第24話 お誕生日席の鷹能先輩

「せっかくの機会だ。今日は知華のご両親に挨拶をしていこう」


 電車を降りて家へ向かう途中に、先輩が突然言い出した。


「ええっ!? そんな急に言われてもっ!

 両親も心の準備が…」


 私はめちゃめちゃ動揺した。

 先輩のことだから、「お嬢様をください」とかいきなり言い出しかねないし!

 そもそも婚約の予定はおろか、付き合ってることすら言ってないし!


「また日を改めてってことにしませんか?

 今日はもう遅いし…」

 と、わたわたしている私を見て、先輩はくすりと笑った。


「心配しなくてもよい。

 交際させてもらっていると挨拶するだけだ。

 婚約のことについてはいきなり言うわけにいかないことくらいわきまえている」


 まあ、確かに先輩がわきまえていないことって、公衆の面前でいちゃつくことくらいでしたかね。


 それに、先輩と婚約する予定だって誰かに今言うこと、少しだけひっかかってしまう。

 先輩の気持ちは100%信じているはずなんだけど。


 恋人つなぎで10分ほど歩き、8年前に一斉に建てられた分譲住宅の区画内にある私の家の前に着いた。


 いつもはそのまま玄関のドアを「ただいまー」って開けるんだけど、今日はそういうわけにはいかない。

 門の支柱についているインターホンをやや緊張しながら押す。


 ピンポーン


「知華?…あら?その人…」

 モニター越しに私とその後ろにいる先輩が見えたのだろう。

 母が少しうろたえている。

「あのっ、今日は遅くなったから先輩に家まで送ってもらってね。

 …せ、先輩がお父さんとお母さんに挨拶したいって言うんだけど、お父さんも帰ってきてる?」

「あっ、お父さんね。帰ってるわよ。

 今出ていくからちょっと待ってて」

 少し慌てた様子でインターホンが切れた。


 うう、緊張する。

 なのに、挨拶をする当の先輩は「南欧風の佇まいで可愛らしい家だな」などと建物探訪のような感想をのんきに述べている。


 3分ほど待たされて、いつもの部屋着よりちょっときれいな恰好をしたお父さんとお母さんが出てきた。

 しかも、妹の知景ちかげまで後ろから物珍しそうにのぞいている。


「わざわざ知華を送っていただいてすみません」

 ギリシャ彫刻を見上げて微笑むお母さん。

 テレビでお気に入りの俳優を観ているときのようにぽわんと頬を染めている。

 お父さんも、鷹能先輩の見目麗しさにぽかんと口を開けたまま先輩を見つめている。

 知景は「ウッソ!マジで!?超イケメン!」と小声ではしゃいでいる。


「いえ。部活帰りに知華さんをお茶に付き合せてしまいました。お送りするのは当然です」

 やわらかい微笑みでそう言うと、先輩は芸術的に美しい”気をつけ”の姿勢をした。

「知華さんとお付き合いさせていただいております、吹奏楽部三年の紫藤鷹能と申します。今後ともよろしくお願い申し上げます」


 目を丸くしてぽかんと口を開ける三人。

 そりゃそうだろう。私なんかがこんな超絶イケメンの彼氏を連れてくるなんて、夢にも思わなかっただろうから。

 この上彼が紫藤一族の本家の長男なんて知ったら三人とも卒倒するんじゃなかろうか。

 刺激は小出しにした方がよさそうだ。


 しばしの沈黙の後に、母がはたと思い出したようにつぶやいた。

「あ、もしかして、部室に一人で住んでらっしゃる…?」

「はい。少々事情がありまして」

「あっ!じゃあ、晩ご飯はこれからなのかしら?

