第31話 パジャマ姿も可愛いな

 コンコン。


 ドアをノックする音で私は目を覚ました。

 目に映るのは、天井に描かれたセピア色の優雅なボタニカル紋様。

 あ、そっか。ここは紫藤家の豪邸だった。


 コンコン、と間を置いてもう一度ノックがされる。

「はい…」

 目をこすりながらドアを開けると、ジャージ姿の鷹能先輩が立っていた。


「おはよう」

「おはようございまふ…」

「朝稽古すると言っただろう?

 芝生の庭で待っているから、着替えたらおいで」


 私の髪を先輩が優しく撫でつけた。

 そうだ!

 思わずドアを開けたけど、私寝起きだったっ!

 先輩にねぼけ眼のボサボサ頭を見られたっ!触られたっ!


「いっ、今から支度しますっ!」

 私は慌ててドアを締めた。


 ジャージに着替えてポニーテールに髪をまとめ、芝生の庭に出た。

 先輩は先に素振りを始めている。

 いつ見ても見惚れてしまうほど先輩の素振りは美しい。


「遅くなってすみません!」

 先輩の横に並んで腕を回して準備体操を始める。

「寝過ごすとは珍しいな。

 昨日は疲れたか?」

「緊張ばっかりしてたから気疲れですかね?」


 自分の家を出る時、先輩のお家へ入る時、ご両親に対面した時、蒼翔と鷹小屋で過ごした時。

 思えば昨日は緊張の連続だった。


「おかげで俺はいいものが見られた」

 先輩は素振りの手を止めて、やわらかく微笑む。


「知華のパジャマ姿は可愛いな。

 青雲寮うんりょーでの同棲が楽しみだ」


 爆弾投下!!


 見事に命中して、私の脈拍が一気に跳ね上がる。


 そうだった。

 蒼翔と心を通わせるっていう試練を乗り越えたら、次は先輩と同棲するっていう試練が待ってるんだった。


 パジャマ姿だって、お風呂上がりだって、間抜けな寝顔だって全部見られちゃうんだ!


 あの青雲寮うんりょーで夜に先輩と二人きり…。

 婚約までは手を出さないって言ってたけど、先輩アモーレの人だからなぁ…。

 ていうか、それって逆に言えば来月婚約したら手を出されちゃうってこと!?


「知華。雑念が入りすぎだ」

 妄想だらけの私の頭の中を覗いたかのように、竹刀を振りかぶった私に先輩が告げる。


「先輩が変なこと言うからですっ!」

 口をとがらせた私を見て、先輩がははっと声を出して笑った。


 ――――――


 朝食は鷹能先輩とお母様との三人で摂った。

 お父様はすでにお仕事に出られたとのことだった。

「父は紫藤グループの会長と3つの会社の代表取締役社長を兼任していてな。

 ああ見えて結構なやり手なのだ」

 と先輩が教えてくれた。


「それにしても、あなたたち1ヵ月足らずでよく結婚まで決めたわよね?

 お父様なんて、私と出会ってから2年がかりでやっとプロポーズ成功させたのよ?」

 パンをちぎりながらお母様がフフッと笑みをこぼす。


「まあ俺がかなり強引に口説きましたからね。

 時間もなかったですし」

 先輩がコーヒーカップを口に近づけながら言う。


「お母様はイタリアに長年住んでたんですよね?

 お父様とはイタリアで出会ったんですか?」

 私が尋ねると、白魚のような指をナプキンで拭きながらお母様が目を細めた。

「そう。主人は中学卒業後にローマの高校に留学してきたの。

 イタリア語がまだあまり話せなかったから、同級生の私がいろいろサポートしてあげてね。

 それで私を見初めて熱心に口説いてきたのよ。

 イタリア人の友人たちが、日本人の情熱には負けるって言うくらいね」


 先輩の強引さはアモーレの血だけが原因ではなさそうだ。


「母上も“外嫁”だったわけですよね。

 知華と同じく」

「そう。それまで3代ほどは“内嫁”が続いていたし、お父様はご両親を説得するのに随分苦労したみたい。

 私の場合、半分は外国人だからなおさらよね」


“外嫁”は自分で見つけたお嫁さん、“内嫁”は親が決めた結婚相手ってことかな。


「だからね、お父様とも話していたの。

 もし鷹能が自分で選んだ女性を連れてきたら、二人をちゃんと認めて祝福してあげましょうって」

 お母様がふふっとやわらかく笑う。

 その笑顔は鷹能先輩によく似ていた。


「だから、もしこの4日間で知華ちゃんが蒼翔と仲良くなれなかったとしても、それを理由に婚約を反対するつもりはないわ。

 蒼翔との試練は、対外的に“外嫁”を認めさせるための形式上のものだと思ってね」


 お母様の言葉でだいぶ肩の荷が降りた。

 けど、だからって中途半端なところでは終わりたくない。


「ありがとうございます。

 でも私頑張ります!

