第10話 離れたいだなんて思わせない

「星山さん。一緒に青雲寮うんりょーへ行こうよ」

 帰りのHRが終わって、内山田君が声をかけてくれた。

「うん」

 返事をしながら、教室の外の廊下を見やる。

 今日は鷹能先輩は迎えに来ていなさそうだ。

 私が入部を決めたら迎えに来る必要ないもんね。

 ちょっと残念な気もするけど、先輩は良くも悪くも目立つからほっとする。


「知華と内山田君、ほんとにブラバンに入るんだぁ。

 ヤバいっていう噂は大丈夫そうなの?」

 軽音楽部に入部を決めた茉希が心配そうに尋ねてくる。

(だいぶ親しくなったから、名前の”ちゃん”付けはお互いなくしたんだ)

「優しい先輩もいっぱいいるし、大丈夫そうだよ!」

 私は笑顔でそう答えた。


 昇降口で靴に履き替え、外に出た。

 内山田君と雑談をしながら体育館の横にさしかかると、鷹能先輩が壁にもたれて立っていた。


「鷹能先輩…?

 どうしたんですか?そんなところで」


 鷹能先輩は内山田君の方に刺すような視線を一瞬送った後で、私に微笑んだ。


「昨日のように教室に迎えに行くと人目について知華に迷惑をかけると思ってな。今日はここで待っていた」


「ちょっと待ってくださいよ!」

 と内山田君が口を挟む。

 内山田君、先輩に待ったをかけるパターン多くない?


「同じクラスに僕がいるんで先輩のご心配には及びませんよ。

 星山さんは僕が青雲寮に連れて行きますから」


 むっつりと押し黙る二人。

 何?この突然の緊張感は。


「じゃっ、じゃあ三人で一緒に行けばいいんじゃないですか?ねっ?」

 二人に微笑みかけてみたけれど、険悪な雰囲気はまったく解消されなかった。


「知華。行こう」

 上級生の威厳をふりかざして、鷹能先輩がずいと前に出た。

 そして昨日と同じように私の指に指を絡ませる。

「えっ」

 とたんに私の心臓はバクバクいって顔が熱くなる。

 目の前での恋人つなぎに呆然とする内山田君を置いて、先輩は私の手をつないだままさっさと歩き出した。


 優しいのに強引だなんて、まるで漫画に出てくる理想の彼じゃないですか。

 そんな展開に胸がときめかない女子がいるはずがない。


 恋人つなぎのままグランドを通り抜けているときに、先輩がぽつりと言った。

「強引な真似をしてすまない」

 絡ませた指から少しだけ力が抜けた。

「知華は、嫌か?」


 鷹能先輩は本当にずるい。

 私が踏み込むことをためらう間にも、先輩はどんどん私の心に入り込んでくる。

 胸が熱く息苦しくなるくらいに。


「嫌…ではないですけど」

 聞いてみたい。

 鷹能先輩のことを好きになったら私が急がなければならない理由。

「何か焦ってたり、しますか?」


 核心に迫りすぎたのか、鷹能先輩は驚いた表情で私を見た。

 一度ゆるめた指に再び力が入る。


「…俺の事情があるのだ」

 珍しく鷹能先輩が言い淀んだ。

「ただ、俺はこの話をすることで知華が俺から離れていくのが怖い」

 いつも堂々としている鷹能先輩らしからぬ言葉だった。


「私が離れていくような事情なんですか?」

「わからない。

 ただ、知華には俺から離れないでいてほしいのだ」


 愛情を求める子犬のような目に、

「離れませんよ、大丈夫」って抱きしめてあげたくなる。


 でもそれを言った先の覚悟は私にできている?

 覚悟を決めて、先輩の事情に踏み込みたい気持ちはある。

 でも、「離れません」って覚悟を決めるには、先輩のことをあまりにも知らなさすぎる。


 代わりに、私は鷹能先輩の手をきゅっと軽く握り返した。

 先輩、それが今の私が伝えられる、せいいっぱいの気持ちです。


「俺としたことが、弱気なことを言ったな」

 と鷹能先輩が苦笑いした。


 そして今度は私に向かっていつものようにやわらかい笑みを浮かべた。


「知華にはこれから俺をもっと知ってもらう。

 この先俺から離れたいだなんて思わないくらい惚れてもらえばいいだけのことだ」


 そんなの容易いことだと言わんばかりの表情に、私の気持ちの向かう先はもう決められてしまったように思えた。


 先輩を好きになった先には、何が待ち構えているんだろう?