 カレーライスでよかったら紫藤さんもうちで食べていく?」

 世話好きのお母さん、一人で部室暮らしをしている先輩に、何かしてあげたい衝動にかられたようだ。


 突然の展開についていけない私を置き去りにして、先輩は魅惑のスマイルで「ご迷惑でなければ」などと言っている。

 気がつけば、我が家のダイニングテーブルのお誕生日席に鷹能先輩が座っているという、妄想ですら浮かべたことのない違和感ありありの光景が目の前にあった。


「あ、お父さん、ビールお注ぎいたしましょう」

 テーブルに置かれた父の発泡酒の缶を開ける先輩に、「お、すまんね」と父が慌ててグラスを差し出す。

 新人サラリーマンと課長が飲み屋で交わすようなやりとりだ。

 しかも、鷹能先輩はそこら辺の新人サラリーマンよりよっぽど卒なくこなしている。

 無機質で無表情な普段の先輩からは想像もつかない。

 中学時代はホームレスの人達と仲良くしてたって言ってたし、これも先輩が世間に出て身につけた生活能力の一つなんだろうか。


 どちらかというと寡黙な父は、私が彼氏を連れてきたら絶対に不機嫌になるだろうって思ってた。

 なのに、先輩の礼儀正しさと気の遣い方、その上娘に不釣り合いな美形ということですっかり上機嫌になっている。

「いやぁ、鷹能君は気が利くねえ。ほんとに知華にはもったいない彼氏だ」

 注いでもらった発泡酒を口につけて嬉しそうに言う。


 思春期真っ只中の知景はずっと顔を赤らめたまま、ちらちらと鷹能先輩を見ては、目が合いそうになると途端にそらしている。

 おねえちゃんの彼氏、かっこいいでしょ?と、ちょっと鼻が高くなる。


「知華ー。お皿運ぶの手伝ってー」

 カウンター越しに母に呼ばれて、「はーい」と私は席を立った。


 今日の献立がカレーでよかった。

 母はいつもカレーを多めに作るから、鷹能先輩も一緒にご飯を食べることができた。

 カレーとサラダ、それにコンソメスープという、我が家ではごく普通の夕食メニュー。

 鷹能先輩は「すごく美味しいです」と言いながら、母を喜ばせるくらい綺麗にたいらげた。

 会話の中でも常にやわらかい微笑みをたたえて、無機質な雰囲気をなるべく消すように努力しているようだった。


「紫藤さん、いつも一人で部室でご飯食べているんでしょう?

 よかったらいつでもうちに来てご飯食べていってね?」

 鷹能先輩が玄関で靴を履くときに、母が声をかけた。


「ありがとうございます。お気持ちはありがたいのですが、 人格形成の一環でやっていることですので…。

 そのあたりの事情については、今度僕から改めてお話させていただきます」

 先輩の含みを持たせた言い方に、両親は「はぁ」と曖昧に相槌をうつけれど、先輩を完全にお気に召したせいか特に訝しむ様子もない。

「お邪魔しました」と一礼して先輩は玄関を出た。


 私もサンダルを履いて玄関先まで先輩を送る。

 つい先日まで冷たさを残していた夜風も、上着を着なくても大丈夫なくらいの温かさになっている。

「良いご家族だな」と先輩が目を細めて私を見た。

「そうですか?ごくごく普通の家族ですけど」

「それがいいのだ。

 そんな家庭で育ったから、知華は真っ直ぐなのだな」


 少し照れた私の頬を先輩がそっと片手で触れた。

 繊細なガラス細工をいとおしむように、そっとそっと、頬や耳、髪に触れる。

 先輩に触れられる部分に神経が集中して、頭は何も考えられなくなる。

 そのまま肩に手を置くと、少し私を引き寄せて、先輩は私に口づけた。

 彼女の家の玄関先という大胆なシチュエーションとは対照的な、繊細なキス。

 3回目のキスは緊張と恥ずかしさが幾分取れて、心が疼くような甘酸っぱい余韻を残す。


「俺は知華に会えてよかったと心から思っている。

 志桜里のことは何も心配しなくていい」

 先輩は私の頭をぽんぽんと撫でると、「また明日」と言って背中を向けた。


 このままでほんとにいいのかな。


 幸せなのか苦しいのかよくわからない心のつかえに、私は握りしめた手で胸を押さえながら先輩の背中を見送った。


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