第21話 英雄の帰還
テセウスの突撃にミノス王が後ろに倒れこんだ。
ようく見てみると、テセウスの全身を不思議なオーラが包み込んでいるように見える。
テセウスが私に、
「アリアを!」
と叫んだ。
……うん。わかってる!
急いでアリアのもとへ駆け寄り、ナイフを拾い上げて最後の鎖を断ち切った。
さすがは異世界製のミスリルナイフだ。この時代の未熟な鉄など簡単に切れる。
ナイフを鞘に収めて夏樹に向かって投げると、夏樹は振り向きもせずに右手でそれを受け取った。
そのままミノス王の方を見たままで、
「アリアを連れて下がれ! 春香!」
と叫んだ。
「了解!」と返して、まだ立ち上がれないでいるアリアを抱え上げ急いで離脱する。
離れたところでアリアを下ろしてチラッと夏樹たちの方を見ると、二人は連携しながらミノス王と戦っていた。
しゃがんでアリアの様子を見る。アリアはまるで凍えているかのようにブルブルと震えながら放心状態になっている。
無理はない。目の前であの大斧を振りかぶられたんですもの。
やさしく手足を撫でながら、すばやく手足や身体に傷がないかを確認する。
うん。どうやら外傷としては左腕の切り傷と擦り傷があるが、どちらも塞がりかけ。そのほか、強く握られたり殴られた跡が肩と左の頬にあるけれど、内臓は大丈夫そうだ。
でも……、かわいそうに。顔の打撲痕なんてテセウスには見せたくないよね。
私は手をアリアの額に乗せた。テセウスの時と同じように神としての力を解放してケガを治していく。同時に力を乗せた
「がんばったわね。アリア。えらかったよ。テセウスと夏樹が来ているから。もう大丈夫よ」
次の瞬間、いきおいよく抱きついてくるアリア。まだかすかに震えているその背中を撫でながら、「大丈夫。大丈夫」と幼子を包容するように言い聞かせ続けた。
ズズン……。
突然、何かが倒れるような音がしてあわてて振り返ると、ミノス王が大の字になって仰向けに横たわっていた。
……よかった。二人は無事みたいだ。
そう胸をなで下ろした時、ミノス王の口から笑い声が漏れ次第に大きくなっていく。
「くくく……。はははは……。すまぬ。アンドロゲオス。父はお前を守ってやれなかった……」
笑い声は泣き笑いになり、嗚咽に変わっていく。
しばらく誰もが身じろぎもせずに立ちすくんでいた。
体を起こしたミノス王は力なくうなだれながら涙を流し続けている。
「すまぬ……。すまぬ……」
まるで憑きものがとれたかのようなミノス王に、テセウスがゆっくりと構えていた両手を下げた。
そして、ミノス王を見ながら、
「ミノス王。ご子息の事は私たちも残念に思っています。あれは事故だったのです」
と語った。
ミノス王は短く「わかっておる。アイゲウス王の子テセウスよ」といい、顔を上げてテセウスを真っ直ぐに見つめる。
「一つ頼まれてくれんか」
「はい」
「我が朋友カトレウス王に、かつてのミノス王から"すまぬ。後は頼む"と伝えて欲しい」
「……ミノス王。それはあなたが」
「いいや。わしはここで死なねばならぬ。子を失った悲しみに狂い人々を苦しめた化け物は、英雄の手によって討たれねばならぬのだ」
そういうミノス王は、今までとはまったく違う優しくも寂しげな表情を浮かべた。
「ですが……」
「アイゲウス王にも謝罪しておいて欲しい。そして、カトレウス王とともにクレタとアテナイの友好を。……頼む」
しばらくミノス王を見つめていたテセウスはうなづいた。
その時、ふいっとアリアが私の手を離れてミノス王へと近寄っていった。慌てて追いかけるけれど、なぜか止めることができない。
アリアはテセウスの隣に並ぶと、普段とは違う凜とした空気を漂わせ、
「王よ。今こそポセイドンの呪いが解けたのです。テセウスの手によって。あなたの恨みは浄化されたのです」
まるでアリアではないかのような口調。どこか神聖さを帯びた聖女の言葉が響き渡ると、ミノス王は静かにうなずいた。
「その通りだ。聖女よ。そなたにもすまぬことをした」
アリアはミノス王の前へと進み出ると、細い手を伸ばして王の額をさわり、
「あなたを許しましょう」
と告げる。
ミノス王は満足そうに微笑むと、テセウスの方に向き直って首を差し出した姿勢をとる。
「わしの体は冥界へ続くといわれるこの湖に流して欲しい。……さあ英雄の手で、わしをアンドロゲオスの元へ送ってくれい」
それでもなお迷っているテセウスの肩を夏樹が叩く。夏樹を見るテセウスに、夏樹は黙ってうなずき返した。
テセウスは祭壇の大きな両斧を抜き、ミノス王のそばに行き、静かに振り上げる。
「ミノス王よ。偉大なあなたの姿を私は絶対に忘れない。――さようなら」
――――
ミノス王の遺体を湖に流して見送った私たちは、ゆっくりと来た道を戻っていた。
さっきまで重苦しい空気がただよっていたけれど、アリアを救出できたことでどこか緊張もゆるんでいる。
「夏樹は怪我してない? 大丈夫?」
そう言いながら顔をのぞき込むと、
「あ、ああ。……心配かけちゃった? 大丈夫だよ」
と微笑みかけてくれた。
私はわざと残念そうな顔を浮かべて、
「そっかぁ。残念だなぁ。たあっぷり看護しようと思ったんだけど……」
という。
するとその途端に夏樹が急にお腹を押さえて、
「あ、いたた。……なんだかお腹が痛くなってきた。春香、頼む」
と私の肩に寄りかかってきたので、くすくす笑いながらお腹をさすってあげる。
「ふふふ。続きは帰ってからにしようかな」
こんな夫婦漫才もたぶん前の二人に当てられているんだと思う。
だって――、
「ねぇ。ここは大丈夫?」
とアリアはテセウスの怪我の一つ一つを指さしている。
心配そうな顔で見つめられたテセウスが挙動不審気味に、
「あ、あああ。だ、大丈夫らよ」
と言うと、アリアはにっこり笑って「そうよかった」と言って、ぎゅっと絡めた腕にしがみついている。
テセウスの耳がみるみる赤くなって、
「あ、アリア。その……、当たってるから」
アリアは首をかしげて、
「なあに?」
と可愛らしく言うと、そのままコテンと首をテセウスの肩にもたれかけた。
うわぁ。見ているこちらが赤くなりそう。もうラブラブのカップルになってる。
……いや、ラブラブなら私たちも負けてないわよ!
夏樹が何かを感じたようで、
「は、春香?」
と不安そうな声を出す。
「ね? 抱っこして」
「は?」
「だから、お姫様抱っこ!」
おねだりをすると夏樹の頬がひくついている。
「どうしたんだ? 急に」という夏樹に、私は頬をふくらませて、
「こら! 抱っこだって!」
「いや、だってまだ洞窟の中だぞ?」
「私は今がいいの!」
「帰ったらやってやるから!」
「だめ!」
そんな私たちのやり取りを聞いて、前を歩いているテセウスとアリアがクスクスと笑いはじめた。
とまあ、いつもより甘い空気を漂わせながら、私たちは地底から帰還した。
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