第3楽章 不良少女とバチと基礎練

「大村くん」

 朝練中、大村は優人と千里の基礎練している様子をぼんやりと眺めていたが、急に呼びかけられてはっと我に返り、声のした方を振り向く。声の主はふんわりとした茶髪がかった髪を肩下あたりまで伸ばしている、穏やかそうな顔の女子生徒…3年生のパーカッション担当で大村の先輩の、新居にい陽子ようこだった。

 打海高校は受験に力を入れているため、吹奏楽部の3年生は夏のコンクールまでは活動してよいものの、主導権は2年生に渡すことになっていた。そのため3年生は部活の参加も義務付けられてはおらず点呼もとらない。勉学に影響が出ない程度の参加のみを認められているため、コンクール直前でもない限りは、毎日来る3年生は少ない状態であった。

 新居先輩はパーカッションパートの元パートリーダーであった。自身が3年生になった際に大村を後任のパートリーダーに指名してからは、主に大村を補佐する役割を担っている。

「新居先輩!」

 新居先輩は自分の基礎練を終え、大村の方へやってきた。

「ごめんね、昨日は部活出られなくて。まっちのこと…聞いたわ、辞めるって」

「そうなんすよ。アイツときたら、誰にも言わずにこっそりと抜けやがって…パーカスのこと何も考えねぇで自分勝手で無責任で。せめてコンクールまでは残るよう説得しようとしたんすけど、俺上手く小町のこと説得できなくて…。どうもあいつと性格合わなくて、会うたびつい喧嘩っぽくなっちまうんですよね」

「まあ…しょうがないわよ。まっちにもいろいろ事情があったんでしょう」

 そういう新居先輩を大村は目を丸くして見つめた。

「あの、先輩…アイツが辞めてったこと怒ってないんですか?」

「まあね…そりゃ残念に思う気持ちは強いけど。あんなに上手いのに辞めちゃうなんて勿体無いし。でも、まっちがそう決めたんだから仕方ないって…そう思うわ」

 新居先輩はふっと寂しそうな表情を見せてそう言った。

「ダイ(3年生のパーカスメンバー、岡先輩の愛称)も、まっちが辞めること聞いて大泣きしたって…メールに書いてあったわよ。大声で泣きすぎてお見舞いに来てくれてた妹にうるさいって怒られたって。どこまで本当のことかはわからないけど」

 新居先輩はそう言ってくすりと笑った。大村も大柄なダイ先輩がわんわん泣いている様子を想像してフフッと笑ってしまう。基礎練中の優人と千里もそれを聞いて思わず笑顔を見せる。千里は基礎練の手を止め、大村の方に少し近づいて言う。

「あの、大村先輩。私も…気にしてませんよ。まっち先輩いなくなったのはそりゃあ淋しいですけど…恨んだりする気持ちはありません。とりあえず今いるメンバーで頑張りましょうよ」

「千里…。でも、コンクールも4人じゃ楽器の分担ぎりぎりだし、小町が抜けて、お前らの練習じっくり見てやることもできなくなって…」

「それなら心配ないわ」

 新居先輩がにっこりと笑って言う。

「こうなった以上私もできるだけ毎日部活に来て、1年生の練習見るわよ。楽器の分担も…本当はあと一人欲しいところだけど、4人いればできなくもないと思うわ。なんならコンクール当日にはダイを無理やり引っ張ってきて、無理なく出来そうな楽器ならやらせてもいいかも。その頃には退院はしてるだろうし」

「いや、さすがに今入院中のダイ先輩に無理させる訳には…それに、新居先輩も…勉強とか忙しいんじゃないですか?うちの吹部は本来1年生の面倒は2年だけで見るものなのに…」

「大丈夫。何もかも一人でやろうとしたらキツイわよ。こういう時に先輩頼らなきゃ」

 そう言って新居先輩はにっこりと大村に笑いかける。

「先輩…ありがとうございます!」

「いいっていいって」

 新居先輩の柔らかな微笑みを見ていると、大村は少し心が晴れたように感じた。



 その日の放課後、点呼が終わったタイミングで部長が視聴覚室に入ってきて、皆に声をかける。

「みなさーん!聞いてくださぁい!今日視聴覚室は急きょ使えないことになったんで、急いで楽器とメトロノームと譜面と…必要なもの全部持って、外か空いてる教室で練習してください!!」

 それを聞いて皆は言われた通りに移動する。大村はそれを聞いてため息をつく。

「俺たちパーカスは簡単に楽器持ち出せるわけでもねぇし、今日も楽器練は諦めるか。その代わりみっちり基礎練するぞ!基礎練道具だけ持って来い。急いで空き教室探すぞ」

 3人はメトロノームとバチとパッドの基礎練3点セットを持って廊下に出る。その時大村のポケットからバイブ音が鳴る。大村はスマートフォンを取り出し画面を見る。

「げ、しまった…今日ちょっとクラスに残らないといけねぇの忘れてた。ちょっと、先にどっかの教室で練習しといてくれないか。メールで場所教えてくれたら、俺も用が終わり次第そこ行くから」

