3 チェックメイト

 まずはアリスの前にいる兵士と鍔迫り合いになる。

 兵士の振る剣よりも早くエクスが攻撃を当て、体を捻ることで刃を避ける。あっという間に先頭の敵を倒した。

 1人の兵士にならば難なく勝つことができるが、やはり数の多さが厄介だ。アリスに近づこうとすると、何人もの兵士が壁となって足止めをしてくる。

 タオもまた盾を構えて突進していた。目の前のヴィラン兵を吹き飛ばしたものの勢いがやや落ちる。そこを包囲されれば、もう前には進めない。

 騎士の守りは正面に対しては頑強で、その代わりに横から来られると弱い。槍を使っているならばなおさらだ。

 「くっ、すまねえ、頼む!」

 左右から回り込んできた兵士がタオに斬りかかる。それを、白雪姫とシンデレラがカバーして倒す。

 その間にも、アリスが兵士を呼び寄せて守りを固める。

「赤ずきんのおかげで大分マシになっているはずですが、これは厄介ですね」

「でも広場の中井にいる駒は無限じゃないわ。増援がやって来る前にさっさと数を減らすわよ」

 シェインがクロスボウの矢を、レイナが広範囲の炸裂魔法を放ち、守りを切り崩していく。面で押すのではなく点で穴を穿つように、アリスのいる場所に向けて攻撃を集中する。

 エクスとアリスを挟む兵士があと1列、というところまで数が減った。

「よし、このまま突っ込んで……!」

 とエクスが駆けたところで、チェス駒の身体に大穴が開いて消滅した。

 一瞬、レイナの放った魔法で吹き飛んだのかと錯覚する。

 だが違う、兵士は『向こう側から』粉砕されていた。

 衝撃波を伴った矢がエクスと擦れ違って飛んで行く。かき消えた兵士の向こう側に、弓を構えて笑うアリスが見えた。

 味方ごと攻撃した? 違う、弓を引くまでの目隠しにしたんだ!

 駒であるからこそできる、贅沢な使い方だった。

 矢の先には、魔法を使おうとしていたレイナ。予期せぬ反撃に、反応が遅れた。

 恐るべき威力の矢がこめかみに命中し、レイナが仰向けに倒れて、地面に投げつけた人形のようにバウンドする。

「レイナっ!」

「大丈夫よ、少しくらくらするだけ」

 素早くレイナが起き上がった。攻撃魔法を防御魔法に切り替えて、分厚い魔力の障壁で頭を守ったようだ。

「エクス、後ろですよ!」

 シェインが叫び、エクスは咄嗟にアリスに向き直る。背後から殺気が迫っていた。弓が頭上から振り下ろされる。屈んで、それを回避した。ブレードが無いとはいえ、あんなもので頭を殴られたら、間違いなく致命傷だ。

「踏み込みの瞬間、捉えたですよ!」

 シェインがクロスボウを持ち上げて、アリスに射撃する。弓を大振りにした隙をつかれてはどうしようもないはずだ。

 命中した、と思った瞬間に、矢が空中で止まる。

 アリスが余裕の笑みのまま、矢を横から掴み取っていた。姿勢を整えようとしているエクスを蹴り倒し、右手に握った矢を弓で射る。

 狙いをつけるのに1秒もかけていないというのに、矢は正確にシェインに向かって返された。

「は?」

 驚愕しつつも、シェインはクロスボウで矢を受け止めた。木製の弓床が裂け、使い物にならなくなる。

 アリスはエクスに目もくれず、レイナとシェインの方に向かって走り出した。この場で戦っていては、援護射撃を食らうからだろう。逆にエクスから距離を取れば、遠距離攻撃を受けることはない。

「くっ」

 エクスが立ち上がってアリスを追おうとした。そこにチェスの駒の兵士が割り込み、行く手を阻む。

 胴払いで敵を倒したときには、当然、アリスは刃の届かないところに行ってしまっている。

「りゃあああああ!」

 弓を大剣のように振りかぶったアリスが、走った勢いのままにレイナを殴りつける。剣術家の斬撃のような速さだった。

 避けられないと判断したレイナは、短剣を鞘から抜いて応戦する。

 初撃を受け流したところに、立て続けに2、3度目の打撃が飛んでくる。武器に重量差があるせいで衝撃を打ち消すのに手いっぱいとなり、隙の大きい攻撃をされているにもかかわらず後手後手になってしまう。

 ガン! ガン!

