第15話 言ってくれなきゃ伝わらない

 私鉄藤鈴急行藤北駅の改札の外に、今朝も鷹能先輩の姿があった。


「おはよう」

「…おはようございます」

 やわらかく微笑む先輩に憮然とした挨拶を返して改札を抜けると、私は藤南中央駅方面のホームに立つ。

 先輩はやれやれというため息を一つ漏らして、私の横に立つ。


「今日で5日目だ。いい加減話を聞いてくれてもいいだろう?」

「聞いてますよ。納得してないだけで」


 そう。

 納得できるわけないじゃない。

 騙すつもりはなかった、最初にいろいろな事情を伝えてしまうと混乱させるだけだと思った、っていう説明だけじゃ納得できない。


 先輩は、私が一番欲しい言葉を言ってくれない。


 ホームに各駅停車の電車が滑り込んできた。

 ドアが開く。降りる人はほとんどいない。

 私は乗り込んで反対側のドアのそばに立つ。

 藤華学園前駅までこのドアが開くことはないから、ここがベストポジションなのだ。

 鷹能先輩が私の前に立つので、向かい合いたくなくて背を向けた。

 ドアの外を流れる景色をひたすら眺める。

 車内での無言も5日も続くと慣れてくる。


 隣の堂内駅で、いつもより沢山の人が乗ってきた。

 スーツ姿の若い男女が大勢乗り込んでくる。

 緊張と期待とやる気にあふれた独特の雰囲気。新入社員って感じ。

 みんなで研修先にでも行くのかな?

 車両の中がにわかに窮屈になった。


 ガラスに映り込む車内の様子で、振り向かなくてもその混雑具合はわかった。

 けれども私の元へはたくさんの乗客が押してくる圧力は届かない。

 私が背中で感じるのは、さっきより密着した先輩の体だけだ。

 窓に手をついた先輩の骨ばった長い指が私の視界に入る。

 時おり先輩の体が私の背中をわずかに押すことで、ラッシュの圧迫を先輩が引き受けてくれているのがわかる。


 私ってほんとに馬鹿だな…。

 騙されたって思ってるくせに、まだ先輩にこんなにドキドキしてる。


 私の頭のすぐ上から、先輩のため息が聞こえた。

 その後で、先輩の低い声が振動となって伝わるくらい近くで聞こえてくる。

「体はこんなに近くにあるのに、心はなかなか届かないものだな」


 私の背中がこんなにくっついていたら、私の早まる鼓動は先輩に伝わってるかもしれない。


「先輩が言ってるのは言い訳だけじゃないですか…。

 私が欲しいのは言い訳じゃないんです」


 たった一言、先輩からもらえればいいのに。

「好きだから知華を選んだんだ」って。



「…知華が欲しい言葉はわかっているつもりだ。

 ただ、今俺がそれを言ったとして、君は俺の言葉を信じることができるのか?」


 先輩のため息が、再び私の髪を微かに揺らした。

「また君を騙すために言っている、そう思うだろう?」


 そうかもしれない。

 ううん。先輩の言う通りだと思う。

 その言葉をもらっても、きっと私はすぐに信じるなんてことできない。


「言えないなら他を当たってください。

 頼めば誰かやってくれるんじゃないですか?婚約者のフリくらい」


 ああ、私ってかわいくない。


「言葉では伝わらないから毎朝君を迎えに来ている。

 しかし、それでもやはり伝わらないのだな――」


 じゃあ先輩には伝わってますか?

 自分を馬鹿だと思いながら、私が駅に着くといつも先輩を探していること。

 先輩と並んでホームに立つとき、すごくドキドキしていること。

 こんな風に背中や頭越しに先輩の存在を感じて、心臓が止まりそうなくらい緊張していること。


 馬鹿だと思いながらも、それが嬉しいと思ってること。


「まもなく藤華学園前ー。藤華学園前ー」


 先輩に守られての3駅は、いつも以上に短く感じられた。


 ――――――


「なんか、うっちー最近機嫌よくない?

 昨日も部活やってる間ニコニコ楽しそうにしてたしさ」


 お昼休みにお弁当を食べながら、私は茉希に同意を求めた。

 うっちーはクラスの男子たちと学食に行ったみたいだ。


「知華に付きまとってた先輩がおとなしくなったって言ってたから、安心したんじゃない?」

 卵焼きをフォークに刺して口に運びながら茉希が言う。


「よかったじゃん。ヤバい人と縁が切れて」

「……」


 あの一件以来、先輩は部活の行きに私を待っていることはなくなった。

 もちろん、青雲寮うんりょーまでの恋人つなぎもなくなった。

 私に対する周りの誤解を避けようとする先輩なりの気遣いなんだと思う。


 よかったのかな。


 このまま縁が切れていいのかな。


「うっちーにしときなよ。知華」

 突然の茉希の言葉に、食べようとしていたプチトマトを落としそうになる。

「なっ、なんの話よ!?」

「またまたぁ、しらばっくれてぇ。

 知華だって気づいてるんでしょ?

 うっちー、知華のこと好きだよ。あれ」

 茉希はニヤニヤしながら私を見つめる。


「茉希、うっちーのこと気に入ってなかった?」

「そりゃ最初はね。うっちーイケメンだし、爽やかだし。

 でもうっちーの態度見てたら、知華に気があるのバレバレでしょ?

 脈ないから早々に切ったもん」


 そんなこと言われても困るよ。

 てか、うっちーに直接言われたわけでもないし。


 ……。


 やっぱり、言ってくれなきゃ伝わらないことだってあると思う。


 ――――――


「うん。いいね!だいぶ左右の高さがそろってきた」

 パーカス部屋で、メトロノームに合わせてスティックで流しのへりを叩いている私に霧生先輩が声をかける。

「知華ちゃん、あとはもっと手の力を抜いて。

 スティックはもっと軽く握る感じで、手首のスナップをきかせて」

「はい」


 ―手に力が入りすぎてるな―

 鷹能先輩の声が脳内再生される。


 そっか。スティックも竹刀も、私は強く握りすぎてるんだ。

 もっと軽く握って、遊びをもたせて、手首のスナップをきかせて…


「そうそう。その調子」

 霧生先輩が褒めてくれた。

 私の隣ではうっちーが同じように基礎練習をしている。

「うっちーは左が少し遅れてるよ。メトロノーム意識して」

「はい」


 パチッ パチッパチッ パチッ

 緑色のペンキで塗られたコンクリートの流しの端を規則正しく打ちつける。


 夢中で練習していると、パーカス部屋の扉の外から富浦先輩のチャラい声がした。


「30分後に合奏練習しまーす。

 今日は『イン・ザ・ムード』やりまーす」


「やった!ジャズの曲だ!」

 うっちーが嬉しそうに声をあげた。

「そっか。うっちーはジャズやりたいって言ってたもんね。

 俺がドラムやるからどんな感じか見ておいて」

 霧生先輩が親指を立ててにかっと笑った。

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