第4楽章 バチ選び
次の日の土曜日の9時55分、霧野は待ち合わせ場所の、駅前広場にある噴水の前にやってくる。
誰か来ていないかと思い周りを見渡していると、向こうの方にいた大村が霧野に気が付いて手を振る。
「霧野、お前が一番乗りか」
白いTシャツにジーンズを履き、黒色のジャケットを羽織っている大村が向こうからやってくる。
「あ、大村さん。……今日は休みの日なのに、アタシのことに付き添ってもらって……その、ありがとうございます」
意外にも丁寧にそう言う霧野を見て、大村は少し驚いた様子を見せた後、ニカッと笑う。
「いいっていいって。初めてバチ選ぶのにコツとか教えなきゃいけないしな。俺も、初めて買った時は先輩に付いてきてもらったんだ」
大村はそう言った後、霧野を見る。今日の霧野は白色のロング丈のTシャツに黒色の細身のパンツを合わせ、無地のカーキ色のオーバーサイズ気味のシャツを無造作に羽織っていて、黒い斜め掛けバッグを前側に持つ、少しメンズライクのカジュアルコーデである。
(こういうメンズっぽい服着た女子って、ちょっといいよな。似合ってるし)
大村は密かに霧野の服装を気に入るが、まだ出会って間もない仲でそんなことを言っても霧野を困らせるだろうと判断して、何も言わないでおく。
「お待たせしました」
向こうから優人がやってくる。淡い青色の無地の襟付きのシャツにチノパンを履いている、無難な感じの服装である。
「お、優人。大丈夫だよ、まだ時間前だ」
大村が優人に向かって手を振る。そしてやってきた優人と霧野の二人に尋ねる。
「そういや、お前たち同じクラスなんだって?」
「まあ……そうっす」
それどころか、席も前後なんだけど……と思ったもののそこは触れずに、霧野は一言それだけ答える。
「まあ……それまで喋ったこともなかったんですけど」
優人も大村のそばに来ると、笑って答える。
「ふうん。そういう全く関係のなかったヤツらが集まるのが、部活の面白いとこだよな」
大村はうんうんと頷きながら、一人何かに納得した様子である。
「あ、もうみんな集まってる!遅くなりましたぁ!」
向こうから千里が小走りでやってくる。千里は涼しげなブラウスに花柄のスカートと、女の子らしい恰好をしている。
「お、千里も来たか!走らなくても大丈夫だよ、10時ぴったりだ。よし、全員揃ったし行こうか」
大村はそう言うと、皆を連れて駅の方へ移動する。
一行は電車で1時間弱程かけて、都市部まで移動する。
「なんか、久々に都会に来た、って感じするね」
駅から出ると、千里が人の多さに目を丸くしながら言う。
「繁華街の方に行くぞ。はぐれないで、ちゃんと付いてこいよ」
大村はそう言って、店がたくさん立ち並ぶ通りの方へ行く。
休日のため人が多く、横に広がって歩けそうな感じではなかったため、一行は大村を先頭に縦一列に並んで歩いてゆく。
ファッション、雑貨、カフェやスイーツの店――様々な店が並ぶ繁華街をしばらく歩いていると、大村が後ろを振り返り、三人に声をかける。
「お、あったあった。あそこの店だ。前に来てるとはいえ、完璧には覚えてないもんだから通り過ぎてないか焦ったぜ」
大村が指さす方を見ると、霧野でも名前を聞いたことのある、そこそこ有名な楽器店があった。
一行は店に辿り着くと、早速中へ入る。まずギターがずらり並んだコーナーがあり、その奥にトランペット等の金管楽器がきらびやかに並んでいる。
「ここのトランペットだったりは吹奏楽でも使う楽器だな。俺たちの目指すコーナーはまだ奥の方だけど」
大村がそう言うのを聞いて、霧野は何気なくピカピカと光るトランペットを眺めた後、その下に書かれている値段を見る。いち、じゅう、ひゃく――と0の数を数えてみると、値札には、30万円と書かれているようだった。
「高っ」
思わず霧野が小さく呟くのが優人の耳に聞こえた。一番前にいた大村にもそれが聞こえたらしく、霧野の言葉に対して笑って言う。