 蒼翔と仲良くなって、彼をこの手に据えてみせます!」

 左手の拳でガッツポーズを決めると、お母様と鷹能先輩は親子揃ってふふっと笑った。

「知華らしいな。

 俺は君のそういうところが好きだ」

「あらあら。朝からごちそうさま!」


 ──────


 朝食が終わり、再びジャージに着替えて先輩と一緒に鷹小屋に向かう。


 厨房から武本夫人が蒼翔の餌となる肉片をタッパーに入れて持ってきてくれた。

「蒼翔の食事はウサギやウズラの肉なんです。

 調教の時はこうして肉片を与えますけど、狩りの前などはウサギそのものを与えたりしますから、知華さまも最初は驚かれるかもしれませんね」

 穏やかな笑顔で生々しい話をされて、ちょっと引いた。

 蒼翔、やっぱり怖いかも。


 初めは昨日のように先輩が私と密着して蒼翔を呼び寄せる。

 昨日は先輩が笛を吹いても、私を警戒してすぐには降りてこなかったけれど、今日は笛の合図でためらいもなく降りてくる。


「では今度は知華だけでやってみよう」

 先輩が左手に巻いた革の手袋をほどいて私に巻いてくれた。

 ううっ。緊張する…!

 左腕を肩の高さまでまっすぐに伸ばして、笛をくわえる。


 ピイッ


 梁の上から少し首をかしげるようにこちらをじっと見つめる蒼翔。


 ピイッ


 もう一度吹いてみる。

 蒼翔が羽をバサバサと羽ばたかせた。

 来る…!!


 滑らかに降りてきた蒼翔の羽が大きく広がる。

 鋭い爪をもった足が前へ出る。


 怖…っ!!


「痛っ!」


 蒼翔が腕に止まろうとした直前、咄嗟に顔をそむけて腕を下げてしまった。

 止まり木をなくした蒼翔が態勢を整えようと羽ばたいたときに、羽が私の頬をかすめたのだった。


 バサバサッと大きな音を立てて、蒼翔は先ほどいた場所とは対角にある梁に飛び上がっていった。


「知華!大丈夫か?」

 鷹能先輩が駆け寄ってきた。

「大丈夫です」


 怖がっちゃだめだ。

 せっかく蒼翔が私を信用して降りてきてくれたのに。

 これじゃ信用が台無しになっちゃう。


「先輩!もう一回一緒に呼び寄せてもらえますか?

 蒼翔の信用を取り戻したいんです」

 右手で頬をこすりながら私が先輩をまっすぐに見つめると、先輩が目を細めてうなずいた。

「では今度は知華の腕に止まらせてみよう」


 先輩が私の後ろに回って、今度は腕を下に重ねる。

 私が笛を吹くけれど、やっぱり蒼翔は降りてこない。


 ピイッ


 間を置いて3回目を鳴らしたときに、ようやく蒼翔が降りてきた。

 腕が下がりそうになったのを、下に重ねた先輩の腕が支えてくれた。


 軽い衝撃。

 手首にかかる重み。


 蒼翔が私の腕に止まった!!


「知華。蒼翔の足革を持って据えてごらん」

 先輩が蒼翔の足から垂れていた革ひもを私の左手に握らせてくれた。

 先輩から差し出されたトングで肉片を蒼翔のくちばし近くに持っていくと、首をひょいっと動かしてついばんだ。


 あ、今ちょっとだけ可愛いって思えた。


「今のような感じで、もう一回呼び寄せてみるか」

「はい!」


 スポ根漫画みたいな鷹の調教(っていうより私の調教?)がだんだん面白くなってきた瞬間だった。


 ――――――


 翌々日。

 ゴールデンウイーク最終日であり、紫藤本家の滞在最終日でもある日。


 今日はお父様もお仕事がお休みとのことで、芝生の庭には鷹能先輩のご両親、武本夫妻が出てきている。


 私は左手に革の手袋を巻いて、まっすぐ前へと左手を伸ばす。

 林の方を向いて、ピイッと短く、一度笛を吹いた。

 林の中をすり抜けて蒼翔が羽を広げて滑空してくる。

 一度地面すれすれにまで下がった後、羽を前に大きく広げてふわりと浮くと、私の左拳に蒼翔が静かに止まった。


 私がそっと左腕を曲げて蒼翔を据えると、それを見ていたお父様達から拍手が起こった。


「ちっぴー、よく3日と半日でここまで頑張ったね~!

 えらいえらいっ」

 お父様がにこやかに声をかけてくれた。

 いつのまにか私はお父様に”ちっぴー”と呼ばれるようになっていた。

 そのネーミングセンスって…。


「鳥が苦手な知華ちゃんがここまで頑張ったんですものね!

 知華ちゃんなら紫藤の嫁としてやっていけるわ、きっと」

 お母様も目を細めて微笑んでくれる。


 私の横に付き添っていた先輩がやわらかい眼差しで、私の頭をぽんぽんと叩いた。

 ほっとして私も先輩に微笑み返す。


 これでハードルの一つはクリアした!!


 次は青雲寮うんりょーでの同棲というハードルの前に、もう一つハードルを越えなくちゃ。


 体育のハードル走はわりと得意なんだ。

 次から次へと越えてみせるっ!

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