第22話 先輩、怒ってる?

 翌朝も鷹能先輩はいつものように駅の改札を出たところで待っていてくれた。


「おはようございます」


 いつものように挨拶して、いつものように改札をくぐろうとした私の手首を先輩がいきなり掴んだ。


 昨日あんなことがあっただけに、いつも以上に心臓が跳ね上がる。


「どうした。何かあったのか?」


 先輩、野生動物ですか。

 勘が鋭すぎる。


「いっ、いえ!何も!

 先輩こそ、いきなりびっくりするじゃないですか」


 志桜里さんと海斗に会ったこと、先輩には黙っていようと思ったのに。

 今の否定の言葉も、平然と言おうとした気持ちとは裏腹に声が上ずってしまった。


 絶対追及されると思って身構えたのに、先輩はあっさりと手を離して私を解放した。

 私がくぐろうとした改札の隣を通ると、さっさとホームに向かって歩き出す。


 あれ?

 私の横を通り過ぎたときの先輩、ずいぶん無機質じゃなかった…?


 慌てて先輩の後を追って、隣に立つ。

 電車を待って背筋を真っ直ぐにして立つ先輩。

 私が横目でちらりと見てもまったく反応しない。

 無機質な表情のまま、ぴくりとも動かない。

 あれ?ほんとにギリシャ彫刻になっちゃった?


 バカバカしいけど、一瞬ほんとにそう思ってしまうほど、先輩からはなんの温かみも感じなかったのだ。


 そこでようやくハッと気づく。

 先輩、もしかして怒ってる…!?


 背筋に冷たい風が吹き抜けた。

 かと思ったら、同時に電車が滑り込んできた。


 ドアが開いて、先輩がさっさと乗り込む。

 反対側のドアの前に立つと、体を半身に開いてこちらを向いた。

 表情は無いままだけど、体を空けたスペースに私を促しているようだった。


 恐る恐るドアに背中を向けてそのスペースに立つと、昨日と同じように先輩の両腕が私を匿う。

 腕はぴんと伸ばしているせいで、先輩の体は昨日より少しだけ遠い。

 その代わり、背中を曲げた先輩の顔は私のすぐ目の前にあった。


 ちちちち近い!

 そして近いのにとてつもなく無表情!


 胸は激しく鼓動を打って体じゅうを超特急で血が駆け巡っているのに、背筋だけはぞくぞくとした悪寒が駆け上がる。


 電車が動き出すと、真一文字に結ばれた先輩の唇がようやく動き出した。


「俺にごまかしがきくと思うか?」


 射抜くような目。

 美しいけど、怖い。


 反射的に目をそらしながらも、私はまだ悪あがきを試みた。

「ごまかす…って、何をですか?」


 志桜里さんのためにも黙っていなくちゃ。


 すると先輩の顔がずいっとさらに近づいた。

 鼻と鼻がくっつきそう。


 先輩が小声でささやく。


「口を割るつもりがないならば、このまま無理にでも知華の口をこじ開けるぞ」


 この顔の距離で口をこじ開けるって、ど、どうやって…!?


 顔が爆発したかと思うくらい一気に血がのぼった。


「や…」


 顔を引き離したくても、後頭部はすでにぴったりとドアのガラスにくっついている。

 目をつぶった私に先輩の微かな吐息がかかる。


「い、言います…からっ」


 降参です。

 先輩なら車内でディープキスもほんとにやりかねない。


 先輩の顔が離れたと同時に、キス寸前だった私たちをチラ見する車内の視線も私たちから離れた。


 先輩の両腕で囲われている体勢のまま、私はうつむいて口を開いた。


「昨日…あの海斗って人がいたんです。部活帰りに。

 私に会わせたい人がいるって…」


 察しのいい先輩はすぐに「志桜里か?」と尋ねた。

 私はこくりと頷いた。


「無論、引き下がらなかったのだろう?」

 先輩の問いかけに、もう一度こくりと頷く。

 すると、先輩はドアについていた右手を離して、私の頭を抱えるように優しく撫でた。


「引き下がらずによく頑張った。

 知華は何も気に止めるな。

 俺から離れないでいてくれればそれでいい」


 頭の上から響く先輩の声はとても柔らかいもので、低くささやく声の振動は私の心を震わせた。


 先輩は私の傍にいてくれるんだ。

 その安心感が体じゅうに広がっていく。


 けれども、心の隅っこに針を刺されたような痛みも感じる。


 志桜里さんはどうなるんだろう…?


