第30話 物足りないな

「鳥…!?」


 天井近くの梁から射抜くような鋭い視線を向けていたのは一羽の大きな鳥だった。

 茶色と黒の混じった硬そうな尾羽、がっしりとした足と鋭い爪。

 先の鋭く曲がったくちばし、何より印象的なのはその眼光の鋭さ。


 ヤバい。

 怖い…!


「あれが蒼翔あおとだ」

 鷹能先輩が見上げて言う。

「蒼翔はオオタカという種類の鷹だ。

 キジやウサギなど小動物の狩りを得意としている」


「狩りって…先輩のお家、鷹狩するんですか!?」

 今どき鷹狩って、どんだけお殿様なんですか!?


「紫藤家は戦国の世から鷹狩を嗜む家系だったそうだ。

 鷹狩を通じて時の権力者達との親交を深め、小藩といえども領地を守り抜いてきた歴史がある。

 そのため、紫藤家では今でも鷹を大切に飼育し、鷹狩を嗜むことが伝統になっている」


 そう言いながら、鷹能先輩は扉の外の物入れに仕舞われていた革製の長手袋のようなものを左腕に巻く。

 ジャージのポケットから小さなタッパーを取り出し、同じく取り出した小さなトングで肉片のようなものを取り出すと、左腕を肩の高さで真っ直ぐ前へ伸ばし、口にくわえた笛をピイッと短く一度吹いた。


 すると、梁の上にいた鷹がバサバサと3回羽をはばたかせた後、鋭い爪を梁から離してすいっと滑らかに下降してきた。

「ひゃっ!」

 近づいてきて、思わず首をすくめてしまった。

 蒼翔は先輩が伸ばした左手に止まると、先輩が差し出した肉片をついばんだ。


「昔はうちでも鷹匠を抱えていたそうだが、5代ほど前から紫藤家の鷹を世話するのは当主の嫁の務めとなったそうだ。

 …まさか、蒼翔との相性を見ることが婚約の試練だったとはな」

 肉を食べ終わった後も先輩の手に大人しく止まっていた蒼翔だったが、先輩が腕全体で押し出すように上へ上げると、ばさばさと羽ばたいて再び梁の上に飛び乗った。


「正直、大きさもスピードも嘴も目つきも怖いんですけど…。

 仲良くするってどうすればいいんですか?」

 実は私は鳥類があまり好きじゃない。

 鱗がついたような足が気持ち悪いし、目つきも意外と可愛くないし。

 嘴に至ってはなんでソコそんな固そうにとんがってるの!?って因縁つけたくなるレベルだ。

 今の時点で十分腰が引けている。


「俺が今見せたように、蒼翔を手に据えられるようになればまあ合格だろうな。

 そのためには、まず蒼翔に君が敵ではないと認識してもらう必要がある。

 人工孵化で刷り込みをした鷹ならば人間に慣れやすいが、蒼翔はそうではない。

 慣れるまでに少々時間がかかるだろう」


 先輩は革の手袋を外すと、ジャージのズボンのポケットから今度は携帯電話ガラケーを取り出した。

「武本か。鷹小屋に椅子を二つ持ってきてくれ」

 手短に伝えて電話を切った。


「先輩、携帯持ってたんですか?

 番号もメアドも教えてもらってないんですけど」

「普段青雲寮うんりょーに住んでいるから、武本との連絡用に使うだけだ。

 本来こういうものを使うのは好きではない」


 確かに今、先輩に似合わないものをまた新たに発見した、って思ったもん。


「まずは昼までここで過ごして、蒼翔に君への警戒心を少しずつ解いてもらうとしよう」


 まさか超豪邸の紫藤家に来て、苦手な鳥と一緒にこんな小屋の中で過ごすことになるとは…。

(鳥小屋だけにちょっと臭うし)


 しばらくすると、武本さんが丸椅子を二つ持ってきてくれて、私と先輩はそれに腰掛けて2時間近くを過ごした。

 時おり先輩が蒼翔を自分の手に呼び寄せて、拳に据えた状態で私に近づける。

 そのたびに私はビクビクしながら蒼翔を見る。

 動物って、自分を警戒している相手のことはわかるんだよね。

 私が恐る恐る手を出すと、蒼翔は逃れようとして体を急に動かすから、私も余計に怖くなって手を引っ込める。

 そんな様子を見て「慣れるまでに時間がかかりそうだな」と先輩が苦笑いした。


「鷹能さま。知華さま。昼食の準備が整ったようです」

 武本さんが再び鷹小屋を訪れる。

「うむ」と返事をして先輩が蒼翔を梁に戻す。

 この2時間で蒼翔との距離が少しでも縮まったんだろうか?

 なんだかお互いに”こいつはヤバい奴だ”って認識し合っただけのような気がする。


 ――――――


 昼食に通された部屋は、思っていたよりも狭いダイニングルームだった。

 狭いと言っても内装はもちろん豪華だし、うちのダイニングテーブルの2倍以上の長さはある。

 これくらいテーブルが大きければ我が家でも鷹能先輩がお誕生日席に座る必要なんてないのにな。


「もっとずらーって椅子が並んでるような、王様の食卓みたいなの想像して緊張してました」

 サラダと軽いオードブルが運ばれてくる間、隣に座っている先輩に耳打ちした。

「知華はテレビか何かの観すぎだろう。

 そんな広すぎる食卓では家族の会話もできないし落ち着かないではないか。

 このダイニングルームは家族が使うプライベートなものなのだ」

 先輩がにこやかに言う。

「もっとも、主屋にある会食用のダイニングルームは30人ほどが一度に食事ができる大きさは確かにあるな」

「ほら!やっぱりそういう食卓もちゃんとあるんじゃないですか!」

 これだからお殿様の家は油断がならない。


「知華ちゃん。蒼翔とは仲良くなれそう?」

 向かいに座るお母様がやさしく微笑みかける。

「正直怖いです。間近で猛禽類を見るのも初めてなので」

 サラダをフォークにのせながら私が言うと、ワイングラスを片手にもったお父様がからからと笑った。

「エミリアーナも初めはとても怖がっていたよ?

