Ⅱ 霧野の入部
第1楽章 問題児の入部
(はぁー……マジだりぃ)
霧野はスカートのポケットに両手を突っ込み、苛ついた様子で廊下を足早に歩いている。
(なんで入部届なんていちいち出さなきゃいけねーんだよ。こーゆー誰だか知らないヤツが作った決まりに従うのってマジだるいんだけど)
霧野は廊下の壁にある掲示板の前に来るとピタリと立ち止まり、何かを探すように掲示板を眺める。
(第一、入部届ってどこでもらうんだ? だいぶ前にもらったような気もするけど、自分には関係ないと思ってとっくに捨てちまったし……。とはいえ担任にどうすりゃいいのかなんて聞くのも
霧野はいくつかの張り紙の中から、吹奏楽部の部員募集のポスターを見つける。
(でも、あの人……大村さんには、入部届もまともに出せないなんて思われたくないしな……。同じクラスだし、佐々木にでも聞いときゃよかったかな。……でも頼りなさそうなアイツを頼るってのもな……)
霧野はポスターの最後に「入部希望の方は入部届を吹奏楽部顧問の
(とりあえず、行きたくねーけど職員室行って……松下って先公を探すか。確か前に吹部の部室前で会ったあの先公のことだよな。どんなヤツだっけ……確か背が高めで細身で、髪が茶色……? って感じの色で……あとちょっと影薄そうな感じだったな)
霧野は入部届を出すまでの数々の障害を想像し、思わずため息をつく。
(もし見つからなかったら今日は出すのやめとこ。いちいち居所とか人に聞きまわるなんて嫌だし……ほんとは早く基礎練したいけど。しかしこんな調子で部活なんてやってけんのかな……吹部にもよくわからない決まりとかしきたりとかありそうだし。いちいち我慢できんのか? アタシ……)
「ちょっと、松下先生! 困りますよ、勝手にそこら中に貼りまわって……」
「いや、すみません。貼ってくれって生徒に頼まれたもので……」
「貼るのはいいんですけど、ちゃんと申請してくださいよ!掲示板は自由に貼れるものじゃ……」
二人の教師らしき人物が何やら言い合いながらこちらに近づいてくる。近づいてくるにつれ、それが教頭と、見覚えのある吹奏楽部顧問の先生であることに霧野は気が付く。
(げ、教頭……。吹部の顧問には用があるし、見つかってラッキーだったけど……とはいえ教頭とは顔合わせたくねーな。入学してからいろいろあったし……)
そう思った霧野は、廊下の曲がり角に身を隠す。教頭と吹部顧問の松下先生は、先ほど霧野がいた掲示板の前で立ち止まる。
教頭は松下先生に少し小言を言った後、去っていく。それを見計らって霧野は再び掲示板の方へ近づき、吹奏楽部のポスターをはがしている松下先生に声をかける。
「あの、そのポスターの……件なんすけど……」
松下先生は振り向いて霧野を見る。
「あれ? 君は確か、こないだ視聴覚室の前にいた……?」
「…………」
霧野は黙ったまま頷くと、はがされているポスターに目をやり、再び口を開く。
「……それ、もしかして……もう募集終わったんすか?」
「いや。さっき教頭先生に、申請してないポスターを貼っては駄目だと言われて、はがしているところなんだよ。部員はまだ募集中…………あ、もしかしてこの前の話、考えてくれた感じかな? ほら、誰か勧誘して欲しいって……」
「……それなんすけど…………アタシが入ろうと思って」
霧野の言葉に、松下先生は少しの間きょとんとしていたが――――ようやく理解したようで、途端に表情がパッと明るくなる。
「いやぁ、本当かい⁉ そりゃあよかった! 皆喜ぶよ、人数不足で困ってたもんだから」
(……ホントにいいのか?この先公は……アタシのこと知らないのか? そもそもこの金髪とか見て気にしないのかって…………ま、こっちには都合がいいんだけど)
霧野はそう思った後、松下先生に尋ねる。
「……で、あの、入部届って書かなきゃいけないんすか? 今、持ってないんすけど……」
「ああーそうだね。じゃあ、僕の机に確かあるはずだから渡すよ。書いたら僕か部長か……どちらかに渡してくれたらいいから。あ、保護者欄にも書いてもらってね」
(保護者欄……か)
霧野はそれを聞いて少し動揺するが、諦めたように溜息をつく。
(まーた面倒なものが付いてきやがったもんだな。……仕方ない、母さんに頼むか……。反対はしないだろうけど……なんて言うかな)
次の日。1年1組の夕方のホームルームが終わったところで、優人が帰り支度をしていると、前の席から霧野が振り返り、声をかけてくる。
「……ちょっと、いい?」
「あ、霧野……さん。どうしたの?」
霧野に声をかけられて、優人は前の時ほどは驚きを表さなかったものの、内心はびくびくしているのを隠しながら対応する。
「今日から部活……行くことになったんだけど」
優人はそれを聞いて初めはピンときていない様子だったが、その言葉の意味が分かると、みるみる目を丸くする。
「え……もしかして、もう入部したの? 入部届、ちゃんと出した?」
「ん、今朝……先公に出してきた」
霧野が当たり前でしょ、といった様子で少し眉をひそめて優人を見る。
(もう……出したのか? あの霧野が……職員室まで行って? 先生に入部届を?)
