え? ああ……うん……まあ、いいんじゃない?


「……そこまではわかるのか」

「ええ。そこまでしかわかりませんでした」


 若干目を見開いてお姉さんが聞き返す。沙池さんも開口した口元を手で覆い隠している。二人ともなにを驚いているのか。僕はこれだけしかわからなかったことに対して、二人にちょっとした罪悪感さえ感じているというのに。


「根拠は?」

「まず、大前提の方から。送られた手紙や玄関前にぶちまけられた物から察するに……ああ口にしなくていいですよ沙池さん。察するに、犯人は男でしょう。ギリギリ女が男に成り済まして、男のを手紙に入れたりしたとも考えられますが……ストーカーってのは自分の存在を相手に感じさせることに悦びを感じる生き物でしょう? なら、手紙のや玄関のは、犯人自前だと考えられます」


「次は?」

「ここから考えられるのは、犯人が精根枯れるほど年寄りではないということです、文字通りの意味で。さらに、沙池さんの背後をつけていたことから、体力には余裕があることもわかります。地獄のような京都の夏、夜でも決して涼しいとは言えないのに、日中にまで徘徊するなんて、年寄りには難しいでしょう。犯人は若いことがわかります」


「うちの大学の生徒だってのは?」

「ここまでくるとなんとなく、って感じですけど……しいて言うなら沙池さんの家を特定できたからです。沙池さんがストーカーに遭った頃……つまり僕たちが出会った頃、沙池さんの大学は未だ夏休み前でした。お姉さんがレポートに四苦八苦してましたしね。その時期に沙池さんの家を特定するのに最適なのは、沙池さんの帰宅ルートを把握しやすい同大学の生徒かなあ、と思って」


「……同じ学部とは?」

「僕の持論ですけども。いくら美人でも、一目惚れでストーカーなんてしますかね? ストーカーする人って、大体『あの人は実は自分のことが好き』だとか、『あの人と自分は結ばれる運命にある』って思ってる人だって聞いたことあります。なら、そう思うに足る……かどうかはわからないけど、接点があると思うんです。沙池さんと犯人を結びつける接点。大学は広いですし、生徒数が多いといってもその大半とは関わらずに大学生活を終えるのが普通でしょう。なら沙池さんの近しい場所に犯人はいるはず。そのうち、常用語字典部の男子部員二人は諸事情で却下。なら、他は学部か学科が一緒の人かなあ……なんて」


「…………」

「…………」


 お姉さんと沙池さんは、二人して黙りこくってしまった。僕の稚拙な推論に、どう答えればいいかわからなくなってしまったのだろうか。なにぶん尻の青い高校生の戯言なので、話半分に聞いてもらいたいのだけれど。


「……なんかさ。いや、いいんだけどさ」

「なんですか。持ち込み作品の稚拙ぶりになんて言えばいいかわからない編集みたいな切り出し方はやめてくださいよ」


 お姉さんは微妙そうに眉を寄せた。


「アンタ、今回は妙に積極的に推論を組み立てるね。いつもなら、『僕は探偵じゃあないです』とか御託こねて、最後にあたしがなだめすかして推理させる流れなのに」


 あの流れは全て計算づくだったのか。知ってたけど。


「……別にいいじゃないですか。それで、僕の推論はお姉さん的にどうなんですか?」

「え? ああ……うん……まあ、いいんじゃない?」

「曖昧ですね……」

「いやいいと思うよ? うん、てか多分それが正解……」


 こほん、とお姉さんは咳払いをした。


「じゃ、この事件の犯人は沙池の学部の人間、……。調べればすぐにボロが出るだろう」

「……じゃあ。先輩、この事件は……」

「うん。まあ、これでおしまい?」


 開始二分にして、この短編の本題が終わってしまった。

 いや、沙池さんにしてみれば一週間超の事件だったのか。あまりにもあっさりとし過ぎたその終了のゴングに、お姉さんも沙池さんも反応ができずにいる。


 ––––しかし。

 僕には未だ一つ、この事件の中で理解できない点があった。


「沙池さん」

「はい……?」

「沙池さんの住んでるマンションって、どんなセキリュティが採用されてるんですか?」

「はあ……集合玄関にオートロックが採用されている、普通のですが……?」


 おっふ。

 大学生の住まうマンションで、オートロックマンションが普通なのか……。薄々勘付いていたが、もしかして沙池さん、お金持ちの家の娘さんなのだろうか。系統的には、『槍間さん』と同じカテゴリに属する人なのかもしれない。


––––さて。そうなると––––


「お姉さん。僕、少し気になるんですが、

「ううむ……ま、そうなるはな、論点は……」


 ポストに手紙を投函するぐらいなら誰でもできる。しかし、オートロックマンションに入り込み、沙池さんの部屋を特定、さらに沙池さんの部屋の前に不適切な行為をするなんて、そうそうできることとは思えない。


「気になるんですよね……学部まで絞り込めたなら、犯人はもう数日後にはわかることでしょう。しかし……その数日の間、犯人がなんのアクションも起こさないとは限らないでしょう?」

「……縁も今は居ないしね……まいったね」

「お姉さん、もし良かったらなんですけど、犯人が見つかるまでの間、沙池さんの部屋に泊まり込むことはできませんか? 流石に一人は不安でしょうし……沙池さんも、その方がいいですよね?」

