第2楽章 大村の憂鬱
「優人! 叩く音が一定じゃねぇぞ! 千里は微妙に遅い!」
視聴覚室ではパーカッション組が基礎練習をしている。他の楽器パートの部員は、今日は天気がいいので外で練習していて、パーカッションパートだけが視聴覚室に残っている。
振り子式のメトロノームを前に置き、その音に合わせてバチで、ゴム素材を張った板、もしくはパッドと呼ばれる粘土のようなものをひたすら叩く――――これがパーカッションの基礎練習で、短く「基礎練」と呼ばれている。
これを毎日欠かさずやることで、パーカッションをやるには欠かせない、一定のリズムを刻む感覚が身につくようになるのである。基礎練は楽器の練習を始める前に毎回、必ずやる決まりになっていた。
メトロノームが左右に動く度にカチ、カチと音が鳴る。メトロノームが4回カチと鳴るあいだに最初の1回だけ叩くのが全音符、最初と3番目のみ叩くのが2
タタタタタタタタタタタタ……と、基礎練の、バチで板やパッドを叩く音が視聴覚室に響いている。この音が一定だと良いのだが――――今聞こえている音にはばらつきがあり、大村は少し顔をしかめる。
(やばいな……遅れてるぞ……。去年、俺と小町は今頃3連符までは完全にできていたけど……優人と千里は教えたてで、まだあまり身についていない。急いで先の練習に進みたいけど……できてないのに先に進むと後でつまずくし……。ちくしょう、これから俺ひとりで二人を教えていくのは無理あるぞ……)
大村がそう思ってうんうん唸っていると、大村のスマートフォンのバイブ音が鳴り出す。大村は電話の主を確認すると思わず「げ」と声を漏らす。
「二人とも、ちょっと基礎練して待っててくれるか。すぐ終わらせるから」
大村は優人と千里にそう言って、視聴覚室から廊下に出て扉を閉め、電話に出る。
「……大村だけど」
「あっ大村先輩! お久しぶりですー!」
電話の向こうからは、かわいらしい感じの女子の声が聞こえてくる。
「宮本さん……何の用?」
「宮本さんってそんな他人行儀な……私と先輩の仲じゃないですか。
電話の声の主――紗弥は、口をとんがらせ……たような声でそう言う。大村は電話から少し口を離してため息をつく。
「紗弥…………で、一体何の用だよ?」
口から離したつもりだったが、耳ざとく紗弥にため息を聞かれてしまったようで、それを紗弥に突っ込まれる。
「あ、何ですかぁ?そのため息は。私から電話がかかってきてそんな無愛想な態度の男の人なんて、先輩くらいですよ? 大抵の男子は喜んで思わず声が上ずるのに……」
「…………用がないなら切るぞ」
またもや話が脱線しそうになったので、大村は紗弥の言葉をぴしゃりと遮る。慌てた様子で紗弥が大声を出す。
「あーーっ! 待ってください! ちゃんと用ありますってば!」
紗弥はコホンとひとつ咳払いをし、本題に入る。
「先輩。先輩の同級生で同じパーカスやってる小町真弓って人……部活辞めたって本当ですかー?」
大村は1トンの重りが頭の上に落ちてきたかのような衝撃を受ける。
「な、な、な、なんでお前がそれを知って…………」
(よりによって……一番知られたくないヤツに…………)
大村は少し声を震わせる。
「うふふ、私の情報収集能力をなめちゃいけませんよ。……特に、大村先輩関係のコトはね」
(………コイツ、何なんだよ。何でこんなにしつこく俺のことを…………)
大村は開いた口が塞がらない様子で持っているスマホを見つめている。
「でね、先輩。今とーーっても苦労してるんじゃないですか? だって、二年生のパーカスのメンバーって今、大村先輩一人しかいないんですよね? それなのに出来の悪い一年生二人を、たったの一人で教えていかなきゃならないなんて……」
「な、何言ってんだお前。何も知らないくせに適当なこと言うなよ! 優人と千里は出来悪くなんかねーぞ!」
「……ふうん。優人と千里って名前なんですね……大村先輩に教えてもらえる幸運な一年生たちは。でも、二人とも全くのパーカス初心者なんでしょう? 初心者はそう急には上手くなりませんよ。ま、夏のコンクールの演奏聴けばわかりますけどね」
「……………………」
(しまった、うっかり名前を漏らしちまった。でも、けろっとした声でそう言ってのけるところを見ると、どこかで情報をしっかり仕入れているんだろう。基礎練が上手くいってないことも筒抜けなのか? 一年生が二人だってことも紗弥は知ってるみてぇだし……ったく誰だよ、うちの情報流してるヤツは。この吹部(吹奏楽部の略)に