 でも今では僕より鷹の扱いが上手いくらいだ。

 ちはなチャンがよっぽどの鳥嫌いじゃなければなんとかなるさっ」


 いや、けっこうガチで鳥嫌いにカテゴライズされるんじゃないかな。

 大丈夫か?私。


「こう見えて彼女は負けん気が強いですから。

 蒼翔を手懐けるのにそう時間はかからないでしょう」

 鷹能先輩!勝手にハードルを上げないでっ!


 でも仕方ない。

 それが試練であるからには、乗り越えるしかない。

 鷹だろうがコンドルだろうが手懐けてやる!


 その後は軽いイタリアンのコースを食べながら、鷹能先輩の子供の頃の思い出話に花が咲いた。

 わんぱくでよく笑ういたずら好きな少年だったという先輩。

 高潔で無機質な第一印象からはとても想像できないけれど、先輩のことがだいぶわかってきた今なら頷ける。

 先輩はきっと根っこの部分では変わっていないんだ。

 心の通わないただのギリシャ彫刻ならば、私はこんなに先輩のことを好きにならなかったと思うもの。


 ――――――


 午後、少し休憩を入れた後に先輩が再び鷹小屋に付き合ってくれた。

「今度は俺と一緒に蒼翔を呼び寄せてみよう。

 知華、ここに立ってごらん」


 呼び寄せるって、さっき先輩がやってたみたいに腕に止まらせるんだよね?

 かなり怖くて緊張する。


 先輩に言われた場所に立つと、先輩が私の後ろに回ってぴったりと体をくっつけた。

 私の左手首を掴んで肩の高さまで持ち上げる。

「腕はそのまま伸ばしているように」

 私の腕の上に、革手袋をした先輩の長い腕を重ねる。


 あまりの密着具合にドキドキするけど、これは訓練なんだから変なこと考えちゃダメだ!


 って無心になろうとしてたところに、私の胸の前に先輩の右腕が回ってきた!


 これ、完全に後ろから抱きしめられてる!

 左腕だけが二人とも不自然に伸びてるけど!


「あくまでも訓練のためだから、な」


 と甘くささやきながら、私のつむじの右側に柔らかいものが当たる感触。

 チュッという軽い音。


「ほんとに訓練のためだけなら、頭にキスなんかしないでくださいっ!」


 顔を真っ赤にして抗議をしたら、ちょっとだけ恐怖心が拭われた気がする。


 先輩が笛を吹くと、梁の上の蒼翔が羽をばさばさと動かした。


 来るっ!!


 大きく広げた羽。前に出された鋭い爪。

 無駄のない滑らかな軌道。すぐ眼前に迫ってくるスピード。


 怖いっっっ!!!


 思わず目をつぶってしまった。

 目を開けると、私の左腕に重ねた先輩の手にすでに蒼翔は止まっていた。


「そのままじっとして」

 先輩に言われて、体を密着させたまましばらく蒼翔を間近に見る。


 蒼翔を手にしばらく据えた後に、先輩は腕を押し上げて蒼翔を梁に戻す。


 休憩を挟みながらこれを何度か繰り返す。

 初めはかなり怖かったけれど、繰り返すうちに私も蒼翔もお互いの存在への恐怖心が少しずつ薄れていった気がした。


「よし。今日はここまでだな。

 明日は知華一人で蒼翔を呼び寄せる練習をしよう」

 先輩が革手袋を外しながら言う。

「ありがとうございました!」

 やっと恐怖と緊張から解放されるー!


 強ばっていた体じゅうの力が抜けて、その場にへたり込みそうになったとき。


「物足りないな…」

 先輩が私を見てぽつりとつぶやいた。


「えっ?」

 まだ何か特訓するの!?

「今日はもう十分頑張ったんで勘弁してくださいっ」


「いや、そうではなくて」

 先輩がずいっと私に近づいた。


「あれだけではキスが足りない」


 出たっ!アモーレの血っ!


 先輩の腕が背中に回りそうになって、私は慌てて後ずさる。

「ちょっ、先輩!

 さすがに鷹小屋じゃムードなさすぎですっ!」


 両手のひらを先輩に向けて唇をガードすると、先輩は一瞬ムッとした顔をした後にすぐにいたずらっ子の笑顔になった。


「ではムードさえあればいいのだな?

 外に薔薇に囲まれたガゼボがある。

 行こう」


 唇をガードした私の手を掴むと、先輩は意気揚々と鷹小屋を出た。


 余計なこと言っちゃった!と少し後悔しながらも、やっぱり私は鷹能先輩に抗えない。


 先輩の、こういう根っこの部分が大好きなんだもの。


 …あ、そういえば二人とも今ジャージだった!

 結局ムードのあるキスは出来そうにないな…。

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