第7楽章 部室前の廊下で

 部室である視聴覚室の前に辿り着いたところで、優人は制服のズボンのポケットに入れているスマートフォンで時間を確認する。


(今は……3時26分⁉ しまった、もう点呼の時間始まってる……!)

 優人は振り返って霧野に言う。

「ちょっと今点呼……出欠確認してるところだと思うから、廊下で待っててくれる?終わり次第呼びに行くから」

「……わかった」

 霧野はそう答え、少し考えるそぶりを見せた後、再び口を開く。

「……もし良かったら、廊下に連れてきてくれたら助かるんだけど。あんま部室ん中入りたくないし、長話する気もないし」

「う、うん。わかったよ」

 優人は頷き、慌てた様子で部室に入っていく。


 霧野はしばらくの間、ぼうっとして廊下に佇んでいる。そうしていると突然、頭の上から声が聞こえてくる。


「どうしたの?吹奏楽部に用事でも?」


 霧野は目を丸くして顔を上げる。ひょろりとした体格で、にこにこして穏やかそうな感じの三十代くらいに見える教師……と思われる男の人が、いつの間にか霧野の前に立っていた。

「あ、えっと……別に」

 霧野がそう答えると、その教師は笑って肩をすくめる。

「そう? 残念。入部希望者かと思ったんだけどな。ここ吹奏楽部の部室なんだけど、今人数不足で困っててねぇ。もし誰か友達に入りたそうな子がいたら勧めといてよ」

 教師はそう言って、部室へと入っていく。

(アタシみたいな金髪で不真面目そうなヤツでも入ってほしいなんて、よっぽど困ってんだな…ここの吹奏楽部。そーいや掲示板に部員募集のポスター貼ってたような…)

 霧野はそう思いながら、部室の扉をなんとなく眺めている。


 そうして何分かたった後、霧野の見ていた扉が開き、トランペットを持った部員たちが中から出てくる。はじめに部室から出てきた何人かの部員たちは霧野を一瞥いちべつするも、特に何も思うことはない様子で、校舎の外へとつながる渡り廊下へと向かう。しかし続いて出てきた緑色のネクタイをつけた部員……一年生の部員たちは、霧野を見てぎょっとしたような表情をした後、先に行った赤や青のネクタイをした部員……三年生や二年生の先輩たちについて、逃げるように小走りで去っていく。


(…正直、ここまで自分が有名だとは思ってなかったな。目を合わせたら喧嘩でもふっかけられると思ってんのか?そんな面倒なことこっちからはしねぇのに。やっぱ、入学式の一件が噂になってんのか?)

 霧野は、今度はホルンを持って出てきた一年生の部員たちが、ぎょっとして部室の中に慌てて引き返す様を眺めつつそう思う。


 それから少し後、クラリネットを持っている、黒髪のストレートヘアが肩下あたりまである、緑のネクタイをした女子部員が部室から出てくる。


(また緑のネクタイ……一年生か。コイツはどんな反応すんだろ)

 霧野がそう思いながらなんとなく眺めていると、驚いたことにその部員はこちらに向かってまっすぐやってくる。その少し後ろでは先程部室に引き返したホルンを持った部員二人がおずおずとその様子を見ている。


「霧野さん、だよね。何か吹奏楽部に用でも?」

 クラリネットを持った部員は、毅然きぜんとした態度で霧野に話しかける。霧野はその部員をチラリと見る。

(……誰? アタシはコイツのこと知らないけど。さっきの先公と違ってなんかつっけんどんな感じで勧誘って雰囲気じゃなさそうだし……何の用だか知んないけど、相手するのも面倒だな)