 下を向いていた私の頭の上から、再び先輩の声が降ってきた。

「よし。

 今日の朝稽古は相当しごくから覚悟しろ」


「はいっ!?」


 意味がわかりません。


「頑張ったのに、しごかれるんですか?私」

 思わず見上げた私のすぐ上に、やわらかく微笑んだ先輩の顔があった。


「雑念を振り払うためだ。

 容赦はしないぞ」



 その言葉どおり、その後の空き地での稽古で、私はたっぷりしごかれた。

 授業中も疲れてついうとうとしてしまうくらいに。

 おかげでモヤモヤしていた気持ちはだいぶすっきりした。


 ──────


 その日の部活で、わたしとうっちーはパートリーダーの秋山先輩から初めて自分用の楽譜を渡された。

 私の楽譜は『ジャングルファンタジー』、うっちーの楽譜は人気アイドルグループの代表曲『今年も一緒に海に行こう』。


「二人はまだ楽器始めたばかりだから、文化祭には一曲ずつ出てもらうことにしたの。

 知華ちゃんはマラカス、うっちーはドラムね!」


 うっちーの頬が紅潮した。

「えっ!俺、ドラム叩けるんですか!?」

「お前、練習よく頑張ってるし、家でもエアードラムで特訓してるんだろ?

 簡単な8ビートのドラムなら充分やれるよ」

 霧生先輩が優しい笑顔でうっちーの肩をぽんと叩いた。

 この先に待ち受ける地獄の特訓を予想したのか、うっちーの笑顔が引きつったのは見なかったことにしておこう。


「そのほかにも、うっちーは『ジャングルファンタジー』で、知華ちゃんは『今年も一緒に海へ行こう』で、楽器以外の出番があるから頑張ってねー」

 秋山先輩が少年のようないたずらっぽい笑みを浮かべた。

 楽器以外の出番てなんだろう?


「さて、じゃあ早速ドラムセットで練習するか!」

 霧生先輩の笑顔に、うっちーは「ひっ!」と小さく叫んで青ざめた。

「知華ちゃんも、マラカスの振り方教えるから2階に上がろ?」と秋山先輩。

 2年生の先輩達も一緒に楽器練習のために階段を上がった。


 秋山先輩が、私に「はい」とマラカスを2本渡してきた。

 先輩の目が”ちょっと振ってみて?”って言ってる。

 私はアイコンタクトで”こんな感じですか?”と問いかけながら、両手に持ったマラカスをシャカシャカ振ってみた。


 秋山先輩がぷぷっと吹き出す。

「まあ、そうやって振るのがお約束だよね」

 どうやらわざとお約束をやらせたらしい。

 ほんとに少年みたいな先輩だ。


「マラカスは知華ちゃんみたいに両手で振るのももちろんアリだけど、初心者では左のマラカスの音をタイミングよく綺麗に出すのが難しいんだ。

 だから2本のマラカスをこう、片手で持って振る方がうまく振れるんだよ?」

 秋山先輩は右手の人差し指を挟むようにして2本のマラカスを持つと、肩の高さでシャカシャカと振り始めた。

 私が振る音よりも、音の粒がまとまってキレのある感じ。

 シャカシャカシャカののところは、マラカスをより高く上げて音を強く出す。

 それだけでリズムに抑揚が生まれるし、見た目的にもかっこよく感じる。


 見よう見まねで私も振ってみるけれど、規則的な拍に合わせてアクセントをつけて…って振ろうとすると、なかなかどうして難しい。

 カラオケで振るのとは訳が違うな。

 マラカスもまた奥が深い。


「ちがーう!そこはハイハットを開いて叩くんだっ!!」

 突然の怒号に2階にいる皆がビクッと肩をすくめた。

 ドラムセットの指導で、どうやら霧生先輩のキャラが切り替わったらしい。

 うっちー頑張れ。


 霧生先輩の怒号が時折響く中、私はマラカスの他にも、カバサやアゴゴ、クラベスにサンバホイッスルなど、ラテンパーカッションで使われる小物を一通り体験させてもらった。


 私ばっかり楽しくてごめんね、うっちー。

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