第27話 これは仕返しだ

「うっちー…」


 だめだ。

 言葉が出てこない。

 うっちーを待ってみても、今回は「冗談だよ」って言ってくれない。

 ただ、私の手を握るうっちーの手の力がほんの少し強くなる。


「俺、入学して同じクラスになってからずっと知華ちゃんのこと見てたんだ。

 けど、今の知華ちゃんはとても辛そうで見てられない。

 俺は絶対に知華ちゃんを悲しませたりしないから」


 うっちーの言葉が胸に詰まって苦しくなる。


「返事は今じゃなくてもいいよ。

 部長たちも青雲寮うんりょーから出てくる頃だし、行こう?」


 私の手を引いて、うっちーが青雲寮の裏手へ進む。

 雲に隠れていた月が出たのか、周りの風景がぼんやりと見える。


 先輩と剣道の朝稽古をした空き地の脇を通る。

 最近はだいぶ竹刀を持つ手の力が抜けてきてた気がするな。

 朝の空気を吸って竹刀を振るのは清々しくて気持ちよかった。

 結局、まだ先輩から一本も取ってないけれど。


 パーカス部屋の裏手には、鷹能先輩が使っている洗濯機と物干しロープ。

 きっちりと洗濯機にカバーがかかってる。

 先輩、家事能力かなり高いもんね。


 一番奥に進むと、フルート部屋になっているお風呂場の裏手に出る。

 トタン屋根の下には、薪釜と薪の入ったコンテナボックス。

 少し離れたところに、薪を置いて割っていた大きな切り株も見える。

 薪を割る先輩、姿も所作も美しかったな――


 ……。


 ……。


 やっぱり違う。


 この手じゃない。


 私がつないでいたいのは――






「うっちー。ごめん。

 やっぱり私…」


 そう言った瞬間に、うっちーが立ち止まった。

 うつむいていた私が顔を上げて、うっちーの視線の先を追う。


 青雲寮と隣り合うプールの塀際にもたれかかる長身の影。


 この人はどうしていつも絶妙のタイミングで現れるんだろう?




「知華から手を離してもらえないか」

 暗がりの中で冷たく響く、先輩の低い声。


「…俺、たった今知華ちゃんに告白しました。

 彼女が悲しむの、見てられなかったんで」

 うっちーは手を離さない。


 壁に預けていた背中を起こすと、鷹能先輩は私たちの方へゆっくりと歩み寄ってきた。


「それはそれは。

 玉砕覚悟でご苦労だったな」


 先輩は少しも心を込めずにうっちーに言葉を投げると、うっちーにつながれた私の右手の前に、先輩の左手を差し出した。


「知華は”絶対に”俺から離れない。

 そうだな?知華」



 ……。


 先輩が目の前にいる。

 どうしよう。

 どうしようもなく嬉しい。


 でも──


 ドラマあるあるでは、ここで当然ヒロインは恋人の手を取るんだろう。

 でも、うっちーはドラマの当て馬じゃない。

 私の大事な友達だ。


 それに、私をほったらかしておいて、私が絶対に離れないなんて自信満々に言っちゃう鷹能先輩もなんか癪だ。


 私は鷹能先輩の手を取らないまま、黙ってうつむいた。


「知華…?」

 私の手を当然のように迎え入れるつもりでいた先輩の声に動揺が表れる。

 私の指を握るうっちーの手にますます力が込められて少し痛い。


 うう、どう動くのが正解なんだ?



「タカ!実家から戻ったの!?」


 この重苦しい空気を打ち破ったのは、後ろから歩いてきた咲綾部長の声だった。

 咲綾部長と富浦先輩が合流したタイミングで、うっちーの手が私からそっと離れた。


「ああ。なんとか話がついたので、今戻ってきたところだ」と鷹能先輩。

 先輩、ずっと実家に戻ってたの?


「俺らがラストだ。みんな待ってるだろうから急ごうぜ」

 富浦先輩が促し、5人でプールの出入り口まで戻ることになった。


 ――――――


 片道徒歩10分ちょっとのスーパー銭湯にみんなで行った後、女子は畳敷きのサックス部屋とパーカス部屋に、男子は2階の板の間のホールに分かれて寝袋を広げた。

 しばらくはカードゲームをしたりおしゃべりをして過ごしたけれど、明日は6時30分起床、7時にサッカーが予定されているために、そこそこの時間で電気を消した。


 ……。


 眠れない。


 あー!もう、なんてことしちゃったんだろ…っ!


 寝袋にくるまった芋虫状態でゴロゴロ悶える私。

 隣で寝息を立てているあゆむちゃんにぶつかるから、時おり彼女が迷惑そうに唸る。


 考えてみれば私が先輩を怒らせていたはずなのに、なぜさっき仲直りのタイミングを逃しちゃったんだろう?


 うっちーにもちゃんと自分の気持ちを伝えた方が誠意ある対応だったんじゃないか?


 私のあんな態度で、鷹能先輩をさらに怒らせてしまったかも。

 いや、怒らせたどころじゃないかも。

 もう完全に終わったかも…。


 あー!私のバカバカバカッ!!