「ははっ。ここに並んでるのは割といいヤツなんだろうけど……それでも初心者向けの安いヤツでも数万はするかもな。とはいえ俺たちパーカッションは買うものはバチとパッド、メトロノーム……基礎練で使うものくらいで、それに比べると安いもんだから、その点は安心しろよ」
霧野はそれを聞いて、少し安心した様子である。千里も並んでいるトランペットの値札をしげしげと眺めながら言う。
「ですよねぇ。クラ(クラリネットの略)とかペット(トランペットの略)の子たちって皆自分で楽器買ってるみたいですけど、よく買えますよねぇ」
「まあな。チューバとかホルンとか、大きめの……高額の楽器のパートはさすがに学校のやつ借りてるみたいだけどな」
大村が同意しつつ、千里の言葉に付け加えるように言う。
優人はそれを聞いて、自分も本当は吹く楽器が希望だったこと――そして、楽器を買うという壁によってそれが叶わなかったことを思い出す。
優人はそもそもクラリネットを希望して吹奏楽部に入部した。しかしクラリネット希望者は多く、定員オーバーとなり――楽器を決める際に、クラリネットの先輩との面談時に自分で楽器が買えそうかと問われたのだった。
優人は楽器を自分で買うことになるとは予想しておらず、事前に親に相談していなかったのもあって思わず「無理だと思います」と答えてしまった。
そのせいかどうかはわからないが(しかし優人はおそらくそのせいだと考えている)、優人はクラリネット担当に選ばれず――それなら他の吹く楽器を、と思ったがどれも既に定員が埋まってしまっていたようで、結局優人は残りもののパーカッションパートに入ることになった。
中学校までピアノを習っていた優人は、吹奏楽部に入るからにはピアノのようにメロディーを奏でたい思いがあった。そのため当時は吹く楽器ができないことを知ると絶望的な思いがして、パーカッションになるくらいなら吹奏楽部に入らなければよかった――とさえ思った。
しかしパーカッションパートの先輩方は優しく(小町のことだけは少し怖かったが)、同級生の千里ともいい関係性を築けたこともあり、今ではパーカッションパートは優人にとって居心地がよくなり、辞めたいという思いはなくなった。
とはいえ、それでも吹く楽器に対しての憧れが心の奥底に未だにある優人は、並んでいるキラキラとしたトランペット、そして自分が一番やりたかったクラリネットを眺め――また、楽器の値段について話す皆の会話を聞くと、親に楽器を買ってもいいか聞いておくべきだった、という後悔の念が今になって思い出されて、複雑な気持ちになってしまった。
優人がそんな気持ちでいることなど露知らず、大村(彼は優人とは違い、そもそもパーカッションパート希望で入部している)は店の一番奥にあるパーカッションのエリアを見ると目を輝かせて言う。
「ほら、俺たちの目指すエリアが見えてきたぜ。いつ見てもわくわくするな!」
霧野は大村の指さす方を見る。まず目に飛び込んできたのは中央に置かれているドラムセットで、その右側あたりには二つの太鼓がセットとなっている、コンガやボンゴといった主にラテン音楽で使う太鼓類が並んでいた。
そして、霧野の入部を決定づけたスネアドラムも置かれていて――霧野が目を輝かせて新品のそれを眺めているのを見て、大村が笑いながら言う。
「おいおい霧野、今日はバチ買いに来たんだからな。バチのある棚はこっちだよ」
壁際に置かれている大きな棚に、種類ごとに分けられてバチがずらりと並んでいる。その光景に霧野は思わず頬を紅潮させて見入ってしまう。
「すごい……これ全部バチっすか?」
「そうだよ。すごいだろ。これ見るといつもテンション上がるんだよな……! あーあ、俺も新しいの買いたくなっちまうな」
大村は輝くばかりの笑顔を見せながらも、困ったように言う。
「わかりますー!この中から自分の手に合うのを選ぶのがまたいいんですよね!魔法学校に入学する前の杖選びみたいですよね」
千里の言う例えを霧野はいまいちわからなかったようで、ぽかんとした表情を見せている。
