第6楽章 優人の苛立ち

「わりぃ、遅くなった」


 大村が部室に入ってくる。千里がそれを見て大村のもとへ駆け寄る。


「あ、大村先輩! どうでした? 霧野さんは」

「ああ。あの子……基礎練にハマってくれたみたいでさ、終わる時バチもっと持ってたいって言ってくれたよ。すごい嬉しそうに練習してくれるもんだから、こっちまで嬉しくなって……つい長居してこっちの練習まるっきり放置しちまった。あー……なんとかしてパーカスに入ってくれねぇかなー。あの子が後輩になってくれたらめちゃくちゃ可愛がるだろうなぁ、俺」


 二人の会話を傍で聞いていた優人は、大村の言葉に目を丸くする。

(え、先輩……誰をかわいがるだって? 霧野のやつ、なんでこんなに先輩に気に入られてるんだ? 同じクラスで見てる限りは、目つきも態度もすごく悪いし、可愛げなんて全くないのに……。面倒見が良くて誰にでも気さくな大村先輩だから、霧野も心を開いたのか?)


「先輩、ずいぶん霧野さんのこと気に入ったんですねぇ」

 千里がにやにやしながら大村の方を見る。大村はその視線に気づいて、軽く目をそらしながら言う。

「……なんだよその目は。だってさ、あんなに真面目に嬉しそうに基礎練してくれりゃ、可愛がらざるを得ないって。千里もそれくらい基礎練好きでいてくれりゃ、もっと上手くなるんじゃねーの?」

「あ、ひどい。私だって基礎練好きですよ?」

「でも、めんどくさいーだとか、早く楽器練したいー、だとかぶーぶー言ってたじゃねぇか」

「う。そ、それはですねー……」


 大村と千里の会話を横で聞いていた優人はドキリとする。自分も基礎練はそこまで好きではなく少し面倒で、楽器練の方をしたい思いがあったからだ。

 大村は冗談交じりで言った言葉だったが、優人はそれが大村の本音で、入部すると決まっていないにも関わらず霧野の方が期待されているのではないか、という解釈で受け止めてしまって、少し複雑な気持ちになった。


「でもえこひいきして霧野さんばっかりかわいがらないで下さいよ!私、嫉妬しちゃいますからね!」

 一方の千里は嫉妬してしまうとか言いつつも、たいして気にしていない様子で笑って大村と会話している。

「千里……気が早いって。彼女まだ入部するとは言ってないし」

「え、そーなんですか?基礎練にハマったって聞いたからほぼ決まりなのかと……」

「まぁ無理に入部させるようなことしたくないし、地道に勧誘続けて、あの子が入部したくなった時に迎え入れたらいいよ。あ、優人、もし霧野さんが基礎練またしたいって言ってきたら、そん時はまた俺が行くから……今日みたいによろしく頼むな」

 大村が優人に向かって言う。優人は一度頷きつつも、大村が再び千里の方を向いたところで密かに眉をひそめて考える。


(でも……じゃあコンクールはどうするんだろう。先輩だって自分の練習があるし、霧野にばっかり付き合ってる暇もないんじゃ……。それに霧野はコンクール参加するつもりで考えるべきなのか? でも部活入るかどうかもわからないんだったら……。これじゃあ参加人数わからないから楽器の担当が決められないし、いつまでたっても楽器練できないじゃないか……)




(…………まずいな)


 その翌日の1年1組の夕方のホームルームの時間、優人は霧野の背中を見てそう思う。

(今日も霧野、早退せずに残ってる。これって……また基礎練やりたいって言われるってことだよな……。もし言われたら……また大村先輩に言うしかないのか)

 優人は深くため息をつく。

(正直、嫌だな……霧野が基礎練するのって。入部するのかどうかはっきりしないのに時間取られるからってだけじゃない。やっぱり霧野が入部するのって不安だ。偏見かもしれないけど、変に問題起こしそうな気しかしない。パーカスに人数足りないのも事実だけど……それでも…………)


