第23話 昨日と同じ喫茶店

 今日の部活帰りも、うっちーはかなりげんなりしていた。

「文化祭までこの調子じゃ、俺もたないかも…」

「ワタシも毎日あの怒号を聞くのは心臓に悪いです」

 あゆむちゃん、森に住む小動物っぽいからなぁ。

 霧生先輩の豹変にビクビクしてる姿は容易に想像できる。


「まあまあ。うっちー今はまだ下手っぴだし仕方ないよ!

 そのうちきっと怒号も減るよ!」

 フォローになってるのかわからない私の言葉はそのまま風とともに流された。


「あっ!そういえば、ゴールデンウイークに青雲寮で合宿があるって聞いた!?」


 この言葉には二人とも食いついてきた。

「文化祭に向けての一泊二日の合宿ですよね?」とあゆむちゃん。

「俺と知華ちゃんは1曲ずつしか出ないから合宿は自由参加でいいって霧生先輩が言ってたよ。

 知華ちゃんはどうするの?」

 うっちーの質問に、私は鼻息を荒くして答えた。

「もちろん参加するよ!

 だって楽しそうだもん!」

「だな!俺も!」

 よかった。うっちーが元気を取り戻した。


 藤華学園前駅に着く。

 改札脇の人影に目がとまる。

 壁にもたれかかり、腕組みをしてこちらに顔を向けているシルバーピアスの小柄な男。


 あいつ、今日も来たんだ。

 まあ、昨日逃げたままじゃ済まないだろうとは思ってたけど。


「どーも」

 海斗が敵意むき出しの視線を私に刺してくる。

「…どーも」

 そのまま改札をくぐろうとした私の前に、海斗が立ちはだかる。

「そっちには話がなくても、こっちにはあるんだよね。

 今日も付き合ってよ」


 明らかに不穏な雰囲気に、正義感あふれるうっちーが割って入ってきた。

「なんなんだよ、あんた」

 海斗を睨みながら私との間に体を入れ、こちらを向く。

「知華ちゃん、やっぱり昨日何かあったの?」

「うん…ちょっと、ね」

 心配そうな表情のうっちー。

 ごめんね。詳しい事情なんて言えるわけない。


 すると、うっちーの背中越しに海斗が私を覗いてニヤリと口角を上げた。

「なんだ、お似合いの彼氏がいるんじゃない」

 その言葉にうっちーが真っ赤になって、私が反論しようとしたとき。


「海斗、今の言葉は聞き捨てならないな」

 鷹能先輩の低い声がした。


「先輩!どうしてここに…?」

「知華の話を聞いて、今日も海斗は知華を待ち伏せると思ったのだ」と先輩。

 海斗や私たちに気づかれないように少し離れたところで待っていたらしい。


「また紫藤先輩がらみなんすか?」

 うっちーが呆れたような怒ったような声を鷹能先輩に向ける。

「内山田には関係のないことだ」

 先輩は無機質に、無表情に言葉を吐き出す。


「タカちゃんに用はないんだよ。

 俺はこの女と話があるんだ」

 海斗の言葉に鷹能先輩が顔を向ける。

「知華に話とあらば、この俺も聞く必要がある」


 三つ巴状態。

 まるで自分が捕食者に囲まれたかのように、小動物系のあゆむちゃんが涙目で震えて固まっている。


「海斗。ちょうどよい機会だ。

 お前とは志桜里のことをきっちり話しておきたいとかねがね思っていた」

 先輩は海斗にそう告げた後、あゆむちゃんを見た。

 鷹能先輩にロックオンされ、緊張で魂が抜けそうになっているあゆむちゃん。


「角田。内山田を連れて先に帰ってくれ。

 知華は俺が送っていくから心配ない」


「は…はひ…っ」

 あゆむちゃんは解き放たれた瞬間に脱兎のごとく改札をくぐった。

 おーい。うっちーを忘れてるぞー。


「う、内山田君、こっち…!」

 20メートルほど離れたところで、ようやくこちらを振り向いてうっちーを呼ぶ。

 うっちーはこの場に留まるか逡巡した様子だったけれど、大丈夫!っていう私のアイコンタクトを確認するとしぶしぶ改札をくぐっていった。


 ――――――


 昨日と同じ喫茶店。

 昨日と違うのは、私と鷹能先輩が並んで座っていて、海斗がその向かいに座っているという構図だ。

 今日は鷹能先輩がダージリンティーを二つ注文した後で「知華は?」と聞いてくれた。

「私も同じく、ダージリンティーで」とお願いした。


「それで、海斗は何を知華に話そうとしたのだ?」

 鷹能先輩がえんじ色の布張り椅子に背中を預けて、長い手足を邪魔そうに組む。

「タカちゃんには関係ないしっ」

 同じように腕組みしながら足を組んで海斗がそっぽを向いた。

「まあ言わずともおおよその検討はつく」

 鷹能先輩は軽くため息をつくと、膝に手を置いてかしこまっている私の方を見た。


「知華にもちゃんと話しておかねばならないな。

