第12話 明日は竹刀持参だ
「ああ、あの事件のことか」
鷹能先輩はおにぎりを口に入れてもぐもぐしながら、忘れかけていたことを思い出すような遠い目をした。
ボーン部屋の大きなテーブルには、おにぎりと水筒、マグカップに入った2つのお茶がのっている。
やわらかい朝日がすりガラスから差し込み、今日もこの空間だけゆっくりと時間が通り過ぎていく。
「私、先輩にはよっぽどの理由があったんだと思ってるんです」
鷹能先輩が木刀でむやみに上級生を襲うことなんて考えられない。
「まあ、よっぽどと言えばよっぽどだが、俺も若気の至りではあった。
何より叔父上と咲綾に迷惑をかけたことなので今は反省している」
そんなことを言いながら、ぽつりぽつりと教えてくれた先輩の話をまとめるとこういうことになる。
鷹能先輩と咲綾先輩が入学した当時、3年生に10人ほどの不良グループがいた。
そいつらは暴力団の末端にいるチンピラ達ともつるんでいて、ドラッグや賭博にも手を出していたけれど、どいつもそこそこ良家のお坊ちゃんで親からの圧力もあり、警察沙汰にならない限りは学校も処分を出せないでいた。
そいつらが理事長の娘である咲綾先輩が入学してきたことに目をつけた。
理事長の娘を取り込めば学校側もますます自分たちに手を出せなくなる。
そう考えた奴らは、咲綾先輩をドラッグを使って手籠めにしようと集団で拉致しようとした。
それにキレた鷹能先輩が木刀を持って奴らを追いかけて10人をボッコボコに打ちのめした。
奴らは先輩に報復しようと仲間のチンピラを学校に乗り込ませたけれど、それも鷹能先輩が追い返した。
とうとう暴力団の上の方が出てきたけれど、上の方はそれなりに話の通じる人たちで、理事長はじめ学校幹部との話し合いの末、お互い警察沙汰にはしないという話で落ち着いた。
上級生の奴らは退院後学校に復帰したけれど、暴力団幹部にお灸をすえられたのと鷹能先輩を恐れたのとで以後はそれなりに大人しかったという顛末だった。
「そんなことがあったんですか…」
咲綾先輩が鷹能先輩に”恩がある”って言っていたのはこのことだったんだ。
そしてやっぱり安心する。
鷹能先輩にはちゃんと理由があったんだ。
先輩は”ヤバい人”なんかじゃない。
…まあ、確かにちょっとやりすぎた感じはするけど。
「暴力事件を起こしたのに俺がお咎めなくいられるのも、叔父上や咲綾が尽力してくれたおかげだ」
長い話をした後で、鷹能先輩がゆっくりとお茶を口に含んだ。
「…あと、父上のおかげ、か」
「父上…」
鷹能先輩の口から初めて出た家族の呼び名に驚いた。
「お父さんって、どんな方なんですか?」
今どき”父上”って呼ぶなんて、ナンセンスにもほどがある。
先輩だから似合っちゃうけど。
「会ってみるか?父上に」
先輩に微笑まれてドキンとした。
「あ、会えるんですか?私」
「いずれ会わせなければならないと思っている」
鷹能先輩はもう一口お茶を飲んだ。
「知華に覚悟ができたなら、だ」
「覚悟って、どんな覚悟…ですか?」
「先日言ったように、俺から離れない覚悟だ」
スルーできない。
もう限界。
「…離れられないと思います。もう。…多分」
言ってしまった。
これって、好きって言ってるようなものだよね?
心臓が口から飛び出そうなくらい鼓動が高鳴って、全身の血が一気に顔まで駆け上がる。
意を決して気持ちを伝えたはずなのに、先輩は予想外に涼やかな顔で微笑んだ。
「多分、では覚悟が足りんな。
俺が欲しいのは”絶対に”だ」
食べ終えたおにぎりのカラーホイルを小さく丸めてテーブルに置くと、先輩は私の隣のパイプ椅子から立ち上がった。
私が座っている椅子の後ろに回ると、先輩の腕が伸びてきてふわっと私の肩にのった。
私の顔の前で先輩の両手の長い指が組まれる。
私の頭のすぐ後ろから先輩の低い声がした。
「だが嬉しかった。今の言葉」
どどどどうしよう。
動けない――
先輩の温かいため息が私の髪にかかる。
「どうしたら”絶対に”離れないと言わせられるだろうか…」
もういっそ今言ってしまいましょうか。
緊張しすぎて涙出てきました。
ふわりと先輩の指と指が離れ、私の視界から消えた。
気がつくと、先輩は私の横に立ってテーブルに片手をつき、私に向かって微笑んでいた。
「よし、知華。
明日はおにぎりとお茶と竹刀を持ってこい」
「はっ!?」
謎展開きた!
「明日から剣道の朝稽古をするぞ」
「えっ?なぜ!?」
「無論、君に”絶対に”離れないと言わせるためだ」
すごくいいことを思いついたとばかりに子供っぽい笑顔になる先輩。
剣道の稽古をすれば先輩のこともっと好きになるんですか?
明日のおにぎりの交換条件はその超論理について問いただしたい。
いや、その前に朝稽古をやらなきゃなのかな?
「そうだ。父上の前にまず武本に会わせなければだったな」
先輩の言葉に頭を抱える私に、鷹能先輩はそう告げた。
武本って誰?
…あ、もしかして先輩の生活を助けてくれてる人のこと?
私にそのうち会わせるって言っていた人。
「知華。明日の部活の後少しうんりょーに残れるか?
夜に武本が来ることになっているのだ」
「あ、はい。大丈夫です」
先輩の言葉に反応しながらも、さっきの先輩の腕と声とため息の余韻がまだ私の体じゅうをかけめぐっている。
先輩の事情に踏み込もうかどうか迷っているつもりが、気がつけば鷹能先輩の手に引かれ、私の足は完全にずぶりと踏み込んでいた。
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