第8楽章 コイツを叩くためなら

「じゃじゃーん! これが吹奏楽部の部室だよ!」


 千里が両腕を大きく広げて視聴覚室の中を示す。視聴覚室の中には数人の部員が残っているものの、他パートの部員はほとんど外へ練習に行って部屋からはいなくなり、いくつものカバンや楽器ケースなど、先ほどまで何人もの部員がいた形跡のみが机の上に残されている。


「よかった、他パートの連中はほとんど出払ってるみたいだな。だから気にせず入ってくれよ」

 大村がそう言うと、霧野は中の様子を伺いながらも視聴覚室の中へ足を踏み入れる。


 放課後は吹奏楽部の部室として使われている視聴覚室。そこに入るとまず長机が通路を挟んで3列に分かれ、後ろの方までズラリと並べられているのが目に入る。部屋全体は映画館のように緩やかな勾配があり、後ろに行くにつれて徐々に床が高くなっている。


「この部屋のてっぺんが私たちパーカッションのスペースだよ。あの白い布見えるでしょ? あの下にいろんな種類の打楽器がしまってあるの! ほら、早く行こ!」

 千里はそう言うと、緩やかな坂の頂上、長机が無く空いている一番後ろのスペースにある、白い大きな布に覆われたものを指さし、霧野の手を掴みそちらの方向へと引っ張ってゆく。優人はその様子をハラハラしながら見ていたが、霧野は少しうざったそうな顔をしているもののおとなしく千里に従っている。


 そして目的地にたどり着くと、千里は軽く咳払いをした後、白い布に手をかけて霧野の方を見る。

「ほら、見てて。……あ、優人はそっち側持って……せーので払いのけるよ。せーの!」

 千里は優人と力を合わせて白い布を勢いよく払いのける。

「じゃじゃーん! これが私たちの使う楽器……打楽器たちだよ!」


 白い布がファサッと一斉に払いのけられると、その下から色々な種類のきれいに並べられている太鼓やシンバル、鍵盤楽器など……様々な打楽器が顔を覗かせる。

「まずあの一番大きい太鼓がベードラ氏でしょ、で、あっちにある四つ並んだまあるい太鼓はティンパニ子……」

「ちょっと千里、お前の付けた愛称ニックネームで紹介してたら霧野は訳がわからないと思うよ……」

 千里の楽器紹介の仕方に、慌てて優人が口を挟む。ぽかんとしている霧野を見て大村は苦笑し、千里の前へ出て言う。

「そうだな。こっからは俺も手伝うよ」


 大村はまず、一番大きい大太鼓の方に歩みよる。

「こいつは……大太鼓って言えばわかりやすいかな、吹奏楽ではバスドラムとかベースドラムって言う一番大きい太鼓だ。俺たちは縮めてベードラって呼んでるけどな。ちょっと叩いて見せようか」

 大村はそう言い、「パーカッションケース」とマジックで書かれている白い正方形のトランクケースの中から、棒の先端に白い綿のようなものがついているバチの一種――マレットを取り出す。

「こいつはマレットって言って、先端になんか布が付いてるけど、楽器を叩くバチみたいなもんだ。ベードラには一番大きいこのマレットを使うんだ」

 そう言って大村はマレットを右手に持ち、左手はベードラに添えてベードラを叩く。ドォンドォンと低い音があたりに響く。


「でね、こっちのマレットはティンパニ用! ティンパニっていうのは窓際の一番端にある……あの四つセットで置いてある、銅のキラキラした太鼓のことだよ」

 千里はそう言ってトランクから先ほどよりは小さいマレットを2つ手に取り、ティンパニの方に向かう。

「ティンパニはベードラみたいに響く音の出せる太鼓なんだけど、違うのはチューニングすることでいろんな音が出せるってとこなの。音階が変えられる太鼓はティンパニだけなんだよ。見てて!」

 千里はまずそのままティンパニの一つをドォンと叩いて見せた後、ペダルを踏んでチューニングをし、もう一度同じティンパニを叩く。先ほどよりも高めのトォンという音がする。

「どう?面白い楽器でしょ? ……とまぁドヤ顔で紹介しちゃったけど、打楽器の中ではかなり重要な役割の楽器になるから、私はまだティンパニの演奏任されたことはないんだけどね」

