第11話 おにぎりの交換条件
次の日の朝も、私はおにぎりとお茶を用意して青雲寮へ向かった。
鷹能先輩にとっては余計なお世話だったりするのかな。
でも、朝の静かな青雲寮で先輩と食べる朝ごはんは、すごく穏やかで優しい時間が流れていて、くせになりそうな心地よさだった。
ギイイと扉を開け、「おはようございまーす」と声をかける。
声がしない。今日も洗濯物を干しに行ってるのかな。
とりあえずボーン部屋で待つことにして、奥の廊下を進んだ。
ボーン部屋に入ると、窓の外から音がしている。
コンッ!
……
コンッ!
少し間を置いて、規則的に聞こえてくる音。
何の音だろう?
私は古めかしいすりガラスのついた木枠の窓をガラガラと開けてみた。
「キャッ!すみませんっ!!」
口から心臓が飛び出そうなくらいドキドキした私の第一声。
鷹能先輩が上半身裸で薪を割っていたのだった。
「知華。今日も来てくれたのか」
首にかけたタオルで汗をぬぐった先輩が笑顔で振り向いた。
肩や腕にメリハリのある筋肉がついていて、本当の彫刻のように陰影が美しい。
恥ずかしいのに、つい目が離せなくなってしまった。
「薪…使うんですか?」
「ああ。フルート部屋の風呂は薪釜なのだ。古いしガスも通ってないからな」
先輩が薪を割っているのは青雲寮の裏手。
すぐ横にはお風呂場(フルート部屋)の壁が見える。
その壁際にくっついたトタン屋根の下に、たしかに煙突をトタンから突き出した風呂釜と、蓋が開いていて薪が入っているのが見えるコンテナボックスがある。
「もうすぐ終わる。悪いがもう少しだけ待っていてくれ」
「わかりました」
まるで映画で見たことのある風景のように、大きくて平たい切り株の上に先輩が薪を置く。
斧を振りかぶって構え、一瞬静止する。その佇まいが美しい。
そうか、先輩も剣道やってるって言ってたな。
一気に振り下ろす。無駄な力も動きもない。
コンッ!っていう乾いた音がするとともに、薪がきれいに二つに割れる。
美しいな…。
なぜこの人は何をやっても
先輩の所作の美しさと均整のとれた体にいつまでも見とれていたい。
得意の妄想で上半身裸の先輩に抱きしめられる映像が出てきそうになったけど、恥ずかしすぎておにぎりが食べられなくなってしまいそうで慌ててかき消した。
その後5回ほど薪を割ると先輩は割れた薪を拾い集め、コンテナに入れて蓋を閉めた。
「待たせたな」
しばらくして、長袖のTシャツを着た先輩がボーン部屋に入ってきた。
訂正。
先輩にも様にならないものがあった。
カジュアルな部屋着。
そういえば体育で着る学校指定のダサいジャージも似合わなさそうだ。今度見てみたいな。
私が想像してにやけていると、「俺の顔に何かついているか?」と先輩が怪訝な顔をした。
「またおにぎり作ってきたんです。今日は昆布とおかかです」
「ありがとう」
先輩が微笑む。
「おにぎりももちろんありがたいが、俺は知華が来てくれることが何より嬉しい」
ついさっきまで見とれていた(そして妄想しかけていた)人にまっすぐに見つめられると、顔を見るのがとてつもなく恥ずかしくなる。
真っ赤になって下を向いた私の耳に、先輩のくすっていう微かな笑い声が聞こえてきた。
「薪、けっこう沢山割ってましたよね。あれだけの量をどうやって調達しているんですか?」
この辺に山があるわけではないし、立派な薪だったので疑問がわいた。
「本来ならばそこも自分で拾うなりして調達しなければならないのだがな」
おにぎりをほおばりながら先輩が言う。
「さすがに俺でも限界がある。生活に追われすぎて勉学に影響が出るのもまずいしな。
俺の生活を手助けしてくれる人がいるのだ」
そうなんだ。
まったく一人で生活してるっていうわけではないんだ。
それを聞いてまたちょっと安心した。
「それって、先輩のご両親ですか?」
「…まあ、間接的には父や母にも助けてもらってはいるのだが。
直接サポートしてくれるのは別の人物だ」
先輩は少し言いにくそうにしていた。
「そのうち知華にも紹介することになるだろう」
とだけ言うと、またおにぎりをほおばった。
うーん、誰なんだろう?