「そうだな。自分の手に合うのを探して買うのが大変だけど楽しいんだ。霧野は……とりあえず初心者向けの基礎練で使う太いバチと……あと、一つくらい楽器用のバチを買っとくか。自分の手に合うのを選ぶって言っても、基礎練で使うのはそんなに種類もないし、俺たちと同じ種類のにしようか……お、あった、これだ」
大村はそう言って一つの棚を指さす。その中には、太めのバチが沢山入っていた。
「種類が決まっても、同じ種類のバチの中でも重さとか跳ね返る感触とか、一本一本微妙に違いがあるから……その中からさらに好きなのを二本選んで買うんだ。バチは二本セット売りだけど、自分の好きなのを二本選べるってわけだな。手に持ったり、跳ねっ返りを試してみて二本選んでみるといいよ」
大村はそう言って、バチを一本手に取り、バチを置いている棚の上でトントンとバチを跳ねさせるように遊ばせ、バチの跳ね返り具合を確かめる。
霧野はそれを見て、自分も指定された種類の基礎練用のバチを一本手に取る。基礎練用だからか他のバチとは違い、持ち手の部分には白い色が塗られていた。そして大村に借りた楽器を演奏する時のバチとは違い、かなり太い様子だった。
「基礎練用のだし、こないだとは重さも感触も全く違うとは思うけど、初めのうちはこれで練習するのがいいみたいだからな」
霧野はバチの感触を確かめつつ大村の言葉に頷き、バチを手に持つと、大村のするようにバチの跳ね返りを棚の上で試す。
そうして少し時間をかけて、霧野は自分のなんとなく気に入った二本を選んで手に持つ。
「決まったみたいだな。同じように、楽器用のバチも選ぼうか。楽器用のは種類が決まってないからちょっと難しいかもしれないけど、自由に持った感じが好きなのを選ぶといい。まあ……バチの木の素材の違いだけ、ちょっと解説しとこうか」
大村はそう言うと、ひょいひょいと別々の種類のバチを三本手に取り、それらを霧野に見せながら説明する。
「主に使うのはヒッコリー、メイプル、オークの三種類かな。真ん中のヒッコリーが重さも音も標準的で、左のメイプルはそれに比べて重さも音も軽め、右のオークは重めって感じだな。使いやすさはヒッコリーが汎用性が高くて俺的にはオススメだ。こないだ霧野に貸したのもヒッコリーのバチだしな」
霧野はそれを聞いて――どうやらこの前の大村のバチが気に入っていたようで、ピクリと反応する。千里は大村の言葉に頷きながら言う。
「優人も確かヒッコリー買ってたよね。私はなんだか……軽くて使いやすそうなのと、持った感じが固くなくて柔らかいのが好きだったから、メイプルのにしたよ。でも、大きな音出すには重いバチの方が向いてるみたいだけど」
「……まあそうだけど、逆に小さい音を鳴らしたい時はメイプルが向いてるかもな。ま、初めのうちはどんな曲やるかも決まってないし、試した時の感覚が気に入ったものを選んでもいいと思うぞ」
大村が千里にそう言っている間も、霧野はいろいろバチを持ったり試したりしていたが――しばらく試し終えた後、大村の方を見て言う。
「あの……大村さんに貸してもらったのと同じヒッコリーのバチって……ここにあるんすか?」
「ああ、俺のか? うーん、確か前にここで買ったけど…………お、あった。これだな」
大村は棚の一つから一本バチを抜き取り、手に取って霧野に見せる。霧野はそれを見て同じ種類のバチだとわかると目を輝かせ、自分もその中から数本手に取り、何本かバチを試して気に入ったものを二本選び取る。
「……これにします。……同じのでもいいっすか?」
霧野は不安げに大村を見る。大村は笑顔で頷く。
「別にいいぞ。同じの選ぶなんて気が合うな、俺たち」
霧野はそれを聞いて少し恥ずかしそうにそっぽを向く。千里はそれを見て大村に笑って言う。
「あー、先輩がそんなこと言うから、ユッキー照れちゃったじゃないですか。あっでも同じ種類だと、先輩のと混ざっちゃうと自分のがどれだかわかんなくなるかもしれないから、何かペンで印つけたりしといた方がいいかもしれないよ?」
