのだと思うと少しだけ嬉しかった。


「さっ、カイトもタカも、そんなとこに突っ立ってたら他のお客様の邪魔になるわ。

 ティーカップ持ってこちらの席へいらっしゃいよ。

 せっかくだから皆でお茶しましょ?」

 部活の時のように、咲綾部長がテキパキと指示を出す。

 言われるがままにティーカップを運ぶ鷹能先輩と海斗。

 幼馴染みの力関係が垣間見れてなんだか滑稽だった。


 鳥かごのすぐ傍には、いつでも見守っている存在がいる。

 志桜里さんがそれに気づいてくれてよかった。

 これでもう、外の世界へ羽ばたくのはこわくないよね――?


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