第5楽章 ささやかな歓迎会
「本当にここでいいのか? 霧野」
霧野の基礎練道具を全て買い終えた一行は、楽器店を後にし、再び繁華街を歩いていた。
霧野の買い物に優人と千里も付いてきてくれたので、せっかくならバチ選びの帰りに、霧野の歓迎会兼パーカッションメンバーの親睦会でも行おうと思っていた大村だったが――――
どこかいい店がないかと探しながら歩いていたものの、土曜日のお昼時の繁華街はどこも店が混んでいて、あちらこちらで順番待ちが発生していた。
そんな中霧野が突然立ち止まり、即決で「ここがいいっす」と言ったのは――――どこにでもある、某ハンバーガーチェーン店だった。
「……こういうところが、一番落ち着くっす」
そう言ってチキンのパティを挟んだバーガーを頬張る霧野を見て、大村は笑う。
「でもせっかく歓迎会やるって話だったのに……ただ普通に飯食う感じになっちまったな。それもファーストフードって……」
「だって、せっかくの機会だから皆で遊びたいと思って、あたしがカラオケ行きたいって言ったら……ユッキーものすっごく拒否するんだもん」
そう言って口を尖らせる千里に、霧野は眉間にシワを寄せ短く呟く。
「カラオケは嫌」
「まあまあ。それはともかく、奢るって約束してたし、せめてもうちょっといい感じの店に行けりゃよかったんだけど……まあどこも混んでて即入れそうなのはここだけだったし、霧野がいいならそれでいいか」
「でも先輩も三人分奢るのにあんまり高いとこじゃ困るでしょ? これくらいがちょうどいいんじゃないですか?」
「え? 三人って……奢るよって約束してたのは霧野だけのつもりだったんだけど」
真顔でそう言う大村に、千里は目を大きく見開き声をあげる。
「えっ、でもさっき先輩が皆のまとめて払ってくれてたのって……あっ! じゃあお金返さなきゃ!」
「そうだよ千里、僕らも一緒に、っていうのはちょっと図々しいよ……」
静かに千里をたしなめる優人だったが、二人に向かって大村は笑って言う。
「うそうそ、冗談だよ。全員分奢るつもりだったって」
「良かった……あたし図々しい子になっちゃうとこでした」
「……ありがたいっす」
ホッと胸をなでおろす千里とぼそぼそと礼を言う霧野に対し、優人は申し訳なさそうにおずおずと口を開く。
「でも、先輩……悪いですよ。僕だけでも払いますから……」
大村はそれを聞いて、笑いながら首を横に振る。
「優人は真面目に受け取りすぎだ。確かにそんな金持ちじゃねーけど、
「……うちの学校、今時珍しいバイト禁止ですもんね。お小遣いだけじゃなかなか厳しいですよねぇ」
千里はそう言いながらも奢ってもらった食事を遠慮なく食べ進め、細長いポテトを二、三本つまんでは口に入れる。
「ま、吹奏楽やってたら、どっちにしろ学校前には朝練、学校終わりにも練習、休みの日も練習で……学校がバイトOKだったところで、バイトなんてする余裕ねぇからな」
大村はそう言うと、千里が手に取ったバーガーを見て尋ねる。
「ちなみに千里のバーガー、それ何なんだ? 見たことねぇな」
「『海老マヨバーガー』です。今月新発売なんですよ! あたし、新商品には目がなくって……気になってたのでこれにしました。そう言う先輩は何選んだんですか?」
そう言われた大村は手に持っていたバーガーを掲げて見せる。
「俺はいつも『てりやき』だよ。優人は?」
「僕は……ええと、魚のやつです」
優人はそう言ってバーガーを見せる。
「へぇ、フィッシュなんとかってやつか? でも優人は細いから、肉食わねぇとって感じもするけど?」
「肉よりは魚が好きなんで……」
優人はそう言って少しきまりが悪そうにもそもそとバーガーを食べ進める。
(奢るって言った時の反応とか、選ぶバーガーとか、皆てんでバラバラで……よくまあここまで個性の違う三人が揃ったもんだな)
大村は密かに思ってほくそ笑んだ後、ふと霧野に尋ねる。
「そうだ、今度皆のコンクールの担当楽器決める前に聞いておきたいんだった。えーと、霧野は音楽の経験あるのか? 例えば……ピアノ習ってたとか?」
「……何もないっす」
きっぱりとそう言う霧野に対し、千里も頷く。
「あたしも。優人はピアノ、中学までやってたって言ってたよね」
「うん」
優人もそう言って頷くのを見て、大村は再び話を再開する。
「俺も吹奏楽入るまでは音楽には縁がなかったけど、まあなんとかやってるよ。一応パーカッションにも譜面があって、多少楽譜を読めた方がいいけど……まあパーカッションは、楽譜に書かれた音階の通りに演奏する必要がある楽器は、音階のある鍵盤楽器かティンパニくらいしかないし……あとは大体、リズムさえ頭で覚えればなんとかなるよ」