「わかりました」

 千里がそう言うと、大村は急いで歩いていく。千里は優人の方を振り返る。

「さて、どうしよっか。先輩行っちゃったし、新居先輩も今日は模試で来れないって話だし…とりあえず、あたしのクラスか優人のクラスの教室でやろっか」

「そうだね」

 二人は階段を上がって1年生の教室のある3階にやってくる。まず千里が3組の教室を扉を少し開けて覗いてみる。3人くらいの男子生徒が教室で喋り、笑い声をあげている。

「あ、うちのクラスの男子まだ残ってる…ね、優人のクラスにしてもいい?」

「いいけど…」

(僕のクラスも人残ってたらどうしよう。こんな…バチとか持ち歩いてるとこあんまりクラスの人に見られたくないんだけど…)

 二人は次は1組の教室へ行く。優人が扉の隙間から中を覗くと、教室には誰も残っていない。

「よかった。ここで練習できるね。あ、大村先輩にメールしないと」

 千里はそう言ってポケットからスマートフォンを取り出し、大村にメールを送る。

(クラスの誰かの机の上を使って基礎練すると、机に傷つけてしまうかもしれないし、後々文句言われるかもしれないな…)

 優人はそう考えて自分の机を選び、その上に黒色の小さな筒型のケースからパッドを取り出してくっつける。

(前の席にメトロノームを置きたいけど…前の席は霧野の席なんだよな…。ま、まあ霧野はもう帰ってるし置いてもバレはしないだろうけど…くれぐれも傷だけはつけないようにしないと…)

 そう思って優人は自分の前の席…霧野由希の机に、振り子式の縦長の三角錐さんかくすいの形をした白色のメトロノームを恐る恐る置く。千里は特に気にしていない様子で、優人の机の通路を挟んで左側の机にパッドをくっつける。

「それじゃ、やろっか。メトロノーム2個じゃ音かぶってややこしいし、一緒に優人の見てやってもいい?」

「いいよ。速さは…とりあえず80でいい?」

「おっけー。80くらいだと一番自分の悪い癖が発見しやすいって言われたしね」

 優人はメトロノームの横についているねじを巻き、針についているおもりを80の位置に合わせ、手を離す。カチ、カチとメトロノームの音がなり、ゆっくりとした80のテンポを刻みだす。優人はそれをできるだけ左側にいる千里にも見えるように、机の左端に置く。

 二人はまず全音符の練習から始める。全音符は楽譜では1小節の中の頭で一回叩くというもので、基礎練ではメトロノームが4回カチと鳴るあいだの始めの1回だけ叩く。両手にバチを腰のあたりに構えて持ち、手首から先に片腕をゆっくりとまっすぐ上げ、目の横あたりまで上げる。そして4回目のカチを聞いた後手首を後ろに返してすっと下におろしつつ、手首を前に返して1回目のカチという音に合わせて一回だけパッドを叩く。つまり、その一連の動作をカチ・カチ・カチ・カチと4回メトロノームが鳴る間に行う。それが終わると反対の手で同じことをし、それを繰り返していく。

 二人は黙々と真剣な表情で基礎練をこなす。教室はメトロノームのカチという音と、バチでパッドを叩く、タンという音だけが響き、静まり返っている。

(こんなところクラスの人に見られたら変に思われそうで嫌だな…何も知らない人からすると謎な動きしてるようにしか見えないだろうし)

 優人はそう思ってちらりと教室の扉を見て…思わず固まる。扉はいつの間にか開いていて、そこには……クラスメートの霧野由希が立っていた。

「どうしたの優人、動き止まってるよ?」

 千里は優人の基礎練の手が止まっているのに気づいてそう言って優人を見、次に優人の目線の先にいる霧野を見る。

「あれっ…あなたってたしか…霧野さんだっけ?いつからいたの?」

 千里も手を止め、目を丸くして霧野に言う。

「アンタたちがそれを叩き始めた頃からよ」

 霧野がガムをくちゃくちゃと噛みながら答える。

「で、それ、何してんの?アンタたち」

(…二人並んでメトロノームの音に合わせてバチでパッドを叩いてるのって、ハタから見れば異様な光景だよなぁ。そんなところをクラスメートに…しかも霧野に見られるなんて…おまけに霧野の机勝手に借りてるのもバレたし…)

 優人が動揺していると、千里が先に霧野の問いに答える。

「基礎練よ」

「何、それ」

 霧野は眉をぴくりと動かして言う。

「うーん…一定のテンポを体に刻み込むための基礎練習って言えばいいのかな。バチでこのメトロノームのカチカチいう音に合わせてパッド…この粘土みたいなのを叩くの」

「ふぅん。…で?なんであんたたち、そんなことやってんの?」

 霧野はそう言って風船ガムをぷうっと膨らませる。優人は霧野と普通に会話している千里を尊敬の眼差しで見つめている。

「あ、言うの忘れてた。私たち吹奏楽部のパーカッションっていうパートやってるの。パーカッションっていうのは吹く楽器じゃなくて叩く楽器…打楽器を担当するんだけど。太鼓とか木琴とか…ティンパニとかシンバルとかってわかる?吹く楽器の後ろでやってるやつなんだけど」

