第9話 急いだ方がいい?
「今日の昼休み、よかったらまたうんりょーへおいで。
おにぎりのお礼にパスタでもごちそうしよう。
雑炊は夕食に回すことにするから」
先輩はそう言うと3年生の昇降口へ入っていった。
思わぬ誘いに、私はぽわんとした顔をしたまま1年生の昇降口前でしばらく突っ立っていた。
天高くから降り注ぐ日差しで明るいボーン部屋。
エプロン姿の鷹能先輩が私の目の前に置かれた白いお皿にパスタを盛り付ける。
「お待たせ」と微笑む先輩に私が微笑み返す。
二人で並んで「いただきまーす」と手を合わせる。
私がフォークでパスタをくるくると巻き取って口に運ぶまでをじっと見つめる先輩。
「おいしーい!」と感嘆の声をあげると、先輩がにっこり微笑んで――
…って、また妄想しちゃった!
お昼は楽しみだけど、その前に訪ねなければならない人ができた。
先輩の従姉妹、
――――――
「
ランチタイムに誘ってくれた二人を残して私は3年生の教室に向かった。
確か咲綾先輩は3-Bだったはず。
幼さの残る1年生の教室に比べると、やっぱり3年生の教室は大人っぽくて落ち着いた雰囲気だった。
おそるおそる教室をのぞいたけれど、咲綾先輩の姿は見えない。
教室の真ん中には十人くらいの男の先輩たちが固まって談笑している。
そのうちの一人がこちらに気づいて目が合った。
「1年生?なんか用?」
「あの…紫藤咲綾先輩にお話があって…」
「あら!知華ちゃんじゃない」
咲綾先輩の優雅で大人びた声が男子生徒のかたまりの中から飛び出した。
よく見ると、そのかたまりの中心にちょこんと座ってお弁当を食べているのが咲綾先輩だった。
初めて見たよ。逆ハーレム。
咲綾先輩は上品な所作で箸を箸箱にしまうと、席を立って教室の入り口まで来てくれた。
「どうかした?青雲寮では言えない用事で来たのかしら」
優しく微笑む咲綾先輩。どう切り出したらいいんだろう。
「あの…鷹能先輩のことで、お聞きしたいことが」
「あら、何かしら?」
「咲綾先輩は、鷹能先輩の従姉妹なんですよね?
…鷹能先輩が青雲寮に住んでること、どう思ってるんですか?」
ちょっと単刀直入すぎたかな?
「どう…って、タカが決めたことだから私が口を出すことでもないわ」
「あのっ、手助けとか必要じゃないんでしょうか?
一人であんな古い部室に住んでいて…」
私の余計なお世話が気にさわったのか、咲綾先輩が少しだけムッとした表情をした。
「手助けならしているわよ。
お父様にお願いして、タカがうんりょーに住んでいても問題にならないように根回ししているもの」
え?
「私のお父様、学校法人藤華学園の理事長だから」
本日二度目の衝撃発言。
この高校も、エスカレーターで進学予定の大学も、ついでに言うと付属の幼稚園も、みんな咲綾先輩のお父様が経営しているんですか!?
やはりこの方も紫藤一族ってことですか。
となると、従兄弟の鷹能先輩も紫藤一族確定じゃないですか。
なのになぜ…?
「どうして鷹能先輩は青雲寮に住んでいるんですか?一人で…」
なおも食いつく私に、咲綾先輩は今度は軽く微笑んだ。
「そう。知華ちゃん、心配してるのね。タカのこと」
そう言われて耳たぶまで熱くなってしまった。
「タカなら大丈夫よ。タカの家は、そういうおうちなの。
今に知華ちゃんにも事情がわかると思うわ」
咲綾先輩が含みをもたせる言い方をした。
”そういうおうち”ってどういうおうち?
咲綾先輩は、鷹能先輩に「家」があるって言い方をした。
っていうことは、鷹能先輩にはちゃんとご家族がいるってことだよね?
「それに、私個人もタカには恩があるし、タカへの協力は惜しまないつもりよ」
咲綾先輩が優しい眼差しでまっすぐに私を見つめる。
「だから、知華ちゃんにも教えてあげる。
あなたがもしタカのことを好きになったなら、急いだ方がいいわ。
あなたが早く決断しないと手遅れになるから」
「え…?急ぐって、決断って、何をですか?」
「うんりょーにタカと一緒に住むこと、よ」
そう言うと、咲綾先輩は自分を待つ男子生徒たちのところへ戻っていった。
「タカ、お昼休みにあなたがうんりょーに来るって楽しみにしてたわよ」
という言葉を残して。
――――――
小走りで青雲寮に向かう間、咲綾先輩の言葉がぐるぐると頭の中を回っていた。
鷹能先輩のおうちは、そういうおうち。
もし先輩を好きになったなら、急いだ方がいい。
早く青雲寮に一緒に住まないと、手遅れになる…?
