第19話 ミノス王

 弓に矢を軽くあてがいながら、じりじりと肌にひりつくような緊張感のなかを進む。


 さすがにこの人数で子供もいるので足音を消しながらというわけにはいかない。だけど、一度通ったルートだし、殿しんがりの夏樹の方が危険。……普通ならね。


 今の夏樹はどこかさっきの怒りを引きずっているみたいで鬼気迫るものがある。きっと誰にも負けないと思う。


 広場の戦いが終わったのか、妙な静けさがここまでただよってきている。かといって安心はできない。

 正直にいって今のほうがかえって不気味。とらえどころのない妙な不安感がある。

 ようやく広場が見えた頃には思わず安堵の息が漏れてしまった。


 広場の戦闘も終わったようで、広場の中央にカトレウス王とテセウス、そして、兵士たちが集まっている。


 そっと広場に出た私の後ろからアリアたちが出てくるが、広場の惨状と血の臭いに絶句して子供たちの何人かは蒼白になってその場にへなへなと倒れてしまった。

 あわてて夏樹とアリアと一緒に子供たちを隅すみに連れていく。


 ……うかつだったわ。考えなしに戦場の跡を見せてしまうなんて。私だってショックだったのに。



 夏樹が私の肩にぽんと手を載せた。気遣うような目が仕方ないさと言っている。

 私はそっとその手に自分の手を重ねてコクリとうなずき返す。


 いつもいつも。私が落ち込んだとき、夏樹が励ましてくれる。勇気をくれる。前を向く力をくれる。

 ……ああ。あなた、愛してるわ。


 そう想いを込めて夏樹を見つめると、微笑むような優しい目で私を見つめてくれた。


「――ちょっと。こんなところで」

 とアリアの声に我に返る。

 誤魔化すように、中央のカトレウス王の方を向いて、

「テセウス!」

と叫ぶと、テセウスが私たちに気がついてこちらに振り向いた。


 いくつもの返り血を浴びた姿に張り詰めた表情。その目が私と夏樹を見て、そして、アリアを見た。


 カッと目を見開いたテセウスが人々が止めるのも聞かずに真っ直ぐにこっちにやってくる。

 カトレウス王たちが私に気がつきテセウスを制するのを止める。

「アリア! アリア、アリア、アリアー!」

 名前を呼びながら次第に駆け足になるテセウス。


 アリアは泣くのを我慢して右手で口元を押さえ、じいっとテセウスを見つめ続けている。

 その姿はいつも以上に小さく、はかなげに見えた。


 離ればなれになっていた二人。その再会に私も胸が一杯になり目元がじいんと潤んできた。

 二人の距離が近づき、テセウスが両腕を広げて駆け込んでいく。そのまま、アリアを――。


 バッチィィィン。


 今まさに抱きつこうとしていたテセウスが両腕を広げたままでぽかんとしている。その頬には真っ赤な手の跡がついていた。

「ア、リア?」


 呆然とするテセウス。私も思わず何が起きたのかわからずに、気がついたら口をぽかんと開けていた。


 アリアは拳を握りしめると、目を怒らせて、

「なんでここにいるのよ! 私にかまけている時じゃないでしょ! だいたいいっつも遅いのよ!」

とテセウスを怒鳴りつけた。腕を組むとフンッと鼻息を荒げ、ぷいっと背中を向けた。


 その背中にテセウスがどうしていいのかわからず、よろよろと近寄っていく。でも私の目には見えている。アリアの背中が細かく震えているのが。


 近寄ったテセウスもアリアが泣いていることに気がついて、そのまま後ろから抱きかかえた。

「アリア。ごめん。遅くなって。……助けにきたよ」

「……本当に、テセウスなのよね?」

 アリアはそう言いながらテセウスの腕に自分の手を添える。

「月の幻じゃないのね。最後の夢じゃないのよね?」

 そこにはもう気の強い少女はいない。気がつくと夏樹が私の手を握っていて私も目がにじんできた。


 再会を喜ぶ二人を見ていると、そばにゲオルギウスさんがやってきていた。私は目をごしごしとこすってゲオルギウスさんに戦況を尋ねる。


「実は……」と切り出した話を聞いて一気に喜びが冷めた。

 夏樹も難しい顔をしながら、

「ミノス王に逃げられた?」

とつぶやいている。


 これは相当に厄介な状況だ。なるほど。それでカトレウス王があんなに激しく檄を飛ばしているのか。

 ……ってちょっと待って。じゃあまだミノス王の軍勢が宮殿内に残ってるってこと?


 確かにこの宮殿は複雑は複雑だ。でもダイダロスさんも来ているんだから見つけるのも時間の問題だとは思う。

 問題は発見じゃなくて倒すことができるのか、ではないだろうか。もし宮殿のなかで分散している部隊が、一つ一つ潰されているとしたら……。

 夏樹を見ると同じことを考えていたのだろう。私を見て小さくうなずいている。「カトレウス王に進言したほうがいいな」


 その時だった。私たちの背後でグチャッと重いものが柔らかいものにぶつかる音が聞こえた。


「イヤアアァァァァ!」


 アリアの悲痛な声が闇を切り裂く。ばっと振り返ると、そこには兜をかぶった大男がアリアを脇に抱えているところだった。

 ゲオルギウスさんが「ミノス王!」と叫ぶ。大男はニヤリと笑い、

「ははははは! おまえ達の相手は生け贄を捧げた後だ!」

と笑い、アリアを担いで北の回廊に走り込んでいった。


 一瞬のことに頭が追いついていかない。隣の夏樹が、

「テセウス!」

と叫んで走り出した。

 ――テセウス? あ!


 きっとミノス王の襲撃を受けたのだろう。テセウスは壁際に倒れていた。私も慌てて夏樹を追いかける。ぴくりとも動かないテセウスに焦りがつのる。


 テセウスの全身を見てかろうじて悲鳴を飲み込んだ。

 ひどい。まるで大型車にはね飛ばされたみたいだ。

 何カ所かの大きな骨が折れ、内臓を痛めているようで、額と口からは血を流している。苦しげな息をしているから、まだ生きてはいるけれど……。これじゃあ……。

 もう意識など無いだろうに、「アリア、アリア……」と小さくつぶやくテセウスを見て、私は胸が痛くなる。


 その時、背後からも叫び声が上がった。ちらっと振り向くと、どうやら北側の回廊前に一人の男が立ちふさがって、ミノス王を追いかけようとするカトレウス王の軍隊と戦っているようだ。

「くそ! ペリペテウスめ!」

 その男は入り口の前に一人で槍を構え、攻め込もうとするカトレウス王の兵士を次々に倒している。

 くっ。そっちも気になるけど……。


 その時、夏樹が私を叫んだ。我に返ってテセウスのそばに座り夏樹を見る。真剣な表情で私を見る夏樹。

「春香。力を開放してくれ。テセウスを頼む」


 決意を秘めたその表情。天帝釈様の声がよみがえる。――人の範囲の力で頼むよ。

 でも今は、それを守れない状況。それよりもテセウスとアリアを救うことが大切だ。


「ええ。……二人で叱られようね」

 そう告げながら私は神としての力を解放し、テセウスの身体をその力で覆った。その身体に深く刻まれた傷を時を戻して直していく。

 不意に夏樹が立ち上がった。


 テセウスのケガに注意を払いながら夏樹を見上げると、夏樹はペリペテウスの方を見つめていた。

「あっちは王たちに任せるとして、すぐにアリアを追いかけないと」

 そう言って近くのがれきやかがり火の台座を運んできて、壁にどんどん積んでいく。


 もうテセウスの傷はほぼ治っている。けれどこのままでミノス王と戦うには力が足りない。私はそっとテセウスの額に手のひらを載せる。

「最後はあなたがミノス王を打ち倒し、アリアを救出するのよ」

 やはりミノス王と戦うのはテセウスの運命だろう。そのための力をこの子に与えられないだろうか……。


 ――ホゥホゥ。

 頭上から鳥の声がする。見上げるとそこには一匹の白いフクロウがじいっと私を見ていた。「フクロウ?」


 頭の中に女性の声が響く。

 ――祝福を授けなさい。言霊を利用して「ミノス王を打ち倒せ」と。


 その声と共に一人の女神の姿が脳裏に浮かび上がった。兜をしたアテナイの守護女神アテナだ。

 ――コレでいいのかしら。


 私はまだ意識のないテセウスの額に手をそっと置き、力を言葉に載せて「テセウス。ミノス王を打ち倒しアリアをその手で救いなさい」と語り聞かせるようにつぶやいた。

 その瞬間、私の手のひらとテセウスの全身がほのかに光り、私の中からテセウスに流れ込んでいく何かの力の流れを感じた。

 これが祝福?