 結局今日も恋人つなぎのまま青雲寮に入ることになった。


 ――――――


 靴を脱いで上がると、すぐ後ろから内山田君が入ってきた。

「ひどいな!紫藤先輩はストーカーまがいだ」

 二階に上がっていく先輩の背中にぶつけるように内山田君が言う。

「内山田君、落ち着いて。

 私はそんなに迷惑だと思ってないよ。

 先輩にも何かいろいろ事情があるみたいだし…」

 私がそう言うと、内山田君がきっと睨んだ。

「星山さんが優しすぎるから紫藤先輩の好きなようにされるんだよ。

 あの人がヤバいっていう噂忘れたの?」

「噂は噂でしょう?

 私には先輩がそんなヤバい人だなんて思えない」

 

 私が言い返すと、内山田君がため息をついた。


「ごめん。なんか俺が一人で空回ってるよな。

 でも、ほんとに嫌なことされたら俺に相談して?

 3年の先輩にだって、俺はひるまないから」

 内山田君は正義感にあふれる人らしい。


「心配してくれてありがとね」

 私が微笑むと、内山田君が少し顔を赤らめた。

「あのさ…俺も、知華ちゃんって呼んでもいいかな?

 ほら、この部活の先輩たちも君を下の名前で呼んでるし…」

「もちろん、いいよ」

 返事をすると、内山田君は安心したように笑顔になった。


 今日は昨日体験できなかったフルートに挑戦してみることにした。


「フルートは音を出すだけならそれほど難しくないわ」

 咲綾先輩からフルートの息を吹き込む部分だけ渡される。

 子供の頃よくやった、ビンの口に唇を当ててボーと吹く要領で息を吹き込む。


 ふぉぉ~


 とりあえず音は出たけど、尺八みたいなかすれた音。

 隣で優雅にフルートを構えている先輩たちを横目で見る。

 咲綾部長を筆頭に、なぜか皆さらさらロングヘアの綺麗どころばかりだ。

 悲しいかな、この中に混じったら明らかに私は場違いかも。


 クラリネットとトランペットのマウスピースもまた借りてみた。

 昨日は出なかった音が出て、ちょっと感動。


 けれどもここまでやってみて、やっぱり私が一番魅かれるのはあのパートだ。


「こんにちは。また来ちゃいました」

 パーカス部屋の扉を開けると、先輩たちと内山田君がいた。

「知華ちゃん!また来てくれてうれしい!」

 少年のような秋山先輩に抱きつかれてちょっと顔が赤くなる。


「知華ちゃんも来ると思ってたよ」と内山田君。

 今日の昼休みに青雲寮ここで一緒にランチした霧生きりゅう先輩に基本を教わっているようだった。

「知華ちゃんもこっちへおいでよ。基本の叩き方から教えるから」と霧生先輩。

「はい」と私は2人にまじった。


「昨日はつかみとしていきなりメトロノームに合わせてリズムセッションしたけれど、本当は叩き方にもちゃんと基礎があるんだ」と霧生先輩。

 スティックを2本渡され、それぞれを両手で軽く握る。

 肩の高さまで上げたスティックを下ろして、手洗い場のコンクリートの縁を打つ瞬間にスナップをきかせて同じ高さまで戻す。

 これをひたすら練習する。

「知華ちゃん筋がいいね」と霧生先輩が褒めてくれた。

 剣道の経験がちょっと活きてるかも。


 剣道を習い始めたときに、すり足や素振りをひたすら練習したことを思い出す。

 オシャレなカフェやお金をためるだけのバイトより、私にはやっぱり部活に打ち込む方が合ってるのかも。

 私を見つけて強引に青雲寮ここに連れてきてくれた鷹能先輩に感謝しなくっちゃ。


 吹奏楽部体験入部3日目にして、私は自分の希望するパートを決めた。

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