 と打撃音が響く。短剣で受けきれない攻撃が肩や腰に入ってしまうが、魔法の障壁を使って身を守っているおかげで、ダメージは小さい。

「変な邪魔者が入って、有利になったと思ったあ? チェスはキングやクイーンが戦うところからが本番なんだからあーっ!」

 楽しそうな笑みを浮かべたまま滅多打ちにしてくるアリスに、レイナは押されまくる。いくら魔法の力で身を固めていても、こう乱打されれば魔力切れを起こしてしまう。魔力が尽きたところを攻撃されたら、ひとたまりもない。

 1歩、2歩と後退するが、下がるより早くアリスが詰めてくる。

「はははー、終わりだよ、ちぇ~っく!」

 アリスが決定打を確信して弓を持ち上げる。そこに、

「させないですよ」

 クロスボウを捨て、武器をナイフに切り替えたシェインが体ごとぶつかっていく。

 攻撃こそ外れたが、シェインは空いた手をアリスの服に絡めて180度回転させた。これでアリスがどう動こうとも、離れることはない。

 距離が近すぎるせいで、長い弓を振り回そうにも、ろくに力が入らないはずだ。

 アリスの笑みが消える。

「チェックメイトです」

 シェインが静かに宣言した。

 この距離ならば、腹、胸、首、どこでも突ける。

 クロスボウを壊して、もう攻撃が来ないと油断したですね。

 シェインはアリスを引き寄せ、ナイフを突きつけた。

「ま・だ・よ。私だって弓だけじゃないわ」

 あらためて唇の端を釣り上げたアリスが弓を手放す。そしてスカートの内側、腿の脇に吊っていたナイフを引き抜いた。

 刃同士が衝突する。一撃目は互いの攻撃がぶつかり合っただけだ。

 その次は、シェインの方が速さで遅れた。首筋にナイフの先端が当たる。

 シェインは目を薄く閉じて、衝撃に耐えた。魔法の障壁で体を守っているため、肌を貫かれることはない。

「ええい、鬱陶しい! このっ、このっ」

 ドカッ、ドカッ

 ダメージの蓄積で不利になった分だけ、アリスに連続攻撃を許してしまう。魔力切れの寸前に、シェインはアリスを掴んでいた手を開き、離れた。

 そこにエクスが斬り込む。

「はああああっ!」

 ほぼ水平の斬り払い。当然、刃圏にシェインはいない。エクスの攻撃を察知し、息を合わせていたのだ。

アリスはそれすらもナイフで受け止めた。さらに畳みかけるように突いてきたタオの槍を避け、ほぼ同時に踏み込んできた白雪姫の剣を弾き、攻撃に参加してきたシンデレラの突きを、肘でエクスの剣を押し下げてぶつけることで逸らした。

「つっ、強い!」

「全部避けやがった」

 これにはエクス達も驚くしかない。

 アリスはヴィラン化した軍隊をただ動かしただけではなく、自身もまた恐るべき力を秘めていたのだ。ヒーロー級の人間とは概して凄まじいものであるが、まさかこれほどとは思ってもいなかった。

 だがそれでもアリスはもうがんじがらめだ。前はエクスの剣、背後からはタオが盾を押し付け、左右には白雪姫、シンデレラが腕を取っている。まさに大捕物の終焉といった様相だ。

「兵士は何をしているのよ、私の駒はなぜ来ないっ!」

「広場にいた奴らなら、大体片付けた」

「違う、町にいる兵士達よ!」

 アリスは捉えられたまま、エクスを睨み付ける。

 広場にいるヴィランの大半を片付け、残りは能天気にもライブに夢中、そこまでは分かる。大将のピンチだというのに、大規模な増援がやってこないのはエクス達にも不思議だった。