 あれこれ考えているうちに、いつの間にかホームルームが終わっていたようで、がやがやと騒がしくなると同時に皆が立ち上がり教室から出て行く。それを見た優人はハッとする。

(い、今ならまだ霧野に何も言われてない。今のうちに教室から出てしまおう)


 優人は急いで荷物を持って立ち上がり、霧野に気づかれないように教室から出ようと後ろの扉へ向かう。その時背中から視線を感じた気もしたが、振り返らずに教室から出て行く。

 そして優人は廊下を歩きながら、またもや深くため息をつく。

(こんなことしても何も解決しないってわかってるんだけどな……。嫌な問題からとりあえず逃げるの、僕の昔っからの癖だよな……。大村先輩に霧野に声かけなかったのかって聞かれそうだけど……まぁ霧野は何も言わずに先帰った、って嘘をつけば済む話か)


 優人はそう思った後、どうも持っている荷物が少ない気がして、ふと足を止める。

(……しまった! バチを入れてる袋、教室に忘れてきた! あれがないと基礎練できないし……。……仕方ない、取りに戻るか。霧野は……さすがにもう帰ってるよな)

 優人は深くため息をつき、とぼとぼと来た道を引き返す。



 教室に戻ってきた優人は愕然とする。教室には霧野がまだ残っていて――――しかも、優人の忘れたバチケースを持ってじろじろと眺めていた。


「あ……それ!」

 優人が思わず口に出すと、霧野がこちらに気づいた様子で振り返る。

「ああ、これ。やっぱ忘れてたんだ、アンタ。机に置いてあったの見つけて、この長さの細い袋……たぶんバチ入れてるんだろうなって思って覗いてみたけど。にしても……すげー手作り感に溢れてんな。母親にでも作ってもらったの?」

 そう言って霧野は布でできている、入口に紐が通してあり引っ張ると袋の口を閉められるようになっているバチ入れを、しげしげと眺めている。霧野の言うとおり母親の手作りの袋だったため、優人は恥ずかしさから顔が思わず赤くなる。

「……そうだよ。僕も大村先輩みたいに市販の買おうと思ってたからいらないって言ったんだけど、うちの母さん手芸の先生やってるから……知らない間に張り切って勝手に作ってて……。おまけに、同級生にもうひとりパーカスやってる子がいるって話もしてたから、千里の分まで……」

「そういえばもうひとりも同じよーな袋持ってたっけ。へぇ、お揃いなんだ」

 霧野はそう言って優人のバチ袋の口を開け、中を覗いている。


「…………勝手に見てないで、いい加減返せよ」

 優人はお揃いと言われてさらに恥ずかしい気持ちになり、ぶっきらぼうな態度で霧野からバチ袋をひったくる。霧野は目を丸くして優人を見る。


 優人は霧野に対していつもとは違う不躾な態度をとってしまったことに気づいてハッとし、おずおずと謝る。

「あ、その…………ごめん」

「何が」

 霧野は眉をひそめて優人を見る。その目つきが鋭かったので、優人はビクッとする。

「ご、ごめん!そろそろ部活行かないと……遅れるから…………」

 優人はそう言って教室を出ようとするが、霧野に呼び止められる。

「あ、ちょっと。今日って基礎練……またやらせてもらえたりするの?」

 優人はそれを聞いて――霧野を無視して先に行こうとしたこともありドキリする。そして立ち止まり、恐る恐る霧野の方を振り返る。

(……正直、僕としては断りたいし、部活入る気もないのに迷惑だって言いたいよ。でも先輩たちや千里は期待して待ってるし、地道に勧誘続ける気でいるし……昨日だって霧野にそう言われたら連れてこいって言われてた。でも…………)