電話の声の主――
ライバルとはいっても実力は断然金森高校の方が上であり、金森は夏のコンクールの地区大会では必ず毎回金賞を取り、上位大会である県大会、支部大会へ進み、さらにその先の全国大会へも進んだ実績のある、いわば強豪校である。県大会には毎回のように進んでいるため、ここ数年は地区大会出場が免除されるシード権が与えられている。
それに対して打海高校は――――地区大会でも並程度の実力で、だいたい毎回銀賞を取るレベルで、県大会に進んだ実績はまだない。そのため最近は金森と対決する機会すらない状態である。
そんな紗弥は、大村の中学生の頃の後輩である。とはいっても、大村は中学生の頃は吹奏楽部に所属していなかったため、吹奏楽部にいた紗弥との面識はなく、同じ中学校だったというだけの間柄である。
しかし、去年の秋に大村が参加したパーカッションのソロコンテストで、大村の演奏がなぜか紗弥の目に止まってしまったようで、その時紗弥に声をかけられて連絡先を交換し、それ以来、紗弥には何かと目を付けられている。
そして――――会うたびにこう言われるのだ。
「でね、先輩。今度こそ金森に来てくださいよ!歓迎しますから!」
(……まーた始まったよ。いつもの金森への勧誘……。誰がうちの吹部を裏切って、金森に寝返るような真似するかよ)
紗弥は大村の演奏を去年のソロコンテストでいたく気に入ったらしく、こうして熱心に金森に誘ってくるのだ。
紗弥の父親は宮本楽器という全国的に有名な楽器ブランドの会社の社長であり、金森へ楽器を供給している関係から、金森高校の校長とも面識があるらしい。
そして、大村は優秀なパーカッションプレイヤーだからと言って、推薦で学費の全額免除もありで金森に招待する、という約束まで取り付けてあるというのだ。
「お前……その話、俺何度も断っただろ? 第一、俺と一緒の吹奏楽部に入りたいってんなら、お前が俺のいる打海に来ればいいって去年……お前がまだ中学生の時に言ったのに、来なかったのはお前じゃないか」
「だって……私は先輩のいる吹部(吹奏楽部の略)には行きたくても、打海の吹部なんて行きたくないもの。吹奏楽のレベルは低いし……去年聴いた感じだと先輩がいるパーカスだけはそこそこ上手かったけどね。でも金森は吹部は全国レベルだし、私立だから設備も整ってるし、偏差値も打海より上なのに……これで学費の免除もあるのに来ない先輩がおかしいですよ!」
紗弥はそう言って大村に反論する。
「で、でも俺は今の仲間と吹奏楽をやりたいと…………」
「……小町さんが抜けた今でも、そう思うの?」
紗弥のその一言に、大村は思わず黙ってしまう。
「金森に入れば……先輩、苦労しなくていいんですよ。こっちは人数が多いから、一人で二人を教えるなんてことはまずありえないし」
「でも……俺が今辞めたら優人と千里……後輩は…………」
「後輩って言っても、四月に入ってきたばっかりの……三か月も付き合いが無い子たちのことじゃないですか。そんな子たちのために先輩の
「な、何言ってんだ。まだ短い付き合いとはいえ、俺にとっては同じパーカスに入ってくれた可愛い後輩で…………」
大村がもごもごと言うのを、紗弥が強い口調で遮る。
「先輩。先輩っていい人過ぎて…………頑張りすぎて、無理して疲れちゃうタイプでしょ。もっと他人のことばかり考えてないで、自分に優しく……自分を楽にすることも考えましょーよ」
「……そんなわけには…………」
「先輩」
紗弥は大村の言葉を再び遮って、熱っぽく言う。
「待ってますから」
その言葉を残して電話は切れ、ツー、ツー、ツー…という音が耳元で鳴り響いている。
大村はそのまましばらく放心状態だったが、通話終了ボタンをタッチしてようやく通話を終了し、大村はスマートフォンをズボンのポケットにしまう。
(今まで紗弥の誘いに乗ろうなんてこれっぽっちも思ったことなかったのに……どうしちまったんだよ、俺は。辞めたいのか? 今のこの状況に……不満があるのか? ……あるんだろうな…………。少なくとも不安は…………)
大村はそう考えた後、廊下の壁にもたれてため息をつき、弱々しい声で呟く。
「俺、どーすりゃいいんだよ…………」
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