第18話 了見の狭い男
青雲寮横の、照明のない小さな空き地。
隣接する道路にかろうじてつけられた一つの街灯だけがぼんやりと周囲を照らしている。
ビュッ、ビュッと風を切っていたのは、鷹能先輩の振る木刀だった。
背中を向けて素振りを続ける先輩に声をかける。
「新歓パーティ抜けて何やってるんですか?」
私の声に、先輩は驚いた様子で振り返った。
「……」
先輩は何も言わない。
力いっぱい木刀を振っていたのか、息をはぁはぁと切らしている。
こないだの朝の稽古では素振りのとき涼しい顔してたのに。
青雲寮と空き地をつなぐ、3段ほどの石づくりの階段に先輩が腰をかける。
私もなんとなく隣に腰かける。
先輩の息づかいが段々落ち着いてきた。
すると先輩はフッと自嘲のような笑いをもらした。
「邪念を振り払おうとしたのだ」
「邪念?」
「……」
またも沈黙。
夜の暗さは先輩の横顔にベールをかけてしまって表情が読みとりにくい。
慣れてしまった朝の沈黙とは違って、次の言葉を待ってドキドキしてしまう。
「…知華が他の皆と楽しそうに笑っているのを見るのが我慢ならなかった」
「え…?」
「俺にはもう一週間も笑顔を見せてくれないのに、とやるせなくなった」
また自嘲気味にフッと笑う。
「自分で蒔いた種なのに、俺という男は了見が狭いだろう?」
なんか、可愛い。
高潔で強気で堂々としている鷹能先輩が、私みたいな普通の女の子のことでそんな風に悩んでしまうなんて。
私の胸がきゅうんっと切ない音をたてた。
「ほんと、先輩は了見が狭いですよ」
「なっ…」
私の言葉に絶句する先輩。
こちらを向いた端正な顔は、横顔のときよりも近くに感じて緊張する。
「だって、内山田君にやきもち妬くし、私が先輩のいないところで笑ってるからって落ち込むし。
…そのくせ、肝心なことは何も言ってくれないじゃないですか」
鷹能先輩はなぜかプッと吹きだした。
「そこ、笑うとこですか?」
ちょっとムッとする私を目を細めてじっと見つめる。
青雲寮から漏れる明かりが先輩の瞳に反射して、瞳がキラキラと潤んでいるように見えた。
「俺は知華のそういう勝気なところが好きだ」
心臓が口から飛び出るかと思った。
「なっ…」
「知華を剣道の大会で初めて見た去年の夏、しなやかに強気に攻める君の動きに釘づけになったのだ。
2回戦から敗退する準決勝まで、ずっと君の試合を追っていた。
試合の後、面を外したときの凛とした美しさにますます魅かれた。
そして竹刀を落として負けたのを見たとき、君の脆さも知った。
しかし、その時は星山知華という女性剣士がとても印象的だったというところにとどまっていた。
それがこの春、奇しくも君と再会を果たした。
陳腐な言葉に聞こえるかもしれないが、俺はそれに運命を感じたのだ」
鷹能先輩が去年の夏の剣道の大会で私を知ったということは聞いていた。
でも、そんな風に大会の間ずっと私を見ていてくれたなんてことは今初めて聞いた話だ。
体じゅうの血が一気に顔に集まったように火照ってくる。
「それでも初めは君が俺を受け入れなくても仕方がないと思っていた。
俺は何かと噂の立つ男だし、君が俺を避けようとしても無理はない。
その時は俺の事情を話して、両親や志桜里の前でだけ婚約者のフリをしてもらえるよう君に頼もうと思っていた」
「…それなら、早くそう言ってくれればよかったのに」
鷹能先輩のこと好きになる前に事情を聞いてたら…。
婚約者のフリって最初から割り切れてたら、こんなに苦しい思いをしなくてすんだかもしれない。
「おにぎりだ」
「え?」
「知華が俺のために朝早くからおにぎりを握って持ってきてくれた。
それを二人で
それがとても嬉しくて心地よかった。
俺にとってはかけがえのない大事な時間になった」
青雲寮の薄緑色の板壁に、うっそうとした木々の影が周囲の闇よりさらに濃く深く映っている。
蛍光灯の光と笑い声が漏れる窓を先輩がやわらかい眼差しで見つめた。
「君のおにぎりが俺の心づもりを変えたのだ。
婚約者のフリを頼むつもりがなくなった。
やはり、どうしても知華に俺を受け入れてほしいと思うようになった」
だから先輩は朝の青雲寮で、私に”絶対に”離れない覚悟が欲しいって言ったんだ。
鷹能先輩がもう一度私の方へ顔を向けたとき、春の夜風がふわっと私たちの間を通り抜けた。
「俺はこれからも知華と一緒に朝食をとりたい。
知華と穏やかな朝を迎えたい。これからも、ずっと」
呼吸の仕方を忘れるくらい胸が詰まった。
「先輩…。
今の言葉、プロポーズみたいですよ?」
茶化さないと泣いてしまいそうだった。
けれど、それがかえって裏目に出た。
「俺は生涯の伴侶を決めたのだぞ?
プロポーズみたい、ではなく、プロポーズのつもりだ」
「……っ」
ぼろぼろと涙をこぼす私を見て、先輩はほっとしたような笑い方をした。
「知華の欲しかった言葉を俺はちゃんと言えただろうか?」
低いささやき声で、先輩がとびきり優しく問いかける。
うなずきながらも、半分信じられずにいる。
まさか高校入ってすぐにプロポーズを受けるなんて思ってもみなかった。
私まだ15歳なのに。
……。
そういえば聞くの忘れてた。
「先輩、18歳の誕生日までに婚約者を見つけないと…って。
先輩の誕生日、いつなんですか?」
「6月15日だ…が?」
「じゃあ、その日までに婚約者が見つかればよかったんですね」
「そうだ…が?」
先輩の言葉の語尾が上がる。
こちらをじっと見て、私に何かを求めている。
「その話の前に、今の返事は?」
「へ?」
「俺のプロポーズへの返事を聞いていないが」
あわわわわわわわ。
プッ、プロポーズされるなんて思わなかったし!
返事って、返事って…!!
体中から汗が噴き出すくらい熱くなって、思わず「ふぇぇ」って変な声が出た!
先輩が少しだけ意地悪く、でもやわらかく微笑んだ。
「今度は知華に、俺の欲しい言葉を言ってほしい」
「い、言わなくてもわかりますよね…?」
「それはずるいな。
君は俺に言わせただろう。
言わねば伝わらないこともあるぞ?」
ますます意地悪く微笑んで、目をそらした私の顔をのぞきこむ。
そうでした。
言ってくれなきゃ伝わらないって、私が思ってたんだった。
……。
「来週から、またおにぎり持っていきますね…?」
先輩はにやにやしながら黙っている。
どうやらこれだけでは足りないらしい。
もうっ
言ってしまえ!
「せっ、先輩が…好きですっ。
だから、”絶対に”離れません…!」
お腹に力を入れないと声が出なかったけど、それでも絞り出すような変な声になった。
先輩は芸術的にやわらかい微笑みをたたえて、湯気が出そうなくらいにのぼせた私の頭をよしよしと撫でた。
「その覚悟があっても大変ことがあるかと思うが…よろしく頼む」
先輩が私に密着するくらいのところに座りなおして、左腕を私の背中に回した。
大きな右手が私の左頬にそっと添えられる。
先輩が背中を曲げて、私をのぞきこむような姿勢になって―――
……。
先輩の、薄い唇が私の唇から離れても、
体じゅうが熱くて苦しくて、私はしばらくうまく息ができなかった。
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