 千里はそう言って舌をぺろっと出す。


「それからこっちのティンパニと似た感じのマレットはサスペンションシンバルっていう、そこに立ってるシンバル用のもので……あ、これは二枚合わせて叩く一般的に知られてるシンバルと違って、マレットで叩いて音を出すんだ。俺たちはサッシンって縮めて言ってる」

 そう言って大村はサッシンをマレットで叩く。シャアアアアアンとシンバルを叩く音が広がって長い間鳴り響く。指でシンバルを挟むと、辺りに響いていた音がピタリと止まる。


「で、こっちの先端が布じゃなくて固いプラスチック製のマレットは、鍵盤用ね。鍵盤っていうのは木琴とか鉄琴とか、ピアノと同じように鍵盤がある打楽器のことなの。吹奏楽では木琴はシロフォンとかマリンバって言って、鉄琴はグロッケンって言うわね」

 今度は新居先輩が鍵盤楽器の説明をする。千里は再びパーカッションケースの中をごそごそとまさぐる。

「で、こっちのは小物楽器を叩くマレットだね……。あ、あと小物ちゃんたちも紹介しなきゃ。この箱の中には小物楽器も入ってて……あ、小物楽器っていうのはね、えーっと……トライアングルとかタンバリンは知ってるよね? 他にも打楽器には色んな小物楽器があって……」


 霧野は楽器の説明をなんとなく聞きながらマレットを触っていたが、どうも納得していない様子で首をかしげている。

 そして、次々とされていた説明をおもむろに遮る。


「ちょっと」

「ん? なあに?」

 千里が説明を止めて、首をかしげる。

「あんたたちが練習してたあれ……基礎練だっけ? それに使ってたバチは……楽器叩くのには使わねーんだ?」

「ああ、バチかぁ。そうだねー……確かに基礎練はバチでするけど、楽器はバチよりマレット使うのが多いかもね」

「ならアタシ、楽器には興味ないね」

 霧野はそう言うとくるりと後ろを向き、その場から去ろうとする。

「ええー⁉ 霧野さん⁉ やってみたらどれも面白いよ? 一回くらい触ってみてよーっ!」

 千里はそう言って引き留めようとするが、霧野は首を横に振る。

「なんか、バチ以外は持ってみてもしっくりこないし……興味も湧かないからいいや」


 そう言ってその場を去ろうとする霧野の背中に向かって、大村が言う。

「あるぞ、バチを使う楽器。例えば……コイツとか」


 大村は自分のバチを手に取り、傍にあった太鼓を叩く。ザザー、という波の音のような音がし、霧野が振り向く。

「…………なんすか、その音……」

「これはスネアドラム。小太鼓って言えばわかるかな、マーチングとかでよく使われてる太鼓だよ。俺たちは縮めてスネアって言ってる……吹奏楽の打楽器では花形とも言える楽器だよ」

「……これも太鼓っすよね?なんで波みたいなザザって音が……」

「ああ、それはな……」


 大村はスネアを持ち上げて台から取り外し、スネアの裏側を霧野に見せる。

「後ろに細い金属の線みたいなのがあるだろ? こいつはスナッピーって言うんだけど、ここが太鼓の底面の膜に接するように張られてることで、叩くとこれが振動して独特の音が出るんだ。ちなみに、ここにスナッピーを接触させたり離したりするレバーがあって、切り替えれば普通の太鼓っぽい音を出すこともできる」

 大村はそう言ってスネアを台に戻した後スネアの側面にあるレバーを切り替えてからスネアを叩く。ポンポンと心地よく響く音がする。


「……………………」

 霧野はスネアをじっと見つめている。その目は――――バチを初めて見た時のように、キラキラとしている。


「お、気に入ったか? 一番の花形打楽器に真っ先に目が行くとは……さすがお目が高いな、霧野さん」

 大村はそう言って笑い、自分のバチを霧野に差し出す。

「どうだ、ちょっと叩いてみないか?」

 霧野は目を輝かせて大村を見、大村のバチを見、頷いてそれを手に取る。

「バチの持ち方は……お、忘れてないみたいだな。じゃあ好きに叩いてごらん」

 霧野はバチを持ち恐る恐る叩いてみる。バチはスネアの上をポンポンと小気味よく跳ねる。

「スナッピーも切り替えて叩いてごらん。音以外にも、バチから伝わる感触も変わるから」

 大村がそう言うと、霧野は頷き、スナッピーを切り替えて叩く。ザザーッと音が響き、独特の心地よい感触がバチから伝わる。


(……いいな、これ…………)

