第2楽章 小さな仕返し

「霧野さん、ダメじゃない。初日っから点呼の時間に遅れちゃあ」

 入部初日、結局霧野は20分くらい遅れて部室にやってくる。霧野の姿を見つけた千里はさっそく釘を刺す。

「…うるさいな」

 霧野は悪びれない様子でそう言い返すも…大村の姿を見ると少しバツの悪そうな顔をする。

「霧野、時間通りに来なかったの…理由があるんだろ?例えば…他の部員にはなるべく会いたくないとかか?」

 大村が尋ねると、霧野はしばらく黙っていたが、こくりと頷く。

「そう…です。大勢集まってるとこに出ていくの、嫌だから」

(そんなの、部活なんだから当たり前じゃないか、何を今更…)

 優人は心の中でそう思うが、大村は納得した様子で頷く。

「入部前も、部室に他のパートの人がいるの嫌がってたもんな。でもなぁ、遅れるのはやっぱ印象悪くなるぞ?そうだな…じゃああえて、早く来るのはどうだ?それで…どこか部室の外ででも練習しとけばいい。部室の自分の席のとこにカバン置いといてくれたら来てるのはわかるし…今外で練習中だって言っておくからさ」

 大村がそう言うのを聞いて、霧野は目を丸くする。

「それ、いいんすか?」

「ま、遅れるよりはいいと思うぞ」

 大村はニヤッと笑って言う。

「そんなら、そうします」

 霧野が素直にそう言ったので優人は驚いたが、これからは霧野が遅刻をするか自分が気にする必要もなくなったことにとりあえず胸をなでおろす。

「そういえば、霧野さん、て呼ぶのも変よね。同じパートのメンバーなのに」

 千里が急にそんなことを言い出すので皆目を丸くする。

「そう?」

 霧野は眉をひそめて千里を見る。千里はそれに構わず話を続ける。

「霧野さんって下の名前何だっけ?」

「…由希だけど…下の名前では呼ばれたくない。普通に霧野でいい。さん付けも別に要らないから…アンタもね」

「あ…うん、わかった」

 霧野がそう言って自分の方を一瞥いちべつするのを見て、優人はこれまで怒られる可能性が怖くてさん付けしていたので、そう言ってくれると助かると思いながら答える。

「ええー、私はユッキーとかって呼びたいのに」

 千里はそう言って口をとがらせる。それを見て優人は、千里は楽器に愛称をつけるほどなので、霧野が反対してもそう呼びそうだなとぼんやり思った。

「ちなみに私は千里、でいいよ。優人も…普通に優人、でいいよね?」

 千里はそう言って優人を見る。

「ま、まあいいけど…」

 優人はそれを聞いて、霧野が自分を優人と呼ぶのが想像できず戸惑うも、否定するのも躊躇われて口ごもる。

「じゃ、千里に…ね。」

 霧野は特に嫌がりもせずにそう言うが、照れが入っているのか、優人の発音が少し伸びている感じがする。

「ゆーと、だって。なんか面白い発音」

 千里がそれを聞いてくすっと笑う。

「俺も吹部の皆には大村、て呼ばれてるから俺も苗字で呼んでくれたらいいよ。よろしくな、霧野」

 大村はそう言って霧野に握手を求める。霧野は差し伸べられた大村の手を見て、躊躇いつつも握手に応じる。

「じゃ、さっそく基礎練やるか。道具もまた買いに行く必要あるから週末にでも行くか…それまでは俺の道具貸すよ。千里と優人も今日は霧野と一緒に教えるぞ、たまには初心に帰れていいかもしれないし」

「はーい」

 千里が答える。霧野はそれを聞いて…基礎練ができる喜びからか、嬉しそうに頷く。



 その後、霧野は部活に早めに来るようにしたらしく、遅刻の数は…ゼロではないものの少なくなった。しかし点呼の時間に席に座っていることはなかった。

 しかしそれでも時折姿を見せる金髪の新入部員は目立つからか、1年生の間では悪名高いからか…徐々に霧野の存在は知れ渡るようになっていた。

 ただ退部を迫られるようなことはなく…その理由としては、吹奏楽部が「小編成の危機」を抱えているという背景があると噂されている。

 夏のコンクールに出場する際、これまでは大編成の部に出場してきた打海高校吹奏楽部だったが、この地区では人数が30名より少ないと、コンクール出場の際小編成の扱いとなり、大編成の部には出場できなくなってしまうのだ。

