第4楽章 霧野の勧誘

「ねぇ、アンタ…佐々木だっけ」 

 1年1組の夕方のホームルームの時間が終わり、これから部活に向かおうと優人が荷物を鞄に詰めていると、前の席から霧野が優人の方を振り返り、唐突に話しかけてくる。優人は何が起こっているのかわからない様子でぽかんとして霧野の顔をしばらく見ていたが、状況が飲み込めてくると驚きのあまり思わず後ろに仰け反る。その拍子に椅子が後ろに倒れかけてガタンと大きな音がする。

「霧野…さん!?な、な、何の用?」

「なんでそんな驚いてんの」 

 霧野はいぶかしげに優人を見ている。

(そりゃあ、今まで霧野に話しかけられたことなんて一回もないんだし、驚くよ…)

 優人は体勢を元に戻して椅子に座り直し、きょろきょろと辺りを見渡す。クラスの皆は早く教室を出ようと帰る準備にいそしんでおり、今のところ注目を浴びてはいないようだが、霧野と喋っているところを誰かに見られたら間違いなく変な目で見られるだろうと思った優人は内心びくびくしている。

「いや、別に…霧野さんが僕に用があるなんて珍しいと思ったから…」

「そう」

 霧野はそう言うと、ガムを噛んではぷうっと膨らませる。そしてそこからは何も喋ろうとはせずに黙り込んでいる。優人は霧野がこちらに半分だけ体を向けたままなので立ち去ってよいものかわからず、居心地が悪そうにいそいそと帰る支度をしている。そして、多くの生徒たちが教室を出たあたりで、再び霧野が口を開く。

「昨日やってたアレ…今日もここでやんの?」

 が何を示しているのか理解するのに少し時間がかかったが、基礎練のことだと気づいた優人は、霧野が話しかけてきた目的がようやくわかって腑に落ちる。

「え?…あ、基礎練のこと?うーん…たぶん違うと思うよ。普段は吹奏楽部の練習は視聴覚室でやってるから。昨日は視聴覚室が使えなかったからここに来たけど」

「そう」

 霧野はそう言った後、また少しの間黙る。しばらくの沈黙の後、口を開いて言う。

「その基礎練っていうの…ちょっとやってみたいんだけど」

「え…?」

(そういえば昨日は…大村先輩が霧野に基礎練についてやってみせたりして説明してたけど、見回りの先生が戸締りに来てすぐお開きになって…結局霧野は実際に体験するのはまだだったっけな。でも…霧野のやつ、ずいぶん基礎練に興味持ってたけど、うちの吹奏楽部に入る気があるのか…?)

 優人は少し不安に思い、霧野に聞いてみる。

「霧野さん、吹奏楽部に入りたいの?」

「吹奏楽部?部活は…別に入る気ないけど。ただ基礎練っていうのを一回やってみたかっただけだし」

 霧野が眉をひそめてそう言うのを聞いて、優人は目を丸くする。

(ど、どういうことだよ!?部活に入る気はないけど基礎練だけやりたいって、そんな訳のわからないこと言われても…。第一、入部希望でもない人に教えるのって大丈夫なのか?いやでも仮入部ってかたちなら…)

 優人は考えすぎて混乱してしまう。霧野から目をそらしてふと教室の壁の方を見ると、時計が3時15分を示しているのに気づいて優人は慌てる。

(駄目だ、僕ひとりで判断するのも不安だし、そろそろ部活も始まるし時間だし…一度大村先輩に相談してみよう)

 優人はそう思って、立ち上がりながら霧野に言う。

「ちょ、ちょっとここで待っててくれないかな。先輩に聞いてみるよ」

 そうして優人は急いで教室を出て部室へと向かう。



「なんだって?昨日の子…今日も基礎練したいって?」

 部室に着いた優人が真っ先に大村に霧野のことを知らせると、大村は目を輝かせる。

「本当に興味持ってくれてるみたいですね、霧野さん。このチャンス無駄にしちゃ駄目ですよ!がっつり勧誘しちゃいましょう!」

 千里も楽器出しをしながら嬉しそうに言う。

「初心者とはいえ、入部してくれたら人数が増えるし、コンクールの人数不足の不安も解消されるわね。よかったじゃない」

 新居先輩もにこにこと笑いながら嬉しそうに言う。

(みんな、入部希望者がいるって勘違いして嬉しそうにしてるから…そうじゃないって言い出しづらいなぁ)

