第33話 鷹能先輩の主婦力

 ゴールデンウイークの連休ボケが治まる頃に、藤華高校は中間テスト前で部活動が休みとなる。

 うっちーと話をするならこのタイミングがベストだ。


「うっちー。ちょっと今話せるかな?」

 帰りのHRが終わった後、私はリュックを肩にかけたばかりのうっちーに声をかけた。

「あ、うん。大丈夫だけど…」

 話の内容を予測して、うっちーの顔がこわばる。

 心がずきんと痛む。

「屋上階段まで付き合ってくれる?」

「わかった」

 心がずんと重くなる。

 でもこのままにはしておけない。

 今日こそ返事をしなくっちゃ。


 屋上は普段立ち入り禁止で鍵がかかっている。

 私は4階から屋上に続く階段の人気のない踊り場にうっちーをいざなった。

 心にのしかかった重りを押し出すように、ふうーと長めの息を吐く。


「紫藤先輩と仲直りしたんだね」

 私が口を開く前に、うっちーがうつむいたまま言った。


「うん…」

「合宿の2日目から知華ちゃん元気になったみたいだったから、そうかなって思ってた。

 …でも、大丈夫なの?

 価値観とか違いすぎて、また知華ちゃんが傷つけられるんじゃないの?」

 顔を上げて、私を心配そうに見つめるうっちー。

 でも私はあえて笑顔で答えた。


「鷹能先輩は私のこと絶対に傷つけたりなんかしないよ?

 確かにこの先いろいろあるかもしれないけど、きっと乗り越えられる。

 先輩のこと、大好きだから」


「だから…

 ごめん…っ」

 うっちーに頭を下げた。


 はあっという深いため息が聞こえる。

 しばらくの沈黙の後、うっちーがつぶやいた。

「玉砕覚悟でご苦労だった、か…」

 うっちーが私に告白したと告げたとき、鷹能先輩が投げた言葉だ。


「いろいろ非常識な紫藤先輩に対抗するのに、常識論で攻めていけば俺にもチャンスがあるかと思ったんだけどな」

 うっちーが苦笑いしながら頭をかく。

「ま、愛が常識を越えちゃったってことか」

 ”愛”だなんて言われると、私の顔の表面温度が一気に上昇してしまう。


「こういう返事は想定内だったから心の準備はしてたんだ。

 リアルに言われるとやっぱショック受けるけど…。

 でも、俺吹奏楽部ブラバンもパーカッションも辞めるつもりないし、これからも友達でいてよね?」

 うっちーの笑顔に爽やかさが戻る。

「もちろん!これからも一緒に部活がんばろっ」

 私も笑顔で答えた。


「テスト終わって部活再開したら、また角田と3人で帰ろーぜ」

 階段を下りかけたうっちーが笑顔で振り向いた。

「あっ、そのことなんだけどね…。

 テスト明けからしばらく、私一緒に帰れないんだ」

「え?なんで?」


「た、鷹能先輩と…うんりょーで一緒に暮らすからっ」


 勇気を振り絞った私のカミングアウトに、うっちーは一瞬固まった後

「ええええええー!!?」と大声を上げた。


 ――――――


 テスト最終日からさっそく始まった部活動。

 久しぶりの練習だというのに、そわそわしちゃってなかなか集中できない。

 パーカッションの基礎練習でも16分音符を刻むところを8分音符で打っていたり、教則本の小節を読み間違えたり。

「知華ちゃん、どっか調子悪いの?」

「いっ、いえっ、大丈夫ですっ」

 事情を知らない秋山先輩に心配されてしまった。


 今日からいよいよ鷹能先輩と婚約するための二つ目の試練が始まる。

 文化祭当日までの約二週間、この青雲寮うんりょーに先輩と合宿するのだ。

 ちなみに、“同棲”というとなんだかイヤラシイので“合宿”と言ってくださいと先輩にもお願いしてある。

 それにしても、夜も二人きりだし、生活のすべてを先輩に見られるなんて、妄想できないくらいドキドキしてしまう。


「時間でーす。皆さん2階に上がってくださーい」

 帰りのミーティングを知らせる声が廊下に響く。

 うう、とうとう部活が終わってしまった…!


 2階に上がると、まっさきに鷹能先輩と目が合った。

 やわらかく微笑む笑顔がいつもより二割増しくらい輝いてる。

 ヤバい。

 先輩、めっちゃ嬉しそうだ…。


「明日は『バッカナール』の合奏やりまーす。

 久しぶりの合奏になるんで、各パートしっかり準備しておいてくださぁい」

「はーい」

「来週の火曜日、講堂のステージを借りてリハーサルできることになりました。

 当日男子部員の皆さんは打楽器の搬入の手伝いがあるのでよろしくお願いします。女子の皆さんは譜面台を運んでください」

「はーい」

「以上で本日の部活動を終わります」

「ありがとうございましたー」


 ぞろぞろと下へ降りていく部員たち。

 私も階段を下りようとしたところを鷹能先輩が待ってましたとばかりに呼び止める。

「知華。これから夕食の買い出しに行くぞ」

「あ、はいっ」

 先輩はいそいそとロッカーの鞄から財布を取り出してくると、「ほら、早く」と私の手を引いて階段を下りた。


「この時間だと鮮魚が安くなっているはずだ。

 商品がなくなる前に買わなくては」

 タイムセールに急ぐ主婦のように足早に歩く先輩の後ろを私が必死で追いかける。

「先輩、何もそこまで安さにこだわらなくて大丈夫じゃないですか?