「……でも。先輩に––––」

「迷惑だなんて思いませんよ、お姉さんは。困った時に頼られない方が、よっぽど迷惑に思うような人です、お姉さんは」

「お。よくわかってんね」


 お姉さんがシニカルに歯を見せて笑う。つられて僕も頬を緩めてしまう。ちょっとカッコつけ過ぎちゃったかな。


「……じゃ。そういうことで。お姉さん、早めに帰って着替えとか取りに戻ったらどうです。僕はぼちぼち、家に帰りますから……」

「は? なにを言っている?」

「?」


 お姉さんは小首を傾げた。


「アンタも一緒に来るんだろう?」

「はあ!?」

「なんかそんな流れだったじゃないか。こっちとしても、男一人いるのといないのじゃ、勝手が違うしね」

「いや……僕、世間の流れに歯向かいたいお年頃なんで……」

「それに。ここまで推論を組み立てたのはアンタだろう。泊まりがけの発案をしたのもアンタ。発案者が言い逃げっていうのは、感心しないなあ」

「そんなこと言ったって……僕はもう推理っていう立派な仕事したじゃないですか……」

「あ」


 お姉さんはなにかに気づいたように目を見開き、ついで僕に疑心の視線を送ってきた。まずい、バレた。


「アンタ」

「……はい?」

「今回推理に積極的だったのは、ストーカーから逃げるためか?」

「………………」


 ソンナコト、アルワケナイジャアナイカ。ボクハカリニモシュジンコウダゾ。ソンナオクビョウモノミタイナコト、スルワケナイダロウ。


 その思いは、言葉にならなかった。


「……おい」

「……なんすか」

「……まあ強くは言わないけどさ。アンタ……情けないねえ……」

「ほっといてくださいよ……。僕は頭脳労働派なんですよ。ストーカーってアレでしょう? みんなナイフとか常備してるんでしょう? 怖いじゃないですか」

「はあ……。いや、なにも言うまい。いいよ別に、それで。アンタも未だ高校生だしね。受験もあるし、危ないことには巻き込めないか」


 ………………

 そういう言い方をされると、なんだか心にひっかるものがあるな。


「……なんすかなんすか。最初に言い出したのはお姉さんでしょ」

「だからいいって。アンタはもう帰っていいから。勘定はあたしがしとくから」

「……いや別に? 別に受験まで大分時間あるし? 成績も順調だから? 時間には大分余裕あるかなあ?」

「いやほんとにいいって……」

「やっぱり行けます。いえ、行かせてください」


 僕は伏してお願いした。実際、いくらお姉さんが頼りになるからって、それは暴力の存在しない場所での話しである。お姉さん自身に、腕っぷしが強いだのなんだのの付属情報は存在しない。お姉さんだって、普通の女なのだ。

 僕が守らないと、なんて格好いいことは言うまいが。それでも、僕の怠慢で沙池さんとお姉さんになにかがあっては、僕は常用語字典部のみんなに顔向けできない。


「ということで……沙池さんすいません。縁さんが居ない間、僕も部屋に居ていいですか? いえ、別に泊れなくてもいいです。夜中には帰りますので……」

「え? 帰るの?」


 うるさい。僕に居て欲しいのか欲しくないのかどっちだ。


「ダメですか……?」

「ダメといいますか……いや、別にきみがいやだって訳じゃあないんだけど……」

「まあ、ですよね……」


 沙池さんには一週間前の事件の存在がある。それに加え、今回のストーカー事件。つくづく男運が悪いと言えよう。そんな状況で、僕のような素性の知れない高校生を家に入れるなんて……


「安心しなよ、沙池。こいつはアンタが嫌がるようなこと、絶対にしないから」

「わかってます、けど……」

「この場合、絶対っていうのは比喩じゃない。こいつにはね、

「! お姉さん、それは––––」


 慌てて僕はお姉さんの表情をうかがう。しかし、その表情には沙池さんを安心させようという意思しか感じられず、僕に対する皮肉、嫌がらせ、それに準じる準じないに関わらず、あらゆる感情は読み取れなかった。お姉さんは僕のことなんてなにも考えず、沙池さんのために話している。


「な? どうだ沙池。こいつのことは信用していい。あたしが今までお前に誠実さを欠いたことがないように、こいつもお前に誠実であろうとし続けるさ」

「…………そう、ですよね」

「それに。沙池はこいつのタイプだからな。不用意に汚そうとはせんだろう」

「逆効果ですよ……」


 事実だけどさ。


 沙池さんはしばらく僕とお姉さんをにらめっこし、なにかを確かめるように頷いた。


「わかりました……あの、ありがとうございます。ほとんど初対面なのに、こんなに良くしてくれて……」

「なあに、縁さんのお友達のピンチに駆けつけずにいられませんよ。僕がいるからにはもう安心ですよ、沙池さん」

「さっさと逃げようとしてたくせに……」


 うっせ。


 こうして僕は、沙池さんの家でお泊りをすることとなった。なんとも胸が熱くなる展開なのだが……この時の僕の選択を、僕は一生悔いることになる。


 どうして僕は、犯人が捕まるまでの間、沙池さんはホテルにでも泊っていればいいじゃないか、なんて、簡単なアイディアが思い浮かばなかったのだろう。



 

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