「どっち? いいの? 駄目なの? はっきりしてよ」

 呆れたような顔で霧野にそう言われ、優人は思わず苛立ち、声を荒らげて言う。

「こっちこそ、はっきりして欲しいよ! 部活、入るの? 入らないの⁉ どっちなんだよ‼」


 霧野は珍しく大声を出す優人を少しの間、呆気にとられて見ていたが、少し腹を立てた様子で眉を吊り上げる。

「はあ? はじめっから入らないって言ってんじゃん」

「じゃあ、なんで基礎練はやりたがるんだよ。おかしいよ! そんなだから先輩も千里も、霧野が部活入るかもしれないって期待するんだ。第一、部活に入る気ないクセに教えてもらいたがるのがどうかしてる! こっちはコンクール前で忙しいんだ。先輩だって、霧野に付きっきりで教えてる余裕なんて、ホントはないんだよ!」


 勢いでそうまくし立てた優人は、言い終わると同時にサーッと血の気が引くのを感じる。

(しまった! 霧野に対してこんなこと言ったりしたら……こ、殺される……っ!)

「……言いたいことはそれだけ?」

 霧野が顔を伏せて呟く。その様子と物言いに、優人はさらに恐ろしくなり、勢いよく頭を下げて言う。

「すっ…………すいませんっ! 僕が間違ってました! 霧野……さんはこっちの事情何も知らないのに、一方的に悪者扱いして…………」

「……でも、忙しいから迷惑だって話は、本当なんだ?」

「え、えっと…………」

 そう言われた優人はどう答えていいものか、迷って少し口ごもる。

「もし部活に入る気があるなら、別に迷惑じゃないとは思うけど…………。先輩たちも千里も歓迎してたし。でも入る気ないのに教えてもらうってのは…………」

「……なるほど」

 霧野は意味ありげに優人の方をチラリと見やった後、すっくと立ち上がる。


「わかったよ。正直基礎練はもっとやりたいけど、入る気ないのにそれは迷惑だってんなら、諦める。それに、もし大村さんや千里って子が無駄な期待持ち続けてるからってアンタが困ってんなら…………」

 霧野は鞄を持って、教室の扉へ向かう。

「今から行って、入る気は全くないってはっきり言うから。部室……視聴覚室って、一階だったっけ?」

「ちょ、ちょっと待って」

 優人が慌てて荷物を持ち、霧野を追う。

「今から行くつもり? ていうか、部室には行きたくないって言ってたんじゃ……」

「……直接言ったほうが話が早そうだし。アンタの話じゃ、入る気ないこと伝えてるのに、まだ入部の可能性あるって思われてんでしょ?」

「そ、そうだけど……もういいの? 基礎練のこと……」

「………まあ、道具さえ揃えれば、一人でもできなくもないし」

 霧野がそう呟くのを聞いて、優人は目を丸くして霧野を見る。

(道具揃えて一人でって……何のために……。というか、何が楽しくてそんなこと…………)


 そんなことを考えていると、霧野が突然立ち止まり、優人の方を振り返る。

「そうだ、ちょっとバチ貸してくれる?」

「えっ……今? …………何で?」

「すぐ返すから。えっと、基礎練用の太いやつじゃない、楽器用のってある?ヒッコリーって木でできた……」

「え、えーと…………」


 優人は慌ててバチ袋の中から、ヒッコリーの基礎練用ではないバチを取り出し、霧野に手渡す。

 霧野はそれを手のひらに乗せてから握り、裏返して手の甲を上にし、ぶんぶんと軽く振る。その振り方が一日しか練習していないわりには自然だったので、優人は驚く。

「……うん、こんなもんだったかな。おかげで思い出せた」

 霧野はそう言って優人にバチを返し、言う。

「アンタも部活、今から行くんでしょ。ついでに連れてってよ」

「……う、うん…………」


 優人はバチを袋にしまいながら、今の霧野の行動について考える。

(……なんだよ。基礎練教えてもらうのは諦めるって言っておきながら……未練ありまくりに見えるんだけど。それとも、本当に部活には入らずに一人で続ける気でいるのか…………?)

 優人は困惑しながら、霧野の横顔をチラリと盗み見る。


(……これで……よかったのかな…………?)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る