優人は本当に霧野が部活に入るとは思っていなかったところがあり、信じられないといった様子でしばらくぽかんとしていたが、再び眉をひそめる霧野を見ると、慌てて何か言おうと口を開く。
「そ、そっか……。うーん、じゃあ……部室の場所、この前も行ったしわかるよね? 視聴覚室に、3時25分から毎日出席確認の時間……点呼の時間があるから、それまでに部屋にいるようにしてくれないかな。今日入部したなら、点呼の時間に霧野……さんのこと、紹介されたりすると思うから」
「ん……」
霧野は、「はい」なのか「いいえ」なのか微妙なニュアンスでそう言った後、ポツリと呟く。
「ま、後で行くから……よろしく」
優人は再び目を丸くして霧野を見る。
(よろしく……って、霧野が言うなんて。確かに同じ部活の同じパートのメンバーになるんだろうし、当たり前の挨拶なんだろうけど……あの霧野が……?)
「よ、よろしく」
優人は慌ててそう返すが、その時霧野はもう黒板の方を向いていて、こちらを向いてはいなかった。
そして、その「よろしく」の意味を勘違いしていたことに、優人はこの後すぐに思い知ることになるのである――――。
午後3時24分、放課後に吹奏楽部の部室として使われている視聴覚室では、点呼の時間が始まろうとしている。しかし――――霧野は視聴覚室に来てはいなかった。
「おかしいな、入部したって言ってたんだろ、あの、霧野って子」
大村は不思議そうな顔をして時計を見ている。
「は、はい……」
優人はそう言いながら、大村よりも気が気じゃない様子で何度も時計を見ている。
やがて時計の長針が5の位置を指し、ついに点呼の時間が始まる。
「えーと、皆さん、聞いてくださぁい! 今日は嬉しいお知らせがあるのですが……今日からパーカッションパートに、1年生が入ることになりました」
点呼の前に、まず部長がそう切り出すと、視聴覚室全体がざわめきだし――――そのことを祝福するような、人数不足問題が解消することに安堵したような――明るい雰囲気が部員の間に広がる。
そしてその言葉からパーカッションパートの方が一斉に注目されていることを感じとり、優人の背中はさらに丸くなる。
「……えーと、霧野由紀さんです!」
その言葉を聞き――――まだ喜んでいる様子の二、三年生を除いて、霧野の噂をよく知る一年生の間には緊張が走る。そして、パーカッションパートの方にさらに視線が集まる。
しかし――――パーカッションパートの席から誰も立ち上がらないうえに、いつものメンバーしかいないのを見ると、部長が首を傾げて大村に尋ねる。
「あれ……霧野さんは?」
「それが、まだ聞いてなくて……」
大村が困ったように部長にそう言い、優人と千里の方を見る。千里も何でだろう、といったように首を傾げて大村を見る。
(よろしく……って、もしかして…………僕に対する挨拶なんかじゃなくて、遅れることを言っとけ、てことだったりして…………)
優人はこの状況と先程の霧野の言葉を照らし合わせ、霧野の言った「よろしく」の意味を勘違いしていたことに気が付き――――恐る恐る手を上げ、緊張のあまり手が震えながらもなんとか口を開く。
「あ、あの……後で行くって……言ってました。霧野さん……教室出る時に」
「そうなのか?」
大村が優人を見る。優人は大村に頷き、言葉を続ける。
「そう言ってたの、忘れてました……すみません」
「後で……? 点呼の時間は25分からだって、ちゃんと伝えてくれた?」
部長が少し眉をひそめて優人を見る。優人は内心おどおどしながらもハッキリ頷く。
「はい……。それは言っておいたんで、25分までに来るのかと思ってたんですが……」
「部長、優人は別に悪くないですよ」
クラリネットパートの席の方から志穂が手を上げ、発言する。優人は幼馴染でもある志穂が助け舟をだしてくれたのをありがたいと思いつつも、同時にまた霧野のことで揉めないだろうか……と内心ヒヤヒヤする。
「そういう人なんです、霧野さんって…ちょっと不良というか…時間とか守りそうにないっていうか。1年生の間ではちょっとした問題児だって有名です」
志穂が、自分と同じクラリネットパートに属している部長に向かってはきはきした様子でそう言うと、部長は驚いた様子で志穂を見ていたが――よく知っている後輩の言葉なら信用できると思ったのか、志穂に一度頷いた後、皆の方を見渡して言う。
「そう……知らなかったわ。でも、入部してくれたのなら、ちょっとくらい問題があっても同じ吹奏楽部員として歓迎しないといけないし……皆、小編成になるのを防ぐためにも部員は増えてほしいでしょうし……。とりあえず、様子を見ましょう。いいですね?」
その部長の言葉に、一年生の一部には頷いていない人もいたが――全体で見ると、おおよそ全ての部員が頷いたように見えた。
「とはいえ、ちゃんと注意はしないとね。大村、あんたに頼めるかしら」
部長が大村を見て言う。大村はちょっと困った様子で頭を掻きながらも、頷く。
「うん……ま、辞められない程度には、釘を刺しとくよ」
「お願いね」
部長は大村にそう言うと、その後は副部長に任せて、いつものように点呼が始まる。
(初日っから問題になってるじゃないか……。ったく霧野のやつ……明日も時間通りに来なかったらどうしよう…………)
優人は、霧野に対する不安を抱えたまま部活の時間を迎えることになり――――深くため息をつく。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます