2 オートマティスム

 その軍団は、百人のアリスだった。

「アリスが沢山?」

「これはいったい、どういうことなのかしら」

「正確には、アリスの形をしたものです」

 ロキが言う。

「あのアリス達は、暴走した機能によって出鱈目にフラクタル化し、自己増殖した存在。あれを全て倒さない限り、この想区は元に戻せません」

 想区には、ストーリーを作る上で重要な役割を持つ人間が死亡した場合に、似た別の誰かにすぐさま行動を引き継がせるシステムが備わっている。また、想区のストーリーを乱すであろう『異物』に対しては、脇役級の人間をヴィランに作り変えて迎撃する機能がある。

 この組み合わせが起こり、カオステラーとしての役割に失敗したアリスの代替品が量産されたということらしい。

「慣れないことはするものではありませんね、乗っ取りクラッキングに失敗して、ストーリーテラーでもカオステラーでもない、制御不能の自動筆記オートマティスムを作り上げてしまいました。我ながら、恐ろしいことをしたものです」

「機械いじりに失敗して元に戻せなくなったようなものですね」

「どうしてあそこまで偉そうに語れるのかしら」

「そりゃ、自分に物凄い自信でもねえと、カオステラーを作って想区を乱そうなんて、初めから考えねえだろ」

 広場に現れた大量のアリス達には、表情がない。カオステラーではないというロキの言葉通り、筋書きに従って行動するか自由にするか選ぶというような自我を持っていないのだろう。

 アリス、いやアリス・ヴィランとでもいうべきか、普段「クルルウ」と鳴く子鬼と違い、静かに立っている分、余計に不気味だった。

「……」

「……」

「……」

「……」

 黙ったままではあるが、エクス達に向かって常に殺気を放っている。

「……!」

「……」

「……!」

「さあ、来ますよ。気を付けてください。あれ1体1体が、カオステラー並みの強さを持っています」

 ロキが両手に魔法の炎を纏うのと、アリス・ヴィラン達が作った円が狭まり始めるのは、ほぼ同時だった。

「私も戦わせていただきます。あまり、得意ではないのですが」

 カーリーが栞を手に取り、接続コネクトを開始する。

「あれは空白の書かな」

「いえ、その言い方はちょっと違うわね」

 確かにページには何も書かれていないように見えるが、カーリーの『書』はすべてのページが真っ黒だった。

「ふむむ、確かにあれではストーリーテラーでも何か書けはしないですね。黒いページは『空白の書』と同じ意味を持っているということですか」

 シェインが分析の内容を話している間に、ロキとカーリーの2人は戦いを始めた。攻撃の魔法がアリス・ヴィランに命中する。利いてはいるはずだが、さらにその後ろから、何人ものアリスが飛び越えてくるのだった。

「よし、僕達も戦おう」

「おうよ」

 エクスが剣で、タオが槍でアリスの群れに斬り込んで前衛を務める。レイナはその後ろから回復魔法で支援し、寡兵でも持ちこたえられる陣形を作り上げた。

 シェインが攻撃する頻度は低かったが、頭への狙撃が出来るときにだけ放つ弓の一射一射が、確実に敵を仕留める。

 こうして、広場はたちまちのうちに剣閃と矢、魔法が飛び交う戦場になった。

「ひいい、なんで、なんで私が沢山いるのよおっ!」

 戦力を全て剥ぎ取られ、レイナの鉄拳によって心が折られていた『この想区の』アリスは、本当にか弱い少女のように戸惑っている。

「アリスちゃん、落ち着いてえ、あれは敵の兵隊みたいなの」

「白雪姫、私達はここで防御陣形を作りましょう」

 白雪姫とシンデレラ、そして毒林檎の王妃らも、ヒーローというだけあって、上手く戦闘をこなしていった。

「はあああっ!」

 エクスの剣が、アリス・ヴィランの腹を裂く。自動筆記オートマティスムで作られた少女は、無表情な顔を変えずに、斬られた箇所を見ながら地面に転がった。

「このアリス達、倒れるときまで黙ったままだ」

「だが、むしろこの方が戦いやすいかもしれないぜっ」

 奮起の声も悲鳴すらも出さない相手に戸惑いながらも、エクスとタオはアリス・ヴィランを攻撃していく。

 むしろ騒がしいのは、元々のアリスの方だった。

「きゃあああっ、私が真っ二つになったああああっ!」

 人の役割をすげ替えたりヴィランに作り替えたりするような、ストーリーテラーやカオステラーの恐ろしさ、レイナやカーリーが嫌忌するものの正体を、この日最も味わうことになったのは、アリスなのかもしれない。

 アリスは腰を抜かしたまま、ただおろおろするばかりだ。

「あああ……きっと次は私の番だ、やられるうう、助けてえ」

「どうしよう、アリスちゃんがもう限界だよー!」

 アリスからアリスを守るという奇妙な構図になった白雪姫が周囲に問う。主戦力であるエクス達やカーリーは遠く、答えたのは義母だった。

「あらあら、いいじゃないの。その子はさっきまで町に毒づいていたんですもの。これくらいの衝撃があった方が、いい薬になるわ」

 毒林檎の王妃が、アリス・ヴィランの頭をリンゴでも射るかのように矢で穿ちながら言った。

「ふえええー、も、もうしません、力づくでトップになろうなんてしませんから、誰か、誰か私を助けてください……ごめんなさいい~~」

「あっ、アリスちゃんがもうだめそう」

 うわ言のようにぶつぶつと呟き続けるだけになったアリスからは、カオステラーの毒気は完全に抜けていた。

 目をぐしぐしと擦りながら俯いたので、ひとまずは自分の姿をしたものが倒されるところを見なくて済むようになり、戦場はやや静かになった。

 一方で剣を交えているエクス達の戦いには、終わりが見えない。

 大量に作られているとはいえ、強さはカオステラーそのもの。おまけに感情に左右されず機械仕掛けのように正確に動くとなれば、容易に倒せるものではない。

「はあはあ、大分減らした、と思う」

「まだよ! 半分も倒していないわ」

「強い上に数が多いので、感じる労力の割りに倒せてないですね。80はいるです」

 敵味方共に消耗してはいるが、レイナの魔力切れが近い。回復魔法が使えなくなれば、後は擦り潰されるだけだろう。

「ここは僕が行くよ、タオは射撃で援護してくれ」

 そう言うとエクスは、返事も待たずに単独で敵陣深くへと突っ込んでいく。

「いいのですか、あのような無茶は」

「どんなヒーローにも接続コネクト出来るという『ワイルドの紋章』を持つ者の戦い方、興味がありますね」

 カーリーとロキがそれぞれエクスの行動について反応を示す。

「いつもは大人しいのに、やるときは驚くほど思い切った行動を取っちまう。エクスはそんな奴だぜ」

 まったくの無策で単身突撃する仲間ではないと、タオは分かっていた。騎士の姿から弓の名手へとヒーローを接続コネクトし直すと、シェインと共に援護射撃に回る。

 矢を斬り落とすアリス・ヴィランの脇を、エクスは駆け抜ける。もはや周囲には敵しか見えない。

 エクスはここでようやく接続コネクトし、ヒーローの持つ独自の技を使う。

 この技ならば。

 と変身したのは、チェシャ猫である。

 空間に現れたり消えたりすることの出来る、物理法則を無視した恐ろしい力を持つヒーローだ。長く変身し続けると、チェシャ猫の意識が思考に入ってきて、気分のままに異次元世界のどこかへと消え去ってしまいそうになる。人間とは違いすぎる存在ゆえに、突発的に何をするかが分からす危険なのだ。

 だから、チェシャ猫には滅多に接続コネクトしない。今のような状況でもなければ。

 ずど!