 俺が志桜里と婚約しない理由を」


 私はうなずくと軽く居ずまいをただした。


「俺と志桜里、咲綾と海斗が幼馴染みであった話は聞いたか?」

「はい」

「俺は小学生の頃までは紫藤の家で何不自由なく暮らしていた。

 自分の家が特別だとも思わなかったし、世の中の人間はみな俺と同じように幸せな毎日を送っていると信じて疑わなかった。

 無論、世の中には貧しい人がいて、戦争の絶えない地域があるということは知識として知っていたが、まるで現実感がなかったのだ。

 将来志桜里と結婚するのだと言われても、そういうものなのだと思っていた」


 その頃の先輩はいかにも良家のお坊ちゃん、っていう感じだったんだろうな。


「中学に入ってすぐに、紫藤家嫡男の宿命として家を出された。

 武本の援助はあったが、生まれて初めて生きていくための努力をせねばならなくなった。

 世間の広さも冷たさも温かさも知った。貧しさも豊かさも知った。

 俺のいた場所はなんと狭くて生ぬるいものだったのかと痛感した。

 しかし、元いた場所に戻りたいとは思わなかった」


 志桜里さんの話では、この頃から先輩が冷たくなったと言っていたっけ。


「世間は広いのだ。俺が考えていたよりもずっと様々な人がいて、様々な考えがあって、様々な問題があって、様々な幸せの形がある」


 ダージリンティーが運ばれてきて、テーブルに三つ置かれる。

 海斗は腕組みをしたまま下を向いて先輩の話を聞いていた。

 紅茶には誰も手をつけないまま、鷹能先輩の話が続く。

 私は自分の前のティーカップから上がる白い湯気を見つめていた。


「俺は志桜里をかわいそうだと思うようになった。

 彼女は俺と結婚するために様々な準備をさせられている。

 彼女はそれを幸せだと信じて疑っていない。

 自分の住んでいる世界がいかに狭いのか、自分にとって本当の幸せがどういう形であるのか、わからないまま一生を過ごそうとしているのだ」


「どんな形でも、しいちゃんが幸せだと思うならそれでいいんじゃないの?」

 海斗がため息まじりに言った。


「俺が同じ世界にいて、同じ価値観でいられるならそれもまたよかったのかもしれない。

 けれども、俺はもっと広い世界に出ることができた。

 成人の儀をもって紫藤の家に戻ったとしても、これまでの価値観には戻れない」


 そこまで言うと、鷹能先輩は腕組みをやめた。

 片肘をテーブルについて、私が膝に置いた手をもう片方の手で迎えにくると、そっと上から指を絡ませて私を見つめた。

 先輩の手の温かさとやわらかい眼差し。

 いつもは私をドキドキさせるその二つが、今日は私の不安な気持ちを落ち着かせてくれる。


「それに、広い世界に出たおかげで知華と知り合うことができた。

 自分が好きになった女性とずっと一緒にいたいという気持ちを知った。

 これももう俺にとっては元に戻れないし譲れない気持ちだ」


 不安なドキドキが、あっという間に嬉しいドキドキに変わる。

「せんぱ…」

 先輩、ありがとうって言おうとしたときに、海斗が声を荒げた。


「タカちゃんはそれでいいかもしんないけどさ!

 しいちゃんが自分で外に出られるわけないだろ!?」

「志桜里にも俺の成人の儀までは許嫁いいなずけを降りる権利があっただろう。

 それに俺は彼女に幾度となく結婚するつもりはないと伝えてきた。」

「そんなこと言っても、しいちゃんが諦められる訳わけないだろ!?」


 海斗はそこで一度言葉を切った。

「だってしいちゃんはタカちゃんのことずっと好きだったんだから」


「だからそれは外の世界を知らないからだと言っているのだ」

 鷹能先輩は泰然として紅茶を飲む。


「…紫藤本家の嫡男て自覚があるなら、許嫁にもちゃんと責任取れよ!!」

 海斗はチッと舌打ちをして席を立った。


「今日はもう帰る」


 吐き捨てるように言うと、ダージリンティーに一度も口をつけないまま海斗は店を出て行った。


「せっかくだから紅茶を飲んでから店を出よう。

 今日は知華の家まで送るから心配ない」


 今まで海斗がいたことも、志桜里さんの話をしていたことも、まるでなかったことのように優雅に紅茶を飲む先輩。

 けれども、不自然に空いた向かいの席とそこに置かれた湯気の立つダージリンティーが私の中から違和感を拭わせないでいる。


 このままでいいのかな。


 ティーカップの中のダージリンティーがあまりに透き通ったきれいな色だったから、私はミルクを数滴たらしてかき混ぜた。

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