その人を知ることで、先輩の謎がもっと解けていくんだろうか。
先輩と二人、決しておしゃべりが弾むわけではない。
けれど古い木造の青雲寮が独特の雰囲気を演出するのか、なんだかすごく穏やかで心地よく、時間の流れ方がここだけ違うような気持ちになる。
「二人で食べる朝ごはんはいいものだな」
お茶を飲みながら先輩がやわらかく微笑む。
「昼は昨日のように賑やかで楽しいし、夜は一人きりで静かに食べている。
…まあ、時々あいつらが夜まで居座ったりもするのだが。
それぞれに良いものだが、知華と食べる朝ごはんは他のどの食事とも違う心地よさがある」
私もそう思ってます。
先輩と毎日こんな風に穏やかな朝を過ごせたら──
…って言いそうになったけど、やめた。
「これからも、おにぎり持ってきてあげてもいいですよ?」
精一杯の、上から目線。
「そのかわり、朝ごはん食べながら、毎日少しずつ先輩のこと教えてください」
先輩のこと、いろいろ知りたい。
たとえ先輩から離れられなくなるとしても。
今度は先輩の顔が少し赤くなる。この表情も意外と似合わないな。
お返しとばかりに私がくすって笑うと、先輩はコホンと咳払いした。
「承知した。その条件をのもう」
ずいぶん大仰な言い方をしたから、またくすって笑いがもれた。
――――――
居心地がよすぎて、朝のHRぎりぎりに教室にすべりこんだ。
担任が来るまでのほんの数十秒の間に茉希が寄ってきて早口で言った。
「おはよ。後で話があるから」
真剣な顔でそれだけ言うと茉希は自分の席に戻った。
話?なんだろう。
1時間目の数学が終わると、早速茉希が話しに来た。
なぜか内山田君も一緒にいる。
「知華。内山田君に聞いたんだけど、ヤバい先輩にからまれてるんだって?」
「えっ?からまれてるわけじゃないよ。他の1年生よりは親しくさせてもらってるけど」
「紫藤鷹能って先輩でしょ?こないだ教室に来て知華を引っ張っていった人。
内山田君から、知華がつきまとわれてるって聞いたんだ。
ずいぶん一方的なんでしょ?
怒らせたらヤバい人だって言うし、知華抵抗できないんだよね!?」
「え?それは誤解だよ?鷹能先輩すごく優しいし…」
「今は知華ちゃんに優しくしてるけど、拒否したら絶対なんかされるよ!
なんなら先生に相談した方がいいんじゃないかな」
内山田君が真剣な顔で諭してくる。
「先生なんて頼りにならないよ!なにせ
「じゃあやっぱり警察にストーカー被害ってことで相談した方がいいかな」
「ちょっと待って!二人の暴走の方が怖いよ」
私は慌てて口をはさんだ。
「大丈夫!鷹能先輩はそんなヤバい人じゃない!
付きまとわれてるわけじゃないし、私が仲良くしたいだけだから安心して!」
つい私も声が大きくなってしまった。
「…もしかして、好きなの?その先輩のこと」
茉希が怪訝な顔をして尋ねてきた。
「…かもしれない。まだわからないけど」
私の言葉を聞いて、内山田君は片手で目を覆ってため息をついた。
それから顔を上げて私に言った。
「知華ちゃん。忘れないでおいた方がいいよ。
紫藤先輩は暴力事件も起こしてる。
未成年なのにたった一人で部室に住んでる。
どう考えても普通じゃないよ」
普通じゃないのはわかってる。
だからこんなに気になってしまうのかもしれないけど。
でも、周囲にこんな風に思われている鷹能先輩を私はわかってあげたい。
周りから理解を得られない恋ほど燃え上がるっていうパターンだな。これ。
あ、恋って認めちゃった。
とにかく、明日のおにぎりの交換条件はその暴力事件の真相を教えてもらうことにしよう。
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