第20話 ラビュリントス

 街を出て荒野を走る。

 馬の激しい動きと一体となりながら、風に負けないように、

「テセウスは場所がわかるかしら?」

と叫ぶようにきくと、短く「大丈夫だろう」と返事が飛んできた。

「あの場にはオイディプスさんとアンティゴネ―さんがいたから大丈夫だよ」


 え? ……気がつかなかったけど、あの杖を突いたおじいさんと娘さんよね?


「盲目となったかわりに予言の力を得たオイディプス王だ。きっとテセウスを導くだろう」

 夏樹の言葉に私は驚いた。


 ――私どもは来たるべき時にいるべき場所でお待ち申し上げます。

 オイディプスさんの言葉が耳によみがえる。


 一つ一つの出会いが糸となって重なり合い、一つのタペストリーを織りなすように一つの流れになっていく。これを運命をいうべきなのだろうか。それともこれが歴史なのだろうか。


 大きな流れのなかにいる。感動にも似た気持ちのまま、クノッソスの街を飛び出して荒野の街道を走る。

 不意に正面上空の雲に切れ目が入りそこから月の光が射し込んできた。


 私たちの目的地を指し示すかのような月の光。

 その時、少し離れた丘から、

「ワオオーン」

と犬の遠吠えが聞こえた。

 つづいて茂みから2匹の大きな野犬が飛び出してきて、私たちを先導するように前を走り出した。


 この犬。もしかして本当に私たちを先導しているの? 一体……。

 その時、遠くの岩の上に一人の女性の姿が見えた。銀髪の美しい女性。――アルテミス様だ。

 あの夜と同じ笑みを浮かべて走り抜ける私と夏樹を見る。目が合った瞬間に悟った。

 この犬。アルテミス様の眷属だ。

 ――しっかりね。

 そんなメッセージが聞こえた気がした。


 街道に出てからおよそ2キロ。


 岩場の中にひっそりと口を開けた洞窟が見えてきた。あそこが目的地だ。


 もちろんミノス王とアリアの姿はない。先に洞窟の中に行ってしまったのだろう。

 ミノス王が乗り捨てた牛は私たちを気にすることなく木の根元に寝そべっている。

 早速、馬から下りるとここまで連れてきてくれた2匹の犬がさあっと戻っていった。

「ありがとう」

 お礼の声が届いたのか、離れたところからワオオンと遠吠えの声が聞こえてきた。



 黒々とした洞窟からヒンヤリとした空気がただよってくる。未開の洞窟はやっぱり恐いし、なにより一種異様な雰囲気を放っている。

 夏樹が、

「やっぱり宮殿と別にラビュリントスがあったか。おそらく中は鍾乳洞だ。足下に注意するんだぞ」

と言い、一歩踏み込んで私に手を伸ばしてくれた。その手を取って私も洞窟に足を踏み入れた。


「……伝説ならアリアドネの糸が必要なんだけどね」

 おどけて言うと、夏樹が真剣な表情で地面を指さした。「かわりに血痕がある」

「え?」

 あわててそこを見ると、そこには小さな血痕がぽつんと垂れていた。洞窟の奥に向かって続いているようだ。


 ――アリアが怪我をしている?


「夏樹。急ごう!」

 私はそう言って夏樹の手を引っ張ったが、逆にがしっと止められた。

 焦る私に、

「落ち着いて慌てず慎重に。でないとかえって失敗するぞ」

と冷静に言う。

 確かにそうね。

 こんな足下の悪い洞窟を急ごうなんて、危険すぎたかもしれない。

 洞窟での調査経験がある夏樹を先頭にして、私たちは奥へと進んでいった。


 天井から垂れ下がった鍾乳石から、水滴がぴちゃんぴちゃんと落ちている。さらにどこかに川が流れているようで、チョロチョロと音が聞こえる。

 ラビュリントスの名前が示すようにいくつもの側道や分かれ道があり、何も知らずに入ったらまず間違いなく迷って出てこられなくなるに違いない。

 幸いというか、アリアの血痕がぽたぽたと続いているからミノス王たちの足取りがわかるが、その血痕もどこで途切れるかわからないから心配だ。


 停滞したひんやりとした空気が妙に重苦しい。

 知らないうちに息を潜めている自分に気がつき、ゆっくりと息を吐く。


 狭い通路から広い空間に出たところで地面にひっかき傷を見つけた。血がにじんでいることから、ここでアリアが転んだのだろう。

 私はどうしても焦ってしまうが、夏樹は冷静にしゃがんでその血の跡を見ている。

 そのまま「悪いけど少し周りに気をつけていて」と言うと、そっと目を閉じて瞑想に入ていった。きっと天眼を使っているのだろう。


 シィンと耳鳴りがしそうな静けさに耳を澄ませていると、どこか遠くで物音が聞こえた気がした。


 ふと少し離れたところに一本のナイフが落ちているのが見える。

 どこか見覚えのある形……、あれはアリアに預けたナイフだ!