「あたしも楽譜はそんなに得意じゃなくて、ドレミは一個ずつ丁寧に数えなきゃ読めないんですよね。まあ前もって数えといたり優人に聞いて、あらかじめ譜面にドレミをカタカナでメモして書いとけば大丈夫だよ」
大村と千里はそう言うが、霧野は楽譜を読む必要があると聞いて少し不安げな表情をしている。大村はそんな霧野に笑いかける。
「ま、次の部活では夏のコンクールの楽器の担当も決めなきゃなんねぇし……その時にパーカスの譜面がどんな感じなのか見せるよ」
そう言った後大村は、皆がポテトをつまんだりドリンクを持ったりする手の動きを見て、ふと思いついたように言う。
「そうだ、先輩から教わったんだけど……お前らにはまだ言ってなかったな。パーカッションやるにあたって、日ごろから習慣づけて欲しいことがあるんだ」
「え、何ですか?」
千里が首を傾げて尋ねる。大村はドリンクを左手で持ち、にやりと笑う。
「利き手と逆の手を、日常生活でなるべく使う習慣をつけてみて欲しいんだよ」
優人はそれを聞いて目を丸くする。
「え、どうしてですか?」
「利き手の逆の手って……普段あんまり使わないだろ? てことは、両手を均等に使いたけりゃ鍛えないと駄目なんだよ……っとその前に、皆は、利き手は右手か?」
皆は揃って頷く。
「俺も同じだ。じゃあ、日ごろから左手を使うように意識するんだ。右と左の感覚のずれがあるまま楽器を演奏することになると、左右音がバラバラになるし……なるべく両方均等に使えるようになるために、日ごろから慣れとくってワケだ」
「ええー。それちょっと大変そうですね」
千里はそう言いながら、試しにポテトをつまむ手を左手に変えてみる。
「まあ、左手で字が書けるように……とまでは言わないけど。それでも慣れるまではなかなか大変だったりするぞ。頑張れよ」
大村はにんまりと笑ってそう言った後、頬杖をついて皆を見渡す。
「うーん、あと他に聞いとく事ないかな。あ、そういえば、皆は……何か趣味とかあるのか?」
そう言う大村に、霧野が即答する。
「……ないっす」
「うーん、僕も特に思いつかないです……」
「あたしも……何だろう、買い物とか、食べるのは好きだけど趣味って言われると……」
優人と千里は、考える素振りを見せるも、何も思いつかない様子で言う。大村はそんな皆の様子を見て笑う。
「はは、そっか。でもそれを聞いてちょっと安心したよ」
「え、何でですか?」
「……吹奏楽やってると、さっきの左手使う習慣とかもそうだけど、練習時間も多いしどうしてもそれが生活の中心になって……他の趣味やる暇なんて正直ないんだ。だからちょうどいいってワケなんだよ」
霧野はそれを聞いて眉をひそめる。
「……吹奏楽って、そんなに大変なんすか?」
「ああ。でもどの部活もそうだと思うけど……そんな生活が案外充実感あって、楽しいんだぜ。霧野だって今、毎日ずっと基礎練やってて全く苦じゃないように見えるけど……違うか?」
大村にそう言われて、図星だということに気づいたのだろうか――霧野は思わず押し黙る。
「じゃ、皆食べ終わったようだし、そろそろ行くか」
大村はそう言って立ちあがる。皆も立ち上がり、荷物を持って席を立とうとするが――その時、大村は霧野に笑いながら言う。
「おっと。霧野、お前……その袋、忘れちゃ駄目なやつだろ?」
そう言われた霧野は、席に置いてある袋――先程バチを買った、楽器店のロゴマークが大きく入っている黄色い袋を見つけて、慌てて手に取る。
「あっと……すいません」
一行は店を出る。出たところで大村が皆を振り返って言う。
「じゃ、ちょっと早いけど……そろそろ帰るか?」
その言葉に千里が頷く。
「そうですね、疲れないうちに帰りましょうか。次の部活までに英気養わないといけませんし」
「だな。来週からは、いよいよ楽器練も始めるからな」
「わー! 楽しみです!」
喜ぶ千里を見て、優人も――いろいろあったけどようやく楽器練ができるのだと思うと、密かに胸を躍らせる。
そうして一行は再び行き交う人の多い繁華街に出ると、来た時と同様一列に並び、人混みに紛れて駅までの元来た道を歩いてゆく。
霧野は皆の一番後ろについて歩きながら、手に持った楽器店のロゴが描かれた袋を眺める。
そしてこの楽器店の袋を持っている自分は、周りから見ると音楽をやる人に見えるのかなとふと思い――実際その仲間入りをしたのだと思うと、楽器店の袋を持っていることが少し嬉しいような、誰かに自慢したいような、それでいてどこか気恥ずかしいような思いがして――――思わず袋の持ち手をそっと握りしめた。
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