「赤ずきんのライブの音がでかくて、命令届いてねえんじゃねえのか?」

「それにデスメタルの歌詞は不吉ですからね。反逆に成功したと勘違いされているのかもしれないです」

「運命は私たちに味方したってことね。『調律』すれば、想区も兵士達も元通りよ」

 レイナが調律のために、両手を伸ばして、魔力を掌に集中させた。

 そして詠唱を始める。

 不思議な力が、風となって周囲に吹き荒れていく。

「――混沌の渦に呑まれし、語り部よ。言の葉によりて」


「はっ、それで勝ったつもりかあっ!」


「っ!?」

 レイナの言葉は、アリスの叫びにより中断された。虚勢とは違う声に、周囲に満ちかけていた調律の力が吹き散らされる。

「おいおい、こりゃマジかよ」

 タオが驚きの声を漏らす。

 アリスの体が膨れ上がり、身長約3倍ほどに巨大化した。

「邪魔あっ!」

「ごあっ!?」

 直後、エクスが強烈な前蹴りを食らい、宙に放り出された。肋骨から腹部にかけて身体を通り抜けた衝撃で、息もできぬまま転がる。

 次いで、アリスは脇にいるシンデレラを払いのけた。

 バシッ!

 大きな音と共に、シンデレラがボールのように軽々と跳ね飛ばされ、シェインを巻き込んで倒れた。

「これが私のフルパワー。あなた達、調子に乗りすぎなのよ」

「あっ」

 アリスは呆然とする白雪姫の腕を掴み取ると、高く振り上げて地面へと叩き付けた。軽々と2度、3度繰り返して、力の抜けた白雪姫を放り捨てた。

「この、悪あがきをしやがって!」

 タオが背後から槍を突き出す。太ももに命中するが、アリスは涼しい顔をして振り返り、拳を打ち下ろした。

 しっかりと盾で防御する。それでも腕がびりびりと震え、後ろに押される。

 格闘技の世界では、10パーセントの体重差があると試合の有利不利が大きく傾いてしまう。体格、体重が相手より上であることは、それだけで強さになるのだ。

 主役として超常的な力を持つヒーローは、そういった差をものともせずに跳ね返してしまう。小柄な少女の振るう剣が、鬼を倒し、巨悪を討ち滅ぼすことは、想区の世界では珍しくない。

 では、そんなヒーローがさらに体格を手にしたら? 強いに決まってる。

「重装のゴリアテの力、なめんなよおっ!」

「はいはい、すごいすごい」

 3倍スケールアリスはタオを片手で押し退ける。タオの上半身を両手で抱え上ると、広場の端まで遠投した。

「おわー!」

 悲鳴だけを残して、タオは石造りの壁に衝突して、砂煙に包まれた。

「ふん、鬱陶しい。兵が集まるよりも、私の方が強いんだから。……っ!?」

 一息つかせる暇も与えずに、レイナがアリスの背に向けて攻撃魔法を放っていた。5つの光球が立て続けに当たり、爆発する。

 それでもなお、アリスはその場に立ったままでレイナを睨み付けていた。

「そんなっ、ブギー・ヴィラン程度なら跡形も残らない威力のはずなのに」

「これで倒せると、舐めてたんだ? あなた達は戦う相手を間違えたようねえ」

 アリスが走り、弓や魔法の射程から接近戦の距離へと一気に詰めていく。

 接近を防ぐためにレイナが牽制の魔法を撃つが、全てが叩き落される。

 巨体に変わってもなお俊敏さを維持したアリスが、走った勢いのままで腕を突き出し、殴りつける。

 レイナはバックステップで後退し、紙一重で拳をかわす。

 危なかった、と思うのもつかの間、

「馬鹿ね!」

 アリスがデコピンを繰り出した。頭を弾かれたレイナは後ろ向きに1回転して倒れる。立ち上がろうとしたが、ふらふらとした後に地面に手をついた。

 エクス達全員が、僅かな時間で行動不能になってしまった。

 レイナはアリスを見上げて右手を伸ばし、魔法を撃つように掌を向けた。

「アリス、もうめなさい」

「あははっ、それは私の台詞なんじゃないの? もう止めた方がいいのはそっちだよ。それとも、止めてくださいって言い間違えたのかな」

「カオステラーに身を任せて想区を作り替えた先には、滅びと無しかないのよ」

「違う、世界が私の思い通りになれば、それすら起こらないようになるんだから」

「そんなことはできない。だから私があなたを止める」

 レイナははっきりと言い切った。あるべきストーリーが壊れてしまった想区はこの世界から『破棄』される。アリスの言っていることは、混沌に取りつかれた思考の先にある、妄言でしかない。

「じゃあめてみなよ。力の差が分からないほどの馬鹿なのか、分かってても無駄なことをする馬鹿な奴なのか。どっちにしろ、絶対確実に潰すことに決めたわ」

 アリスは手を握って拳を固めた。

「やっ、止めるんだっ!」

 と叫んだのは、何とか声を出せるようになったエクス。だが腹を蹴られた衝撃から体が立ち直らず、レイナを助けに行くことができない。

「だから、止めてください、って言いなさいよ、お馬鹿さん。仲間がやられるのをそこで黙って見ているがいいわ」

 アリスはエクスの方を見向きもしなかった。レイナから視線をずらした隙に、魔法でも使われたら厄介だと考えたのだろう。

 レイナを叩き潰すために、アリスが腕を振り上げた。

 その瞬間に、

 ドン!

 と破裂音がして、レイナの手から発射されたものがアリスの眉間に突き刺さった。

「ぎゃっ!」

 という悲鳴が上がる。

 完全なる不意打ち。魔法の力を溜める時間も、何の予備動作もなかった。

 レイナが使ったのは魔法ではなく、機械仕掛けの一撃だ。



 旅の仲間であるシェインの趣味は『レイナいじり』であり、それは性格や普段の会話だけに留まるものではない。レイナのアームカバーの内側に、スプリング式の射出機構を備えた護身用の武器を付けられるようにすらしてしまったのだ。

「これが姉御の奥の手ですよ、いや袖の中ですが。ひっひっひ」

「ただの楽しみでやってるでしょう」

「楽しみなんてとんでもないです。ロケットパンチとハンドカノンは男のロマンなのですよ!」

「あなた、女でしょうが……」

 そんな会話が、かつてあった。

 普段、暴発が怖いので外していることをシェインは不満そうにしていたが、今日のような強敵との戦いが予想できる日には、仕込んでいる。

 よって、1発だけ撃てる矢が、服の袖を突き破って放たれたのだった。



「ああああ痛いじゃないのっ! この虫けらがっ、手足をもいでからゆっくり身体を千切ることだって出来るんだからあああっ!」

 矢を抜いたアリスが激怒し、徹底的にレイナを痛めつけようと手を伸ばす。

「あれ?」

 アリスはかくんと片膝をついた。全身から力が抜けていくようで、四つん這いになる。上半身を持ち上げようとしているが、ただもがくだけになってしまう。

「身体が重い、この。何かした? 何をしたのよっ?」

 動けなくなったアリスがレイナに問う。

 それに答えたのは、広場の入り口から歩いてきた人物。毒林檎の王妃だった。

「ふふ、美味しかったかしら? 妾の毒は」

「お前はっ、トップアイドル、だった……!」

「そーよ。事件が起きそうだから、準備をしていたの。妾は特製の毒を貸していたのだけれど、上手く使ったようねえ」

 そう、レイナは袖に仕込んだ矢の先端に、毒を塗っていた。手を付けられないほどの強敵が現れたときのために、温存していた手段だった。

 白雪姫を永遠の眠りに就かせるべく作られた特製の毒は、巨大化したアリスにもよく聞いたようだ。

「く、っそ、引退したやつは大人しくすっこんでろよ」

 ぐぐぐ、とアリスの身体が持ち上がる。恐るべき精神力で、毒に侵されながらも立ち上がろうとしていた。

「あら、まだ立ち上がれるのね」

「はああああっ、お前も潰してやるんだから!」

 アリスが毒林檎の王妃に向かおうとする。だが足に、毒林檎の王妃が素早く放った矢の一撃を受ける。

「おかわりもあるのよ」

 もちろん、矢は毒付きだ。動きの鈍くなったアリスは、毒林檎の王妃を攻撃しようにも、一方的に毒を受け続けることだろう。

 アリスもそれを察し、絶叫を上げる。

「あああああああっ! ならばこいつだけでもおっ!」

 せめてもの腹いせに近くにいるレイナを葬ろうと考えたらしく、アリスが後ろを振り向いた。

「あの世に送りっ、あ?」

 アリスの言葉が途切れ、驚きに変わる。

 先ほどまで見下ろしていた相手がいた場所に、自分と同じサイズのアリスが立っていたからだ。

「なんで? 私? は?」

「勉強になったわ、アリスってこんなこともできるのね」

 レイナはこれまでの旅で訪れた想区から受け継いだアリスの意思に接続コネクトし、変身していた。プラス、巨大化も試していた。

 アリスは驚きと毒の影響が合わさって、固まったまま呆然としている。

 レイナがアリスの胴に向かって打ち上げるように攻撃しようとし、反省させるならば腹ではなく顔、と思い直し、アリスの顔面を殴った。

 凶器使用も毒物もありな試合に終止符を打つ、完全なるテクニカルKOだった。

 アリスがずしんと膝をつき、もう立ち上がることはなかった。

「あ、ああ」

 巨大化を維持できなくなったのだろう。アリスの身体が縮み、元のサイズにまで戻っていく。

「……やれやれ、とんでもない強さだったな」

「レイナが毒を使うまで、手も足も出なかったね」

 アリスとは対照的に、ようやく動けるようになったエクス達が集まってくる。

 レイナも元の大きさに戻り、接続コネクトを解除してアリスを見下ろした。

「後は、調律するだけね。次は動かないでいてくれるといいけれど」

「どうします? 縛っちゃいましょうか?」

「いや、もう力を使い果たしていると思うけど」

 各々、アリスをどうするかについて話し始める。

「わっ、私を見下ろすなっ。私に勝っても軍隊が町を囲んでいるんだからあ。お前らは終わりなのよっ」

「くっ、そうだった。数はどれくらいなんだろう」

 エクスがそう言うと、毒林檎の王妃が、

「1万よ」

 と答えた。

「いっ、1万!?」

 想像していたこととはいえ、一同が驚く。

 アリスは倒れたまま、私の勝ちだと呟いた。

「あはは、赤の女王の6千騎と、白の女王の4千騎よ。お前たちは全員処刑よ、ハートの女王に首を跳ねてもらうわ」

「そう、楽しそうね。でもおかしいと思わない? ここに兵がやってこないのは」

 毒林檎の王妃が言い放った。

 確かに、どういうことだろうと思ったエクスが入口を見ると、新たに1人だけが姿を現した。チェス駒の兵隊ではなく、シンデレラのマネージャーの、フェアリー・ゴッドマザーだった。

「こちらも勝ったようですねえ」

「ご苦労様、一時は負けたかと」

 毒林檎の王妃とゴッドマザーは何やら話し始める。

「ほほほ、ジャンヌの部隊はやはり強かったですよ」

「ということは、フランス軍がきているです?」

『グリムライブ』のためにこの町に来ていたファンの中には、ジャンヌ・ダルクのツアーに付いて来たフランスの軍隊がいた。

 もちろん、それくらいはエクス達も知っていた。それだけでは兵力が足りない。何倍もの数の相手に対しては足止めが精いっぱいで、町が陥落するのは時間の問題だっただろう。

「ジャンヌがいたおかげで、間に合いましたね」

「何かが起きると踏んで、妾とゴッドマザーは自国の軍隊を呼んでいたの」

 と一国の王妃と、魔女世界の重鎮が言う。

「ジャンヌの兵2千に、妾が呼んだ3千」

「それに私の呼んだ4千で、あとは兵の質で押し切れましたよ」

 ここは様々なヒーローのいる想区。

 アリスが女王達を使ったのと同様に、軍隊を動かせるヒーロがいたのだった。

「あら、忘れていたわ。妾が呼んだのは4千5百だった」

「そうですか、私もゴーレム兵を入れ忘れてましたよ、5千でした、ほっほっほ」

「なっ……。わ、妾は親衛隊をつけ忘れていたの。5千3百」

 何やら数の言い直しを始める毒林檎の王妃達。

「王妃様は相変わらず負けず嫌いですねえ。そんなに一番がいいんですか?」

「いっ、一番じゃなきゃ嫌だって、現役時代から言ってたでしょ!」

 互いをよく知っているらしい二人の会話を、エクス達はただ眺めているしかない。険悪な空気ではなく、じゃれ合っているようであったので、止める必要はなかった。

「何でよ、おかしいでしょ……」

 既に戦意の無くなったアリスが、悔しそうに声を震わせて言う。

「軍隊なのよ? しかも赤の女王のチェス駒とは違う、人間よ。勘だけで何千人も動かすなんて、出来るわけがないのにい」

「ふふ、それが妾には、なんとなく分かってしまった。実は昔、同じことをしようと考えたことがあるの」

 王妃がとんでもないことを言う。

「げえ、マジかよ」

「カオスの一歩手前までいってたですか」

 エクス達はそれぞれ呆れたり、ため息をついたりした。

 毒林檎の王妃が負けず嫌いだったからこそ、アイドルが襲撃される事件が頻発し、エクス達が現れたことで、敵対者の意思を読み取れたようだ。

「そ、そんなの」

 アリスは心の内までも覗かれた屈辱を感じているようで、両目から大粒の涙を流しはじめた。

「そっ、そんなのあり……かよおっ。くそーくそー、せっかく上手くいきそうだった、のにい」

 騒動の首謀者は、誰を睨むでもなく、泣きじゃくり始めた。

 もう突然暴れ出すこともないだろうとエクス達がアリスを見守っていると、いつの間にか歌を終えていた赤ずきんがステージから降りて、走ってきた。こちらは過激なライブを終えてハイになっており、阿呆のように騒いでいた。

