第21話 引き下がれるわけがない

 私と話したいって、目的はやっぱあれだよね?


 鷹能先輩から手を引けとか、別れろ、とかだよね?


 体を固くして身構えているけれど、目の前のルノワール美少女は再び黙ってうつむいてしまった。

 肩が小さく震えている。

 もしかして、横にいる海斗に連れてこられただけなのかな…。


 ため息をついた海斗が彼女の代わりに切り出した。


「アンタもわかってるでしょ?

 この志桜里さんは、ずっとタカちゃんと結婚するっていう予定で生きてきた人なの。

 10年間タカちゃんのためだけに花嫁修業してきたようなもんなんだよ。

 それを、たまたま吹奏楽部に入ってきたっていうアンタにタカちゃんの嫁さんの座をかっさらわれたら、志桜里さんの立場もないわけ」


 私が海斗に言われる筋合いはないし。

 しかもなんであんたにアンタ呼ばわりされなきゃいけないの!?…って喉まで出かかってるのはとりあえず飲み込んで…。


「誰と結婚するかは鷹能先輩が18歳までに決めればいいことなんじゃないんですか?

 私は鷹能先輩側の事情をいろいろ聞いた上で覚悟を決めたんです。

 どういう選択をするのかは鷹能先輩にお任せするしかないと思うんですけど」


 正論言えた!

 海斗が私をギロリと睨みつける。


「アンタさぁ、自分が志桜里さんの立場だったらどうよ?

 どっかの泥棒猫みたいな女に、結婚するはずだった人を奪られたら…」

「じゃあ、あなたが鷹能先輩の立場だったらどうなんですか?

 好きな人と結婚できる権利があるのに、親が決めた結婚相手と当たり前のように結婚できますか?」


 闘うと決めた女は強いんだ。

 ああそうですか、なんて引き下がれるわけない。


 バチバチと火花が飛び散る空気を察したカフェの店員さんが恐る恐るティーカップを置く間も、私と海斗の睨み合いは続いていた。


「カイちゃん、もういいの。ありがとう…」

 目に涙をため、声を震わせながら、絞り出すように志桜里さんが言った。

「知華さんも、すみません…。

 ただ、タカちゃ…鷹能さんがどんな方を選ばれたのか、ひと目お会いして納得したかったんです」


 その言葉に海斗が反応した。

「しいちゃん、何言ってんだよ!? 納得なんてできるわけないだろ!?

 しいちゃんはずっとずっとタカちゃんのこと待ってたじゃないか!」


 なんか私悪者みたい。

 心がチクチク痛んで、お尻がそわそわ浮いてくる。

 ものすっごく居づらいんですけど。


「私、7歳のときに鷹能さんと初めてお会いしたんです」

 うつむいた私に向かって志桜里さんが話し始めた。


「私はその時から、将来はこの人と結婚するのだから仲良くしなさいと言われて育ちました。

 鷹能さんと海斗さん、咲綾さんは同い年、私はその一つ下で、私が紫藤のおうちにご挨拶に行くといつも4人で遊んでいました。

 鷹能さんはいつも笑顔で、私にもとても優しくしてくれました。

 そんな方のお嫁さんになれる自分はとても幸せだと思っていたんです」


 先輩、幼い頃はよく笑う子だったんだ。


「それが、鷹能さんが13歳になり、紫藤の家を出た頃からでしょうか…。

 鷹能さんは私に対してとても冷たくなりました。

 面と向かって、志桜里と結婚するつもりはないから諦めろと何度も言われました。

 とても傷つきましたが、優しかった頃の鷹能さんを思い出して信じて待っていたのです。

 結局、まもなく成人の儀を迎えるというこの春まで、鷹能さんはご自分で選んだ女性を連れてくることはなかった。

 やはりこのまま2か月後には鷹能さんと婚約するのだと心づもりしていた矢先に、海斗さんから知華さんのことをお聞きしたのです。

 …とても驚き、ショックを受けたのは事実です」


 ゆっくりとか細い声でそこまで言うと、志桜里さんの目から涙が一粒こぼれた。

 次にこぼれる涙をぬぐおうと、膝にのせた小さなバッグからハンカチを取り出す。


 話を聞いたら肩入れしちゃうよ。


 でも、私が引き下がればいいってものではない気がする。

 もちろん引き下がることなんてできないし。


 あの桜吹雪の日、鷹能先輩が私の手を引いて青雲寮まで連れて行ったこと。

“うんりょーに一緒に住んでくれないか”って言ったこと。

 私に“絶対に”離れない覚悟が欲しいって言ったこと。

 これからもずっと二人で朝を迎えたいってプロポーズしてくれたこと。


 鷹能先輩が私を選んでくれたことを信じたい。


「志桜里さんの立場はわかりました。

 貴女からすれば、確かに私は突然現れて鷹能先輩を奪ったように感じると思います」


 がんばれ、私!


「でも…私は鷹能先輩に、絶対に離れないって誓いました。

 申し訳ないですけど、ここで引き下がるわけにはいかないんです」


 そう言い切って顔を上げた私に見えたのは、ハンカチで目頭を押さえる志桜里さんと、般若のような顔で私を見据える海斗。


 海斗の口が動き出しそうなのを見て、私は「失礼しますっ!」と席を立って背中を向けた。


「待てよっ!」

 狭い店内に響く海斗の声を振り切って、ドアを開けると駅の改札へ一直線に走り抜ける。


 改札をくぐってホームに入り、海斗が追ってこないのを確かめて、やっと深く息をつけた。


 あっ、紅茶代置いてくるの忘れた。


 でも、あの場にいるのはもう限界だった。


 志桜里さんに肩入れしちゃいけない。

 私には私の立場があるんだ。


 一生懸命自分に言い聞かせても、頭に浮かぶのは儚げで悲しげな美少女の姿と、鷹能先輩を信じてずっと待っていたという彼女の言葉だった。

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