 霧野は思わず頬を紅潮させる。


「でもね、このスネアとさっきのティンパニはね、曲のテンポとか刻むとか大事な役が多くて、一人前になるまでやらせてもらえないんだよね」

 千里が口を尖らせて言う。

「そりゃあな。その二つは花形楽器で、目立つし重要な役だし難しいし……特にスネアは、均等なテンポが刻めないうちは任せるわけにはいかないからな」

「テンポを均等に刻むって……どうやったらできるように……なるんすか」

 霧野がそう尋ねると、大村はにやりと笑って言う。

「そりゃあ、あれだ。ひたすら基礎練して、慣れるしかないな」


 その言葉を聞いた霧野の目がパチッと開き、顔つきが変わる。

「……そのための基礎練、だったんだ……」

「そういうこった」

 大村はそう言って霧野に笑いかける。


「そうね、スネアとティンパニは基礎練を完璧にマスターできた頃にやっと担当になれる楽器で……一年生だと三月にある定期演奏会で、ようやく担当になる感じみたいだったわね、毎年」

 新居先輩がそう言うと、千里が思わず声をあげる。

「ええー、そんなに先なんですか? まだまだじゃないですか! 私早くティンパニ叩きたいですよー!」

「文句言うな、千里。それなら早く、基礎練を完璧にできるようになるんだな」

「はぁーい……」

 大村にそう言われ、千里は肩を落とす。


「コイツを叩くためなら……」

 霧野がぼそりと呟く。大村、千里、優人、新居先輩はそれを聞いて霧野を見る。


 霧野はスネアを見つめたまま少し黙っていたが、意を決したように大村を見る。

「……部活に入ってもいい……と……思います」


「ホント⁉ 霧野さん!」

 千里がその場でぴょこんとジャンプをして喜ぶ。

「霧野さんなら基礎練好きだから、きっと早くマスターしてスネアを叩けるようになるよ、頑張ろうな」

 大村はにっこり笑ってそう言い、霧野の肩をポンと叩く。

「……はい。誰よりも早くマスターして……早く叩けるように……なります。……三月までなんて待てないから……それよりも前には絶対叩きたい」


 霧野の言葉を聞いて、優人は驚く。

(霧野が熱い感じでこんなこと言うなんて……! さっきまでは、部活には全く入る気がないみたいだったのに……)

「お、やる気だな。じゃあ早速入部届出して……それから、自分のバチを買いに行かないとな」

 自分のバチ、と聞いて霧野は再び目を輝かせ、頬を紅潮させて頷く。


(あの霧野でもこんなやる気になるなんて……)

 優人はそう思った後、少しうつむく。

(部活やパーカッションはそれなりに好きなつもりだけど、霧野の基礎練とかスネアに対するやる気というか……何か情熱みたいなものを持って、僕は部活に臨めているんだろうか……)


「後は……そうだな、これだけは頭の片隅にでもいいから覚えておいてほしい」

 大村はそう言って霧野の方を見る。


「スネアも他の打楽器同様、金管とか木管とか……他の楽器に合わせて演奏することでさらに面白さが感じられる楽器だ。君が人に合わせるのが嫌いだとしても、こればっかりは……誰かと一緒に音楽を奏でる方が楽しいぞ、絶対」

「……絶対、ですか?」

「ああ、絶対だ」

 大村はそう言ってにやりと笑う。霧野は半信半疑な様子で大村を見る。


「とにかく。君のその今感じている好きな気持ち、やりたい気持ちを一番大事にして欲しい。苦手なことがあったって、好きな気持ちが強ればきっと続けられるから、諦めずに挑戦してみろ。俺の言いたいことは以上だ。入部待ってるぞ、霧野」


 霧野は呼び捨てされたのに驚き、目を丸くして大村を見た後――――ほんの少しだけ笑みを浮かべ、頷いた。


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