「ぎゃーっはははは、残念だったなあ! 誰の首を刎ねるってえ? 私がお前を処刑してやるよお、ハートの女王連れて来てみろよお! 赤の女王がなんだあ? こっちは最強無敵の赤ずキング様なんだよおー!」

「うううー、舐めやがってえー」

 罵声を浴びせられたアリスは言い返すが、睨むような気勢はもうない。

「靴を舐めるのはてめえだあーっ! ひひ、斬首して、お前の頭に小便をかけてやるぜえーっ!」

 右手で中指を立てた赤ずきんは、空いた手でスカートをたくし上げる。

 慌てて駆け寄ってきた猟師の一団が赤ずきんを取り押さえた。

「止めてくださいよリーダー! ライブ終わったんですよ、もう撤収しましょう」

「嫌だい嫌だい、じゃーじゃーさせろーっ!」

 赤ずきんがずるずると引っ張られていき、広場から出て見えなくなった。最後まで下品な言葉が乱れ飛んでいた。

「なんか、す、すごかったね」

「あっちはあっちで、本当に大丈夫なのかしら」

「ライブは一応やり切ったみたいですし、カオステラーではないのでしょう」

「音楽を聞いてたヴィランもいねーしな。ってか歌声で倒したのかよ」

 もう一人の反逆者には、最後まで驚かされっぱなしだった。

「あれだけインパクトあると、赤ずきんの方は忘れられない伝説になりそうだね」

 エクスが感想を言う。それにみんなが頷く。

「俺もしっかりと記憶したぜ。赤ずきんちゃんのパンツ、丸見えだったな」

「「え?」」

 正直な言葉を言うタオから、白雪姫とシンデレラが一歩離れた。



 そして、調律の時がやって来た。

 広場の中にはエクス達の他に、白雪姫や毒林檎の王妃といったヒーロー達しかいない。町の人間には、念のためこの場所の外へと避難してもらっていた。

 ぺたんと座り込んだままぐずるアリスに向かって、レイナは『調律の巫女』の力を集中する。

 胸の前で軽く広げた手に、白い輝きが集まる。

「――混沌の渦に呑まれし語り部よ。我の言の葉によりて、ここに調律を開始せし」

 レイナが調律の詩を告げると、光の中から分厚い辞典ほどの本が出現した。

 そして空中でゆっくりと開かれ、ぱららら、とページがめくれていく……。

いつもならば、青色の輝きと共に想区が調律されていき、狂気を宿したヒーローやヴィランは、何もなかったかのように、元通りに修正される。

 ところが調律の巫女の本は突然、音も立てずに閉じると、申し訳なさそうに光の中に消えていった。

「えっ?」

――調律中止。

 エクス達の頭に『まだその時ではない……』という何者かの言葉が、浮かんだような気がした。

「レイナ、調律ができないということは」

「え、ええ、カオステラーの存在が、消えていないということ」

「終わってないということです?」

 長く旅を続けているレイナやシェインが戸惑うということは、よほどのことが起きているということらしい。

「赤ずきんちゃんがパンツ脱いでなかったからじゃねえのか? あれって終わってなかったよな」

「ぼけてる場合じゃないですよアホ兄……」

 しかしながらタオのおかげで、皆がおろおろとする時間は短かくて済んだ。

 レイナが広場中央のステージを見据えて、静かに言う。

「いるわ、混沌を生み出す者が」

 黒い霧のようにも錯覚しそうな瘴気が、壇上に渦巻いている。



「はは、アリスさんは負けましたか。勝つ確率は高いと考えていたんですがねえ」

 丁寧な言葉、それでいて禍々しい響き。

 広場中央にあるステージの上に、長髪をたなびかせた魔法使いの男が立っていた。

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