第16話 『イン・ザ・ムード』

 合奏練習の5分前、各パートの部員たちがぞろぞろと青雲寮の2階へ上がってくる。

 片手に楽譜と譜面台、片手に楽器を持って。

 イス当番のパート(今日はクラリネットだった)が扇形に並べたパイプ椅子にパートごとに座っていく。


 パーカッションは、3年生の霧生先輩がドラム、秋山先輩がビブラフォンの位置にいる。2年生の先輩はグロッケンとタンバリン、ティンパニに散らばる。


 あ、鷹能先輩いた。

 ひな段の上のトランペットの位置に座っている。

 目が合ったけど、慌ててそらす。

 先輩、今日は買い物行ったんだろうか?

 いつも朝早くに藤北駅まで来てるけど、朝ごはんちゃんと食べてるのかな。


「ほーい。じゃ、チューニングしまーす」

 富浦先輩が声を出すと、ざわざわしていた皆が一斉に楽器を構えた。

 オーボエの先輩に向かってタクトを軽く一振り。

「♪~」

 オーボエの音を富浦先輩が確認して軽くうなずくと、全体に向かってタクトを一振り。

「♪~」

 皆が同じ音で合わせる。

「バリトンもうちょい上。

トロンボーンは気持ち下」

富浦先輩が左の人差し指で指示を出す。

 木管楽器の中には、楽器から口を離してリードの位置を微調整してる人もいる。


 全体の音程が合ったことを確認したのか、富浦先輩がうなずきながら手を軽く振って握る。

 音がぴたりと止んだ。


「じゃ、まず通して1回やってみましょう」

 チャラい富浦先輩から、指揮モードの富浦先輩に変身。顔つきが変わる。

 一瞬の静寂。

 と、山崎先輩の鼻をすする音。


 ♪♪♪♪ ♪ ♪ ♪♪♪♪♪♪♪~

 軽妙なイントロ。

 私この曲知ってる!

 有名な曲だ。


 明るくて軽快なメロディが繰り返される。

 低音も小気味良くてかっこいい。

 合いの手のように入る中音の金管楽器が華やかにメロディを盛り上げる。

 ビブラフォンの秋山先輩もノリノリで鍵盤を叩いている。


 ドラムの霧生先輩もかっこいい。

 ハイハットシンバルが小刻みに上下する中、時折スティックを握った手が滑るようにドラムセットの上を行き来する。

 そんな霧生先輩のドラムに首でリズムをとりながらうっちーが熱い視線を送っている。


 ♪♪♪~ ♪♪~

 あっ!サックスのソロになった!

 アルトサックスとテナーサックスの先輩が掛け合いのようにソロを吹いている。

 二人の息もぴったりで、ジャズのことよく知らないけど、なんかジャズ!って感じ。

 サックスってソロが様になる楽器だなぁ。


 ♪~♪ ♪♪♪ ♪~

 続いて、トランペットのソロ。

 鷹能先輩だ。

 バッカナールのときみたいな直線的で硬い音じゃない。

 もっと柔らかくって、でもやっぱり透き通っていて。

 こんな艶っぽい演奏もできるんだ。

 横顔は今日も端正で美しい。


 先輩、やっぱりかっこいいなぁ…。


 ♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪

 ソロが終わると、繰り返されるメロディのボリュームが少し抑えられて、低音の旋律がお腹に響くように聞こえてくる。

 チューバのあゆむちゃん、体は楽器に埋もれてるけどかっこいい音が出てるよ!


 ♪♪♪ ♪♪♪ ♪♪ ♪ ♪♪~

 ドラムの合図でまたメロディに華やかさが戻る。

 前半よりもさらに音量と厚みが増して盛り上がってる感じ。

 演奏してる先輩たちもリズムを取りながら楽しそう!


 最後はトランペットの音が小刻みに音階を駆け上がっていく。

 そして低音とドラムがジャーンって響いて曲が終わった。


 うっちー、大好きなジャズの演奏が聞けてとっても満足そう――


「ちょっと待った!」

 演奏後の一気にほどけた空気を再び締めなおすような鋭い一声。

 でも声の主は指揮者の富浦先輩じゃない。

 ドラムの霧生先輩だった。

 ん?なんかいつもと顔つきが違う…?


「おい、ホルン!お前らいつも出だしが一瞬遅れてんだよ!

 俺の目の前にいるくせに俺のリズムが聞こえねーのか!?」


 ん?ん?

 いつも温厚な霧生先輩がどーした!?


「クラリネットも!

 ♪♪♪ ♪♪の♪♪の部分がそろってねーじゃんか。

 そんなの合奏前のパート練習パーれんでそろえてこいよ!」


 指揮の富浦先輩はじめ、先輩方はまた始まったという様子の苦笑いを浮かべている。


「そして山崎!演奏中に鼻かむ音がうるせーんだよ!」

 霧生先輩、それはここで言わなくていい文句なのでは…。


「霧生先輩、ドラム叩き出すと人が変わるの。リズムの鬼になるんだよね…」

 私の横にいたタンバリンの先輩が耳打ちして教えてくれた。


「俺、あの人にドラム教わるのかぁ…」

 隣でうっちーが青ざめている。


 その後もひとしきり霧生先輩のダメ出しが続き、富浦先輩の出番が回ってきたのはだいぶ後だった。


 ――――――


 部活帰り、今日もうっちーは爽やかご機嫌モード全開だ。

「ジャズ、やっぱかっこいいよなぁ~。

 俺も早くドラム叩けるようになりたいなぁ。

 霧生先輩に教わってさ、家でもバスドラとハイハットのために足でリズム取る練習してるんだ」


「でも、今日の霧生先輩はかなり怖かったです。いつもは優しいのに…」

 あゆむちゃんは霧生先輩のキャラの豹変にドン引きしたらしい。


「これから鬼のシゴキが待ってるね!うっちー」

 私が笑ってからかうと、うっちーがハハッと力なく笑った。


「そういえばさ、明日の土曜日だよな?新入生歓迎パーティー」

「午後の部活が終わった後にそのまま青雲寮うんりょーでやるんだよね?」

「毎年恒例の鍋パーティーだそうですけど…。チューバの先輩が何か悪だくみしてそうなのが気になりました」


 楽しみだけど、ちょっと戸惑いもある。

 鷹能先輩も参加するはずだ。

 やっぱりなんか気まずいよなぁ。


 私の心を読んだのか、うっちーが私をちらりと見て言った。

「そういえば、最近紫藤先輩、知華ちゃんにからんでこないよね。

 なんかあったの?」

「え?なにも、ないけど…」

「急に引かれると、逆に気になっちゃったりする?」

「そっ、そんなことも、ない、けど」

 私の反応をじっと見るうっちー。

 今日のうっちーは意地悪だ。


「ま、紫藤先輩は変わり者だし。気が変わるのも早いということかぁ」

 うっちーが一人納得したようにつぶやく。

「ちょっと常人には理解できないようなところがありそうですし」

 あゆむちゃんが同調する。

「咲綾部長の従兄弟ということは、紫藤先輩も家柄が良いということですよね。

 やっぱり下々の人間にはわからない世界で生きていそうです」

「ええっ?家柄がいいのに青雲寮あそこに住んでるの?ますます訳わかんねー」


 やっぱり住む世界が違うのかなぁ。


 一般家庭の私とは家柄も考え方も違いすぎるよね。

 18歳で婚約者が決まっちゃうなんて。


 …ん?


 そういえば、先輩の誕生日っていつだろう?

 次の誕生日で18歳になるってことだよね?

 それまでに自分で結婚相手を見つけていなければ、先輩は…?

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