「いや、…………別に?」

 説明するのも関わり合いになるのも面倒だったので、霧野はそう言って部員から目をそらす。


 するとその部員は霧野の態度を不満に思ったのか眉間に皺を寄せ、静かな口調ではあるが霧野に食ってかかるように話す。

「用がないなら、この場所から移動してくれない? 部室の出入り口の目の前に立たれてると……迷惑だから。霧野さん見て、みんな怖がっちゃってるし」

「……知るかよ。アタシはただ立ってるだけで何もしてないし。アンタらが勝手に怖がってるだけだろ」

 霧野がそう言って悪びれもなく全く動こうとしないのを見て、その部員は苛立った表情になり、さらに強く霧野に食ってかかる。

「こんなとこに立ってるだけって……一体何企んでるの?」

「は? 別になんも企んでねーし」

 霧野は呆れたような顔で部員を見る。その表情にさらにムカっとした様子で部員は続けて言う。

「そう言われても、霧野さんの噂は色々聞いてるし……何か企んでるとしか思えない。面白半分で吹奏楽部の邪魔する気なんだったらそうはさせないから……」


「志穂!!」


 聞き覚えのある声が聞こえた気がして、霧野は声のした方を見る。そこには千里の姿があり、その後ろにはパーカッションのメンバー――――大村と優人、そして霧野の知らない赤いネクタイをした女子生徒――新居先輩が立っていた。


「霧野さんそんなことするような人じゃないから! 先入観で決め付けるのって良くないよ! 私、霧野さんと話したことあるけど、別に悪い人じゃないんだからね!」

 千里が走ってきてクラリネットを持った黒髪の部員――山下やました志穂しほに食ってかかると、志穂は目を丸くして千里を見た後、再び疑わしげな目で霧野に目をやる。

「千里。でも……じゃあ何で霧野さん、こんなところでただ立ってるのよ。まるで、うちの部が見張られてるみたいじゃない」

「私たちパーカスに用事があったんだよ! ほら、ここからは関係者以外立ち入り禁止! 志穂はあっち行った行った!」

 志穂は千里に押されるがままに部室に戻される。志穂は押されながらも、霧野をちらりと見て呟く。

「何なの。何故かこっちが悪いみたいになってるし……。用事があるならそう言えばいいのに……」


 千里は志穂が部室に戻るのを見届けた後、霧野の方を振り返って言う。

「ごめんね、志穂が迷惑かけて。あの子私と同じクラスの友達なんだけど、霧野さんのこと噂でしか聞いてないから、誤解しちゃってて」

 大村も霧野の方に寄ってきて笑って言う。

「おっす。ちょっとした騒動になっちまったみたいだな……待たせて悪かった。で、話って…………とその前に、紹介しとくよ。後ろにいるのがパーカスの三年生の新居先輩。俺の前にパートリーダーやってて……あと三年生はもう一人、ダイ先輩って人もいる。これでパーカスのメンバー全員だ」

「あなたが霧野さんなのね。よろしくね」

 新居先輩は霧野の髪色にはじめ少し驚いていたようだが、いつもと変わらない優しい笑顔で霧野ににっこりと微笑みかける。霧野は目を丸くして新居先輩を見た後、スッと目線をそらして言う。

「……よろしくされても、正直困る。……っす。今日は、部活には入らないって伝えにきたんで」


 それを聞いて大村と千里、新居先輩の3人は目を見開く。千里が一番はじめに霧野に詰め寄る。

「ええっ! なんで⁉ なんで入りたくないの? 霧野さん、基礎練好きなんでしょ?」

「基礎練は好きでも……吹奏楽部に入るのは嫌なんだって」

 霧野は詰め寄ってきた千里を向こうに押し返しながら言う。大村は千里の後ろからゆっくりと霧野の方に近づいて尋ねる。

「……もしよければ、訳を聞かせてくれないか?」


 霧野は大村の顔を見た後少しうつむき、ぼそぼそと話し出す。

「部活ってのは……性に合わないから。他の部員と共同で作業したり協力したりするのとか正直嫌だし……。ひとりでいる方が気楽だし」

「……そっか。でも、俺……別に霧野さんはパーカスのメンバーとして、上手くやっていけると思うけどな」

 大村がそう言うと、千里も再び霧野の方に身を乗り出して言う。

「そうだよ! パーカスの先輩たち、皆いい人たちだよ! 私と優人だって霧野さんが来てくれるの大歓迎だし!」

「…………そうなの?」

 霧野はそう言って、優人の方をチラリと見る。

(…………!)