 とエクスは、手近なアリス・ヴィランの胸に指を突っ込んだ。傷も血も一切ない、時空を捻じ曲げたような貫きかた。

 素早く引き抜くと、再び別の相手の胸に指を差し込む。

 アリス・ヴィランが剣でエクスの首を斬ろうとし、当たった瞬間には空を切った。チェシャ猫は霧のように消え、数メートル先で、また指を突き出していた。

エクスに攻撃されたアリス・ヴィランは、まったくダメージを受けていない。

けれども、仕掛けられてはいた。

 やや距離を開けた場所にチェシャ猫が出現し、ささやく。

「さようなら」


 必殺技 ――チェシャ猫、別れの挨拶――


 アリス・ヴィラン達が矢の雨を受けて、引き裂かれていく。

 矢の発射元は、エクスが変身したチェシャ猫に指を突っ込まれたアリス・ヴィランだった。胸が弾け飛んでいる。

 チェシャ猫は、ある場所へと魔法の矢を発射する仕掛けを作る。それはどこでも構わない。たとえアリス・ヴィランの内側であっても。

 被害を与える範囲が広く、味方の近くでは使えない。だからこそエクスは、一人でアリス・ヴィランの集団の中へと突っ込んでいたのだった。

 多くの敵を倒した。

 だがこれ以上チェシャ猫に変身し続けていると、エクス自身が時空の彼方へと連れ去られていってしまう。

 矢を受けなかった生き残りのアリス・ヴィラン達が、隙間なくエクスを囲む。

 エクスはチェシャ猫との接続コネクトを解除した。

 いくつもの刃と、槍の穂先が迫る。

 細切れにされてしまうかという次の瞬間には、エクスの周囲の空間が爆発した。

 ヒーローへの接続コネクトを終えるのではなく、別の人物へと直接変身する場合、闘志全開で戦っている最中の身体に入り込んだ次のヒーローは、溢れる力を解放する。

 爆発は、囲まれているからこそ有効な『切り替え技スイッチ・バースト』によるものだ。


「ぶぎゃおおおおおおっ!」

 怪獣のような叫び声を上げながら現れたのは猪八戒。西遊記にて孫悟空と共に旅をした、重武装オーク種の最上位とも言える神獣である。

 爆風で後退させたアリス・ヴィランに、巨大なハンマーをぶつけ、水風船よりのようにあっさりと叩き潰す。

 剣や槍で反撃を受けるも、密度の濃い闘気の壁が、かすり傷をもつけさせない。

猪八戒が力任せに周囲のものを次々と粉砕していく。このヒーローは敵味方関係なく暴れ回る手の付けられないデストロイヤーなのだが、そもそも周りには敵しかいないのだった。

 強力なヒーローに接続コネクトしたエクスが多くのアリス・ヴィランを徹底的に蹂躙しつくすと、タオ・シェインとロキ・カーリーが残りを片付けていった。



 戦いが終わる。

 エクス達は百体いたアリス・ヴィランの全てを殲滅した。倒した直後には霧散して消滅するため、広場はそれほど凄惨にはならなかった。

 元々いたアリスだけが、ううー、ううーと呻いていた。

「全部を倒したから、これで調律できるのかな」

「ロキやカーリーも消耗しているから、罠ではなさそうね」

 何体もの強敵と戦った今、『調律の巫女』側も『混沌の巫女』側も、互いにもう1戦する余力は無いはずだ。

「こちらとしても、警戒しているのですよ。カーリー様に危害を加えるようでしたら、このロキ、全力で皆様を滅しますよ」

「元はといえば、貴方のせいなのですよ。反省文も提出していただきますよ」

 カーリーに言われ、ロキがすぐに口を閉じた。

「次の調律は、私と一緒に言の葉を発して頂きます。この想区にはストーリーテラーから見ても、カオステラーから見ても異常が起きているのですから、同時に巫女の力を使う必要があるのです」

 調律の方法が説明された。

 この想区の騒ぎも、手を取り合うことになった2人の巫女によって、なんとか解決しようとしていた。

「分かったわ。じゃあ、せえので始めましょう」

「はい」

 レイナとカーリーの儀式の声が、大気中に伝わっていく。

「――言の葉によりて」

「ここに――」



 そうして、調律は失敗した。

「なーんでよーっ!」

 レイナが叫ぶ。本日3回目ともなれば、額に青筋が出て当然だ。

 ロキがまた何かしでかしたのではないかと、全員が視線を向ける。

「はは、見つめないでくださいよ。私は何もしておりません。本当ですよ?」

 もし想区にまた何かしていたら、本格的にカーリーから絶交されてしまうことだろう。ということは、ロキは犯人ではない。

「まだカオステラー、いえ、さっきの自動筆記オートマティスムのような暴走した存在があるということ?」

「その気配はないようですが……」

 レイナとカーリーが困惑する。

 そんな中、タオが閃いたように言った。

「そうか! アイドルの想区だから、お嬢の呪文も歌じゃねえと効果がねえんだ!」

「はあ? そんなわけないでしょ?」

 とレイナは、すぐさま仮説を否定した。

「いえ、タオ兄が言うことにしては珍しく正しいかもしれません。ステージで、言の葉というやつを歌に変えてみてはどうでしょうか」

 シェインが真面目に言った。旅の仲間のブレーンであることが多いだけに、この擁護は非常に強力だった。

「んなあっ、いきなり歌えって言われて、歌えるわけがないでしょおお?」

「でもやってみるしかないじゃないか」

 慌てたレイナを、エクスが応援する。

 このまま調律が出来なければ、またヴィランが湧き出し、想区に被害が出てしまう。レイナが嫌がっても、やるしかないのだった。

「私も歌はあまり人前で披露しないのですが、仕方がありませんね」

 カーリーがそう言うと、レイナも歌わないわけにはいかなくなった。

 短い詠唱ではあるが、リズム、抑揚をつけて、歌って調律するのだ。

「お嬢、まさか音痴か、音痴なのか? 調律の最中に俺が笑っちまわないように、しっかりしてくれよっ」

「カーリー様の歌声が聞けるとはありがたい。想区をぶっ壊して正解でした」


 ごす!

 ばき!


 レイナがタオに、カーリーがロキに、それぞれが打撃を加えて、綺麗なハーモニーが奏でられた。

 その後、歌い慣れていない巫女の歌声がどのような音程であったかはともかくとして、おかしくなってしまった想区は元通りに調律されたのだった。

 レイナにとってここは、2度と調律したくない想区ランキングの上位に入ることだろう。

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