 これまで大編成で出場していた打海高校からすると、今年から小編成に変わるというのは…大編成の舞台で戦えないほど、吹奏楽部の人気や実力が劣っているように見えてしまうということで、それは避けたいと考える部員が多かったのだ。

 そして霧野が入部したことでギリギリ大編成の人数に足りている今、金髪の不良っぽい生徒でも受け入れざるを得ない状況になっているというのである。


 退部はさせられていないものの、周りから不真面目なヤツだと囁かれていた霧野だったが…その評価はパーカッションパート内でのものとは180度違っていた。

 霧野は入部してからというもの、基礎練に熱中していて…優人と千里から見てもその集中力には思わず感嘆させられるものがあった。

 点呼の時間に部屋にいたくないからとはいえ、部活が始まる前からやっているため誰よりも長時間練習し…大村の指導も素直に聞いて基礎練のノウハウを吸収し…徐々に一定のテンポで叩けるようになっていた。

(僕は、普段からこんなに基礎練に集中してできてなかったような…。基礎練ってやっぱり楽器を使った練習より地味で退屈なのに、なぜ霧野はこんなにのめり込めるんだろう…)

 優人は霧野の練習の様子を見て、時々そう思ってしまうほどだった。

(ホント、いい後輩が入ってくれたよ)

 大村も霧野の練習の様子を見て満足気な様子でそう思う。

(入ったばかりでこんなにパーカスのこと好きなやつも珍しいな。多少他のパートのやつらと揉めたり問題起こしたとしても…コイツのことは、俺が辞めさせたりしねぇぞ)

 大村は霧野が熱心に基礎練をしている様子を見て、心の中で密かにそう誓う。


 そんなある日、家にいた大村の元に、一本の電話がかかってくる。

(お…紗弥さやだ)

 大村は、スマホの画面に表示されたその電話の主の名前を見ても、特に感情が動かされずにいた自分に驚いた。霧野が入部した今、前とは違って紗弥からの電話さえも怖くないという心境に変わっているのだろうか…とそんなことを考え、大村はその名前を見てニヤリと笑う。

(よし、前に俺の事困らせやがった報いだ…ちょっとばかり、言いたいこと言ってやろう)


 大村は紗弥からの電話をとる。電話の向こうからは、相変わらず少しあざといくらいのかわいらしい声がする。

「もしもーし!大村先輩?」

「ああ、紗弥か。ちょうど俺も…お前に電話したかったんだ」

 大村がそう言うと、電話の向こうからはっと息を飲むような音が聞こえてくる。

「え…!先輩…!私の声聞きたかったんですか!?あ、もしかして、こないだの話…?そ、そうですよね!先輩、やっぱり…金森かなもり来たいですよね!?」

 電話の向こうで紗弥は、動揺を隠せない様子で嬉しそうな声を出すが…大村はそれを無情にもスッパリと断る。

「いや、その話を…ちゃんと断ろうと思ってさ」

「え…」

 紗弥は思っていた言葉が返ってこなかったことにショックを受けた様子であるが、それでもめげずに話を続ける。

「な、なんでですか!?もしかして…まだ優人と千里とかいう後輩に悪いとか考えてるんじゃないですか!?」

「それはもちろんあるけどな。とはいえ、こないだとはさらに事情が変わったんだよ。実はな…俺、もう一人後輩ができたんだ」

「え……?もう一人…?」

「しかも、めちゃくちゃパーカスが好きなやつでさ…基礎練が本当に大好きで、俺が止めるまでずっとやるんだよ。霧野っていうんだけど、マジで将来有望だよ、アイツは。これからいろいろ教えるのが楽しみで仕方ねぇんだ」

「…………」

 紗弥は絶句しているのだろうか、電話の向こうからはもう声が聞こえてこない。

「そんなわけだからな、俺は金森にはもう入る気はねぇよ。お前には悪いけど、そこんとこわかっといてくれ。じゃあな」

 大村はそう言うと、紗弥の返事を待たずに電話を切る。


(紗弥のヤツ、最後はずっと黙ってたけど…相当ショック受けちまったかな。ちょっと悪いことしたか…いや、でもこれくらい言わないと、アイツ今後も俺の勧誘続けるかもしれないし…これでよかったんだ、これで…)


 大村は自分にそう言い聞かせると、スマホを充電器に挿した後ベッドに寝転び…紗弥への小さな仕返しが成功したことに、ニヤつきが隠せないまま布団に潜り込む。


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