 夏樹が天眼で調べている間にそのナイフを拾う。手に取ってみてギョッとしたけれど、柄の部分に血がついていた。ここで抵抗したのかもしれないわね。


 その時、夏樹は目を開いて立ち上がった。

「アリアはもう少しで地底湖の祭壇らしきところに到着する。少し急ごう。……それにテセウスもようやく到着したみたいだ」


 洞窟は広い空間の終わりに三つの狭い分かれ道に来た。

 夏樹はすでにルートを確認していたようで、まっすぐに右側の道に向かっていく。あとから来るテセウスが迷わないように……。

 さっき拾ったナイフを鞘から抜いて右側ルートの壁にがしっと突き刺した。

 硬い石灰岩ではあったがまるでバターにナイフを入れるようにすっと入っていく。

 うん。これで大丈夫。


 すぐに夏樹の後を追いかけた。


――――

 やがて道の先からたいまつの明かりが漏れ見えてきた。

 どうやら広い空間になっているようでミノス王の笑い声が響き渡っている。


 通路から広間をそっとのぞくと、地底湖の手前に祭壇が築き上げられていた。

 ミノス王はアリアの腕を引っ張り、今まさにその祭壇にのぼろうとしているところだ。


「春香は遠くから援護を頼む」

 夏樹はそう言うと、すっと背を低くして足音を消しながら走り始めた。


 私は入り口からすぐに弓を構える。距離は70~80メートルといったところだろうか。さすがに細かい狙いは普通なら・・・・つけられない距離だ。

 静かに心を澄ませ意識を集中する。神器であるこの弓矢なら狙えるはず。じっと私は祭壇を注視した。


 祭壇上ではアリアが投げ出され、激しく暴れているが、ミノス王は強引に手枷足枷をはめていっている。

 とうとうアリアは壇上で仰向けに固定されてしまった。ミノス王は脇に立てかけてあった巨大な両刃の斧を手にした。

「い、いや!」

 ここまでアリアの叫びが聞こえてくる。ミノス王は笑いながらゆっくりと斧を持ち上げていった。


 ――夏樹! 早く! 

 私は息を詰めながら、素早く移動する夏樹を見る。……5、4、3、2、1。いまだ!


 シュッと放った矢は一直線に飛んでいきミノス王の右肩に深く突き刺さる。


「ぬ?」

 途端にバランスを崩したミノス王がよろめいた。そこへ横からアイギスの盾を構えた夏樹が彗星のように突っ込んでいく。


「うおおおお!」

 気迫とともに夏樹がミノス王へと体当たりをすると、ミノス王の巨体がふわりと浮かんで左に倒れ込んだ。

 斧はそのままアリアからそれて祭壇に深く突き刺さる。

 ミノス王がギロリと夏樹を見る。いまよ!


 すかさず2射めを放ち、私も走る。矢は狙い違わずミノス王の左肩に突き刺さった。

「ぬうぅ。まだいたか!」

と怒声を上げながらミノス王が立ち上がった。突き刺さった斧の柄を握り引き抜こうとしている。


 細かく立ち止まって3射、4射めの矢を連続で放つ。一本は外したけれど、もう一本はミノス王の手の甲にずぶりと突き刺さった。

 その間に夏樹は後ろ手でミスリルのナイフを抜いて、アリアを縛り付けている枷を断ち切っている。

 あと一つでアリアを解放できるいうところで、ミノス王が拳を握りしめて夏樹に躍りかかった。


 冷静に盾でミノス王の巨体を受け止める夏樹。しかし、その手からナイフがカランと音を立ててこぼれ落ちた。


 私は即座に弓なりに矢を放つ。狙いはミノス王のギョロリと血走っている目だ。

 しかし、その矢はミノス王に振り払われた。

 そのまま、盾があろうとかまわず殴り続けるミノス王。ミノス王のフンッという息継ぎとともに、大きな拳が盾にぶつかる度に鈍い音が響き渡る。


 夏樹は盾に身を隠しながらも、足場が悪いために後ろに少しずつ後ずさっている。

 その夏樹の背後でアリアが必死にナイフに手を伸ばしていた。


 その時、私の横を一塵の風が通り抜けた。


「アリアー!」


 叫びながら猛スピードでミノス王に襲いかかったのはテセウスだった。

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