 優人がそう思って困っていると、大村が優人に言う。

「で、その子は今どこにいるんだ?」

「き、昨日と同じ…1年1組の教室で待ってます」

「待たせてるのか?何でここに連れてこなかったんだよ」

 大村にそう言われて、優人は少し口ごもる。

(確かに迷ったけど…1年の間じゃ霧野は不良っぽいって有名だから、部室に連れて来たらちょっとした騒ぎになりそうだしなぁ。それに、入部する気はないって話だし…そうだ、入部は希望してないってこと、そろそろ言っておかないと)

 優人は覚悟を決めて、口を開く。

「それが…部活には入る気はないって言うんです。でも基礎練には興味があってやってみたいって…」

 それを聞いて皆は目を丸くし、顔を見合わせる。

「…何それ、変なの」

 千里が首をかしげて言う。

「なんというか…ちょっと変わった子なのね。普通は楽器を演奏する方から興味を持つはずなんだけど…基礎練はその時の為にやるものだし」

 新居先輩も不思議そうな表情で言う。

「でも、バチとか熱心に眺めてたし…パーカスに興味があるってのは間違いないはずだ。ちさとの言うとおり、これはパーカスの人数を増やす絶好のチャンスだ…おそらく最後のな。吹部の希望者ならまだしも、パーカスの希望者なんて経験者でもない限りいないからな。ほとんどは木管とか金管とか…メロディーを奏でる方をやりたがるから、もし吹部希望者が来てもパーカスにまわされたら断るってケースもありそうなくらいだし」

 大村はバチをぐっと握りしめて言う。

「…せっかくパーカスに興味を持ってくれてるんだ。今は入部するつもりはなくても…俺がその気持ちを変えさせてみせる!その子が望むなら、基礎練でもなんでも教えてやるさ!」

「わー先輩、やる気ですねぇ」

 千里がそう言って拍手する。

 大村はやる気に満ちた表情で、自分の基礎練3点セットを抱えて言う。

「じゃ、待たせるわけにも行かねぇし、点呼はまだだけど早速その子のとこ行ってくるよ。点呼で俺の名前呼ばれたら、今いないけど練習には参加するって伝えといてくれ。お前たちは、新居先輩に見てもらってちゃんと練習しとけよ。新居先輩、こいつらのこと宜しくお願いします」

「ええー!わたしも霧野さんが基礎練するとこ見たかったのに。ついてっちゃ駄目ですか?」

 千里がそう言って大村についていこうとするが、新居先輩が笑いながら千里の服の袖をつまんで引き止める。

「ダメよ、千里。人の練習見てる暇なんてないでしょ?あなたたちはここで練習」

「はぁい」

 千里が残念そうな顔をしながらも、素直に新居先輩の指示に従う。

(…みんな霧野の勧誘に乗り気だけど、コンクール前なのにそんなことしてて大丈夫なのかな。入部してくれるかもわからないのに…。それに入部してくれるにしても、僕と千里を教えるだけでも大変そうなのに、霧野まで来たら…余計先輩たちに負担がかかるんじゃないか…?)

 優人だけは乗り気でない様子で皆が盛り上がっている様子を離れて見ていた。優人は霧野の入部にひとりだけ乗り気でない自分に気づいて頭を振る。

(…駄目だ。みんなは喜んでるのに僕だけこんな気持ちで…。3年の先輩たちもコンクールが終わると引退だし、人数が増えないとこの先厳しいことはわかってるじゃないか。…結局のところ、僕は霧野が苦手だから同じ吹奏楽部に入って欲しくないだけなのかな…。だとしたら、すごく自分勝手な考えだよな…)

 優人はそう思ってひとり自己嫌悪に陥いる。

 

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