 これ以上芋虫状態でゴロゴロしてると、ぶつかりまくってるあゆむちゃんが起きてしまいそうだ。

 夜風に当たりに行くか――


 寝袋のファスナーを下してもぞもぞと脱皮する。

 どのくらい悶々としていたのかわからないけど、サックス部屋の芋虫寝袋の女子はみんな寝入っているようだ。


 パーカーを羽織り、芋虫と芋虫の間にそうっと足を入れながら、私はサックス部屋を出た。


 青雲寮の部屋はどこも真っ暗だったけれど、唯一玄関の天井についた裸電球がオレンジ色のやわらかい光をぼわんと丸く放っている。

 そっと靴を履いて、ギイイと扉を開く。


 なんとなく空き地の手前の石段に座ろうと思った。

 鷹能先輩がプロポーズしてくれた場所。

 鷹能先輩と初めてキスした場所。


「あ…っ」


 先輩がいる。


 私の小さな声に、似合わないスウェット姿の鷹能先輩が顔を上げた。


「知華…」


 石段から立ち上がると、先輩はゆっくりこちらへ歩み寄った。


「ずっとここで知華を待っていた…

 来てくれて、よかった」


 低い声。やわらかい声。優しい声。

 ずっと聞きたかった先輩の声。


 先輩がぎゅうって私を抱きしめた。

 私も先輩をぎゅうって抱きしめる。


 もう絶対に、離したくない――



「この前は突き放してすまなかった。

 覚悟を決めてくれたはずの知華が煮えきらなくて、ついカッとなった」


 私を腕の中に抱きしめたまま先輩が謝る。

 いつも冷静沈着な先輩だけど、私のことになると感情が先走っちゃうんだ。

 そんな“了見の狭い”(笑)先輩が可愛くて、私も素直になれる。


「私も…すみませんでした。

 考えがまとまらないまま、先輩にぶつけちゃって」

「それでいいのだ。

 知華の思いを受け止めるのが俺の務めなのだから」


 そっと体を離すと、私と先輩は青雲寮と空き地をつなぐ三段の石段に座った。

 月明りと少し離れた場所から届く街灯の光が、先輩の端正でシャープな輪郭を浮かび上がらせている。


「ここ数日、実家に戻っていた。

 俺の両親と、水無瀬の…志桜里の両親に話をするために」


 何を話してきたんだろう?

 っていう私の疑問を汲んで、先輩が言葉を続ける。


「知華のことを話してきたのだ。

 俺が君を去年の夏に見初めたこと。今年の春に再会したこと。

 知華と婚約したいということ。

 そのために、志桜里を解放したいということを。

 水無瀬さん…志桜里の両親の許しを乞うのに三日かかったし、俺の両親も一緒に謝罪に出向いてくれた」


 先輩はうつむいた私の頭をそっと抱えて、自分の肩に引き寄せる。


「志桜里にもきちんと会って、俺の考えを伝えてきた。

 今後のことも友人としてできる限り相談に乗ると約束してきた。

 志桜里に対して俺ができる最大限のことをしてきたつもりだ。

 少しでも知華の思いを汲みたいと思った」


 先輩が私のために一生懸命動いてくれたことは嬉しかった。


「志桜里さん、何か言ってました?」

「…泣いていたな。ただひたすらに。

 しかし、何も言わなかったということは、俺の考えを受け入れてくれたということだと思っている。

 水無瀬さん夫妻も最終的には俺の意思を尊重してくれたし、娘のこともケアしていくと約束してくれた」


 そっか…。


 かごの中の鳥は、扉を開けてもやっぱりすぐには出て行かない。

 約束された安住と、幸せだった思い出がそこにあるから。

 ならば私と先輩にできることは――


「先輩…。

 私も先輩に会えない間、志桜里さんに何かできることはないかって考えてたんです」

「そうか。良い考えは浮かんだのか?」

「私としては、これがベストかなって」


 私は先輩の肩に預けていた頭を起こして体を向き直すと、自分が考えていることを先輩に伝えた。

 先輩はふんふんとうなずきながら聞いてくれて、「知華に協力しよう」と言ってくれた。


 その後で。


「知華…」


 先輩の声が、急激に甘くささやくような声に変わった。


 私の後頭部を包み込むように大きな左手をそっと添えると、右手を私の背中に回す。


 私は先輩の甘い雰囲気に魔法をかけられて、全身から力が抜けたようになる。

 ただ鼓動が胸を打つ感覚だけが残る。

 目を閉じると、夜風で少し冷たくなった先輩の唇の感触が伝わってきた。


 しあわせ…


 ……。


 ……。


 ……?


 ……っっ


 くっ…くるし…っ


 頭をがっしりと押さえられて顔が離せない!

 息ができない~~~っ!


 まだ先輩の唇が触れているのに、ぷはっとたまらず息を漏らしてしまった。


 くっくっと声を押し殺して笑う鷹能先輩。


「もうっ!苦しいじゃないですかっ」

 恥ずかしさで顔が発火しそうになりながら抗議すると、先輩は久しぶりに子どもっぽい無邪気な笑顔を私に向けた。


「内山田の前で俺の手を取らなかった仕返しだ」


 そう言いながら、今度は軽くて優しいキスを私にくれた。

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