「うん、だいたいわかるけど。へー…あんたたちが吹奏楽部…そうなんだ」

 霧野は少し意外そうな顔で優人を見る。優人は霧野に見られて少し緊張した面持ちになる。

「うん!そうなの!」

 千里が満面の笑みを浮かべ、誇らしげに胸を反らせて言う。

 その後しばらくの間誰も会話をすることなく、メトロノームのカチカチいう音だけが教室に響き渡る。霧野はその場から動くことなく、ガムを噛んではぷうっと膨らませるのを繰り返している。千里はなぜか霧野に興味を持った様子でじーっと観察している。優人はというと、霧野と目を合わせるのもなんとなく気まずかったのでカチカチと音を鳴らして左右に揺れるメトロノームをじっと見つめている。

「ねぇ…霧野さん、で合ってるよね」

 しばらくすると千里が口を開いた。

「そうだけど………知ってんの?」

 霧野が千里の方に目をやり答える。

「うん。3組にも噂は広まってるよ。1組に無愛想な不良っぽい金髪の女子がいるって」

(な、なに本人の前で言ってるんだよ千里…それ悪口だって気づいて言ってるのか?天然でおっとりした千里のことだし気づいてないのかもな…。意外と千里って言いたいことずばっと言うし、このままほっとくとヤバそうだなぁ…)

 優人は二人の会話を聞いてハラハラしている。

「…あっそ」

 しかし霧野は怒ることなく、特に気にもしてない様子で再びガムを膨らませている。

「でも、想像してたより怖くないね、霧野さんって。普通に話できるし、そこまで不良って感じしないよ」

「そう?」

 千里の言葉に、少し意外そうな顔で霧野は千里を見る。

「うん、確かにちょっと無愛想な感じはするけど嫌な感じじゃないよ。何か誰かに似てるような…誰だっけ。あ、そうそう!まっち先輩!」

「…誰、それ」

 霧野はそう言って千里をぽかんとした表情で見ている。

(…確かに無愛想なところとか、ちょっと小町先輩に似てるってのはわかるな。でも僕は霧野のことまだ怖いけど…千里みたいに普通に話せそうにないし。思えば僕は千里とは違ってこんな感じの人は苦手だ。小町先輩にだって少し苦手意識を持っていたし…)

 優人そう思ってちらりと霧野を見る。

 また会話が途切れて教室は静かになる。すると、急に霧野がこちらに向かってゆっくりとやってくる。優人がびくびくしながらその様子を見ていると、霧野は机に置いてある千里のバチをじっと見て、さらに手に取ってじっくりと眺めだした。心なしか霧野の目が輝いて…うっとりとした表情に見えた。

(い、一体何が起こってるんだ…?バチに興味を示してる…のか?あの霧野が?)

 優人は驚きの表情で霧野を見ている。千里にも霧野がバチに興味を示しているように見えたらしく、霧野に声をかける。

「ん?どうしたの?それ、気に入った?」

「うん……気に入った」

(え…本当に!?まさか、とか冗談じゃない、とか言うかと思ったのに…)

 霧野が頷いて素直にそう言ったので優人は驚いた。

「これ……欲しい」

 霧野が千里の方を向いて言う。優人は新手のカツアゲかと思って内心びくびくしながら成り行きを見ている。

「悪いけど、ダメ。それ買ったばっかりでまだ新しいんだから」

 千里は困ったように笑ってやんわりと断る。

「……そっか」

 霧野は残念そうに肩をすくめる。おとなしく引き下がった霧野を見て優人はさらに驚き、ぽかんとした表情で霧野を見ていた。

「おーい!何してんだよ。全然叩いてる音聞こえてねーぞ!この教室にいるんじゃないのか?」

 廊下から声がして、先程まで霧野がいた、開けっ放してある扉から大村が入ってくる。大村は教室に一歩だけ入ったところで、霧野がいるのに気が付きぴたりと足を止める。

「あれ…?君は?」

 大村は霧野を見てそう言ったあと、霧野がバチをしっかりと握り締め、じっと眺めているのに気がつく。

「君、もしかして……興味あるの?」

 大村がそう言うと、霧野はちらりと大村を見た後、再びバチを見て頷いた。

「もし良かったら、俺らと一緒に…やってみないか?」

 大村がそう言うと、千里と優人は驚きの表情で大村を見る。そして霧野も大村の方を向く。優人は再び霧野を見て…ごくりと唾を飲み込む。

 少しの沈黙のあと、霧野は大村の顔をじっと見つめ…優人から見てもわかるくらい、はっきりと頷いた。


 

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