鷹能先輩に、今からそのへんの事情を聞けるだろうか。
いや、でも、ちょっと待って。
そもそも私、鷹能先輩のこと好きなのかな?
もう、この気持ちは好きっていうことで確定なのかな?
鷹能先輩を好きだって認めたら、なんだかいろいろ大変そうだ。
ちょっと尻込みしそうな気持と、もっと踏み込みたい気持ち。
自分の気持ちがまとまらないまま青雲寮に着いた。
ギイイと扉を開けると、醤油の焼ける良い香りと談笑する声が私の方へ流れてきた。
鷹能先輩以外に誰かいる。
二人きりのランチを妄想していたし、咲綾先輩の言ったことが聞けないから少しがっかり。
でも少しほっとする。今日のところは踏み込まずにすみそうだ。
靴を脱いで、声のするボーン部屋へ向かう。
部屋の入り口から中をのぞいた。
「あっ、知華ちゃん遅かったね~。先にお邪魔してまーす」
能天気に挨拶するのは、指揮者の富浦先輩だ。
富浦先輩はやっぱりチャラい。
昨日のあの真剣な棒さばきと厳しい指導は別人だったのか?
パーカッションの3年の男の先輩、
もう一人は、鼻炎で小柄なトロンボーンの山崎先輩。
それぞれがお弁当やパン、カップラーメンをほおばる中、黒のエプロンを制服の上からかけた鷹能先輩はカセットコンロに置いたフライパンでパスタを和えていた。
「ちょうどよかった。今パスタが出来上がったところだ」
そう言いながら、鷹能先輩はコンロの火を止めて、2枚のお皿に和風パスタをよそった。
「いいなー。うまそう。俺も食いたいなぁ」
もうパンを食べ終わった様子の霧生先輩がお皿をのぞき込む。
「これは二人分しかないから駄目だ」ぴしゃりと鷹能先輩が言う。
「タカの作るメシは絶品だからな」鼻をかみながら山崎先輩が言った。
なんだか和気あいあいとしていて皆仲が良さそうだ。
「みなさん、いつもこうして青雲寮でお昼食べてるんですか?」
私が尋ねると、霧生先輩が「だいたいこのメンバーだよね」と言った。
「こいつらが勝手に押しかけるのだ」
不満そうに鷹能先輩が言うけれど、それが気ごころの知れた仲間への冗談だということは私にもわかる。
「いいじゃんかよー。みんなのうんりょーだぞ?」と富浦先輩。
なんか安心した。
鷹能先輩、一人ぼっちっていうわけじゃないんだな。
住んでいるのは一人だけれど、学校では浮いた存在かもしれないけれど、
「いただきます」私はお皿の前で手を合わせた。
きのこと玉ねぎとベーコンが入った和風パスタ。
彩りよく青ネギがちらしてある女子力の高さに感心する。
お箸で一口分をとり、口に運ぶ。
「あふっ」
「大丈夫か?熱いか?」心配そうに鷹能先輩がのぞき込む。
「…おいひぃっ!」
口の中ではふはふさせながらも、思わず言葉に出したくなるほど美味しい。
「そうか、よかった」
私の反応をじっと見ていた先輩がまたやわらかく微笑んだ。
妄想してたのとはちょっと違うシチュエーションだけど、鷹能先輩の素敵な微笑みは妄想の中そのまんまだ。
「ほらぁ、これだよ」
と富浦先輩が言う。
「タカちゃんのこんな笑顔、俺らだって見たことないよなぁ。
いっつも能面みたいな仏頂面してるのに、知華ちゃんの前では人が変わるよね」
その言葉を聞いた鷹能先輩は
「野郎どもに愛嬌を振りまいても仕方なかろう」
と、富浦先輩の言う仏頂面に戻った。頬は少し赤いけど。
先輩の頬の赤さが伝染したように、私の顔も赤くなる。
この笑顔、私だけに向けられたものだったんだ。
嬉しい。
恥ずかしいけど。
でもめちゃくちゃ嬉しい。
先輩たちのおかげで賑やかで楽しいランチタイムになった。
「急いだ方がいい」っていう咲綾先輩の言葉がひっかかったけれど、私の鷹能先輩への気持ちが”好き”っていう気持ちかどうかまだはっきりさせられない。
だって、私は先輩のことをたった2日前に知ったばかりだもの。
でも、私の心のベクトルはすでに向きが決まっている気がする。
あと私に必要なものは、そちらへ向かって突き進む覚悟だけのような気がした。
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