「……じゃ、そうする」
霧野は千里の言葉に素直に頷く。
「ま、自分がつけた傷とか手に持った感じで、同じ種類のバチでも案外自分のバチはこれだってわかるもんだけどな。まぁそうしてくれるとありがたいよ」
大村がそう言うと、霧野は何かに気づいた様子ではっとする。
「あ、ちょっと待って下さい。バチって、いくらくらいするんだろ……」
霧野は値段が気になるらしくそう言うと、自分の選んだバチの値札を探し、恐る恐る値段を見る。基礎練用のは二本組で2000円、楽器用のヒッコリーのバチは1020円と書かれていた。
「あ、これなら……全然買えそうっす」
先程高額なトランペットを見ていたからか、霧野はそう言いながら心底安心した様子である。
「基礎練用のは普通のバチより太いからか若干高めだけど、ヒッコリーとかさっき言った素材の三種類なら、バチは1000円前後が相場って感じかな。希少な材料を使うのはもっと高いのもあるみたいだけど。それにバチに限っては高いのがいいとは限らなくて、結局は自分の手に合うのがいいみたいだな」
大村はそう言いながら、先程からいろいろ試していたバチを棚に戻す。
「そうなんすね……正直、買える値段で助かります」
霧野はそう言って少しだけ笑みを見せる。
「あと、メトロノームとパッドも買わなきゃならねーけど……俺たちのと同じのならそんなに高くないから、教えるよ。そうだ、バチを入れるスティックケース、霧野はどうする? 一応ここにも売ってるけど……正直バチより高いんだよな」
大村はそう言って自分の持っているのと似ている、黒い色の長方形のスティックケースを指さす。二、三千円するケースがそこには並んでいる。
「俺はここでついでに買ったけど、別にバチが入れば何でもいいから……バチ専用のケースじゃなくて、優人とか千里のみたいに布の細長い袋でも何でもいいんだけど」
大村の言葉を聞いた千里は、はっとした様子で優人を見る。
「そうだ、ユッキーのも優人のお母さんに作ってもらったら? なかなかいいよ、優人のお母さんのお手製バチ袋! ねえ、また頼んだらやってくれそうかな?」
「う、うん……母さん張り切って作ってたから、霧野のも全然やってくれるとは思うけど……」
優人はそう言った後、恐る恐る霧野を見る。母親に頼む分には構わないが、他人の母親のお手製の袋など、霧野が持ちたがらないのではないかと思ったのだ。
霧野は少し思案した後、口を開く。
「……アタシも別に布のでいいから、作ってくれるなら……頼んでもいい? その方が買わずに済みそうだし」
優人は自分の予想が外れて、目を丸くして霧野を見ていたが、慌てて口を開く。
「う、うん。じゃあ頼んでみる。いつできるかわかんないけど……なるべく早めに持ってくるよ」
「じゃ、頼むわ。……ありがと」
霧野が自分に対してぽそりとお礼を言うので、優人はさらに驚いてしまう。
霧野はそう言った後、ふと何かを思いついたようで、再び口を開く。
「あ、でも柄物じゃなくて、無地……黒い色のにして欲しい。アンタたちのは柄が入ってたけど、柄物は気に入らないかもしれないから」
優人はそれを聞いて、自分のは紺と緑色のタータンチェック、千里はかわいらしい花柄だったので、確かに霧野には合わないかもしれないなと考え、頷く。
「わ、わかった。たぶん無地でもいけると思うから、言ってみるよ」
「ははっ。優人の母さんすごいな。俺の時にもいてくれたらよかったのに。いいのができるといいな」
先輩の大村にも母親を褒められ、自分のことではないとはいえ照れくさい感じがして――優人は少し顔を赤くする。
「じゃ、無事バチ選びも済んだことだし、次はメトロノームとパッドを買って……終わったらどっかで飯でも食おうぜ」
大村はそう言いながら笑顔を見せ、後輩の皆を連れてバチの売り場を後にする。
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