 お金がないわけじゃないんだし…」

「よいか、知華。

 クオリティの高いものをいかに安く、効率よく作るか。

 買い物で材料を見定め、献立を考え、効率的に料理をする。

 これらは将来企業経営するにあたっても身につけておくべき素養となるのだ。

 また、スーパーで安売りの商品を目にしたとき、なぜこの商品が安くなっているのか、需要と供給のバランスによるものか、流通経路の効率化によるものか、マーケティング戦略によるものか、などと考えをめぐらせることも経済の勉強になる」

 かなりの速足なのに息一つ切らせることなく、スーパーの安売り商品について熱く語る鷹能先輩。

 そんな先輩にドン引きするどころかかっこいいと思ってしまう私は確かに常識を越えてしまっているのかもしれない。


 青雲寮から歩いて10分(今日は速足で7分)、主婦で賑わうスーパーに到着した。

 レジかごを手にした先輩は野菜売り場を素通りし、鮮魚コーナーへ。

「今日はサワラが安いな」

 いくつか並べられたサワラのパックを真剣な表情で見つめ、一つを選んでかごに入れる。

「知華。今日は塩焼きとムニエル、どちらが食べたい?」

「えっと…。ムニエル、かな」

「人参の残りがあるし、付け合わせは温野菜にしよう。

 野菜売り場からブロッコリーとじゃがいもを持ってきてくれ」

「は、はいっ」

 お買い得商品からメインを定め、在庫を考慮して献立を瞬時に考える。

 鷹能先輩、すごい主婦力だ…!


「先輩、持ってきました!」

「ありがとう。明日の朝食はどうする?味噌汁でも作ろうか」

「あ、じゃあ朝のおにぎりと味噌汁は私が作りますね。味噌汁はお豆腐とわかめでいいですか?」

「乾燥わかめと海苔はうんりょーに常備している。豆腐と、おにぎりの具になるようなものを見繕うことにしよう」


 先輩と二人、スーパーの店内を回りながらレジかごに商品を入れていく。

 豆腐は絹ごしがいいか木綿がいいか、昆布は佃煮か塩昆布か、とか相談しながら。

 いつの間にかドキドキソワソワがなくなって、ウキウキしながら買い物を楽しんでいる自分がいる。

 なんだかすでに新婚夫婦になったみたいですごく楽しい!


「私もお料理習わないとかなぁ」

 スーパーの帰り道、先輩の隣を歩きながら私はつぶやいた。


「先輩は一人暮らしで自炊してるから、いろいろ作れちゃいますもんね。

 私はたまにお母さんの手伝いをするくらいだから、ちゃんとしたお料理作ったことなくって」

 現時点での主婦力は鷹能先輩が断然上だ。


「俺は料理が好きだから作るのは全然苦にならないが…。

 確かに、知華の手料理をそのうちご馳走になってみたい気もするな」


 左手を私と恋人つなぎして、右手に買い物袋をぶら下げた先輩が私を見て微笑む。

「知華のにぎったおにぎりであれだけ嬉しいのだ。

 手料理であればなおさらだろうな」


 その笑顔にきゅううんってなった。

 先輩のために手料理作りたい!

 先輩を喜ばせたい!


「じゃあ、文化祭の前日には私が何か作ります!」

 文化祭当日は打ち上げがある予定だから、その前日が合宿中二人で晩ご飯を食べる最終日となる。


「ありがとう。とても楽しみだ」

 先輩の顔がほころんで、またきゅううんってなった。


 ――――――


「いただきます」

 誰もいなくなった青雲寮で、先輩と二人で手を合わせる。

 ボーン部屋が蛍光灯の白い明かりでチカチカと照らされているすぐそばで、すりガラスの向こうや廊下の奥にある暗闇と静寂がこの部屋にそっと寄り添っている。


「ムニエル、すっごく美味しいです」

「今日はバターソースにしたが、ねぎ味噌ソースやレモンソースもサワラには合う」

「へぇー。先輩はお料理どうやって覚えたんですか?」

「中学から一人暮らしだったからな。

 自然と覚えたのもあるし、実家に戻った際に厨房の者にレシピを聞いたりもした。

 後は本屋で立ち読みしたりだな」

 レタスクラブやオレンジページ、エッセあたりを立ち読みする鷹能先輩を想像してみる。


「何を想像してニヤニヤしているのだ」

 先輩がブロッコリーを口に運びながら少しムッとした。


 お買い物して、晩ご飯作って(私は手伝うだけだけど)、二人で話をしながら食べて…。

 そんな日常生活をこの青雲寮で毎日送ることができるんだ。

 試練とは名ばかりで、実はすっごく楽しいんじゃないか?


 ムフフと笑いが漏れた私に訝しむ様子の先輩。


 …でも、待てよ?


 晩ご飯を食べ終わったら、食器を洗って片付けて…。


 その後は、お風呂だよね。

 先輩と一つ屋根の下でお風呂に入るなんて緊張する。

 寝るときはどうするんだろう?

 同じ部屋で寝るのかな?

 も、もし迫られちゃったら…!?


「ニヤけた次は顔が赤くなっているぞ?

 百面相でもやっているのか?」

 ムニエルの最後の一口を食べ終えた先輩が半ば呆れたように苦笑いした。

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