 光りが収まると「うぅぅ」とうめきながらテセウスが目を覚ました。

 目を上げるとフクロウの姿はどこにもなかったけれど、テセウスを見下ろしながらも女神アテナに感謝する。


「僕は……、アリアは? アリア!」

 目を覚ましたテセウスはすぐに立ち上がりアリアの姿を探す。しかし、その場にいないことがわかると、私を見た。


「テセウス。落ち着きなさい。アリアはミノス王が連れ去ったわ」

「ミノス王が! そ、そうか。あの時……。あれ? 僕のケガは?」


 不思議そうに自分の身体を見下ろすテセウスに、

「そ、そんなことよりアリアを救出に行かないと!」

と慌てて告げると、テセウスはすぐに「そうですね!」と顔をきっと上げた。そこへちょうど夏樹が戻ってきて、テセウスを見て、

「アリアを救出に行くぞ。……これを使え」

と拾ってきた鉄の剣を渡した。

 テセウスは礼をいって受け取るとすぐに鞘からすらっと抜きはなつ。

 テセウスは剣を握り「うおおおお!」と気合いを入れながらペリペテウスの方に向かっていった。

 再び戦場に向かうその背中が妙に大きく、そしてたくましく見えた。


 夏樹がじいっとその背中を見て、

「何かした? テセウスに」

と私にきいてきたので、さきほどのフクロウとのやりとりを教えると、

「春香の祝福か……。なんかうらやましいな」

とつぶやいた。ぷっと私は吹き出して、そっと夏樹の腰に腕を回した。


 夏樹の顔を見上げて微笑みながら、

「私の心はずっと夏樹にあるのよ。それに祝福ならほら!」

といいながらつま先立ちしてチュッとキスをする。

 首をかしげてわざと可愛らしく微笑むと、今度はぐいっと引き寄せられ、おでことおでこがコツンと当たった。

「……俺の心も春香のものさ。春香に祝福を」


 ふと気がつくと、いつの間にか夏樹が私を見下ろしていた。

 えへへ。キスに夢中で……。


「さ、俺たちもミノス王を追いかけるぞ」

 私は力の抜けた足腰にぎゅっと力を入れてうなずく。ふとテセウスの方を見ると、なんとペリペテウスとテセウスの一騎打ちとなっており、槍に対する剣というハンデがあるのにテセウスの方が次々に攻め込んでいた。


 おどろく私に、

「春香の祝福を受けたんだ。あれくらいやるさ。……さ、いくぞ」

と言い、夏樹は私の手を引いた。


 まさかね。あそこまでテセウスって強いの?


 驚き冷めやらぬままに、夏樹について瓦礫をのぼって屋根に上がる。

「さ、行くぞ。おそらくミノス王の行き先こそがラビュリントスだ。場所を突き止めないと!」

「うん」


 二人で背をかがめて、宮殿の屋根を走り北口にむかった。


 出口でそっと下に飛び降りる。膝を曲げて衝撃を吸収ししゃがんだままの姿勢で耳を澄ませる。

 ……残念ながらミノス王はすでに遠く離れているようだ。


 天眼を飛ばして後を追う。視界がぐんぐんと高くに上っていき広くクノッソス周辺を視界に納める。

 するとクノッソスから南に向かって動く何かが見えた。今度はズームアップするように近寄る。

 見つけた! やはりミノス王だった。

 ミノス王は大きな牛に乗って狂ったように笑いながら走らせている。いったいあの牛はどこから現れたのだろう?

 その後ろには気を失ったアリアが乗せられている。


 私が天眼で行き先を確認している間に、夏樹が木につないでいた馬を連れて戻ってきた。

「急がないと!」

 駆け寄ってそのまま馬に飛び乗り、南を指さして「あっちよ!」と叫び馬を走らせた。

 すぐに夏樹も追いかけて、私たちは並んで走らせた。


 闇に眠るクノッソスの通りを二人で駆け抜ける。

 南へ、南へ。アリアを救出するために。

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