 優人は霧野のことを歓迎しているわけではなかったため、頷くこともできず、思わず黙り込んでしまう。


「大丈夫だよ。俺たちパーカスは今人数不足で困ってて……君が入ってくれるってだけで十分嬉しいんだし、君のために色々考えて上手くやるさ。共同で作業するのが嫌って言ってたけど、練習は一人でやることも結構多いし。とにかく、入部した後のことは、俺たちに任せてくれればいいから」

 大村は霧野を元気づけるようにそう言うが、霧野は大村から目をそらして言う。

「でも、さっきみたいに……いずれ周りとうまくいかないことになると思うんだけど……」

「……志穂とか、他のパートの人のこと?大丈夫だよ! 一緒に行動するのって大抵は同じパートどうしでやるから、他の部員とは、そんなに一緒になることないよ」


 千里は霧野にそう言うが、優人はそれを遠めに眺めて思う。

(大村先輩も千里も霧野に入部して欲しいがために、無理やり大丈夫だって言ってるけど、僕は……そうは思わない。霧野が他の人と問題起こすっていうのはわかる気がする。吹奏楽って、結局全員の演奏……合奏でひとつの曲を作り上げるものだから、どうしても部員全員で協力することは必要不可欠だし、霧野が皆に合わせて協力するようなヤツには思えないし……絶対いつかうまくいかない部分が出てくると思う)


 黙ったまま頑なに入部することを拒んでいる霧野をじっと見つめて、大村は静かに言う。

「基礎練ちょっと教えただけだからな。君はまだまだパーカス……パーカッションの魅力について、知らない部分がたくさんあるよ。それをもっと知ってもらった上で、入部するかどうか考えて欲しいと俺は思ってる。何も知らないままここで断られるのは俺としても不本意だ。だから……」

 大村は親指で部室の扉を指す。

「……部室に来いよ。俺たちの演奏に使う、打楽器がたくさんあるから……一度見て欲しい」

「……打楽器…………それも、バチとか使うんすか?」

 霧野が少し目の色を変えて大村を見る。

「使うのもあるぞ。とりあえず、中入ってけよ」

「……でも、部室の中って他の楽器の人もいっぱいいるんじゃ……」

 そう言って気が進まない様子の霧野に大村は笑って言う。

「大丈夫大丈夫。パーカスだけは楽器の持ち出し簡単にはできねぇからずっと部室で練習するけど、他の楽器は、合奏の時以外は部室の外に楽器持って行って練習するんだ。皆が中で一緒になって練習したら音がかぶって自分の楽器の音が聞こえにくくなるからな。今日は天気もいいし……ほら、俺たちが喋ってる間にも、次々部室から楽器持って外に出てってるヤツらがいるだろ?」


 大村はそう言って、部室から出てくるクラリネットを持った一隊を指差す。先程霧野に食ってかかった志穂もその中にいて、ちょうど出てきたところで霧野と目が合う。志穂は今度は何も言わずに霧野から目をそらし、黙って先輩たちについて行く。


「ほら、行くぞ。中へ入った入った」

 大村はそう言いながら霧野の背中を押す。霧野は押されるがままに部室の中へ入ってゆき、慌てた様子で大村に言う。

「わ、わかった……っすから……押さないでください……」

 その様子を見ていた新居先輩がくすりと笑って千里に言う。

「……さて、あの子の心を動かすことができるのかしらね、うちの打楽器たちは」

「きっと、大丈夫ですよ! みんな魅力溢れる子たちですし。行きましょう!」


 千里がわくわくしている様子で新居先輩と一緒に部室へ入っていく。優人はそんな二人の様子を後ろで見ながら、少し遅れて一番最後に部室に入って行く。


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